隣町へ
翌日。
昨夜から降り続いた雨はまだ止まず、圭一は傘を差して家を出た。
彼の行き先は隣の町。
駅からバスに乗り、五つ目のバス停で降りる。
プップ~。
バスが去った後、圭一は人混みの中を歩き始めた。
(この町に、彼女が……)
マヤが居るはずの場所と同じ所に立っている。
その思いが、今の彼を動かしていた。
(早く、早く会いたい)
通りに出ると、人の波はますます混みあって来る。
圭一は信号を渡り、目の前の交番に寄った。
若い婦人警官が居る。
「あの……」
圭一は少し恥ずかしくなり、喋り声が小さくなる。
警官がこっちを見た。
「何です? どうかしましたか?」
「あ、あの……。近くに森みたいな公園は、あり……、ますか?」
「森林公園って事ですか? それとも小さいけど木のある公園?」
「あ、どちらでも……」
「少し待って下さいね。今探しますから」
警官の眼鏡の奥の瞳が、優しく笑った。
パソコンで調べてくれている。
圭一は、家を出る前に考えていた。
マヤが圭一の住む町で家を建てたのは、公園の奥の、誰も来ないであろう森の中。だったら、この町で彼女が居そうな場所は、やっぱり人目の付かない隠れられる場所じゃないだろうか。
姿を消した理由は分からないけど、何となくそんな風に感じた。
「この町に森林公園は、無いですね。小さい公園はあるけれど、木の数はと言うとだいたい二、三本で、あなたの言う森というほどでは……」
「そうですか。済みません」
「謝らなくていいんですよ。事情は分かりませんが、気になる事があるのでしょう? 失礼ですが、あなたは中学生くらい? そんな子がわざわざ交番を訪ねて来る。よっぽど大切な何かをお探しの様ですね」
「は、はい」
この婦人警官、鋭い。
そして丁寧。
圭一の様な年頃の子にも、敬語で話してくれる。
「もしかして、彼女とお約束か何かですか?」
「は、はい。似た様なものです」
「まあ。彼女は自然がお好きなんですね。フフッ。森林公園とかは見当たりませんが、丘がありますね。その丘に林が」
「本当ですか?」
「ええ、こちらに。歩いて5、6分ですかね。それにしても」
「え?」
「彼女、ミステリー好きなんですか? 彼氏に謎解きをさせるなんて」
そうか。この人は、そういう風に捉えちゃったのか。
まあそういう風に思ってしまうのも仕方ない。
理由を知らない人にとっては、そういう風に捉えてしまう事もあるかも。
圭一は婦人警官にお礼を言って交番を出た。
警官は手を振っている。
「たまたまわたし一人しか居なくて、案内出来なくてごめんなさいね」
って。
そんな事。
こっちが時間を取らせたのに。
それにその丘にマヤが居るかどうかもはっきりしていないのに。
最後まで、お優しい人だ。
タッ。
教えてもらった通りに、交番を出てすぐ左折し、歩道を直進。
歩道橋が見えたらそれを渡る。
ビルとビルの間の細い道を抜け、開けた道路に。
今度は右折。
車の通りが少ない。
緩いカーブの坂道になっている。
そのカーブを過ぎると、右に枝分かれした砂利道。
砂利道を登れば、目的の丘だ。
(ここが……)
丘の上に立つ。
思ったより高いという感じはしないが、見晴らしはいい。
林の中に入ると、たくさんの木々が雨を遮ってくれて、圭一は傘を閉じた。
静かだ。
誰も、居ないみたい。
雨のせいか、鳥のさえずりも、人の気配も無い。
あるのはただ、緑の木だけ。
圭一は、無我夢中で歩いていた。
(早く、彼女に会いたい)
心の中はマヤの事で精一杯。
他の事を考えている余裕が無い。
恋は盲目。
今の彼に、これほどぴったりな言葉はないだろう。
それほど、圭一のマヤへの思いは、燃え上がっていた。
この数日間。
彼女が居なくなってからというもの。
彼の心は一日も休まる事は無かった。
毎日、不安に押し潰され、胸が痛かった。
切なく、悲しく、どうしようもない苦しみ。
(何処へ行ってしまったんだろう)
とか、
(まさか、事故じゃ)
という思いが、頭から離れなかった。
時には、自分は嫌われてしまったんだろうかという自己嫌悪まで陥った。
だから、彼女が見つかったあの日、圭一は胸の中に光が満ちる様に嬉しかった。
愛しさで、心が一杯になった。
離ればなれになって、より強い思いが生まれたのだ。
目の前に、小屋が見えて来る。
もう昔からそこにあるかの様な、小さく、古びた小屋だ。
切り株が置いてあり、薪もある。
よく見ると、出入口と思われる扉の所に、斧が二本立て掛けられている。
(木こりか誰かが使う小屋なのかな?)
と、圭一は一瞬思った。
だが、誰も住んで居る気配の無いこの丘。
この小屋を利用していた人も、もう居ない。
のかもしれない。
そんな事を考えながら、道なりに進む。
いつの間にか止んだ雨が、太陽を呼び、周りの木々が輝き出す。
雨は風に運ばれ、青い空が顔を出した。
綺麗だ。
圭一は本能的に叫んでいた。
「絶対に、絶対にマヤに会うんだ!」
木々の隙間からこぼれる光に、彼女の笑顔が重なる。
明るく、優しく、誰よりも輝いて見えた。
会いたい。
今、ここで。
会って、話がしたい。
全ての事を知りたい。
彼女の事。
彼女の星の事。
そして、彼女が居なくなった訳。
運命がどんなに急ごうが、時間が二人を裂こうが、そんな事関係無かった。
(僕が、彼女を守る)
それだけだった。
ダッ。
走り出す。
林を抜けたその先に、きっと。
「あ……」
その広場での風景に、圭一は思わず立ち止まる。
記憶が、彼の脳裏に蘇って来た。
ドーム型の家。
風の音。
間違いない。
あれはマヤの、マヤの家だ。
違っているのは、大地が雨に濡れているという事。
かタッ。
家の扉が開く。
圭一は少し離れた所から見守った。
茶色の長い髪が、風に揺れる。
少女はまだ気付かない。
ここに、彼が居る事を。
圭一は、少女の名を呼んだ。
忘れるはずが無い。
あんなに夢中に、あんなに好きになった少女の事を。
生まれて初めての、初恋の思い出を。
「マヤ」
少女は声のする方を見た。
そして動きが止まる。
「圭一……」
びっくりした様に、手を口元に当てたまま。