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しすてむ  作者: 奈良松陽二
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いよいよ明かされる忌まわしき45年前の悲劇。そして、呪いの正体と衝撃の事実。

十四


「そう、四十五年前の〝あの日〟から一家全員失踪したね」

 ここで邑田が口を開いた。

「! ・・・ 邑田さん? ・・・ なんでそれを? 」


「・・・ それは私が、彼女に調べてもらったんだよ」

 そう声がすると、鳥居の陰から初老の男性が現れた。


 彼は続けて、

「多田君、君の事は大方わかってるんだ、君は大きな誤解をしているんだよ。我々は、その誤解を解きに来たんだ。だから、銃を直して石を納め給え」


「ごめんなさい、すっかりお待たせしてしまって・・・ 」 

 邑田は彼の存在を知っていたようだ。

 というより、彼女がここに連れて来たようだった。


「・・・ あんた、あの窓口の? 」

 そう彼は、役場に訪れたあの男性だった。


「この人は? 」

 と柴田が訊いたが多田は名刺を貰う前に邑田と変わったので、名前も職業もわからない。


 ただ、町長の依頼で調査をした、と聞いただけである。


 柴田の質問には、男性自ら答えた。

「彼以外で、唯一この一件の原因を知る人間と言えばわかりますかね」

 やたら、持って回った言い方だ。

 こういう言い方をする人間はあまり好きではない若葉は、

「唯一ではないですよ。ここに結構いますから」

とわざと言った。


「はい? 」

 男性は若葉の言うことが当然わからない。


「あ、とりあえず、この娘は置いといてください」

 柴田がフォローしたので、男性は松木や柴田、若葉たちがここにいる理由も分かっているようで、

「それと、あなた方のおっしゃる都市伝説の正体もね」

と自信ありげに言った。


「えっ? 」


 松木は謎が深まるばかりで一向に答えが出ない中、一筋の光を見たように目を輝かせた。


 男性の方はパンツ一丁の男に目を輝かせながら見つめられ、さぞや困惑しただろう。


「あなた? ・・・ 何者だ? 」

 多田は男性に尋ねたが、邑田は知っていたものだと思っていたらしい。

「ああ、この方? ・・・ 多田君、聞いてたんじゃないの? 」

「いや、町長から重大な件で調査を依頼されたとしか・・・ 」


 男性は改めて名乗った。

「私、帝旺大学で民俗学を研究してます国木田八七夫といいます。今は主に、郷土に伝わる伝承と、その地の地形や地質との関わりを研究対象にしてます」


「いや、話を聞いて納得よ」

 邑田は、ある程度の所までは聞いて来たらしい。


「・・・ 伝承と地質・・・ 」

 多田はまだピンと来ていないようだった。

 この国木田の言う誤解とはなんなのか。

 今の所では皆目見当もつかない。


 邑田は多田に、

「多田くん、それとこれはもう町長の耳にも入ってる。良かったわね。あなたの希望通り温泉計画は一旦白紙になるわ」


 多田の希望通り? いや、多田は温泉計画を推進していたはずだった。


「なっ? ・・・ なんで? 」

「ただしこの集落はもう無くなるわ。町長がずっと管理してきたけど、それを知ってしまったら、ますます手を入れないといけないから」

「そ・・そんな、やめろっ! よせっ! まだ何が起こるかわからないっ! 迷信なんかじゃないんだっ! 」

 多田は狼狽えだした。


「そうだね。君の言う通り迷信なんかじゃない。ただ、これを放置できないんだよ。すでに被害が出ている。たちまち、対策工事に入るという町長の決断なんだよ」


「・・・ そんな・・・ 」

 多田はその場で膝から崩れ落ちた。


「さっきから、よくわからないんだけど、なんすか? 地質とか対策工事とか」

 柴田が国木田に聞いた。


「さて、どっから話しましょうかね・・・ 」

 国木田の問いかけに邑田が答えた。


「そうね、まず初めに、この集落で四十五年前に起こった悲劇から話すわ」


「村人全員がいなくなったって、やつか。こいつは、事件性はないって言ってたけどな。でもな、死人が出てんのは間違いない事実なんだ。ここに生き証人・・・ 、いや死に証人がいるんだから」


「死に証人? 」

 邑田は、まったく理解できない。


「いますっ! いるんですっ! ここにっ! 」

 若葉はアピールするが誰も理解できないから、話をややこしくするだけだ。


「もうよせっ! やめろっ! 俺は聞きたくもないっ! ・・・それに、もう手遅れだ」

「手遅れ? なんだ? どういうことだ? 」

 松木は、多田の銃を奪って、肩に掛けて、男根石を拾う。

「まったく・・。なんてことをしてくれたんだ」

 多田は松木に言った。


 松木は祠の穴に石を納めた。


「今さら納めた所で、どうなるかわからない」

「なんだよ? 俺が石を抜かなきゃよかったって言いたそうだな? 石を抜いたらどうなるって言うんだよ? 」

「四十五年前の彼らと同じことになるんだよ」

 多田は淡々として、そう答えた。


「は? 」

 松木、柴田、若葉、そして若葉にだけしか聞こえないが住人全員が乱れもせずに同時に発した。


「四十五年前、この集落で住民6人が死亡した。しかも、それは・・・ 殺人なんだ。俺の・・・ 俺の父親がやった」


「いやいや、待て待て、問題を放っといたまま先に進めるな。どういうことだ? 俺たちはもう死んでるって言いたいのか? 」

 この松木の疑問に、国木田が答えた。


「その問題については、私が説明しましょう。説明する前に、これだけはお伝えしておきます。ご安心下さい。少なくとも現時点においては、あなた方は死んではいません。彼が、大きく誤解しているのは、まさにこの事なんです」


「誤解じゃないっ! 本当なんだっ! 」


「・・・ あれだけ事件性はないって言っといて」

 若葉は、多田が何を隠そうとし、何を守ろうとしているのかわからない。

 その為にこの地に隠された呪いや祟りを信じているのに、若葉の能力を真っ向から否定していた、その真意がまだわからない。

 彼女にしてみれば、もしかしたら生きてる人間よりも死んで魂だけの存在となった霊たちの方が怖くないかもしれない。

 生きている人間の方が、複雑で、思いを簡単に口にしない分、何を考えているのかわからない不気味さを感じるからだ。


 多田は若葉の指摘に答えるように、ブツブツと独り言を言うように話し出した。

「知らなかったんだよ、俺も。親父が死ぬ前にこのことを聞かされても、正直信じてなかった。実際、親父は死ぬまで祟りだと信じ込んでたし、ただ、当時の新聞とかも調べると、だんだん、とんでもないことをしたんじゃないかって思えて、この役場に勤めようと思ったんだ。役場勤めになってから、当時の事や、この集落の記録を調べるようになって、そうすると、当時いったい何があったのかわかって」


「・・・ 柴田っ! カメラっ! 」

「あ、はいっ! 」


 松木は持っていたカメラを柴田に渡し、柴田はカメラを回し始めた。


「いいでしょう。回してください。非常に重要な真実です」

 国木田がそう言うと、邑田が説明を始めた。


「四十五年前、死人が出たのは事実よ。死者数は6人。昭和四十九年十二月五日の未明に起こったこ

とだけど・・・ 」



十五


 昭和四十九年十二月五日の未明に起こった悲劇を語るには、その前日から語らねばならない。


 この日の朝に、多々里地区の集落に住む七人が祠の前に集まった。


 出席したのは、多田栄作、多田喜代、多田孝三、多田秀子、多田清史、多田照子、そして、多田杉

作の七人である。


 七人は、それぞれ祠の前に円になって座り、時計回りにくじを引いている。

 そして、当たりくじを引いたのは、最後に引いた杉作だった。


「当たりは杉作かいっ! 」

「なんで、お前やねんっ! 」

 栄作爺や清史、そして孝三はそれぞれ不満を隠すことなく言った。


「だいたい、なんでこの村の連中が、お前んとこの借金取りに嫌がらせされにゃならんのよ」

 普段おっとりした秀子すら、論点がずれてるものの、不満を口にしている。

「ちょ・・・ ちょっと、待ってくれ。そんなことわし知らんぞっ。ど・・・ どういうことやっ? 」

 杉作は、男たちの不満はともかく、秀子が漏らした不満に食いついた。

「とぼけんときっ! 借金取りがそない言うとったんやっ! そうやって知らんふりしても、こっちは全部知っとんねん」

 照子も杉作を攻め立てた。

「そんなんやから向かいの茂んとこも、守じいんとこも、端の保んとこも、みんな出てってもうたんやぞ」

 孝三がそれに続いた。

「違うっ、そら違うっ! みんな、このアホみたいな風習が嫌で出てったんや。こんな時代に祠の祟りで、一人残して全員死ぬなんぞ、本気で信じとるんか? 」


「わしがその証拠やろうがっ! 」

 栄作爺が言った。

「それを言うとんのが、あんた一人やから、言うとんのや」

「このぉぉぉっ、ワシをぉぉ嘘つきぃぃ言うんかぁぁっ! こぉろぉすぅどぉぉぉ! 」

 栄作爺が杉作に向かって杖を振り上げるが、プルプル震えつつも、あっさりと杉作に杖を掴まれる。


「このぉぉ、放せぇぇ! 」

「やめぇっ! 杉作ぅっ! 」

 孝三が止めようと杉作につかみかかったところで、喜代婆が大きな声で、

「杉作っ! 」

と言ったことで、場の空気が止まった。


「なんや? 」

 喜代婆は、ゆっくりと話し出した。


「栄太に譲らんか・・・ 」


 栄太とはあの役場勤めの栄作爺の息子である。

「はぁ? 」

 杉作は喜代婆の言った意味が分からない。喜代婆はさらに言った。


「借金も、元はと言えば、あんたの親父のこさえたもんや。あんたが悪いわけでもないんは、皆知っとる。そやけど、今の家長はあんたやろ、親のしでかしたことでも、村の者に迷惑をかけんっちゅうのが道理やろ。あんたが知らんかったんなら、それでもええ。ほんなら、他と同じようにこの村を出て行ったらええんじゃ。あんたがおらんかったら、借金取りも来んっちゅうのが道理やろ。簡単なことや。くじの結果を、ここで栄太に譲るっちゅうんなら、掟に逆らっとることにもならへん。なあ、そうしいな」


 そう言われた杉作は、しばらく考えると、 

「・・・ いつまでに出たらええんや? 」

と喜代婆の提案にやぶさかでもない回答をした。

「今日中やな」

 そう答えたのは喜代婆でなく孝三だった。


「今日中? 無茶言うなやっ! 知っとるやろっ! うちには、足の悪いオカンもおるし、身重の嫁もおるんやっ! 身一つで出て行け言うんかっ? 」


 そこに照子が口を挟んできた。

「ほんまは、あんたひとりなんやで。それを、おかんと嫁も連れてってええと言うとるんや。考えてみい、祟りがほんまになったら、あんたひとり生き残って、おかんも身重の嫁も死ぬんやぞ。それを思うたら、これ以上ない温情やと思わんか? 」

 

 祟りがどうとか、死ぬとか、この中で出て来る会話の内容は到底、昭和四十九年当時の会話内容としても考えられない。というより、くじの当たりハズレが何を意味しているのか、祟りとは何なのか、この会話においても、さっぱりわからない。


「せやかて・・。それって体のいい追い出しやろ。なんやお前ら寄ってたかって、まるで自分ら被害者みたく装って、俺は知っとるぞ。畑は荒らす、うちの前にクソまき散らす、おかんの足が悪なったんも、身重の女房突き飛ばしたんも、俺の軽トラにも火いつけよったのも全部お前らやろっ! 掟やったら、生き残りの一人が村の土地全部の所有権を相続する決まりやモンな。孝三のとこも、清史のとこも子がいねえのをいいことに、こいつら手懐けて、他の奴らも追い出して、うちや追い出した連中の土地も家も畑も、お前ん所の栄太がかっさらう算段か、クソじじいっ! 」


 杉作の言うことが正しいとするならば要するにこういうことなのだろう。


 祟りが何なのかは別にして、村が定めた掟によれば、くじで当たりを引いた者だけが生き残り、他の者は生贄のように死ぬことになる。

 そして、その生き残った者に、家や田畑の権利がまるまる引き継がれるという事なのだろう。

 しかし、それならばくじが外れた孝三や清史は、この段階ですでに死を受け入れているという事だろうか。

 ということであれば、ここから四十五年後、幽霊となった彼らの死に対する認識の無さと矛盾するようにも思える。

 彼らは、無意識のまま死に至ったのだ。一体、そのように死に至らしめる『祟り』と呼ばれるものの正体とは何なのだろうか。


「なんやとぉ! 」

 杉作の言ったことに孝三は反応したが、他は皆、比較的落ち着いていた。


 つまり、杉作の言った、ほぼ犯罪レベルに近い嫌がらせ行為についても否定も肯定もしなかった。

「やめぇなっ! ・・・ まあ、よう考ええな。今日中やぞ」

 逸る幸三を押さえて、照子は落ち着いた口調ながら、低い声で杉作に言った。


 言われた杉作はそれに応えることなく、この場を去ろうと鳥居をくぐりかけたところで振り返った。

「そういや、その栄太は? 大事な会合やぞ? なんでおらんねん? 」

「栄太は仕事や。お前と一緒にすな」

 栄作爺は割としっかりとした口調で杉作に言った。


「役場のやつなんぞ、暇しとるだけやろっ! 偉そうにっ! 」

 そう吐き捨てて、杉作は、その場を後にした。



十六


 杉作はその後に家に戻ると、待っていた妻や母にくじの結果も教えずに、ただ、今日中に家を出る

ことだけを伝えて、すぐに出かけた。


 燃やされた軽トラは使えない。

 今は、スーパーカブしかない。


 カブに乗って、杉作は山を下り、町の中心地まで出かけて行った。


 中心地と言っても過疎化が進んださびれた町である。

 特に娯楽施設になりそうなところもあまりない。

 町内に電車は一本とて通っておらず。

 二時間に一本通るバスがあるだけでスーパーも無く、八百屋と肉屋など最低限生活に必要な店舗が五、六件並んだ商店街があるだけだった。


「ほんまにクソみたいなところや。こんなとこ、さっさと出て行ったる」

 そう言うと、町内で一軒しかない喫茶店に入った。


 店の雰囲気は今では懐かしい純喫茶といったもので、当時としては田舎臭くも無い普通の喫茶店と

いったものだった。


 席数は四人掛けテーブル席が四席ほどあって、カウンター席がある。テーブルはどれも木製のテーブルで座席は、赤茶色の革製ソファーだ。


 一番奥のテーブル席に二人向かい合って座っていた。


 入口の方向が良く見える席に座っていた男が、店内に入って来た杉作を入って来るなり大げさに手を振って、また大きな声で呼んだ。


「おおっ! 多田(ただっ、こっちや」


 幸い、店内には彼らしか客はいない。


 その杉作を呼んだ男を見れば、客がいないのも納得できる。

 間違いなくこの男が、例の噂の借金取りだろう。

 その恰好や風貌から容易にわかる。

 茶色の革のジャケットに太い襟の柄物のシャツ、ズボンは白いパンタロンみたいなラッパ、靴は蛇革。

 左手には、これもワニ革だろうか、パンパンに詰まった大きめのセカンドバックを持っている。


 対する杉作と言えば、ボロボロで泥の染み付いた作業着にジーパン。

 農協の帽子を被り、泥が染みついたボロボロのスニーカーにいわゆるドカジャンを羽織ったいで立ちだ。

 会話を聞かなくても、借金取りと債務者というのが一目でわかる。


 借金取りは自分の隣の席を開けて、杉作に座らすと、肩を組んで来て、妙に馴れ馴れしい。

 ただし、これも、すぐに羽交い絞めできる体勢で逃がさない為の彼らの常とう手段だ。


 杉作は、この男の向かいに座る男が気になった。


 それというのも、その男の身なりが借金取りとはつり合いが取れない程、しっかりしている。

 地味でもなく、かと言って派手でもない。

 見た目でもそれなりに上質なスーツを着てパリッとしている。

 髪型もいわゆるきっちり七三分けで、太めの黒縁眼鏡をかけた男だ。


 彼は杉作が席についても特に何も言わず、挨拶もせず、ただ新聞片手にコーヒーをすすっている。


 彼を気にはしつつ、杉作はまず借金取りに食ってかかった。


「どういうつもりや? あんた? なんで、里の連中ん所に行った? 」

「なんや? 怒っとんの? ・・・ そんな怖い顔せんと。行ったのはお前の借金の事とちゃうで」


 この借金取りの喋り方も、まさにそれとしか言いようがないほど、癖のある話し方だ。


「ほな、なんや? 」

「それやがな。まあ、聞きいな。ええ話持ってきたんや」

「はぁ? 」

「そんなことより、どやった? ・・・ くじ? 」

 借金取りは、ニタニタといやらしい笑みを浮かべて言った。

「当たった・・・ 」

 杉作は、小さな声で答えた。


「ほうかぁっ! 良かったやないかっ! これで言い伝え通り、全員祟りで死んだら、あの土地全部、お前のもんやがな」

 借金取りは、まるで向かいに座る男にアピールするかのように大声で大げさに言った。


「日本でまさか、まだそんな法律無視の前時代的な風習が残ってたなんて」

 今まで、黙っていた男が、ようやく喋った。


「ほんまですなぁ・・・ 。でも、これがほんまですねん」

 男に媚び売るかのように気持ち悪く声色を変えて、借金取りは言った。


「あの・・・ 、こちらは? 」

 そうなると当然、杉作も男の事を聞く。

「お前は知らんでええ。えらい先生の秘書さん・・・ 、とだけ分かってくれればええ」


(秘書? えらい先生? 議員さんの秘書ってことか? )


「はぁ」

とだけ返したが、こんな何もないクソ田舎の廃れた町の、さらに、見るからに怪しい借金取りと一緒に、こんな俺に何の用があると言うのだろう、と杉作は訝しく思ったが、


「ところで、くじ当たって、まさか、誰かに譲ってへんやろな? 」

と借金取りが尋ねてきた。


「えっ? ・・・ いや、まだ」

 そう答えたが、確かに奴らが栄太に譲れと言って来た。


 しかし、この借金取りは見て来たように尋ねて来た。

 しかも、

「まだ? ・・・ おおかた、役場勤めのバカ息子に譲れって言われたんやろ」

 しっかり当てて来た。


「え? なんでそれを? 」


「わしは何でも御見通しやがな。・・・ せやけど、譲ったらあかんど、絶対に。ええな。ほんで、お前、今日に高跳びせぇっ」


「はぁっ? 」

 ここでも杉作は驚いた。


 奴らに言われたことを、ここでも言われたのだから、偶然とは思えない。


「費用はこっちが工面したる。当然、おかんも嫁も連れて行ったれ」

 ここもピッタリ条件が合っている。

 しかも、費用まで持ってくれると言う。

 ここまで来ると、もはや怪しいどころではない、危険な香りしかしない。

「どういうことや? 」

 杉作は、借金取りの目を見て真剣に尋ねた。

 借金取りは、杉作の視線を敢えて外すように、コーヒーをすすると、さらにこう言った。


「当然、借金もチャラや。あと、これやな。お前、これからタダやなしにオオタと名乗れ」

「は? 」

「日本はええ国やぞ。苗字の読み方を変えるだけで人生が180度変われるんや。免許証はフリガナが無いんや。読み方は自由ってこっちゃ。ええな、お前は明日から、タダ杉作やのうてオオタ杉作や」


「全くわからん。借金がチャラ? 名前を変える? 夜逃げするにも費用を出す? 一体何をせえ言うねん」


「簡単な話や。里出る時に、ちょっと、祠の石を引っこ抜くだけでええねん」


「はぁ? ・・・ いや、まさか、あんなアホな祟り話を真に受けとんのか? 」

「アホ言いな。あんなん真に受けるかいな。まあほら、わしもどっちかつうと信心深い方やから、ちょっと試してみるんも一興やないか」

「あほくさっ! 付き合うてられへん」


 すると、借金取りは急に顔色を変えた。


「やらへんかったら、この話は無しや」


 借金取りが単なる迷信にこれだけの条件提示をして来るのは確かにおかしい。

 しかも、結構本気だ。

 これは何かあるに違いない、単なる迷信ではないということなのかもしれない。


「・・・ どういうことや? そんなんして、何の得があんねん? 」


「あるんやなぁ~これが。・・・ お前、この本知っとるけ? 」

 顔がまたニタニタ顔に戻ると、一冊の本をセカンドバックから取り出して杉作の前に置いた。


「なんや? 」

「今を時めく田中角栄大先生のベストセラー『日本列島改造論』やがな。あかんよぉ~、もうちょっと勉強せんと」

「それがなんやねん? だから」

「この御本にはな、日本国中津々浦々蜘蛛の巣のように、高速道路や新幹線、鉄道網を引いて、地方を活性化しようっちゅう話や。どうや、スケールでかい大風呂敷やろ? 」

「・・はぁ・・。」


「言うとること、まだわからんかな? 要するに、このどうしようもない陸の孤島のクソ田舎に高速道路を通そうっちゅうことやがな」

「はあ? 高速道路? 」


「もう具体的に計画は出来とるんよ。田中角栄大先生が総理大臣になったおかげで、この『日本列島改造論』を実現しようっちゅうことで、日本中の田舎と言う田舎がお祭り騒ぎやがな。公共事業やから、国から金がバンバン降ってくる。地元のゼネコン、土建屋も大儲けや。おまけに、高速道路ができてみい、道路建設に雇用も生まれ、人もぎょーさん来るし、やれ観光誘致や、やれ工場誘致や、やれ商業誘致や言うて笑いが止まらん状況や。ねえ、先生? 」


「私は先生じゃない。・・・まあ、日本全国で、地域活性化すれば流動性も高まり未曽有の好景気が再来する。これは、すごいことなのだよ。わかるかね? 」


「そこでや、お前があの土地の権利を全部売ってくれたら、みぃぃ~んっなっ! ハッピーになれるんやっ! こんなええ話あるっ? 」


「つまり、俺の借金であの土地を売れ言うんか? 」


「その通りや。お前かて、自分がしたわけでもない親父の仕込んだ借金を背負って、これから先を生きて行っても、ハッピーになれんやろ。もうすぐ生まれてくる子供の事も考えてみい」


 借金取りは、またセカンドバックから一枚の紙をペラッと出した。文面のタイトルは売渡証書である。

 さらに、ボールペンまでダンッと置いた。


「こんな話が無かったらな、あんな土地、二束三文にもならんのに、ただここに名前とハンコついて、今晩ちょっと祠の石引っこ抜くだけで全部チャラや。古臭い因習としがらみだらけのクソ田舎とも、借金とも、晴れてオサラバできるんやでぇ~」


「・・・ まさか、祟りってほんまなんか? 」


「ああ・・。やっぱそう思う? そやろうなぁ、こんな話聞いたらなぁ。こっちも本気にしとるっつうんがばれてまうわなぁ~」


 いかにもわざとらしい言い方である。


 その後、ニタリ顔から急に変わり、真顔で、

「・・・ ほんまや」

と低い声で言った。


「お前、どこで知ったんや? 」

借金取りはコーヒーをすすり切ると、今度はコップの水をカラカラ氷の音を立てながら飲み干すと、


「お前の死んだ親父からや。四十五年前にもあったらしいな。ぎょーさん調べたでぇ、ほなやっぱり、ただの迷信やないみたいやねん。あそこの土地の地下に有毒ガスのたまりがあって、そいつが決まった時に祠の穴から噴き出すんやと。あのチンコの石はそれを止める栓の替わりらしいわ。あんときは、栄作のじじいが生き残りやったんやろ? 」


 借金取りは、水を飲み干したコップを震わせカラカラと氷を鳴らすと、

「・・・ あれのからくり言うたろか? 」

 と言って、氷を口に入れて、ガリゴリとかみ砕いた。



十七


「ほれ、これ、そん当時の新聞や」

 一枚の写真に写っているのは古い新聞記事だった。

 そこには、地中有毒ガスにより九人死亡とあった。


 集落に居た者で唯一の生存者が、多田栄作と名前が載っていた。


 記事によると、当時たまたま他の住民は皆で町の寄り合いに参加し、そこで一泊していた為に難を逃れたと言う。


「偶然のように書いてるやろ? ほんまにそう思うか? 村で掟と称して受け継がれた 『祟り』 やぞ。時期も場所も特定できとる。せやけど、記事には書いたらへんのよ。お前の親父が言うとったのは、昭和四年の当時言うたら、ちょうど昭和恐慌の最中やないか、冷害で作物も不作続きで、農村は大変やったらしいで、娘も身売りに出したりとかな。まあ、要は口減らしやったんやろうなぁ。かわいそうになぁ。一言も告げられずに残った奴らはあらまかわいそうに毒ガスのえじきや」


 杉作も当時のことは死んだ父親から聞いていた。

 あの時、くじで当たりを引いたのが栄作爺で、生き残り、掟に基づいて、被害者の土地建物は全て栄作爺の物になった。


 しかし、次の時に栄作爺は無条件で生贄にならねばならない。

 それが石を抜いて生き残った者の宿命なのだと教えられた。


 自分は助からない。

 だとすれば、どうするか? 


「あのじじい、前は村の総意に従うてやったんやろうけど、今回は助からんしな。そこへ、ひょんなことから、この本のことどっかで聞いたんやろな。ほんで近く高速が通るいう噂も」


「あんた、まさかっ? 」

 借金取りが栄作爺を焚きつけた。


 そう考えるのが妥当だろう。


 この借金取りも利権に絡もうとする代議士やその他も欲しいのは土地なはずだ。

 だとすれば、この『祟り』という事故に見せかけた殺人計画にかこつけて、里の土地全てを取得しようと画策しているのだ。

 杉作だけでなく、当然、栄作爺や他の住人にも声を掛けているに違いなかった。


(じゃあ、孝三や清史のところにも、声が掛かっている? )


 いや、そうだとしたら、あいつらの態度がおかしい。

 清史の家の喜代婆が、栄太に譲れと言って来たのも説明がつかない。


(あのジジイ、さては奴らを取り込んだか? )


「お前もどうやらわかってきたようやの。掟によると今回の生贄の数は六人や。前回同様、村の厄

介者を排除するゆう事なら、生贄候補は誰になる? 」


「いや、そやけど、うちだけじゃ数が足らん」

「あのじじいに、二軒隣りのばばあ、それにお前、お前の嫁、母ちゃんに、腹の子供。全部で六人や」

「腹の子? それも」

「生贄は命の数やろ、立派に数に入るがな」

「そんっ・・・ 」

 杉作は絶句した。


「お前、あのじじいたちがお前の返事を悠長に待ってくれる思うたんか? 」


「・・・栄太に譲って、今日中に出て行ったら勘弁したる言われたんや」

「ほんで、お前はどう言うてん? 出て行く言うたんか? 」


「言う訳ないやろ。あんたの話聞く前やから到底無理な話やと思うてた。あんたと会う約束はしとっ

たから、話し次第じゃ明日か明後日かぐらいにはと正直思うてた」

「そやろうな。どうせあいつらも同じような算段つけとるやろ。そのうち、中年夫婦二組はトンズラして役場のバカ息子か、もしくはじじい自ら石引っこ抜いて、お前ら家族は毒ガスで・・・ 」


「くっそぉぉ~っ 、あいつらぁぁ~っ! 」


「こうなったら、先手必勝やろ。お前がくじを当てたんやから、何の気兼ねも無い。お前の都合で、石を抜け。幸い残ってる数は一緒の六人や。日付変わったら、即、石を抜いてまえ」


 杉作は怒りの勢いのまま店を飛び出そうとするが、肩に回してた借金取りの手が押さえつけた。


「おうっおうっ! 待ちっ待ちっ! 焦ってもしゃあない。ここに名前だけでもせめて書いて行け。ほれと、明るいうちは下手に動くな。あいつらに感づかれたら元も子もないぞ。バレたらあいつらのことや、何するか分からん。夜までは何事も無く普通にしとれ、夜になったら県道に出るとこの寺の脇に車つけとくよって、それに乗って逃げや。シートに逃走費用も置いとくしな」


 なんとも手際のよい話だ。


 杉作は金の為なら人の命を何とも思わない、かと言って、自分の手は決して汚さない、この手の連中を心底軽蔑もしたし、恐怖もした。

 だが、彼を長年苦しめた借金が、こんな所で土地代と相殺されることで無くなり、しかも今後の資金まで出してくれる。

 考えようによっては家族の命も救ってくれたようなものだ。

 正直感謝したいくらいだろう。

 借金取りにしてみれば、杉作の抱えた借金の元金なんてたかが知れていた。

 それを相殺するだけで土地が手に入るのだから、かなり格安の買い物だったと言える。


 借金取りの言う通りで気にすることは無い、これは殺し合いなのだ。


 こっちがやらなければやられてしまう。

 第一、これはただの里に古くから伝わるただの儀式だ。

 それをするだけに過ぎない。

 その後に何が起ころうとも、それもまた悲しい事故ということになるだけだ。

 自分になんの刑事責任はない。

 あの古い因習に囚われた里の鬼どもを消し去るだけだと、杉作は自分を納得させた。


 そして、決意のもとに紙に名前を書いて、喫茶店を出た。


 杉作は、明るいうちに集落へ戻り、夜まで何事も無いように過ごした。


 夜も普通に家で夕食を取り、十時くらいに、準備を始めた。

 必要最低限の荷物を持って、家を出て、夜道を足の悪い母親を背負い、身重の女房を引き連れて歩き、県道に繋がる手前の山寺の参道口までたどり着いた。

 時間はもう十一時過ぎだった。

 借金取りのいう通り、そこに一台の車が止まっており、鍵もかかっておらず、ドアを開けると、運転席のシートに車のキーと一緒に封筒が置いてあった。

 封筒の中には、恐らく百万円あろう札束が入っていた。


(ありがたい・・・ )


 杉作は今まであれほど嫌いだった借金取りが、仏のように感じた。


 ただ、向こうからすれば、割に合わない汚れ役を買って出てくれた杉作に対する単なる気遣いでしかない。

 それも杉作は十分わかっていた。

 しかし、理由も過程もすっ飛ばして、新たに家族と再出発ができることは、何よりもうれしいことだった。


 とりあえず女房と母親を車に残し、杉作はまた一人暗い夜道を走って戻った。


 まず、杉作は家に戻って、工作の為に点けていた電灯を消し、火の元も消した。

 家の終いを済ました後、丘の祠へ向かった。


 時刻が午前0時となった頃、杉作は祠へゆっくり近づき、扉を開け、中の男根石を抜き出して投げ捨てた。


「け・・・ 。さっさと出ればよかったんや。祟りにおうたらええ・・・ 」


 そう吐き捨てるように言うと、杉作は逃げるように鳥居をくぐり丘を下った。




十八


「死因はね。・・・六人全員、有毒ガスによる中毒死よ。苦しんだ様子も見られないことから、全員、就寝中に有毒ガスを吸引して、そのまま死亡したそうよ。第一発見者は、多田栄太氏。それから四日後のことだった。奇しくも田中内閣が終わった日ね」


「わしら・・・ 、ほんまに死んだんやな・・・ 」


 孝三はようやく自覚し始めたようだった。

 いや、他の住人たちも一様に自覚したが、孝三のようには口にできないようだった。


「皮肉なもんだな、その発見の日に肝心の田中内閣が総辞職して、ついで総理になった三木武夫が田中、路線を全部見直して列島改造論の公共事業は全部凍結されたんだ」


 博学な柴田がうんちくをたれると、聞いていた栄作爺が柴田に掴みかかった。


「なんやとぉぉぉ、そら、ほんまかぁぁぁ! 」


「どうしたん? じじい? 」


「ほなぁぁぁ、栄太はぁぁぁ、栄太はどないなったんやぁぁぁ? 」


「栄太って、どないもこないも栄太は、昨日から・・・ ? 」


 孝三はそう言うと自分の中にあった妙な違和感の正体がわかった気がした。


「どうした? 」

 孝三が話を止めて、急に黙りこくったから、心配した清史が尋ねたが反応しない。

 次に秀子が尋ねた。

「どないしたん? 」

 秀子の声で、ようやく我に返った孝三だが、彼はその心にある違和感を言わず。


「いや、なんでもない」

 そう言って、済ませてしまった。


 国木田は、改めて多田に言った。


「多田さん。・・・ これは事件じゃない。事故なんです」


 そう言う国木田に、多田は、大きく首を振った。


「たしかに事故として扱われたよ。親父のしたことと事故との因果関係を証明できないからな。ただ、これは決して事故じゃないっ! 明らかに殺意を持った殺人事件に変わりないっ・・・ 」


「いいえっ! 事故なんですっ! ・・・ 本当にこれは事故なんです」


「何を言ってるんだ? 聞いてたのかっ? こいつは迷信でも、都市伝説でもないんだっ。自然現象を利用した大量殺人を公然と何度も繰り返してたってことなんだぞっ! 」


 興奮する多田をよそに、国木田は落ち着いてゆっくりと穏やかに話し始めた。


「そう。この地下奥深くにマグマだまりがあるんだよ。このマグマだまりによって、硫黄や亜硫酸などを含んだ火口付近独特の有毒ガスが発生し、これが、この地中の地下水だまりに噴き出す。こういうのは、要は温泉の原理だよ」


「温泉計画ってのは、そういうことか? 」

「泉質の調査は、まだでしたよね? 邑田さん? 」

「あ、はい。まだです」

「気を付けた方がいい。源泉はかなり毒性の高いものかもしれない」

 

 要するに町はその存在も過去の事故原因もある程度知っていたことになる。


 つまり、多田や邑田が地質調査を行っていたのは、この厄介な地下の毒ガスを排除しつつ、有効活用することを目的としていたのだ。


「ところが高温すぎて、地中の地下水が蒸発して、有毒ガスを多分に含んだ水蒸気がたまりにたまっている状態になった。その圧力に耐えられず、地盤の緩い部分から漏れ出した。・・・ これがこの事故の原因だよ」


 国木田は、事故のメカニズムを簡単な絵で図解した。


 地中から噴出したガスは、空気より重いため下へと流れ出す。

 ここの地形で言うと、小さな盆地となっていて、底にあたる部分が集落になる。

 つまり、流れ込んだ有毒ガスは集落に集まり、集まったガスの濃度はどんどんと濃くなり、そこに住む者たちを一瞬で死に至らしめたと言う事だ。


「地中にある有毒ガスが漏れ出たことによる中毒事故ってことですか? 」


「そうです。祟りでも呪いでもない。単なる事故です」


「ちがーうっ! そうじゃないっ! そんなことじゃないんだぁーっ! 」

 多田が必死に訴えてる点は、確かに違う。

 問題はそこではないのだ。


「いいえ。そこが一番肝心なところなんです。・・・ 皆さんもご存じかもしれません。この都市伝説は、かねてよりありました。 『たたり村』 というものですが、要は何十年に一度、この集落は住人の大量死が起こっています。記録に残っている分だけでも、今、話が出た昭和四十九年を最後に、その前が昭和四年十二月六日、この時、たった一人の生存者を残し、住民九人が犠牲になりました。当然死因は同じく中毒死。その前は、明治十七年十二月四日、この時は爆発事故ですね。ここも昔は製炭業が盛んだったようで、漏れ出たガスが引火したんでしょう。生存者一人、死者十二人。その前は、江戸時代の記録ですので詳細はわかりませんが、天保十年、生存者一名、死者十五人。つまり、これ、わかります? 」


 いきなり、国木田は松木に問いかけた。


「ん・・・ ? 」

 そう言われても松木には答えるどころか、何を聞かれているかもわからない。


「これ、実は四十五年周期なのよ」

 邑田が助け舟を出した。


「そう、この決まった周期が偶然ではなく、ある程度の法則性を持っていることになり、たたり伝説の根拠となるのです。ただ、この法則性が逆に、祟りではなく自然現象であることを証明するのです」


「・・・ もしかして、有毒ガスが地上に噴出する周期ってこと? 」


 柴田が呟くように言うと、国木田は、にんやり笑って、

「おっしゃる通りです。・・・ 地中にできたガスだまりにガスが充満し、その圧力に負けて、地上に噴出する周期が一律四十五年なんです」


「その前に、記録にかなり気になるところがあるんですけど」


 若葉がわざわざ挙手して、国木田に質問した。


 もう何となく国木田の講義みたいになっている。


「はい? どこですか? 」

「全部、生存者が一人ですし、死者数が、3の倍数から、減ってってるんですけど」


「いや、そこは後で説明します」

 若葉の質問を、国木田はあっさり打ち切った。

 触れるのが少し早かったようだ。


「問題なのは、これが地下で起こる自然現象であれば有史以前から繰り返されていた現象ということ

です。つまり、古来より伝わる、こういう所謂「祟り」や「呪い」と言う物に付きものの、人が住んでいた所に、特定の人物や特定の出来事によって引き起こされたものではないと言う事です」


「いや、待て待て、ちょっと待ってくれっ」

 慌てて松木が話を遮った。


「ていうことは、そもそも祟りでも何でもなく、四十五年おきに人が死ぬ毒ガスをまき散らすような自然現象が起こる所に、わざわざ人が棲み付いたってことなのか? 」


 松木の問いに、国木田は、即座に、

「そうなりますね」


「んなバカなっ! 」


「バカなことだろうと、そうなって今、ここに至るのですから、間違いない事実ですよ」


 国木田が言った通りだろう。

 実際、つい四十五年前までここに人が住んでいたのだ。

 しかも、四十五年に一回、大量に人が死ぬと言う事実を知った上で。


 国木田は一番初めに住み着いた人間たちの事情にもよるかもしれない。

 何らかの理由で、土地を失い、住むところも失った人間たちが流れ着いた地もしれない。

 この地に何時から人が住み着いたかまでは、どの文献にも無かったから、その事情はわからない。


「それこそ平家の落武者かもしれませんし、南北朝の動乱期かもしれないし、応仁の乱以降の戦国期かもしれない。そこは、わかりません。ただ、住み始めた当初は、この地にそんな恐ろしい事象が起こるとは思っていなかったのでしょう」


 しかし、住み始めてしばらくして悲劇が起こった。

 

 しかも、それから立ち直った四十五年後に、再び起こったと考える。

 彼らが他の地では生きていけない特殊な事情を持った民とすれば、どうするか。


「そう。ここが地域伝承の闇というものでしょうねえ。四十五年周期で巡ってくる事故は回数を繰り返すごとになんとなく原因も分っていたと思いますよ。その証拠がこの祠です」


「あ・・・ そうか」

 松木も納得した。


「穴を塞ぐ道祖神。・・・ じゃ、あの穴って」


「そうです。もうずっと前から噴出孔は特定されていたんです」


「え、じゃなんで? 」

 その穴を塞いでしまわなかったのか?

 

「土地の神の意志なんです。各地に残る人柱や生贄伝説と同じ理屈ですな。もしかしたら、死者は神に捧げる人身御供だったのかもしれない。ただ、これはあくまで建前」


 恐ろしい自然現象を放置して、それを村の風習として伝承させ、掟とする。


 これを続けた理由はただ一つだと、国木田は言った。


「一言で言えば、村の統治の為ですよ。近年でも、口減らしや村のはみ出し者や厄介者を公然と排除する手段に使われてるんですから、容易に想像がつきます。ここの人たちは、およそ数百年もの間、連綿と受け継ぎそういうのを繰り返して来てたんです」


 この狭い集落が世界の全てだった時代があったのだろう。

 ここから抜け出すことも逃げることもできない村人たちの中で生まれた閉鎖的で排外的な社会は、その内側に住む者たちをただ縛り付け、支配する有効手段として、この恐怖の自然現象を土地神の意志の如く扱って利用して来たのだった。




十九


「まあ、噴出孔を女性器に、塞ぐ石を男性器に見立てた対の道祖神が結合してる様は土着信仰による

子孫繁栄を意味します。つまり、生命そのもの。あの男根の石を抜くことは、命を絶つ、または絶滅を意味する、まさに、『呪詛』なんです」


「・・・ 『呪詛』 ? 呪いってことか? 」


 肯定的な意味で祀られてると思っていた。

 いや、普通そういうもののはずだ、松木の中では、間違いなくそういう認識だった。


(いや・・・ 、そうか、そういうことか )


 この祠に感じていた妙な違和感の正体とは、これのことだったのか、と松木は再認識した。


 しかし何故、本来村の繁栄を祈願する道祖神に呪いを込める様なことをしたのか?

 

「いつからくじ引きで石を抜く人間を決めたのかは定かじゃないですが、その前には恐らくこういう解釈で儀式の正当性を演出してたのでしょう。つまり、里の子孫繁栄を呪い、絶滅を祈願する者が石を抜くことで神の怒りを買い、その者の縁者を悉く死に至らしめる。抜いた者は、さらに厳しい罰を受ける。生きて自らの縁者の死を見届け、その罪悪感を次の代にまで受け継いで、四十五年後にようやく死をもって償う。死後も同様に土地に縛られ苦しめられることになるんですけど」


「なんて決まりだ」


 これを考え付いた人間の異常性だけはわかる。

 そこまでして、この地に人を縛り付けたいものとはなんなのか。

 国木田にも、それはわからないらしい。


「とにかく、罪の意識を里人全員に植え付け土地に縛りつけることが重要なんです。しかし、いつしか、この決まりも恣意的に変わっていき、罪の意識も薄れて、公然と里の総意で邪魔者を排除する方向に変わって行ったのでしょう。そのことで、祠に宿る魂の有り様にも変化が起こる。建前だった 『呪い』 や 『祟り』 が、奪われた魂による恨みや憎しみによって本当になるのではないか。と怖くなってきたんです。だから、新たに決まりを定めた」


「それが、 『掟』 か? 」

 誰かがつぶやいた。


「掟に新たに付け加えたと言っていいでしょうね。そこで、先程あなたが質問した死者の数に繋がるんです」

 国木田は若葉を差した。


「死者の数? あの3の倍数? 」


「死者の数を限定したんです。そして、徐々に数を減らしていくようにした。最終的な願いを込めてね」


「てことは、初めの頃は、偶然、三の倍数分の死者が出てたってこと? 」


「恐らくは大まかにでしょうけどね。それをちゃんと、きっちり数字を合わせるようにした。そうすれば、いつかは終わることになる。この祠は、その願いと呪いを同時に込めて守られて来たものなのでしょう」


「んんん~・・・ ? 」

 柴田が唸った、と同時に、松木も、

「あれ? それって? 」

と首をひねり出した。


「長々と講義をしてくれてありがたいが、結局、俺のこれまで調べていたことと何ら変わらない。むしろ、答え合わせができて、うれしいよ。俺は、何も勘違いなどしていない」


 多田がようやく話し出すと、国木田はふふっと笑った。


「多田さん。くどいようだが勘違いをしているのは間違いないんです。この悪習は既に絶えていたんです」


「は? 絶えた? 」


 多田は、国木田がまだ問題の核心に触れていないと思い、

「いい加減、隠してないではっきり言ったらどうだっ! 」

 と激高すると、国木田は大きな声で笑いだした。


「まだ、わかりませんか? じゃあ、そこの恥ずかしい人」


 恥ずかしい人と言ったら、この中では間違いなく松木だろう。

 忘れてもらっては困るが、彼は若葉と住人からの視線以外、パンイチなのだ。


「え? 俺? 」

「他に誰がいるんです。・・・ あなた、さっき祠の石を見たって言いましたよね? 」

「ああ、見た。てか、抜いた。・・・ ああ、そうだ見たっ! 見た見たっ! 」

「それなら私も見ました」

「穴も見ました? 」


「あ・・、見た」

と松木は言ったが、若葉は近づきたくも無いので見ていない。


「ああ、俺も見たな」

 柴田もカメラを撮る時に見ている。


「どうでした? 」


「いや、どうでしたって? 普通に穴で・・・ 。えっ? 」

 松木も、柴田も、同時に頭の中で何かが引っ掛かったような感覚に陥った。

 何かが、すぐに出てきそうでまだ出てこない。


「皆さん、肝心な事をお忘れのようですね」

「ああ、そうね。それね」


「邑田さん、わかるの? 」

 邑田のリアクションに多田が気になって尋ねた。

「あたしは答え聞いてるから」


(答え? )


 多田には、まだピンと来ない。


「ああっ! そうかっ! 」

 柴田も分かったようだ。

 続いて、若葉も分かった。


「なに? わかんない」

 松木だけ、まだ出てこない。


「・・・ 松木さん? 」

 若葉が、松木に問いかけた。

「何? 」

 という松木に対して、若葉は、まじまじと松木を見つめると、一言、


「なんで生きてるんですか? 」


「ええーっ! だめぇ? 生きてちゃダメなのぉっ? 何、いきなりっ? 」


「そうじゃなくて」

 まだ、松木はわからないので、国木田がさらにヒントを言った。


「今日は十二月五日です。ちょうど四十五年。つまりは・・・ 」


「たたりの年。・・・ あ、ああっ! そうだ、俺生きてるよっ! 」


 つまり祠の穴が噴出口であれば、石を抜けばガスが出て来るはずである。

 ところが、抜いてから結構経つというのに、一向に体の異変は感じられない。

 ということは、この穴からガスは出ていないということになる。


「・・・ その祠の穴は、昭和四年の時、事故原因として官憲の手によって塞がれたんです」


 極めて重大な情報を、国木田はしれっと言ってしまった。

「え・・・ ? ・・・ じゃあ」

 これを聞いた多田は目を丸くした。


「そう、貴方のお父さんは殺してません。ただ、石を引っこ抜いて放り投げただけです」


「えええ~っ! 」

 ほぼ全員が声に出して、驚いたのは言うまでもない。


 そうすると、これまでの話も無駄に国木田の講義を聞いていただけになってしまう。




二十


 さて、そうなると住人たちを死に至らしめた有毒ガスは一体どこから流れ出たのか。


「えっえっえっ? じゃ、なんでっ? 」

「どうして、あの人たちはっ? 」


「これも、さっき言ったでしょ。ガスだまりで膨張した圧力は? 」


「地盤の緩いところから噴出する」


「元から噴出孔が一つとは限りません。仮に一つだったとしても、それが塞がれたら違うところから出ようとするでしょ」

 国木田の前置きの異常に長かった説明がここに来てようやく役に立った。


「多田さん・・・ 、これでわかったでしょ。あなたは、誤解していただけなんです」


 多田は力が抜けたようにへなへなとその場で崩れ落ち、地に尻をついた。


「・・え・・、待て待て、じゃ、今回は? もう出るんだろ? また、わかんなくなるんじゃねえのかよ? 」

 松木が慌てだすが、国木田は全く気にせず落ち着いていた。


「それ、もう終わってます」

「へ? 」

 松木は、まったく意味が分からないものの、話を聞いていた多田はふと思い出した。


「・・・ あ・・・ 」


「そうですよ。多田さん、あなたがその第一報を受けてるでしょ」

「麓の住宅地の異臭騒ぎって、あれ? 」


 そう、昭和50年以降に麓地域が宅地造成され、中腹部分まで削り取られたことにより、かなり前

からごく微量のガスが漏れ出し、地面を沿って低地に向かって流れて行ったことで濃度も薄く、異臭がするだけで特に被害は出なかったというのだ。


「おおーっ! よかったぁーっ! 」

 全て解決したようで、松木は正直に安堵したようだ。


 恐ろしい伝承の謎も解け、取材として成果は十分、しかも問題も無くなった。


「そんな事情で、町長も、ガス対策に乗り出すために全部ここを壊して、ちゃんと工事してから、計画の温泉を作ることにしたのよ」


 邑田がそう言うと、多田の顔にも少し安堵の表情が見えた。


「・・・ あの町長が、・・・ そうですか・・・ 」

「だからさ・・・ 。もういいよ」

「はい? 」


「都市伝説・・・ 、流したの、あんたでしょ」


「えっ? そうなのっ? 」

 松木も柴田も、若葉もそれを聞くと正直驚いた。


「あれだけさんざん否定しておいて、ソースそこかよ」

「そう言えば、落武者の祟りで村人の一人が発狂して全員惨殺、国家の陰謀に巻き込まれて、全員毒

殺・・・ 、当たらずとも遠からずの表現。絶妙に外してるところも、なんか納得」


「四十五年目を迎えて、ここに近づけさせないように都市伝説を流したり、それを基に温泉計画を遅らせたりさせていたのよね」

 邑田は、多田のやろうとしていたことを全て当てていた。


「ところが遠ざかるどころか、どんどんやって来る。だから、今度は全力の全否定ってことか」

 松木がそう言うと、若葉が続いて、

「それすると逆効果なんですよね。挙句の果てにわたしたちってことか」

 二人の言葉に対して、多田は、

「すみません。結果、こんなことになるとは・・・ 」

としか言いようがない。


 そこへ国木田が、邑田に向かって確認した。

「邑田さん。警察もですが、救急車も手配されてますよね」

「はい、もちろん。」

「救急車? ・・・ なんで? 俺が風邪ひくから? 」

「あなたたち、三人。ずっとこちらにいらっしゃるんですよね? 」

「は・・・ はい」

「それが超常現象の正体です。皆さんが見られたという幽霊ですがね。あれ、有毒ガスによる集団幻覚です」


「え、そうなんだ? 」


 松木はこの発言をそのまま鵜呑みにしたようだった。

 おそらく、解決モードに入ってしまっていて、この言葉も疑いもしなかった。


 しかし、柴田と、当然、若葉はそれをすんなりと受け入れなかった。

「・・・ ん? 」

「はぁ? 」


「この土地でも、若干量のガスは出てますからね、致死量には程遠いまでも、有毒なガスですから、少量でも幻覚を見ることもあるでしょう」


「え・・・ 、あ・・・ そう、あれ、幻覚なんだ」

 松木は、すんなり受け入れた。


「いやいや、あれ、ユーチューブの動画にもほらっ、映ってたよ。俺見たのと同じ顔だったよ」

 それは、今そこにいる栄作爺のことだが、そんなものは当然、この国木田には見えない。


「それはただの刷り込みですよ。それに動画はおそらく編集加工されてるに違いない」


「そうかぁ・・。なるほど、そういうことかぁ・・。」

 もはや、松木は宛にならない。

 洗脳でもされてしまったかのように、国木田の言う事を全て鵜呑みにしている。


「おいおいおい、松木さんっ、納得しちゃったよ」

 仕事柄でも、趣味においても、この三人の中で、一番納得しないであろう人間が真っ先に受け入れてしまった。

 多分、彼は現代人にありがちな、もっともらしい理屈には滅法弱いのだろう。


 若葉の耳元で、住人たちがぼそぼそ言い出した。

「ねぇ、あたしら、幻覚なんやと・・・ 」

「幻覚って、誰の? ・・・ あたしの? ・・・幽霊でも幻覚見るの? 」

 これは、秀子と照子だろう。

「まず幻覚見せる脳が無いんと違うか? 」

 清史が、的確にツッコんでいる。


「あのっ! 一ついいですか? 」

若葉が、また挙手して質問した。

「はい? 」


「私、普段からそういうの見えるのですけど、これは、どういうことでしょうか? 」


 国木田は、目をきょとんとさせて、


「・・・ そんなの私に分るわけないでしょう。・・・ 専門外です」


と即答した。


「えっえっえーっ! 」

「切ったなぁ・・。思いっきり」

 想定通りの答えが返ってきたことに、柴田も感心した。


「ええ。あれだけ論理的かつ科学的にあざやかに謎を解明したのに、このことに関しては異常に、いい加減に終わらせましたね」

「あれだけ自信満々だったのにな」


 国木田は民俗学者である。

 つまりは、民間伝承などの研究をしているが、伝承における怪異や超常現象などを全肯定する立場の人間ではないのだ。

 一旦は、それを受け入れるものの、今回の解明のように、そこに隠れた人間たちの心理や怪異に隠された自然現象の正体を解き明かしていくのが、いわゆる民俗学者と言うものだった。


(これって、上っ面だけで終わってない? )

 若葉は、そう思った。




二十一


パトカーと救急車のサイレンの音が聞こえて来た。


「先生、ようやく来ましたよ」

「というわけで、ガスの影響も心配ですから、皆さん、念のため精密検査を受けて下さい。特に彼女は重症なんで」

 若葉は、国木田に重症人扱いをされてしまった。


 警察官が一人、やって来た。

「すみません。通報を受けたんですけど」

「すみません。それは私の・・・ 」

 多田が言い掛けたときに、

「いいえっ! 」

と若葉が遮った。

「はい? 」

「ここに、変質者がっ! 」

 若葉は、松木を指さして、警察官に向けてはっきりと言った。

 柴田も、それに乗っかり、松木を指さした。


「はぁーっ? 」

 驚いたのは松木だ。


 身に覚えもない上に、この二人から言われたことにショックを隠せない。

 二人が、なぜ咄嗟にそうしたのか、本人たちにもわからない。

 警察官が松木を見たら、その姿は、パンイチに片手にカメラ、片方には銃を肩にかけている。


「ああ、なるほど。疑い様もないな。どうも、御苦労さんですっ! とりあえず、現行犯だ。はい、手を出してっ! ・・・ 手を出せっ! 」


「えっ、いや、おい! 冗談だろ! おい! いや、ごめん、悪かったって、ねえ! 」


 松木は軽く抵抗するものの、無情にも手錠を掛けられ、警察官は、無線で、

「はい、多々里地区にて変質者。年齢40代男性、19時10分、現行犯確保。・・・ はい、行こうか」

と連行されて行った。


 すれ違いざまに、救急隊員が来た。

「もう遅いじゃない」

 そう邑田が言うと、

「すみません。ちょうど、選挙カーが前に走ってまして」

と救急隊員が言い訳をした。

 選挙カーが救急車の行く手を阻むことなんてない。


「選挙カーって、投票しましょうってやつ? 」

「いえ、町長のですけど」

「もう、そんなことしなくたって、6期当選確実なんだから。しかもここ地元でしょ」

「ああ、来ましたよ」


 選挙カーから響くアナウンスの声が遠くから聞こえて来た。


『多田良町町長選挙には、現職の多田、多田栄太、多田栄太をどうぞお願いします』


 繰り返され聞こえて来るアナウンスに若葉と柴田は、ただ目を剥いて互いを見合うしかない。


「さて、じゃ、邑田さん、行きましょうか? 」


「はい。じゃ、多田君、車でしょ。先に戻るわね。あーもう、2時間以上も残業しちゃった」

 そう言うと、邑田と国木田もこの場を後にした。


 残った救急隊員が、

「それで、あの急患は? 」

と確認したが、

「柴田くん、行ったら? 」

「俺はいいよ。怪我してねえもん。ちょっとやけどしたかもしれない人はさっき引っ張られちゃったから」

「え、ないんですか? 」

 救急隊員が改めて聞き直すと、多田が、

「ええ、少なくともここにはいません。すみません」

と断った。

「いえっ、ないならいいです。それに越したことありませんから。失礼します」

と救急隊員はすんなり引き上げて行った。



「そうかぁぁぁ、栄太ぁぁぁ、町長かぁぁぁ」

 栄作爺が、何か感極まっている。


「しかも、6期もやって」

「あの血の気の多い栄太がねぇ」

「ほんま、まるで昨日のようやなのになぁ」

 思い思いに感慨深げに言っていると、孝三がぼそっと言った。


「昨日だよ」


「ん? なんて? 」

 清史が聞き返した。


「本当に昨日やったんや。全部」

「孝三、何を言うとんねん」

「ほな、清史? 今日、何日や? 」

「さっきも言うとったやろ。しっかりせえよ。十二月五日や・・・ 。あれ? 」

「昨日は? 」

「十二月四日や、くじ引いた日や。杉作もおった」

「え、だって、こいつら来たんは? 」

「今日や」

「あれ、家に入って来た奴らは? 」

「今朝やで」

「祠の奴は? 」

「昨日? いや今日? 」


「なんや、どうなってんねん」

 孝三の言うことに、村人たちは、混乱した。


 昨日の記憶に対して、今日の記憶にある出来事が重複して、時系列が無茶苦茶になっている感覚だ。


「ようやく、気付いたんですか。・・・ あなたたちは意識を取り戻してからずっと十二月五日と言う日を延々と繰り返して来てたんです。そして、入れ替る被害者が来ない限り、これからもずっと」


 若葉が、住人たちに言った。

 住人たちは、孝三を除いて、若葉の言ったことが、未だに理解できない。


 若葉にとって、国木田の説は途中までは何の異論も無かった。

 しかし、国木田の言う事だけが、真実ではない。

 この自分の見えている霊たちは、現に今もこの地に縛り付けれている。


 いわゆる 『地縛霊』 となっている。


 それにあの祠も、男根石も、未だに禍々しい気を放ち続けている。


 これは確かに『呪い』だ。


 しかも、国木田の言う通り、特定の人物や出来事によって生まれた怨念とかではない。

 若葉がこれまで取材で訪れたガチの霊場や心霊スポットなどとは全く違う。

 とてつもない負のエネルギーが、あの祠の穴から渦巻いているのが若葉にはわかる。


(終わっていない )


 いや、終わっていたにも関わらず、おそらく始まったのだろう。


 彼女は国木田の話を聞き、彼女なりの推理を立てた。


「栄作さん? あなた、何故あんな時間に祠にいたんですか? 」

「はぁっ? なにがやぁぁ~? 」

「混乱している今日一日の記憶の中で、一番確かなのは、いつの記憶かわかります? 」


 若葉の問いかけに孝三は考え込んだ。

 孝三だけが、この中で若葉の質問の意図を理解できるのかもしれない。


「そうや。爺さんが言うてた祠の奴や」


「そう。あなた方には到底理解できないでしょうけど、それがちゃんと証拠として動画に残ってます。たしか時刻は午前四時半頃と思います。これは、あくまで仮説ですが・・・ 」


 若葉の思う仮説とは、こうだ。


 四十五年前に杉作が放り棄てた男根石は、その後、無人集落となってからもずっとそのまま放置さ

れていたが、あのユーチューバーが拾い、穴に差し込んだことで止まっていた時間が再スタートしたのだと若葉は考えた。


 住人たちの言っていたことを考えたら、明らかにこの都市伝説騒動の始まりはあの動画からであり、彼らの記憶もそこから始まっている様に感じたからだ。


 孝三が、今朝、清史たちとの会話でデジャブみたいな感覚に陥ったのは、あのユーチューバーが祠の石を戻して以降、何度も同じ朝を迎えていたからだった。

 その日以降にこの地に訪れた光る板を持った余所者たちの記憶がおぼろげにありながら、どれも今

日一日の記憶として停滞してたが故に混乱していたのだ。


 今朝の段階でまだいるはずの杉作の姿が無いことも、記憶を重ねて行くにつれて、既に出て行ったように勝手に勘違いをしていただけだった。

 ただ、その全ての朝は決まって栄作爺の祠の奴の愚痴から始まっている。


 つまり、起点は全て、あのユーチューバーから始まっていたのだ。


 ということは、事件当時の時間帯とまるっきりリンクして時間が進行していると考えると、あの午前四時半頃はすでにガスに侵され栄作爺は死んでいた時間となる。

 ただ、栄作爺は自分が死んでいる自覚が無いという。


 無いという前提で、あの時間に祠へ何しに来たのかということを若葉は尋ねているのだ。


「あれは、わしの日課やぁ、いつも朝に祠にお参りに行くのが・・・ 」


「もうええ・・・ 。じじい。皆まで言わんでも、わかった」

 孝三は、それで全てを察したようだ。


「なんや? 孝三、何がわかったんや? 」

 清史は、孝三に問い質した。


「・・・ このじじいは、あん時、石を抜きに行ったんや。その途中で、毒にやられてもうたんやろう。死んで幽霊になったことにも気づかんと祠の所に行ったら、たまたま奴に出くわしたんやろ。そこで、このじじいは、すでに石が抜かれていたことに気が付いたんや」


 孝三の言うことを聞いても、照子や秀子、喜代婆は、栄作爺の意図がまだ理解できない。


「ちょー待ってよ。くじは杉作やったやないの? まだ、杉作から栄太に譲るって話も聞いてへんし、だいたい、それなら栄太が抜かんとあかんと違うの? 」


「いいや。石を抜くのは誰でも良かったんや。問題は、抜くのが誰かやない。死人の数なんや」


「死人の数・・・ 。六人って、・・・ まさかっ? 」

 清史のその言葉で、照子も秀子も喜代婆も、やっと気が付いた。


(騙されたっ! )


 そう、栄作爺はハナから杉作が栄太に譲るなんてことを期待していなかった。


 結果的に土地の権利が全て栄太に相続されれば良い。

 栄作爺は、あの借金取りとそういう約束を既に交わしていた。


 杉作が書いた書類は、自分の権利を全て多田栄太に譲ると言う物だった。

 つまり、杉作が集落に残って、その一家が生贄になろうと、杉作が石を抜き、孝三や清史の一家が生贄になろうと、自分は結局死ぬ。

 同じ結果なら、自分以外の誰が犠牲になろうとも関係無かったのだ。


「このっ、くっそじじいっ! ようもっ! 」

 清史が、柄にもなく激高し、栄作爺に殴りかかった。


「わしを殴るかっ? ええぞっ、殴ったらええっ! 気の済むまでやれっ! 時間はたっぷりあるんやっ! もう死んどるんやからなぁっ! 」


「じじいっ! 」


 一斉に、照子も秀子も喜代婆も、清史に加わって殴りかかったが、


「ひゃひゃひゃっ! やっぱり死んどるわっ! 痛うも痒うもないわっ! 」


「お前ら、もうやめぇっ! 今更や」

 孝三は体を張って止めるでもなく、その場で言うだけだった。


 当然、彼らは孝三の言葉一つで止まるはずもない。

 さんざ殴りつけるが、そのうち、この行為が何も意味がない事に気が付き、手が止まった。


「・・・ どうした? もう終わりか? 」

 清史も照子も秀子も喜代婆も殴り続けても、手ごたえがない。

 第一、疲れもしない。

 憎しみや怒りが全く晴れることも無い。

 やってることに只管虚しさを覚えるだけだった。

 彼らは、ただ、死を受け入れることしかできないことを悟ってしまった。


 若葉は、ただ彼らを見ていた。


 若葉だけしか、これを見ることができない。

 多田も柴田も、いるであろう方向をじっと冷たい目で黙って見ている若葉を見ていた。

 そんな若葉が、口を開いた。


「あなたがたも、呪われているんですよ。閉鎖的で、排外主義の古い因習にずっと囚われて、善悪の基準がどこかずれていることにも気が付かず、気に入らない者を排除するのに手段を選ばないやり方が、結果として、あなた方自身に跳ね返って来ただけです。因果応報、死んでも生きていても、この地に縛られた呪われた民があなたたちなんです」


 そう言われた住人たちは、一様に項垂れたまま言葉を失った。


「栄作さん。結局、あなたたちが犠牲になって得た物は、何もなかったってことです。高速道路の話も死後、たった三日で全部流れてしまいましたよ。残された栄太さんには、ただ負の遺産が残っただけ。でも、本当にすごいのは、栄太さんでしょうね。頓挫してしまった高速道路計画を復活させて、あれだけ廃れ切った町を、それこそ自分の力だけで活気ある町にまで作り上げたのですから、ただ、ここでも結局、あなたから受け継いだ負の遺産に足を引っ張られることになりましたけどね」


 若葉の言葉に、栄作爺は反省の弁を述べるでもなく、不敵に笑って返した。


「イタコの小娘風情が、偉そうにわしに説教しよるんか。いちいち言われんでも、わしの栄太が凄い奴なのはようわかっとるわ。あいつだからこそ、わしは、この土地を託したんじゃ。杉作風情に渡せるか。ええか、小娘、・・・ こんなクソみたいな風習は誰かが終わらさな、あかんねや」


「・・・ 終わる? 」

 孝三は、聞き直した。


「わしは見たんやぁ。祠へ向かう途中で、死んでいく時に、あいつらが見えた」


「あいつら? 」


「その前の時も見た。あん時は、祠からでも里がよう見えた。石を抜いた後に、生贄になった奴らの苦しむうめき声が里中に響き渡った。それと同時に、白い光が一斉に飛び出した。数えると、十二個あったから、すぐにわかったわ。あれは、その前に死んだ奴らの魂やと。こうして、新しい生贄が死ぬまでずっと、今の儂らのように縛られ続けとったんやろ。取って代わる奴らが現れたことで、ようやく成仏できるんかと思うとったら、渦巻くように、祠へと吸い込まれて行きよった。ええか、あのへ理屈ばっかりこきまくったクソ学者の言う事は、ただの理屈や。穴が塞がっとるとか、ガスによる事故だとか、そんな理屈はとうの昔に終わっとる。こいつは、ほんまの呪いや、祟りなんかやない。わしらはただ呪い殺されただけや」


 栄作爺の言う事を聞いて、若葉は改めてこの祠や石の放つ妖気というか霊気と言うか、あまりにも

禍々しい気の正体が分かった気がした。


 これは、これまでこの地に縛られ続け、理不尽に命を奪われた人々の負のエネルギーが、渦巻き、折り重なり、集積されたものなのだと、それに宿るたった一つの目的を達成するために存在し続けている呪いの集合体なのだ。





二十二


「多田さん? なんで、今日、ここに来たんですか? 」


 若葉は、ここで改めて多田に尋ねた。

 その質問に多田は答えない。

 いや、答えられなかったのかもしれない。


「あなた、もしかして、掟を実行しに来たんじゃないですか? 」

「・・・ そうですよ。彼ら、何か言ってたんですか? 」

「いえ。そのことは何も、でも、そう考えないと、辻褄が合わないんです」


 ずっと黙って聞いていた柴田が急に若葉が妙な事を言い出したものだから、慌てて聞き直した。

 

「ちょっ、ちょっと待って。伊藤ちゃん? 辻褄が合わないってどういうこと? 」


「柴田君、わからない? この祠の呪いの意味? さっき、国木田が言ってたでしょ。何を意図にした呪詛なのか」

「あ? ・・・ いや、そんなこと言ってたっけ? 」


「子孫繁栄を願う男性器と女性器の一対の道祖神は、本来、結合してる状態が望ましいの。それが、外されることによって、殺人ガスが噴出される。それは、つまり・・・ 」

「つまり? 」

「・・・ 人の根絶よ。つまり、里の絶滅を願って掛けられた呪いってこと。栄作さんは、それをわかったから、前回でそれを達成しようとしたのよ。息子さんに引き継がせない為に」

 

 栄作爺の目論見は確かに成功したのかもしれない。

 あの事故以来、この集落は無人となって、栄太によって町の管理地として長年に渡って封鎖された。


 その期間、命を落とした住民たちは無意識の中で魂を縛られたままだった。


「ただ、その彼らが、意識を取り戻し、失われた翌日を繰り返し過ごすようになったのは? 」

 そう言ったのは若葉ではなく多田だった。

 どうやら、多田も若葉と同じ結論に至ったのだろう。

 いや、彼は、もっと前からこの結論に至っていた。


 あの祠の動画を見た時から。

「つまり、終わったんだろ、前回で。誰一人として居なくなっただろ、根絶されただろうが。だから、そのガスだって麓の異臭騒ぎで済んだんだろ? 違うか? 終わったんじゃないのか? 」


 二人の言うことが、おおよそわかって来ただけに、柴田はいつになく動揺し、狼狽え、そして、次に話されるであろう真実を明かされることを恐れていた。


「終わっていないんです。むしろ、また始まったと言っていい」

 多田が言った。

 続いて、若葉も、

「リセット・・・ そう言った方が正しいのかもしれない」


「おい、おいおいおいおいっ! やめろっ! そんなこと言うなよ」

 柴田は、ガタガタ震え出した。


「そうなんですよ。システムなんだ。この呪い自体がシステムなんだ」

 若葉が、何か難問が一瞬にして解けたようなテンションで言った。

「はぁっ? おいっ、伊藤ちゃんっ! どうしたっ? 」


「掟とか、そんなんじゃないんですよ、そもそも。システムを動かすスイッチを入れると、必要条件が満たされれば自動的に発動するんですよ」


「スイッチを入れると自動的に? 」


 若葉は、まるで全ての答えが頭の中から溢れ出て来るかのように話し出す。


「四十五年前もそうなんだ。・・・ そうなんだ、今回はたまたま、そのスイッチを松木さんが入れてしまった。・・・ そう、だから、あの時だけ住民の霊がみんなに見えたり、カメラに映ったりしたのも、多田さんが来た途端に消えたのも、多田さんが石を持った時だけ見えたのも・・・ 全部そのせいなんだ」


「伊藤ちゃんっ! 落ち着いて! わからねえよ! なに? システムとか、スイッチって? 」


 柴田は若葉の肩を掴んで必死に訴えかけるが、若葉の視界に柴田は入っていないように見えた。


 若葉は、まだ続けた。

「・・・ あの祠の石は、噴出孔を塞ぐ為なんかじゃない。そんなことはただのオプションみたいなもので、重要なのは、あれが〝スイッチ〟だってことなのよ。そして、何者であろうとスイッチを入れた者だけが生存できる。四十五年前、杉作さんがスイッチを入れた時、集落に6人いた。その条件が揃ったので自動的に発動された。今回は、松木さんが石を抜いてスイッチが入ったけど、その時は条件が整ってなかった。多田さんが来て条件が整った段階で即システムが発動した」


「条件が整ったから、自動的に発動って・・・ 」


「十二,九、そして四十五年前が六人、ということは今回が三人、もう次はない。これが最後」


 柴田がそれを聞いて、多田と若葉を見て、自分を指さし、


「え? 嘘・・・ 、今、三人だよな」


 そこへ、多田が、 

「でね。やっぱりちょっと、気になる事があるんですよ」


 少々、緊張感の欠ける多田の物言いに、柴田もイラっとして、

「なんだよっ、おいっ! 」

と語気が強くなった。


「国木田先生がほら、最後に言ったガスのことなんですけど」


「もしかして集団幻覚って奴か? あんなの信じてねえよ。だって現にさ。伊藤ちゃんのことだって、幻覚って・・・ 」


「いや、そうじゃなくて・・・ 」

「は? 」


「その点で、ちょっと確認したいんですけど。スマホって通じます? 」


「何だよ? 藪から棒に? スマホ? ・・・ 立ってないよ。そういや、ここ圏外だったな? 」

 若葉も、ふと思い出した。


「ああ、そうだった・・・ 」


 多田はその返事を確認したかったようで、

「そうなんですよ。ここ圏外なんですよ」

と、もう一度、改めて言った。


 若葉と柴田は、二人、じっと沈黙して目を合わした。

そして、ふと思い出した。


「・・・ あれ? 」


「そうなんですよ。掛かって来てるんですよね、電話。僕も何の気なしに、出てるんですけど、警察呼んでくれって言ってるんですよ。繋がるなら自分で呼べばいいんですけどね。繋がらないってわかってるから、そう言ったと思うんですよ」





「・・・ で、今、スマホ確認したら、着信履歴無いんです」





「おいおいおいおいおいっ! ちょっと待て待て待て待て、待てってっ! 」


「で、ちょうどその時、何人いました? 現実に? 当然、幽霊は入れないで下さい」


「いやっ! おーいっ! やめろってっ! 」

 柴田が錯乱する中、若葉が冷静に答えた。


「・・・ 四人」


「ですよねっ! で、そのうち石を抜いた一人がいないんですよね、今」


「え? ・・・ まま・・・ 待ってよ。え? 邑田さんは? 国木田先生は? ほら、警察も、救急隊員も来たじゃない? 」

 若葉もさすがにここまで来ると、想定外だったようで急に怖がり出した。


「だから、電話かかって来てないんです。てことは、誰も呼んでないんですよ」


 妙に多田だけが、落ち着いている。


「あんた、わかってたらっ! 」

 柴田が、取り乱して、多田の胸倉に掴みかかる。


「気づいたのは今ですよ。だって僕が来た段階で発動してるんですから何もかも手遅れでしょ。そ

の証拠にほら、伊藤さん、あなたの後ろ・・・ 」


「何? 後ろが何よっ? 」


 若葉は、多田の差す後ろを振り向いた。


「なに? なんかいんの? 」

 柴田も見た、が、多田の指さす方に何もない。

 ただの雑木林の暗闇でしかない。


 若葉にも、同じ光景しか見えない。


「・・・ いない」


 その同じ光景を見て、若葉は気が付いて、もう一度、同じことを繰り替えた。


「・・・ いなぁ~い。いなくなってるぅ~」


「は? 何が? 」

 泣き声交じりの声で言うものだから、柴田は何がいないのか、すぐにわからなかった。 


「あいつら、いなくなってるぅう~。見えなぁぁ~い」


 そう、さっきまで見えていた、あの住人たちが、すでにいなくなっていた。


 それは、若葉にも見えなくなったのか、それとも、祠に吸い込まれて消えたのかわからない。

 これが意味するのは、要するに、


「・・・ マジか。・・・ え? 死んだ? 俺たち? 」





二十三


 松木は、意識の中で、誰かからずっと呼ばれている気がしていた。

 はっっとして、気が付くと、ロケ車の運転席にいた。


 窓越しに、何やらガスマスクを付けた人間が、ガラスを叩いて必死に呼んでいた。


 おかしい。

 車内にいるのは、自分一人だ。


 しかも、この車は確か燃やされたはずだった。

 自分の格好も確か下着一枚になっていたはずだが、今は服を着ている。

 というより、自分は今まで寝ていたのか、それとも意識を失っていたのか。

 夢を見ていたのか、それにしては割と鮮明に覚えている。


 改めて、車外に目を向けると、赤い点滅が方々から目に入ってくる。


(ああ、これ警察か。救急車もだ。そういや、来てたな。あれ? 俺、警察に連行されなかったっけ? )


 松木は、ぼーっとしたままで、なかなか頭が回らないでいる。

 車外は、いや、集落には、複数の警察車両に、救急車3,4台、消防車まで来ていて、外にいる人間全員、ガスマスクを付けていて、かなり物々しい雰囲気だ。


 あれだけ、真っ暗だったのに、もう夜が明けかけて少し明るい。


 松木は、ようやく車の窓を下げた。

 すると、マスクを付けた人物が、

「良かった。松木さん。あなたは無事でしたか」

と言った。


 まだ、少し頭がぼーっとしていたが、聞いた言葉の中で気になったワードに引っ掛かった。


「あなたは? ・・・は? 」

 そこで、ここにいないスタッフの事をようやく思い出した。


「うちの奴はっ? 」

「え? 」

「うちのスタッフだっ! あいつらどこにいるっ? 」

「と・・・ とにかく、松木さんっ! まず、落ち着いてっ! 」

 改めて考えると、このマスクの人物は何故、自分の名前を知っているのだろう?

 

「・・・ あんた、なんで、俺を知ってるんだ? 」

 そう尋ねると、マスクの人物は、

「とにかく一応、松木さんもこれ付けてください。もう大分ガスの濃度も薄くなっているでしょうから、心配ないかもしれませんが」

 そう言って、ガスマスクを松木に渡した。


 松木は、言われるままマスクを付けると、車外に出た。


「とにかく、今、搬送しますから、松木さんも救急車に乗ってください」


(搬送? )


 そう思うと祠のあった丘への小道から担架で運ばれ、救急車の後ろでストレッチャーに移されている二人がいた。


「おいっ! おいおいっ! 柴田っ! おいっ! 若葉っ!」

 駆け寄って声を掛けたが、二人とも目を閉じて意識が無いようだった。


「二人とも、かなり危険な状態です。とにかく、あなたも検査が必要です。すぐに救急車に乗って下さい。話はその後です」

 松木はとにかく二人に付き添い、救急車に乗った。



 病院のICUで柴田と若葉の治療は続いているが、二人の意識は戻らない。


 ICUの前で、その様子を松木は見守ることしかできない。


 なんでこんなことになってしまったのだろうか。

 自分が不用意に石を抜いたりしなければ、いや、まさかそれがきっかけとはあの時は思わなかった。

 じゃあ、ここに取材に来るべきじゃなかった。

 そうだ、きっとそうなのだ。

 ここに自分たちが来なければ、石を抜かれることも、数が合うことも無かった。

 松木はずっとそれを悔やみつつ、二人を見ている。


「松木さん・・・ 」

 名前を呼ばれ、ふと見ると、病院の長い廊下を歩いて来る国木田がいた。


「国木田先生・・・ 」


 松木は、救急車に乗っている際に、国木田からおおよその話を訊いた。


 祠の前で倒れていたのが多田と若葉と柴田の三名。

 そして、邑田や国木田は、そもそもその場にすらいなかった。


「その時は、もうすでにあっちに引き込まれていたんだと思いますね」

「あっち? 」

「あの祠の〝結界〟の中、と言った方がいいでしょう。その中で見た私や邑田さんは、多田さんの意識下で形成された幻影みたいなものです。あなたが聞いた私の話は全部多田さんが話していたのでしょう」


 松木と国木田は面識があった。

 この手の伝承について詳しい専門家として、こういうオカルト界隈では国木田はその道の権威として有名だったからだ。

 ただ、反面、学界では異端児扱いを受けていた。


 国木田が言うには、

「私が現れたのは、面識のある松木さんや柴田くんや伊藤さんのイメージがそうさせたのではないかと思います。ただ、話している内容は、到底私の説とは言えない。そんな結論で終わらせるなら、学界で異端児扱いなどされませんよ」


 国木田は若葉の能力についても理解を示し、評価もしていた。

 自分の研究調査に若葉を同行させて欲しいと松木に依頼したこともあった。

 そんな国木田が、若葉の能力について否定的な事を言うはずがない。


「確かに町長の依頼であの集落の調査をしましたが、はじめに私を町長に推薦したのは多田さんです。面識はないですが、こっちの界隈では有名人ですからね。私の本を読んだのかわかりませんが、とにかく、町長に強く推薦されたようです」


「その多田さんは・・・ ? 」


 松木が聞くと、国木田は黙って首を振った。


 発見時に、既に死亡が確認された。


「そうですか・・・ 」

「・・・ 松木さん。これどういうことかわかります? 」

 多田の死を知って、悼む間も与えず国木田が問いかけていた意味を松木は考えた。


「・・・ あ、これって・・・ 」


「そうです。あの二人は、まだ結界に閉じ込められてますが、魂の糸は肉体と繋がっている」


「・・・ 助かるんですか? 」

「わかりません。わかりませんが、私はこう考えています」


 祠の目的は里の人間の根絶である。

 一旦、スイッチが切られたことと、閉鎖された無人集落となってシステムは停止したが、ユーチューバーによって、システムは再起動した。

 そして、最後の三人の命を吸い取るべく、縛り付けていた六人の魂も動き出した。

 松木の手によりスイッチが入れられ、多田がその地に現れた段階で呪いが発動し、スイッチを入

れた松木以外は、結界に取り込まれた。


 これまではおよそこの地に伝わる掟通りに進んでいるが、問題はここからだ。


 多田だけは、命ごと持って行かれたが、なぜ二人だけは、中途半端に魂だけが縛り付けられている状態になっているのか。


「伊藤さんの持つ強力な霊能力のせいか、いやそれもあるかもしれないが、だったら柴田さんについての説明がつかない。考えられるのは・・・ 」


「里の人間じゃないってことか・・・ 」


「そうとしか考えられない。ただ、これまでのルールと違うイレギャラーが続いているから、断定は難しいですが」

 国木田はそう言った。


 国木田が言うイレギュラーとは、スイッチを入れた人間のことだ。

 再起動させたのも、発動スイッチを入れたのも、いわゆる余所者だった。

 どういう条件でシステムが動くのか詳細まではわからない。

 何せ数百年続いて、数十、数百とも思える魂の怨念が作り上げて来たシステムだ。

 単純かもしれないし、複雑かもしれない。

 ただ、今、二人を救う唯一の方法として、仮説であってもこれに賭けるしかない。


「松木さん。そこで、会って貰いたい人がいます」

 国木田は、そう言った。


 病院の廊下で立つ国木田の後ろから、もう70代も過ぎているが、背筋もしっかり伸びて足取りも軽くびしっとしたスーツに身を包んだ老紳士が歩いてきた。


「松木さん、こちらは・・・ 」

 紹介される間もなく、老紳士は名刺を出すと自ら名乗った。


「多々良町長の、多田栄太です。この度は大変ご迷惑をお掛けしました。心よりお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした」


 町長は深々と松木に頭を下げた。


「いや、そんなっ。頭をお上げください。これは、我々が勝手にやったことで、そちらに責任はありません」

「いえ、うちの邑田が不用意に取材許可を出したのは間違いありません。今回の事故についても、私や多田も可能性については十分に分かっていた。それに対処もせずに放置していて、問題の日を迎えてしまった。これは、我々、町の、いえ、あの多々里の人間としての落ち度です。これは、我々の責任をもって、お二人を必ず救い出します」


 町長は松木の目をしっかり見据えて言った。


 病院の屋上のベンチに腰掛け、町長は、ホットの缶コーヒーを一口飲むとゆっくりと口を開いた。


「多田君と再会して話を訊くまで、ずっと父が、石を抜いたのだと思っていました。私は石を抜くことすら反対して家を出たまま、あの日も戻らなかった。結局は逃げてただけなんです。あの日の悲劇の後、何も報われずに終わったことで、安易な方法で多くの犠牲を出した父を心底軽蔑し、憎みましてね。今となっては、それが、この町をなんとか盛り上げようと頑張れた原動力となったのかもしれない。・・・ すべては、あの呪われた土地から始まったことです。私がけじめをつけねばならないんです」


 町長の意志は固い。


「あの・・・ 国木田先生。まさかと思いますが、最後の3人と言うのはそもそも・・・ 」

 松木は、国木田に尋ねた。


「そうです」

 国木田は、そう返した。


 祠の目的は、この里に生を受けた者すべての根絶である。この里で残っている当時の生存者を欲しているのだ。その数が3人。


 松木は、既に取り込まれた多田と、栄太、つまり町長の二人しかわからないが、もう一人いるという事なのか。


 町長含む残る二人を、生贄に差し出すことで、二人の魂を返してもらうという事なのか。

 要するに、今、若葉と柴田は人質に取られているということだ。


「その、もう一人の住人は、確かにいるんですか? 」

 松木は尋ねた。それを聞いて、町長が言った。

「会ったことはあるはずですよ。ただ、直接と言うわけじゃないですが・・・ 」

「は? 」


 そう言われると、一人頭に浮かんだ。


「もしかして、邑田さんって方? 」

 町長も、国木田も頷いた。


「え? でも、名前? 」

「旧姓がね、多田(ただ)なんです。杉作さんの前に集落を出た多田保さんの娘さんです。あの時、保さん含めて三軒、事前に出て行かれましたが、今となっては、その一家の中でご存命なのは残念ながら、邑田さんただ一人です」


 国木田の言うことを聞いて、松木は、よりこの呪いの根の深さに恐怖した。


 本当に根絶を願って、数まできっちりと合わせて来たのだ。

 しかも、多田に至っては、そこで生まれていない。

 母のおなかの中にいただけなのにもかかわらず命を奪われた。

 この執拗さ、執念深さ、確かに避けようがない。

 本当に目的を達成するまで終わることは無いのだろう。

 ただ、町長の覚悟はともかく、邑田はどうなのだ。到底その覚悟があるとは思えない。

 説得と言う次元ではない。

 会ったことも無い正真正銘の赤の他人の為に命を捨ててくれなんて、納得できるはずがない。


「それでも聞いてもらわなくてはならない。私一人で二人分と向こうが考えてくれればいいのですが」

 町長は言った。やはり、自分の命と引き換えに二人を奪還する気なのだ。


「そうもいかないでしょう。完全にシステム化されている以上、温情と言うのは期待できません」

 国木田も気の利いた言い方ができればいいが、そこは学者らしい、回答が実に事務的だ。 


 しかし、国木田はその後に付け加えて、信じられないような提案をした。


「そこで、町長。これは一か八かの賭けですが、もう一つの方法をやりませんか? 」


「もう一つの方法? そんなものがあるんですか? 」

「あります。やるかやらないかは町長次第ですが、必要ない犠牲を払いたくないなら、それしかないです」


 町長は、しばらく考え込むと、国木田に言った。


「やりましょう。詳しく聞かせてください」




二十四


 いわゆる結界と言われる中、若葉は、おもむろに祠に向けて走り出した。


「・・・ おい、なんだ? ・・・ どうしたの? 今度はなに? 」

 柴田は、若葉を引き止めるが、若葉は止まらない、無理にでも行こうとする。


「スイッチを切るの」

「はぁっ? 」

「あの石、杉作さんが取ってからずっとあの状態だった・・・ 。そうであったなら、廃村の状態はまさに絶滅状態だよね? 今まで抜いて戻すを繰り返してたから、祟りを繰り返してたと、そういうことにならない? 」


「なるほど」

 柴田が言う前に、多田が頷いて見せた。


「肝心なのは、松木さんは抜いて、さらにまた入れたってこと」

「で、また抜くと・・・ 、なんか、下ネタにしか聞こえないんだけど。いや、今更遅くないっ? だいたい、それだったら松木さんがやらないと効果ないんじゃないか? 」


「そんなのっ、やってみないとわからないじゃないっ! もしすべての仮説が正しかったら、多分これが最後になるのよ。代わりも来なかったら、この地で永遠に封じ込まれちゃんだよ」


「ちょっと、伊藤ちゃん、冷静になれって、あのさ・・・ 」

若葉は、祠の元に勢いよく走り出したが、一向に近づけない。


「伊藤ちゃん、だから落ち着けって、さっきから一生懸命走ってるけど一歩も前に進んでないんだって」

 若葉のすぐ後ろで柴田が若葉の肩を掴んだ。


「何これ? どうなっての? 」

「伊藤ちゃん。こりゃ無理だ。近づけねえんだよ。どうやら祠は俺たちを歓迎してないみたいだ」

「歓迎してない? あたしたちを殺しといて、何言ってんのよ」


「ああ、なるほど。そういうことか・・・ 」

 そう言うと多田は祠に向けて歩き出した。


「え? 」

 二人は、驚いた。

 多田は難なく祠に近づき、簡単に中から石を取り出して見せた。


「ほら、何ともなってない。・・・ 残念ですね。仮説は仮説でしかないということです」

 多田は笑って、石を地面に落とした。


 祠に異変は無い。いや、祠には異変が無かった。

 異変が起こったのは、多田の方だった。


 顔や体の一部が急に歪み出し、そこから、顔みたいなものが浮かび上がると、次々に、ボコボコと数十、数百の顔が多田の体全身から現れ、多田の顔も潰れたのち、その一つに組み込まれたように現れる。多田の体自体も原型をとどめず、膨れ上がって風船の如く巨大化していく。顔の一つ一つが、苦悶の表情を浮かべ、叫び苦しんでいる。


「里の者に天罰をぉぉ~っ! 」

「里を亡ぼせぇぇ~っ! 」

という絶叫すら聞こえて来る。その中で、

「栄太ぁぁ~っ! 栄太ぁぁ~っ! 」

という声が聞こえる。

 おそらく栄作爺の声だ。

 うめき声と叫び声、怒号と怨嗟の声にかき消されそうなほど、栄作爺の声は微かに聞こえて来る程度だ。


「・・・ 柴田さん? 」

「ああ、残念ながら、見えてもいるし、聞こえもするから、正直、吐きそうだ。死んでるから、吐くこともできねえんだろうけど」

「あの中に入れても、地獄かもしれませんけど、入れなくても、これ永遠に見続けて聞き続けるのも相当地獄ですね」

「そのうち、向こうの方が楽って思えたら、入れてくれるのかな? 」

「どうでしょう? 」


 膨大に膨れ上がった、怨嗟と憎悪の感情。納得して命を奪われる人間などいない。


 納得することも無く、突然理不尽に命を奪われた者、家に縛り付けられ、強引に命を奪われた者たちもいただろう。

 そもそも、四十五年に一度の儀式を一体何度やって来たのだろうか。

 単なる排斥や追い出しの嫌がらせで、車に火を付けたり、妊婦を突き倒したり、強制性交が常態化したような言い方をしたりと、今から四十五年前の人間とは思えない程の倫理観がバグってる連中がいたような里で、これまでも悠長に四十五年も何もせずにいただろうか、そんなはずはない。

 

 この里では、犯罪行為、いや、はっきり言えば、歴史的にどこの集落でも行われた集団リンチや簀巻きみたいなことも普通に行われたものと考えるなら、殺された人間たちの数はもっといるだろう。ここに群がっている魂たちの積み上がった数は、一体どれ程のものか見当もつかない。


 有史以来、古今東西、世界のあらゆる場所において、このような行為は、枚挙に暇がない程、繰り返されてきた。宗教的、思想的、政治的、あらゆる理由がそこに存在する。犠牲者の数も、数十、数百、数千、数万、数十万、数百万、数千万、積み上げれば、数億、数十億となるだろう。

 一つの地域にしぼり込み、そこにいる犠牲者の思いを集約させただけで、これだけのエネルギーを持った呪いのシステムが形成される。


 これが、世界において同様の呪いの装置が作られれば、どれ程の被害者が出るだろう。

 おそらく、核兵器と同等レベルの被害を生み出す恐怖の呪詛システムと化すことだろう。


「時間もある事だしこいつら何を言った所で黙るわけでも無いから一つ落ち着いて考えません? 」


 若葉が提案したが、当の柴田は耳を塞いでいるから聞こえていない。


「なるほど・・・ 、そういうことか、だったら・・・ 、わっ! 」

「うわぁぁーっ! 何っ? 気持ち悪っ! 」

 若葉は、直接、柴田の魂に語り掛けてみた。

 常には霊との交信に使う方法だが、柴田も魂の存在なので伝わったようだ。


「ねえ、柴田君? これって、どう思う? 」

「何、聞くなら普通に聞いて、これなんか気持ち悪いよ」

「今となっては同じなんだけどね。そっちに会話する意思が有るか、無いかの違いしかないんだけど」

「いや、有るからっ! 会話するから、やめてっ! なんだよ、どう思うって、ただ単にキショいだけだよ」

「多田さんの魂は受け入れたけど、あたしたちは受け入れないってことを、どう読み取るかって聞いてるのよ。ちゃんと答えないと、また、魂に直接話すわよ」

「わかったっ、わかったよ。ちゃんと答えますよ。・・・ つまり、俺たちは余所者だからじゃねえのかよ」

「そこはわかるのよ。でも、あの6人の住人たちは、魂は縛り付けててもずっと放ったらかしだったでしょ。ところが、多田さんについてはすぐに取り込んじゃったじゃない? 」


「わからねえよ。俺、プロじゃないんだからさ」

「・・・ 自動的に人数換算して発動しちゃったけど、目的対象じゃなかったってことでセンサーに弾かれてたってことなのか・・・ 」

「センサーって・・・ 」

「これで、最後になるはずなのに、未だに活動を止めずに暴走しているようにも見えるわよね」

「ええ? そう? 」

「私ばっかじゃなくって、ちゃんと考えてよっ! 柴田君もっ! 」

「いや、わっかんねえもんっ! 要するに、魂が宙ぶらりんになってるってことなんじゃねえの。あっちもこっちも受け入れてくれないんだから」


「・・・ 宙ぶらりん・・・ ? そうだ、そうだよっ! 私たち、まだ死んでないかもっ! 」


「え? ・・・ どういうこと? 」


「あなたが言ったんじゃない。魂は結界の中に閉じ込めたけど、受け入れない。つまり、魂が宙ぶらりんになってるのよ。肉体があれば、戻れるかもしれない」


「・・・ マジで? それマジでっ! どうやって戻んのっ? 」

 柴田の顔が、見る見るうちに明るくなったが、

「・・・ わかんない」


「は? 」


「肉体が、まずどこにあるのかわかんないし、仮死状態になっているのか、意識不明になっているのかで、体の扱い、病院でも変わって来るでしょ? 時間の経過もよく分かんないし」


「もしかして、もう火葬されちゃってるってこと? 」

「その可能性もあるってこと」

「ダメじゃんっ! それっ! 」

「臨死体験みたいな、分かりやすいもんじゃないんだもんっ。三途の川とか、向こう岸のお花畑で、死んだ人間が手を振ってるとか、そういうのだったらわかるけど、いつの間にか死んでましたじゃ、わからないわよ。少なくとも、全裸監督の時には、意識なかったってことしか分からないから、結構、時間も経ってる気がするんだもんっ! 」


「いや、期待持たせて、逆ギレされても困るんですけどぉっ! 」


「だから嫌だったのよっ! こんな所の取材っ! あたし、何度かやめようって言ったよねっ! 」

「いや、俺のせいじゃないだろっ! そもそも、全部、あの全裸監督のせいだからなっ! あいつが石抜かなかったら、こんなことにならなかったんだからよっ! 」

「抜くわよっ! あのムーオタクはっ! 抜くに決まってるじゃないのっ! もう、思う存分、抜いて入れて出すに決まってじゃないのっ! あの変態はっ! 」

「いや、だから、待ってっ! 本当、マジで下ネタにしか聞こえてこないわ。あの形だし・・・ 」


「お前らっ! うるせえっ! 」


 と、一瞬、松木の声が聞こえたかと思うと、突如、轟音を共に祠が真っ赤になって、穴から勢いよくガスを放出し、祠や男根の石を吹き飛ばし、土台となった岩に亀裂が走る。


 それと同時に、膨らんでいた無数の顔がついた負の集合体にも亀裂が入り出す。


「え・・・ えっ? えっ? ・・・ なにこれ? なんなのよ? どうなってんのよっ! 」

 若葉も柴田も突如起こった異変に、ただ腰を抜かす。


 亀裂の入った岩は、どんどんとひび割れ、膨張していくのと同じように、集合体もまた亀裂が増えてみるみる膨張していくと、空高く上がって行った。


 いよいよ、岩は膨張に耐えられずに、まるで内側から爆発するかのように、粉々に弾け飛んだ。

 それと同時に、集合体もまた、上空で爆発するかのように弾け、真っ赤に光る魂のような物が、散り散りに方々へ飛んで行った。


 その光景は、見ようによっては、花火のようでもあり、火山の噴火のようでもあった。


 二人は、その爆発のような激しい勢いに吹き飛ばされたかように、もの凄いスピードで上空を後ろ向きで飛んでいる感覚になった。


 ふと、下を見ると、集落の上を飛んでいて、ヘルメットを被った松木、それに国木田の姿も見えた。一瞬のことでよく分からないが、その隣にいたスーツの人物が、胸を押さえて、その場

に倒れ込んだのも見えた。

 その後の事はよく分からない。


 音速で飛ぶジェット機に括り付けられて曲芸飛行されたような気分がして、非常に気持ち悪かった印象しかなく、最後に急降下して、凄まじいGに耐えられず気を失ったのかと思って目を覚ますと病室のベッドで寝ていた。


 ふと、隣のベッドに目をやると柴田と目が合った。


 どうやら、生き返れたようだと二人して同時に認識するが、喜びに飛び上がりたくても体が言うことが効かない。


 突然、戻った魂に肉体がまだ定着してないのか、医学的に体が言う事を効かないからなのかはわからない。


 ただ、二人は笑うことはできたので、大いに笑った。


 その笑い声を聞いて、看護師や医者が病室に飛び込んで来た。




二十五


 病室に、松木が飛び込んで来たのは、それから一日が経ってからだった。


 ずっと付きっきりで看病でもしてくれてたのかと思いきや、目覚めて一日も経ってからやって来たものだから、二人はかなり機嫌が悪い。


 そもそも誰のせいかなんて言うまでもない。危うく、というか、十中八九死んでいたようなことになっているのに、その対応なものだから、機嫌が悪くなるのは当然だ。

 いや、むしろ顔を見るなり罵詈雑言を浴びせかけてもいいくらいだろう。


 しかし、二人は憮然としつつも、一応、松木の言い訳に耳を傾けた。


 それと言うのも、あの飛んでいる時に見えた風景に松木の姿があったからだ。

 松木は、とにかく順を追って説明した。


 二人の救出に、国木田と、町長の多田栄太氏が町を挙げて協力してくれたこと、そして、その為にかなり大掛かりなことをやったことも説明した。


「一体、何をやったんですか? 」

 若葉が聞くと、松木は、端的に答えた。


「祠を爆破した」


「ばくっ・・・ っ! 」

 そう、国木田の提案したもう一つの方法と言うのが、祠の破壊だった。


 しかも、ただ破壊するだけではダメだと言う。

 呪いのかかったシステムの本体は、あの土台となって穴の開いている岩だと言う。

 その岩を、原形が無くなり穴から全て木っ端微塵になるまで破壊しなければいけないというのだ。

 その上で、男根石も吹き飛ばして叩き割ってしまいなさいという指示だった。


「無茶苦茶な・・・ 」

それを聞いて、若葉も柴田も絶句した。


 そういう、所謂いわくつきの物を除去するだけでも祟りとか何だとかあると言うのに、まさか爆

破すると言う、一番ド派手な方法をとるなんてイカレてるとしか言いようがない。


 国木田曰く、勝算がない博打と言うわけでなく、それなりの理由があった。


「二人の魂を縛り付けているのは、この里一体に張った結界のせいです。恐らく結界は、あの岩によって為されている。結界を破壊すれば、二人の魂はあるべき場所に帰って行くことになります」


 あるべき場所、つまり肉体に帰ると言うことだ。

 あの呪われた魂の集合体も、システムとなって取り込まれた岩を木っ端微塵にすれば、あるべき魂の場所へと開放されるに違いないと踏んでいたのだ。


「良く町長も、やる気になりましたね? 」

「まあ、そこはほら、どこまで行っても人間ってことだよ」

 自分の命と、部下の命をもって、二人を救出するって覚悟を持って言ったとしても、他に方法があるんなら、まず、それを試してからでも遅くないのでは、と国木田に言われると、あっさり従った。


 やはり、本音では、覚悟のできてない部下の命というのもあるが、自分自身もまだ死にたくなかったのだろう。


 国木田も、どうせ集落もぶっ壊して、地中のガスの対策工事をした後は温泉リゾートにするつもりだったのだから、何の遠慮もいらない、募る思いもあるだろうから、思いっきり破壊しちゃいましょうと、更に煽ったものだから、その日の町長は妙にテンションが高かった。

 かなりごつい岩を、それこそ木っ端微塵とするのだから、相当の爆薬を使うこととなったが、町長は、それこそ打ち上げ花火を上げるかのようにウキウキしながら準備し、いざ、カウントダウンにしても、二十秒前からマイクを使って自ら大声で叫んでいた。


「で、最後に叫んだ言葉が、爆破ぁっ! だったよ」

 しれっと松木が怖いことを言った。


「最後に? 」

 若葉と柴田がほぼ同時に訊いた。


「心不全だとさ・・・、もとから高血圧症だったようでな。あれだけテンション高くて興奮状態だったんだから、無理もない話なんだと」


「・・・ いや、でも、それにしたって・・・ 」


「だな。これだけなら、ただの偶然の事故って話にもなるが・・・ 」


「え? まさか・・・ ? 」


「そのまさかだ。爆破の勢いで吹っ飛んだ岩の欠片が、邑田さんのちょうどここに・・・ 」


 そう言うと、松木は自分の心臓を指さした。


 二人はさすがに言葉を失った。


「周りには俺や国木田とか工事関係者とかいっぱい居たんだよ。邑田さんはどちらかと言えば、後ろの方にいたんだが、彼女以外は誰一人破片に当たっていないし、ケガも無い。人の間を抜けて、一直線に彼女の心臓目掛け、ピンポイントで飛んで来たとしか思えねえよ。こんなもんゴルゴ13の狙撃並み正確さだ。それに、二人とも心臓で、苦しむことなく一瞬で、だ。偶然の結果とは到底思えんだろ」


「・・・ 執念すね」

 柴田が溢すように呟いた。


「ああ、そうだな。お前らが目覚めても、すぐに来れなかったのは、そういう理由だ。それに、正直生還を大手を振って喜んでやれないのもな」


「・・・ すみません」

「俺に謝んなよ。とにかく、助かってよかった。それに謝るなら、俺だ。お前らをとんでもないことに巻き込んだ。済まなかった」

「・・・ いえ、もういいです。幸い痛い思いはしなかったし、すごい体験させてもらえましたから」

 若葉はそう言った。


「うわ。伊藤ちゃん、むっちゃポジティブ。俺のイメージじゃ、霊能力者って、もっと根暗でネガティブで執念深いって思ってたし意外だわ」

「あのね、そういう奴らを相手にしてるんだから、逆にこっちはポジティブじゃなきゃ、すぐ付け込まれて憑りつかれちゃうのよ」

「あっ、そうなんだ。ま、何にしても、これじゃ俺、文句言えねえじゃん」

 柴田が笑い、若葉も笑って返した。


「ま、お前らが、そう言ってくれるとありがたいよ。・・・ それに、最終的な結果だけで見たら、既定路線だった気もする。あの時、俺たちがあそこに来なくても、俺があの石を抜かなくても、必ず誰かが抜いてるだろう。四十五年前と同じように」


「・・・ 多田さんですよ。あの人が、あんな時間に一人であそこに来た目的は、たった一つでしょうから」


「じゃ、あの猟銃は? 」

 柴田が尋ねた。

 すると、若葉が答える前に、松木が答えた。

「万が一の為の自決用ってことか? 」


「たぶん・・・ 、ルールがまだよく分かってなかったからだと思います。石を抜いた者は、次は必ず生贄になるってルールは子供に継承されるのか? 石を抜いた者は本当に助かるのか? 」


「結果としちゃ、誰でも良かったんだよな? 」


 松木は割と真剣に聞いて来た。

 国木田からもそう言われているが、本当にそうなのか自信がない。


「それは、多分、今回が最後だからですよ。残った三人さえ取り込めたら、他はどうでも良かったんだと思います。石を抜く人間は里の者に限り、その者は生き残らせたのは、次を確実に実行させる為だと思うんです。犠牲者を出した罪を背負わせて、次でその罪を償わせる。そういうシステムだったんでしょう」


「・・・ つくづく怖いねぇ・・・ 」


「松木さん。少しだけ調べてもらっていいですか? 」

「なんだ? 」

「多分ですけど、おそらく間違いないと思います。あの例の動画を撮ったユーチューバーに、ここの情報を教えたの、多田さんだと思います」

「はぁっ? マジでっ! え? あん時、んな事言ってたぁっ? 」


 驚いた柴田に対して、松木は落ち付いていた。


「それなら、調べ済みだ。裏も取れてる。間違いなく、多田が全部仕組んでた。国木田が、ユーチューバーに連絡とって確認したらしい。その国木田を町長に紹介したのも多田だ」


「うえっ! マジか・・・ 何がしたかったんだ、あいつ」

「栄作爺さんも、多田さんも、石に憑りつかれてたんですよ。最後の結果に導くように、石に操られていたと考えると、なんとなく行動の理由に納得がいきます」


「てことは、松木さん。大丈夫っすか? 」

 柴田が軽めに尋ねた。

「言うな。これでも結構びびってんだよ」


「それなら、松木さん、本当に心配ないんじゃないですか」


「本当か? 俺に何も憑いちゃいないよな? 」

「はい、あの嫌な感じはすぐわかりますから」

「ま、若葉が言うんだったら、とりあえず安心しとくよ。・・・ ま、なんにしても、奴らの執念の勝ちだ。きっちり、目的果たして昇天して逝きやがった」


「昇天・・・ ? 」


 若葉と柴田が、また同時に言った。


「なんだ? どうした? 」

 松木が訊き返した。

 二人の引っ掛かるワードがワードだけに気になったのだ。


「・・・ いや、・・・ その、昇天というのはちょっと違ったような・・・ 」

「あれは、昇天とは言えないんじゃ」

「なんだよ? お前ら、あそこで何を見た? 」

 柴田が、手振りで説明した。


「・・・ あれが塊みたいになって膨らんで、空高く上がって行って、弾けたんですよ。そうっすね、まるで花火のような。四方八方に勢いよく飛び散ったような。赤く光ってたから、花火っつうか、火山の噴火みたいな感じにも見えたっすよ」


「なんだそりゃ・・・ 」


 若葉は黙っていたが、ぼそっと話し出した。


「・・・ 赤色って言うのは、心霊写真とかでもよく言われますけど、危険色なんですよ」


「おいおいおい、じゃ奴らは目的を果たしても、まだ満足できてねえってことか? 」

「そういうことかもしれません。結界が無くなって、方々に飛び散って行きましたけど、そう考えると、飛散したっていうより・・・ 、なんて言ったらいいんだろう・・・ 」


 若葉は適切な表現を考えていると、そのうち柴田と二人同時思い付いたようで、二人同時に口が開いた。


「拡散した」


「そう、それ。それが一番近いイメージだわ。伊藤ちゃん」


 二人の話を聞いて、松木が、

「・・・ ちっ、嫌な事言いやがる。国木田と同じような事言いやがって」

と言うから、

「あれ、そう言えば国木田先生は? 」

と若葉が尋ねた。すると、松木がすかさず、


「逃げたよ」

と言った。


「逃げた? 」

 柴田が聞き返した。


「当り前だろ。これ以上犠牲者を出さないってことが前提で、祠の爆破なんてことをあいつが言い出したんだ。それに乗っかったら、こんな結果だろ。二人の処置に現場がごたごたしてるうちに、次の仕事があるからとか言って、さっさと逃げやがったよ」


 二人は、それを聞いて、ポカンと口が空いたままだった。


「・・・ あの先生、本当、そういうところありますよね。途中までは、本当に頼りになるくらい、すごいしっかり理論づけて説明するんですけど、一番肝心の最後の最後で、ものすごいいい加減になるんですよね」

「あれがなけりゃ、もうちょい、学界でも扱いが良くなるのにもったいねえなあ。ま、そういう先生だから、俺たちみたいな人間には重宝されるんだけどな」

「で? その国木田先生がなんて言ったんすか? 」

 柴田が松木に改めて訊いた。


「あ? 」

「いや、ほらさっき、同じこと言ってたって・・・ 」

「・・・ ああ、それな」

 それは、国木田との別れ際の話だった。




二十六


「国木田先生」


 救急車が慌ただしくサイレンを鳴らして、飛び出ししていき、警察のパトカーもやって来て、里は、とんでもない騒ぎになっていた。

 皆が慌ただしく走り回っている中、国木田は、一台のタクシーに乗り込もうとする矢先に、松木が声を掛けた。


「・・・ 運転手さん、少し待ってて下さい。すぐに乗るんで・・・ 」

 そうタクシーの運転手に声を掛けると、やって来た松木と向き合った。


「もう行くんですか? 」

「ええ、次の仕事があるってことは、始まる前にも言ってましたよね。見届けるだけ見届けたら、行くつもりでしたよ」

「・・・ 逃げるんですか? 」

「いいえ、逃げるわけじゃありませんよ。こんな結果、誰が想像できました? あなたも私も、当の本人たちだって、こんな形で持って行かれるなんて、まるっきり想定外だったでしょ」

「いやぁ、そりゃそうでしょうけど・・・ 」

「確かになんとも寝覚めの悪い結果になりましたけど、この地の空気は一変しましたよ。感じませんか? たぶん、伊藤さんなら私の言うことも分かると思いますよ」 


「いや、現場の重たい空気しか感じないんですけどね。特に町の職員からの視線がすごい気になっちゃって、先生は感じません? 」

「何と言われようとも、どんな目で見られようとも、この結果は必然です。我々では、どうにも避けがたいものだったとしか言いようがない。事情を知ってるあなたと私にしか分からないことですし、説明しても、恐らく理解は得られないでしょう」


「そりゃそうかもしれないですけど」


「これは、彼らが、あの岩に取り込まれた数百、数千もの魂が望んだことでもあるんですよ。目的を果たしたことで、本当にようやく解放されたのですから、この空気は、それを現していますよ」


 騒ぎでごった返す現場の中で、国木田だけが、唯一、晴れやかな顔をしている。

 松木は、後ろから差す視線が矢のように背中に突き刺さっている気がして、居心地が悪い。なんだったら、正直呼び止めるんじゃなかったと後悔している。

 こんな顔されて一緒に話していたら、まるで自分も同じように見られるんじゃないかと思うとぞっとする。


(さすがの俺も、ここまで変人じゃない)


 そう思った。


 言うだけ言って、さっさとタクシーに乗り込んでくれればいいのに、国木田はまだ言い足らなさそうに喋り続けた。


「それに、こんな小さい地で集められた怨念なんて、たかが知れてます。保守的で閉鎖的で、人をその土地に縛り付ける呪いなんてものは、世界で見ればいくらでも、しかも規模はもっと大きい。町、都市、それこそ国家単位でやっているところだってある」


「・・・ 独裁国家とか? 」


「北朝鮮も、中国だって、このシステム化された呪いと大して変わらない。あの怨念のように、積り積もって渦巻く怨念は、ここと同じ結果を最終的にもたらす。古今東西、あらゆる歴史を見てもそうでしょ」


「いや、・・・ なんか、話を飛躍させて、ごまかしてません? 」


「いいえ、私はただ、こんな些細なことより、もっともっと恐ろしい災厄を生み出すシステムがこの世にすでに生まれようとしていることに大変危惧してるだけです」


「・・・ いや、だから、些細なってあんた。人が死んでるんだぞ、三人も」


「不謹慎だってことは百も承知ですよ。でも、死人と言うなら、規模が違う話ですよ。私の言ってる死者は、それこそ数千万人、下手すれば数億ってレベルです」


「数千万? 数億? 」


「今回のように田舎というのは、そういう慣習や風習が残ってて、未だにあれこれ問題視されますけど、私は思うんです。

 そういうのって、別に田舎に限った話ではないと。

 村八分とか嫌がらせとか、和を乱す奴を排除する気質って、いじめやらハラスメントやら、SNSのヘイトや炎上と何が違うのか。

 思想、宗教、イデオロギー、最近では多様性を重視する風潮にあります。

 SDGsとかポリコレとか、あらゆる差別を無くして、互いの価値観を尊重し合う、一見すれば大いに結構なことですが、結局、それを受け入れない者たちを排除するような動きになってませんか? 

 歴史上に起こった、宗教弾圧や民族弾圧、一番近い所で共産主義者の思想弾圧と何が違うんでしょう。

 新たに言うなら倫理弾圧とも言える。

 つまりね、松木さん、人間とは常にそう言う生き物なんです。

 どんなに美しい思想で飾り立てようが、どんなに清らかな目標を立てようが、根っこにあるのは一緒ってことです。

 しかも、今の時代、まるでそんな人間の負の部分をわざわざ言葉にして残し、集約させるツールまで存在する。

 我々の世界では莫大な力も持った言霊を増大させる恐ろしい呪詛システムと言ってもいい代物ですよ」


 松木は、国木田の言っていることがなんとなくわかる。

 いや、何となくと言うよりも、はっきりと理解できる。

 それだけに、これは予言とも思えた。


「要するに、何が言いたのかと言うと、こんなものは世界中のどこでも、そこらへんに転がってる些細な事だってことです。世界をも呑み込む呪いの災厄は、いつでも起き得る。今回は有毒ガスですが、天変地異に細菌やウイルス、姿かたちを変え、いつでも、どこでも発生し得るってことですよ」


 そう言い終えると、言いたいことを言い切ってすっきりしたのか、特に松木に声も掛けることなく、さっさとタクシーに乗り込んで去って行ってしまった。


(言うだけ言って、行っちまいやがった、あの先生)


 松木は長々と話されたことで、結局のところ、国木田は逃げただけだ、とそう認識した。



 その後、松木は柴田と若葉が退院すると、すぐに東京へと戻って行った。


 撮影したデータは残っているが、当然何も映っていない映像しか残っていなかった。

 犠牲者も出たことで取材も打ち切り、これは完全にボツネタとして東京に戻った後、映像も消去された。


 ネット上には未だに噂として残っていたが、それもそのうち火の消えたように誰も触れなくなり、

都市伝説は自然消滅していった。


 余談、とも言えないかもしれないが、この二〇一九年十二月に中国の武漢において謎のウイルスが

発生し、翌年には全世界に猛威を奮い、大多数の死者を出すことになる。


 多々良町では、町長の死によって、やり直し選挙がされ、新たに当選した町長も前町長の路線を引き継ぐ形で、件の温泉リゾート計画を進めた。


 地下のガス対策工事は特に事故も無く終えられたものの、例の新型ウイルスによって、温泉リゾート計画も中断せざるを得なくなり、向こう三年間も手が付けられなくなった。

 そして、今年、ようやく計画再開となったのだが、突然地域住民から計画反対の声が上がった。

 地域住民と言っても、あの付近にあるのは麓のニュータウンしかない。

 例のカスの異臭騒ぎで、その地域の住民の為にわざわざガスの対策工事までやったというのに、ここに来て反対される理由がよく分からなかった。


 因みに、多々良町の新型ウイルスによる死者数はと言うと、一地域を除いてゼロと優秀だったが、その一地域だけは、総世帯数一五〇軒、人口四五〇人に対して、死者が四五人と一割も出た。


 その地域とは、例の麓のニュータウンであった。



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