事件の目撃
その日マヤは、五日間続いたモデルの仕事の最終日を迎え、お給料をもらってウキウキで帰路に着いた途中だった。
中島の家は、圭一の家の角を曲がって三軒離れた所にある。圭一の家からマヤの居る公園までは歩いて10分ほどの真っ直ぐな道路を通るから、どっちかというと圭一の家の方が近い。
今日は早く終わったからと、マヤは遠回りして、喫茶店を探して帰る事にした。
初めて自分で稼いだお金が手に入った事だし。
彼女がちょうど道端のパン屋の側を通りかかった時、男の人の声がした。
「お前は、何も分かってない!」
「……?」
何事かと思うマヤ。
声が聞こえた方向へ足を進める。
ビルの影になった駐車場。
二人の男が、殴り合いの喧嘩をしていた。
見た目は二十代前半くらいの男達で、同じ会社の同僚という感じだ。
バシッ。
茶髪のピアスの男が、黒髪ボブの男を殴る。
襟首を掴んだ。
「お前には、俺の気持ちは分からない! 人の女を横取りしたお前にはなぁ!」
「違う! 話を聞いてくれ! 俺は何も……」
どうやら、恋愛関係のもつれから来る喧嘩らしい。
下になった黒髪ボブの男は必死に弁解するものの、上の茶髪ピアスの男の怒りは収まらない。
「本当に、俺と彼女は何も無い。信じてくれ!」
「うるさいっ! 俺は親友のお前に裏切られたっていう思いでいっぱいだぁっ!」
バシッ。ガシッ。
一方的に殴られているみたい。
マヤは駐車場の角に隠れ、震える身体でそれを見ていた。
怖くて止める事も出来ない。
「止めろ、止めてくれ!」
「お前と彼女が、何も無かっただと? フッ。話していたじゃないか、仲良く。通路でも。休憩室でも」
「それは、ただ同僚として……」
「信じられないな。そんな事」
キラッ。
茶髪の男が懐から取り出した物。
それはナイフであった。
「!!」
「俺と彼女を引き裂いたお前は許さねえ。さあ、罰を受けるがいい!」
「止めろおお!」
グサアアア。
人の憎しみが、人を傷つけた瞬間。
狂気を帯びたナイフが、黒髪ボブの男の胸に刺さる。
茶髪ピアスの男は、そのままビルの向こうへ走り去って行った。
「きゃああああああ!」
全てを見ていたマヤの、恐怖に満ちた悲鳴が響く。
彼女の頭の中に絶望が駆け抜けていた。
希望の星として、あんなに信じていたのに。
その地球の人間が、こんな事……。
これじゃいつか、私達の星と同じ事になってしまう。
いや、まだ。
でも、やっぱり。
一度生まれた疑念は消えない。
惑星イリアでの悲しい体験が、彼女の心をネガティブな物に変えていた。
(これじゃ、イリアを救う事なんて出来ない)
涙をポロポロこぼしながら、マヤは走り出していた。
(消えたい、誰も居ない所へ。一人に、なりたい)
そして、彼女は誰にも告げる事なく、一人行方をくらました。
それから--。
その事件は、マヤの知らない間に、解決の時を迎えていた。
犯人は、被害者の同僚である二十二才の会社員。動機は、被害者に自分の彼女を取られたと思い込み、怒りで我慢出来なくなったから刺したと自供している。
警察が調べた所によると、凶器のナイフは事前に用意されており、計画的犯行として男は逮捕されていた。
マヤが目撃した時には、犯人は被害者を殺す様な勢いで犯行に及んでいたが、取り調べの中で犯人は、殺意は無かったと供述している。
その言葉の通り、被害者は一命を取り留め、今はまだ病院に入院中だが、回復に向かっているそうだ。
事件はテレビのニュースや新聞にも取り上げられ、町は騒然としていた。
幸いマヤ以外にも、被害者の悲鳴を聞いた者や目撃者がいた為、解決が早かったとみえる。
圭一は事件以来、マヤが行方をくらましていると知り、毎日彼女を探して町中をさまよっていた。
しかし依然、手がかりは掴めない。
心配で、学校へ行っても勉強が手に付かず、家では地図を広げ、バスや電車の時刻表にまでチェックを入れ、彼女の行方を追っていた。
寝不足になっても、目の下にくまが出来ても、倒れてしまったとしても、彼女に会いたかった。
「マヤ、一体何処へ……」
自分の部屋で落ち込みため息をつく息子の姿を、母親は何度も見ていた。
(おかしい)
だが圭一は母親に、マヤが居なくなった事を話していない。
心配をかけたくなかった。
「はあ」
「またため息ね」
「……?」
ついに母親が圭一の部屋に入って来る。
こう毎日ため息をつかれたんじゃ、さすがに何かあったと思わざるを得ない。
「……何?」
圭一は少し驚いたよう。
「ん、ちょっとね。この頃あなたの様子が変だから」
あくまで自然に、そして優しげに言う。
圭一はピクッと眉を動かした。
「母さん、何か気付いてた?」
やっぱりね。
母親は諭す様に続ける。
「圭一。何があったか知らないけど、悩みがあるなら、母さん聞くわよ」
「……」
「最近、マヤちゃんも来てないしね」
「あ、マヤ……」
息子の瞳が寂しげに下を向いたのを、母親は見逃さなかった。
「マヤちゃんの事なのね」
コクッ。
圭一は頷く。
母親は圭一から、マヤが居なくなった事を聞いた。
「マヤちゃんが、行方不明って……」
母親も驚いている。
圭一は泣きそうな声で打ち明けた。
「母さん、僕、どうしたらいいか分からない。彼女の事、どんどん好きになる。彼女に会いたくて、胸の奥がチクチクするんだ」
「圭一……」
「マヤが居なくなった時、僕、嫌な予感がした。何だか、マヤが助けてって言ってる様な。だから必死で探した。けど、居ないんだ。何処にも、何処にも居ないんだ……!」
圭一は泣き崩れてしまう。
母親は、圭一の強い思いを知った。
そして母親として、息子を救いたいと思った。
その為には--。
「ほら、しっかりしなさい圭一!」
わざと強い口調で、顔を上げさせる。
「母さん……」
「彼女を守る立場のあなたが、いつまでもウジウジ泣いてたら、マヤちゃんも帰って来ないわよ。大丈夫。マヤちゃんだってね、そんな弱い子じゃないと思うわ。たった一人で、宇宙からこの星に来たんでしょ? あなたが好きになった女の子だもの。母さん、信じるわ」
「母さん……、本当?」
「ええ。道はいずれ開ける。行動しなさい。涙を拭いて、気分を休めたらいいわ」
「……ありがとう」
母親の叱咤激励により、圭一の心は少し落ち着いた。
「お茶淹れて待ってるからね。もうちょっとしたら来なさい」
「……うん」
母親は階段を降りて行く。
一人部屋に残る圭一。
こんなにも、マヤが好きだって事に気付いた。
(マヤ、僕は……)
守りたい。
誰よりも彼女の事。
今何処かで孤独で寂しい思いをしているのなら、それを救ってあげたい。
机の上には、現像した二人の写真。
笑顔の彼女が笑っている。
(そうさ。諦めたって、何も始まらない。もう一度、最初からやってみよう)
圭一は決意を新たに、下に降りて行った。