五 仙人
泥を払い落とすと、空いていた椅子に少女二人は腰を下ろした。
「こんにちは。アタシはドッゼル王国男爵令嬢のニユだよ」
「うちはモイザ。西方の村の百姓娘だわ」
一通り名乗り終えると、仙人は頷いて早速本題に切り込んだ。「長旅、ご苦労じゃった。さて女子達よ。三つの関門を乗り越えてまでワシに何用じゃ?」
問い掛けられ、ニユは茶色の瞳で老人を真っ直ぐに見つめる。「アタシは、ううん、アタシ達は、望みを叶える方法が、知りたいんだ」
「望みを叶える方法、とな? もっと詳しく、話してくれんか」
「……分かった。長くなるけど」
着いて間もないのでニユも疲れてはいるが、だからと言って貴重な時間を無駄にする訳にもいかない。すぐさま首肯し、ニユはこれまでの事を全て話し出した。
それを聞き終えると、老人は深く息を吐いた。
「……望みを叶える方法、か。ワシは様々な秘伝の薬を持っているが、そんな物はないな」
そう言われ、ニユは唇を噛む。「何かないの? お願い。それじゃあ」
ここまでやって来た意味がないではないか。
懇願するニユに、仙人が軽く首を振った。「方法は、ない訳ではない。……悪魔の力を、借りるならばな」
悪魔。
その言葉に、ニユは体が震えた。
それは、今は亡き仲間達と共に旅をし、そして魔人ドンの元へたった一人で辿り着いた時の話だ。
憎き魔人には、小さな喋る黒い亀の相棒がいた。そいつが名乗った時に言っていたのだ。
「俺様は北の悪魔、ダフォディル。ドンの契約悪魔だ」
でもダフォディルはニユが滅ぼした筈だ。ではどうして。
「悪魔というのは、古代からこの世界にいる、妖術を使う魔物の事じゃ。悪魔は東西南北にそれぞれ一匹ずつ、合わせて四匹存在するとされておる。其方が出会ったのは北の悪魔。そして他に、東、南、西の悪魔がいる筈じゃ」
彼の話によると、悪魔はそれぞれ、『変化の力』、『時を操る力』、『人を甦らす力』、そして『望みを叶える力』という妖術を使うらしい。
だがどの悪魔がどの妖術を使うのかまでは分からないという。
確実にダフォディルが『人を甦らす力』なので、東、南、西の悪魔のどれかが『望みを叶える力』を持っている筈だという事だ。
「ただし悪魔という奴らは皆凶暴でな。簡単に手懐けられる輩ではない。……命を捨てる覚悟があるならば、その方法がある、というだけじゃ」
場に沈黙が落ちる。
悪魔は、ニユにとってとても憎々しく、因縁深い存在だ。
だが他の選択肢はないのだ。ニユはもう、心に決めてしまっている。
彼女はすぐに俯いていた顔を上げ、笑った。
「アタシは良いよ。『望みを叶える』悪魔を探す。――どんな方法でも、必ず大切な仲間達を、生き返らせてみせる」
その潔い宣言に、モイザも仙人クメロも目を丸くする。
そして赤毛の少女も軽く頷き、御ずおずと言い切った。「う、うちも……、悪魔の力を借りる。オリーの、妹の為だもの」
そうと決まれば、希望の光は見えたも同然。
悪魔すら手に入れれば、みんなが生き返ってくれる。そう思うと、ニユの胸に熱い物が込み上げて来た。
「……そうか。ならば、東西南の悪魔の居場所を教えてやろう。ちと待っておれ」
そう言い残して立ち上がり、山中の洞穴のようになっている部屋の隅、何やら箪笥のような物を弄り始めるまだら白髪の老人。
その後姿を見ながら、ニユはなんだか懐かしくなった。一体どうしてそう思ったのか、自分でも分からない。
ともあれ仙人は、すっかり茶色くなった地図らしき物を手に戻って来た。
「これは悪魔の寝ぐらを示した古地図じゃ。見てみるがええ」
卓上に広げられたそれは、ニユ達が持っている地図と瓜二つの地形が描かれている。――ドッゼル王国だ。
だがニユ達の地図と違うのは、その東西南北に黒い点が打たれている事。
北はスノーマウンテンの最北端、東はここから程近いアンデヤム山脈の低めの山、南は男爵邸から南東の位置にある最南端の小島、西は砂漠の中にある辺鄙な森の中に黒点がある。
「これが……?」
「そう、点の位置こそが悪魔の居場所じゃ。ひとまずは東の悪魔をあたってみるとええじゃろう。もしかするとそいつが『望みを叶える力』を持つ悪魔かも知れん」
ワクワクに、ニユの胸が躍り始める。「今すぐ行こうよ! 思い立ったが吉日、とりあえず東の悪魔から! ね?」
だがモイザは黒い瞳でニユを睨み付け、呆れたように溜息を吐いた。「あんた、馬鹿なの? うちらはここに今着いたばっかり。なのにもう出発? 冗談じゃないわ」
「ワシも同感じゃな」さらに仙人まで追い討ちを掛けて来た。「傷の手当てもある。出発は明日にするとええ」
二人にそうまで言われてしまえば、ニユは反論できないし、する必要もない。「分かった」後は明日を待つだけだ。
「今夜はご馳走を振る舞おう。それまで、部屋があるからそこで待っているとええ。女子二人分の大きさはあるじゃろう」
そうして、モイザとニユは充てがわれた大き過ぎる土造の個室で、少しばかり体を休める事になった。
夕食になって食堂らしき最初の洞穴に呼ばれると、ニユもモイザも目を丸くせずにはいられなかった。
城にでも来たかと思う程の豪華なご馳走が、これでもかという程に並べられていたのだ。
これが全部あの老人が作ったのかと思うと、なんだか驚きだ。
「わあ。美味しそうっ。いただきまーす」
椅子に乱暴に座ると、ニユは夕食をがっつき始める。
美味しい。絶品。そんな言葉では言い表せない味が、舌の上で広がる。「美味しい! もう無茶苦茶最高!」
モイザも一口食べ、「まあまあね」などと言っているが、その食べる速さが尋常でない。
「喜んでくれているようで、ワシも嬉しいのう。なんたって、人と会うのは五年ぶりぐらいじゃからなあ」
料理を口に運びながら、意外と衝撃的事実を聞かされたニユは首を傾げる。「どうして?」
「関門のせいじゃよ。其方達は運良く全てくぐり抜けられたが、大抵は第二か、第三の関門で落ちる。見たじゃろう、花乙女に食われた人々の亡骸を」
確かに、この山の頂上では花乙女フラワーに殺されたと思われる無惨な死体が数え切れない程あった。
「……仙人。あんたは何故、そしてどうやって、あんな化け物を作ったの?」
モイザの鋭い問いに、仙人は彼女を藍色の瞳で見つめ返して答える。「何故と問われれば、それは愚者や弱者をワシが好まないからじゃ。其方達のように、強く、そして賢い奴としか相対し、知恵を貸す意味がない。……そしてどうやって花乙女を作ったかと言えば、そこらの植物を拾い、特別な薬に漬けていただけの事。あのどうしようもない性格は、ワシの知った事ではないがな」
なんだか悍ましく、そして同時にやはり『仙人』に相応しい老人の信念を知り、ニユもモイザも納得する。まあ、それが良い行いと思うかどうかは別として。
「……ねえ。質問ついでに良いかな?」
そこへ手を上げるニユ。彼女には、ずっと疑問に思う事があった。「仙人さん。貴方、もしかして、王族の人じゃない?」
第一の関門。その時、ニユ達はクメロの正体を仙人と答えたが、当人はなんだか釈然としない反応をしていた。
そしてもう一つ、その時は思い出せなかった事を思い出したのだ。
クメロ。どこかで聞き覚えのあったそれが、失踪したという王族――、今は亡き愛しの人、第二王子ケビンの伯父の名前である事を。
「鋭いな。流石、男爵令嬢というだけある。……察しの通り、ワシは国王、と言っても其方の話によれば死んだらしいが、そいつの弟であるクメロじゃ」
彼が言うには、まだ二十代だった時に城の暮らしが退屈になって外界へ飛び出し、そのまま世界を旅して色々な事を知るうちに、万人に知恵を貸す『仙人』という生き方をするようになったらしい。
「……じゃからワシは、まあ、生き残りの王族、という事になるのじゃろうが、ワシは城へ戻るつもりもない。どうか、ワシの甥とやらを生き返らせて、国王にしてやってくれ。それで、愛してやっておくれ」
藍色の、ケビンと同じ藍色の瞳で見つめられ、ニユは頷く。「……分かった。約束する」
そう、ケビンを必ず甦らせて、国王にする。そして笑って、毎日を一緒に楽しく過ごす。……きっときっと、愛し合える。
だからその為に、「悪魔を探さなきゃ」
そんな勝気に微笑むニユの様子を、部外者のモイザと遠くのエジーが微笑ましく眺めていたのだった。
夜はやたらとでかい部屋で少女二人で一緒になって眠り、翌朝を迎えた。
現在エジーに跨ったニユとモイザは旅支度を終え、仙人の家を出ようとしている。
悪魔の地図はきちんと背負い鞄にしまってあるし、準備は万端だ。
「色々ありがとう。おかげで傷、すっかり治ったよ」
「礼を言われる程でもない」
ニユの腰とモイザの足の負傷は仙人の特別な薬で昨晩のうちに見事完治した。本当に、仙人には頭が上がらない気持ちだ。
「女子達よ、これからも様々な苦難があるじゃろうが、気を付けて。ワシは其方達の無事を祈っておるぞ」
深く頭を下げる老人に、ニユは笑い掛ける。「うん。頑張るよ。……さよなら」
「仙人、助かったわ。せいぜい長生きしなさいよ」
仙人とは、もう二度と会う事はないだろう。少しだけ名残惜しい気がするが、そんな気持ちを吹き飛ばして、ニユは前を見た。
「行って」
彼女の声に従いエジーは、仙人が穴から上へと架けてくれた梯子を登り出す。
暗い暗い、土っぽい穴を抜けると、そこは心地の良い風が吹き抜けるアンダヤム山脈高山の山頂。
昨日とは違い空はよく晴れていて、まだ東の空にある日の光が柔らかく降り注いでいる。
目指すは東の悪魔の住まう、ここから少しだけ北の小山。
どんな戦いが待っているのか、分からない。
でも恐れる事はない、きっとどうにでもなる。そんな風に、ニユは思った。
「さあ、出発!」
元気に叫び、赤いリボンを揺らす少女は白山羊に命じる。
こうして一行は、次なる目的地へと軽やかに駆け出したのだった。