迎えに来たから
「マヤ……」
圭一は笑ってマヤの下に近づいて来る。
マヤは口元から手を離し、怯えた表情で彼から距離を取る様に後ずさりをした。
(来ないで)
来てくれたのは嬉しい。
でも、彼の前から突然居なくなり、どんな顔して彼に会えばいいのか分からない。
逃げる様にマヤは後ろを向く。
「え?」
そのままマヤは家に入ってしまう。
圭一がドアに近づいた時には、もう既に鍵が掛けられていた。
「マヤ、開けてよ。僕だよ」
圭一はドアをノックする。
マヤはドアの側で涙を流し立っていた。
心配してくれていただろう。
あちこち探し回ってくれていただろう。
学校帰りに町を走り回る圭一の姿を想像して、マヤは胸が苦しくなった。
それは今の圭一の、息が切れた様子を見れば分かる。
決して、嫌いになった訳じゃない。
せっかく迎えに来てくれたのに、どうして逃げ出してしまったんだろう。
叱られるの? 私。
心が震えている。
なんて喋ったらいいんだろう。
「マヤ……」
圭一はドアを叩くのを止め、その場で優しく語りかけた。
「マヤ、僕やっぱり君に嫌われちゃったかな?」
え?
圭一、私が圭一を嫌いになったと思っちゃったの?
違う。
違うの、圭一。
私は……。
「マヤ、僕、帰った方がいいかな?」
寂しげな呟き。
マヤは思わず言った。
「ち、違うの圭一! 私は……」
鍵が開けられる。
泣き腫らした目のマヤが出て来た。
「マヤ……」
「ごめんなさい……。嫌ってなんかいないの。ただ、私は……」
ガバッ。
何も言わず抱きしめられる。
マヤはドキッとして立ち尽くした。
「良かった……」
「……え?」
「僕、もしかして君に変な事言って、嫌われたかと思ったから。ああ、安心した」
「圭一……」
「でもね」
「?」
「悪い事してたなら、ちゃんと謝っておかないと、って思って」
「……!」
この人は……。
何でこんなに優しいの?
逃げたのは、私の方なのに。
渦巻き、荒れ狂う波を静める様に。
激しく、鳴り響く雷を止める様に。
落ち着いた口調で、不安な心を包んでくれた。
「……ありがとう。そして、ごめんね」
マヤは頭を下げる。
圭一は回していた腕を離す。
「マヤ、帰ろう。僕らの場所へ」
あまり深く問い詰めなかった。
干渉はしたくない。
彼女が自分で話してくれるのを待つつもりだった。
「圭一……」
マヤは覚悟を決めた様に、深く息を吸い、口を開く。
「私、見たの。一週間くらい前。中島君の家からの帰りに、駐車場で人が人を刺すのを」
「え?」
「私、どうしたらいいか分からなかった。悲しいくらい涙が出て止まらなかった。何故、何故なの? 何故あんな事をするの? ここは、希望の星じゃないの?」
「……」
圭一は、これで理解した。
彼女が居なくなってしまった理由を。
マヤが見た事件というのは、多分ニュースや新聞で取り上げられていたあの事件の事だろう。
彼女はそれを目撃した事で怖くなり、誰にも言えないまま姿を消したんだ。
圭一は少しでも彼女の悲しみを癒せる様にと、そっと手を握った。
「マヤ。そういう事だったんだね。でも、落ち着いて聞いて欲しい。実は、君が目撃したらしいその事件は、その日テレビのニュースで報道されて、犯人はすぐ逮捕されたって言ってたよ」
「えっ!?」
「君の他にも目撃者がいて、すぐ警察を呼んだらしいよ。刺された人も入院してる。犯人の自供によると、殺す気はなかったみたい」
「……そうだったの。良かった」
マヤは安心して笑顔を見せた。
圭一も笑う。
「じゃあ、私もすぐ誰かを呼べば良かったのかな」
「それは……。僕だってそんな現場を見たら、足がすくんでしまうかも」
「そっか、圭一も?」
「うん。さ、もう忘れようよそんな事」
向き合って握っていた手を離し、二人で空を見上げた。
虹が懸かっている。
「わあ、綺麗」
マヤは感激で目をうるうるさせていた。
いいムードだ。
この、静かで優しい時を、全ての生物が分け合っている。
「地球には……」
「え?」
「地球には、美しい物がたくさんあるのね」
マヤが虹を見ながら、そっと呟く。
しかし、その瞳の奥に光る涙に、圭一は気付いていた。
「マヤ、どうしたの?」
「え? ううん、何でもない」
彼女は故郷、惑星イリアの事を考えていた。
争いで、緑は消え、街は消え、国は滅び、荒れ果てた大地が広がった。
逃げ惑う人々も血を流し、何人もの人が眠りについた。
砂漠と化した大地には住む場所さえ見当たらず、何もかも失った。
家も、自然も、そしてあの楽しい笑顔の時間も。
何故、人はあてもない、こんな争いを続けるのだろう。
失う物はみな、一緒に過ごして来た仲間なのに。
勝っても、負けても、それは同じなのに。
人間の心に憎しみがあるから、同じ過ちを繰り返すのか。
人はもう、この運命を乗り越える事は出来ないのか。
逃げたい。
逃れたい。
運命から。全ての争いから。
けど、
諦めたら、駄目な気がする。
希望から、全てが始まるんだ。
信じてみよう。
人の可能性を。そして人の心を。
マヤの両親が生きてたら、きっとそう言うだろう。
戦争を止める為、先頭に立ち、愛を訴え続けて散った両親。
その思いは娘のマヤや、レジスタンスの仲間達に受け継がれている。
「マヤ、マヤ」
圭一に体を揺さぶられていた。
ボーッとしていたみたい。
虹はいつの間にか消えている。
「どうしたの? 大丈夫?」
「あ、うん」
焦点を合わせる。
(大丈夫、大丈夫……)
圭一を真剣な眼差しで見た。
「あのね、圭一…」
そう言いかけた瞬間、
ピピピピピピ。
時計のアラームみたいな音が鳴り響いた。