私は誰にも負けない令嬢になります
肉が焦げる音と臭いを感じる。
しかし想像していたよりも熱は感じない。
違和感を覚える悲鳴と笑い声の喧騒の中で私は再度目を開ける。
目にしたのは見覚えのある私の部屋でも、迫りくる火球でもなく、苦痛に顔を歪めたダニエルの姿だった。
「あ、お嬢様、ご無事ですか?」
「ダニエルっ!!」
力なく倒れ込んだダニエルを支えきれず私も地面に倒れ込んだ。
「馬車の、中で待つようにと……言った、はずです」
私の手には今までに感じたことのない肉の感触がある。
わからない。わからないけど、今までで一番死を身近に感じている。
もういい。
わかった。私の考えの甘さ、先を見通せていない思慮の浅さはわかったから。
もう夢から覚めさせて。
そしたら私はこのリアルな夢を私の人生の教訓にするから。
私の……私の人生ってどんなだったっけ?
思い出せなかった。
日本で働いていた。
ゲームをしていた。
そんな記憶や知識はあるが、自分の人生としての感覚はまったくない。
思い出せるのはエブリンとしての人生の記憶や感覚。
ダニエルに叱られ、ダニエルに助けられ、ダニエルに褒められてきた私の人生の記憶。
これは夢じゃなかった。
現実だ。
私の中に他の人生を生きた人の記憶があるが、紛れもなく私はエブリン・スカーレットであり、これは私の人生だ。
「ダニエル! ダニエル、死なないで!」
私の声に応えるように、ダニエルはよろよろと立ち上がった。
「私は、これでも、それなりに有名な、騎士だったんですよ。冒険者だったことも、ありました」
騒々しい戦場に似つかわしくない弱々しい声だったが、私の耳にはしっかりと届いてきた。
「一度はお嬢様にも、見ていただきたいと、思っていたんです。ちょうどいい、機会ですね」
ダニエルは私から離れ、再び戦場へと舞い戻る。
涙に埋もれた私の目にもその勇姿はしっかりと刻まれる。
馬車の周りからは人が減っていく。
「おい、お前ら!引き際だ!ずらかるぞ!」
スカイの声が戦場に響く。
金属のぶつかる音は一気に鳴り止み、代わりに足音と土埃が巻き起こる。
「……大した成果にならなかったのは気に入らねえが、お前の強さには敬意を表すぜ、じいさん」
スカイが背を向けるのと同時に護衛の騎士たちがダニエルに駆け寄る。
しかし、ダニエルは騎士たちからの治療を拒み、スカイの姿が見えなくなるまで戦闘態勢を崩さなかった。
「早く!ダニエルに治療を!」
スカイが見えなくなるとダニエルはその場で崩れ落ちた。
すぐに応急処置が施され、屋敷へと運ばれた。
しかし、ダニエルが目を覚ますことは二度となかった。
私のせいだ。
私が馬車から出なければ。
ダニエルは重症を負いながらも戦い続けた。
私のせいだ。
すぐに治療が受けられれば助かったかもしれない。
でも、ダニエルは治療よりも私の安全を優先した。
敵がいなくなり、私の安全が保証される最後まで戦い続けた。
夢だと思っていた。
別の世界からやってきたんだと思っていた。
そんなことは言い訳にならない。
この世界で死んだ人は戻ってこない。
そんな当たり前の現実を嫌というほど突きつけられた。
「お嬢様。お具合はいかがですか?」
あれから私は部屋にこもっていた。
何をするわけでもなく、何もする気は起きず、何を考えているのかもわからないが、ただ部屋の中にいた。
これがダニエルを弔っていることになるのかはわからない。
お父様やお母様も心配しているのはわかっている。
今でも身の回りの世話はメイドたちがしてくれている。
そうやって私はのうのうと生かされている。
ダニエルは死んでしまったというのに。
そんな私の心情を全く気にしていない勢いで部屋のドアが開かれた。
「おい、エブリン・スカーレットの部屋はここだな」
黒い燕尾服。
一瞬ダニエルかと見間違えた。
ダニエルの優雅さとは似ても似つかない粗野な若い男だったのに。
「……いきなり入ってきて無礼ではないですか」
慌てるメイドたちを後目にズカズカと部屋の中にまで入ってくる男に対して、私はなんとか声を発した。
「すまないな、あいにく礼儀は教わってないもんで。だが、挨拶に来てやったぜ」
何を偉そうに言っているんだ。
どこの誰かは知らないが挨拶などは求めていない。
それに今はその燕尾服は見たくない。
追い出そうと奮闘するメイドのことなど気にも止めずに男は話し続ける。
「アーサー・カリーニン。お前の新しい専属執事だ。よろしく頼むぜ、お嬢様」
専属執事?
私の執事はダニエルだけよ。
でも、もうダニエルは……
アーサー、……カリーニン?
「俺の親父はお前に部屋に籠もっているように躾けてたのか? 聞いてた話とはだいぶ違うな」
その言葉を聞いて、護衛の騎士を呼ぶためのベルを手から離す。
「貴方、ダニエルの息子さんなの?」
「ああ、そうだ。親父がずいぶん世話になったようだな。これからは代わりに俺が世話をしてやるから感謝しろよ」
言われてみれば、どことなく顔立ちが似ている気もするが、雰囲気が異なりすぎていて親子と言われても信じられない。
「その、お父様のことは本当に申し訳なく思っているわ。謝って済む話ではないし、私にできることなら何でもするから」
「ああ、いいんだよ」
私の謝罪を手のひらで弾くような仕草に怒りを覚える。
実の息子だというのに悲しくないの?
やっぱりコイツがダニエルの息子だなんて信じられない。
「お嬢様を守るのが親父の仕事だ。それ以上でも以下でもねえよ」
「貴方!実のお父様に対して尊敬の念はないの!ダニエルは私のせいで死んでしまったというのに」
「そうらしいな」
『私のせいで死んだ』という言葉はやけにあっさりと受け入れられた。
自分でずっと考えていた言葉だったのに、受け入れられると次に続く言葉は出てこなかった。
「それで?親父はお嬢様のせいで死んで、お嬢様は部屋に籠もって何をやってるんだ?」
「それは……ダニエルが死んだのが悲しくて、それに申し訳なくて……」
アーサーはそんな私を見て大きくため息をついた。
「俺も息子としてお嬢様には一言いう権利があると思うんだ。だから、これは無礼だって思うけど言うぜ。お前が部屋に籠もってるのを俺の親父は望んでたのかよ」
ダニエルの望み。
それは私がスカーレット家の令嬢として立派になること。
「俺は親父の意志を継ぐぜ。だからお嬢様の世話をするんだ。お嬢様はどうすんだよ」
私にはスカーレット家の令嬢としてやるべきことがある。
「わかったわ。わかったから、部屋から出ていって」
「あ、やっぱりわかってねえじゃねえか、いいか、俺の親父は」
「着替えるのよ」
「ん?」
「着替えるんだから男の貴方は出ていってちょうだい。ダニエルも私の着替えの場にはいなかったわよ」
「お、おお、そうか」
「着替えたら貴方にお願いがあるから部屋の前で待っていてね」
「おう!最初の仕事ってやつだな!」
アーサーは屈託なく笑って部屋から出ていく。
その笑顔で私はさらに救われた気持ちになった。
「……貴方の最後の言葉は無礼ではなかったわよ」
「ん? んー、そうなのか? その辺りはまだわかってないからよろしく頼むわ」
片方の手をポケットに入れて背を向けたまま手を振る姿は無礼そのものであったが、嫌な気持ちはしなかった。