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四 魔人決戦

 ドンの手から次々と放たれる矢をかわしつつ、ニユの脳内は疑問で溢れ返っていた。

 何故、と心が叫ぶ。

 何故、何故、何故魔人がここにいるのか。

 だってニユは、ドンを北の島の魔人城で殺した筈である。なのに彼がここにいるとは、どういう事なのか。

 また幻豚の幻なのでは、と思ったが、それは違った。

「どうせお前は、どうしてオレが生きてるのかって思ってるんだろうよ。だったら教えてやるさ。お前はオレを殺し切れてなかったんだよ、ニユ。本当、お前の頭がお花畑で助かったぜ、ありがとよ。わははははははは」

 その言葉を聞いて、ニユは強く強く、血が滲むぐらいに唇を噛み締めた。

 どうしてあの時、ドンの死を確認しなかったのか。てっきり死んでいると思い込んで、だからこんな事になってしまったのだとしたら。

「アタシの、馬鹿!」

 叫び、エジーから飛び降りて、ニユは怒りに任せてドンを殴り付ける。しかし。

「予測済みだぜ!」

 ニユの体に回し蹴りが打ち込まれ、彼女の体が宙へと投げ出された。そこへ、飛んで来た無数の矢が襲い来る――、その時。

 広間に強い風が吹き、矢を悉く叩き落としていた。

 それと同時に、ニユは駆け寄って来たエジーに全身を叩き付ける。

 ふかふかの毛が気持ち良い。だが、そんな事を言っている場合ではなく、パッと跳ね起きた。

「また先走って。ニユは本当、馬鹿なんだから」

 怒り顔で背後のモイザが悪態を付く。が、今はそれも無視。腹を抱えて大笑いする黒髪の少年に目を向けた。

「ふは。ははは。わははは。面白いぜ、東の悪魔さんよぉ」

「バレてたのね? まあ、バレてても別に、構わないのね。これでも食らうが、良いのね!」

 風に変化していたラフレシアが、黒竜となって姿を現す。そして、尻尾を振り回し、ドンを狙った。

 だが、魔人の姿はそこになく、するりと攻撃を避けた彼が凶悪な笑みを浮かべていた。「おお怖い。でもな、オレは全部お見通しなんだぜ?」

「予知の力で、という事ね。本当に忌々しい力だわ。……訊くけどあんた、『幸神』ブライアンなの?」

 黒瞳で魔人を睨み付ける赤毛の少女の問いに、黒髪の魔人は大きく頷いた。「そうさ。オレは『幸神』ブライアンで間違いない。でもそれはオレの仮の姿だぜ。……オレの本当の名前はドン。この世界の、真の王だ!」

 しかし、魔人の堂々たる宣言に、モイザはさも面倒臭そうに溜息を吐いた。「頭がイカれてるのね。そんなあんたに言って良いかどうか分からないけど、西の悪魔はどこかしら?」

「頭イカれてるとは、小娘の癖によく言ってくれやがるな。……スノードロップの場所は教えねえよ。散れ!」

 矢が次々に飛んで来る。白山羊は身を回し、ニユは棍棒で薙ぎ払ってかわすが、あまりの多さに対応し切れない。

「分かったわ。……そろそろうちの出番のようね」

 白山羊を優雅に降り立ったモイザが、煌めく鉈を手にする。「うちが矢を避ける。だからあんたらは、攻撃をして頂戴」

「了解!」

「分かったのね!」

 宙を舞い踊る弓矢を、鉈が次から次へと切り落とす。その間にニユはエジーを走らせドンへ突進、逃げられるとラフレシアが追い討ちを掛ける。

「これもそれも、全部知ってるぜ! 言ってやろう、次、お前は針になってオレを襲うんだあ!」

 走るドンの叫び声と共に、彼のいた玉座に無数の針が突き立つ。「失敗なのね」

「でも今度は逃がさない!」

 白山羊が黒髪の少年に突っ込み、棍棒が叩き下ろされる。だが。「オレはこっちだぜ、ニユぅ!」

 背後から蹴りを喰らい、ピンクのワンピースを揺らめかせながらニユは宙を舞う。危うく玉座へ衝突しそうな所をラフレシアがキャッチ、ふわりと地面に下ろしてくれた。

「ありがとう、ラフレシア」

「どういたしましてなのね。……ニユ、モイザ、ちょっと離れててなのね。ワタクシの本気、こいつにも見せてやらなくちゃならないみたいなのね」

 頷き、エジーに跨り直したニユは、モイザと一緒に扉の前へ。

 それを視認すると、玉座の奥に陣取るドンへ、中央に佇む白髪の少女が笑い掛けた。「これでとっとと地獄へ落ちるが良いのね!」

 直後、ラフレシアの姿が消失する。そして広間中を眩い光が満たし、ニユは思わず目を閉じた。

「だぁかぁらぁ、全部全部全部全部全部全部全部っ、お見通しだって言うんだよ、このクソ悪魔ぁ!」

 確実にドンの胸を突いた筈の閃光。しかしそれは王の間の壁に鋭い穴を開けただけで、ドンには一切の負傷が見られない。健全な姿のドンは、白髪の少女の姿になったラフレシアの白い足を引っ掴み、床へ細身な体を思い切り叩き付けた。

「ぐえ」

 途端にラフレシアの頭が割れ、白髪を血が真っ赤に染める。その光景にニユは目を見開き、ただただ甲高い絶叫を上げるしかなかったが――。

「ワタクシは心臓でも抉らない限りは死なないようにできているのね」

 瞬きの後、青紫色のドレスを優美に揺らす、いつも通りの彼女が玉座の前に立っていた。

「予想はしてたが、厄介な悪魔小娘だぜ」

「それはこっちのセリフなのね、魔人」

 向かい合う二人がまた衝突。今度は炎に変化したラフレシアだが、さっとかわされてしまう。

「これならどうなのね!?」

「それも、想定済みだぜ!」

 本来なら一捻りにされる筈のドン。だがその予知能力は本物で、ラフレシアの攻撃を全て先読みしては避け続けている。

 そこへニユが割り込んでも、結局は同じ事。逆に投げ飛ばされるのだから話にならない。

 ――そんな停滞の戦いは、既に半時間程続いていた。

 ニユは無論、モイザやラフレシアも疲れが出て来ていて、ややこちらの劣勢となっている。

 棍棒で叩く。ラフレシアの鉄杭が広間を乱舞し、モイザの鉈が鮮やかに踊る。しかしその全てから逃げられ、弓矢がのべつ幕なしにこちらを襲うのだ。

「このままじゃ埒が明かない……」

 何かきっと打開策がある筈だ。なかったとしても、勝利への道をこじ開けてやる。

 ニユの頭脳が、これ以上ない程に目まぐるしく回転する。

 何かないのか。何か良い手は。何か、何か、何か、何か、何か――。

「あ、思い付いたわ」

 考え悩むニユの耳に、突然、赤毛の少女の声が届いた。

 しばらく思考が停止するが、やっと彼女の言葉の意味を理解すると、茶髪の少女は首を傾げ、茶色の目を見開いた。「えっ? 何を思い付いたの?」

 モイザは大きく頷くと、自信満々に笑った。

「簡単な事だわ。今まで分からなかったのが、不思議なぐらいに。……向こうが西の悪魔を渡すつもりがないなら、先に奪ってしまえば良いのよ」


 一方のルピナスは、王城の外で存分に楽しんでいた。

 ナイフや投石でこちらを狙って来る『教徒』達。しかしその攻撃は、ルピナスには一切通じない。

 時を止め、天高くへ飛び上がり、逃れる。

 見下ろせば白装束が城をぐるりと包囲していた。その数は数え切れない程。だが、ルピナスが本気を出せば、なんて事はないのだ。

「後で赤毛の嬢ちゃんに怒られるだろうなあ。でも仕方ねえ、腹も減ったしあの手を使うか!」

 時を動かすと、一斉に漆黒の巨鳥へと小石が投げられる。それが翼へ直撃する寸前、時を止め、地上一メートル程の位置へ舞い降りた。

「ずっと我慢してたからオイラの腹、ぺっこぺこなんだよ。ぴちぴちの嬢ちゃんがいねえみたいで残念だが、まあ良い。……じゃあ、いっただっきまーすっ」


 時を止めては攻撃を避け、時を動かしては『教徒』に食らい付く。

 口に広がる人肉の味。あまりの美味さに全身の震えが止まらない。

 以前、黒獅子を食らった時は最高だと思ったものだが、それは間違いだ。――人間の肉より美味いものは、ない。

 柔らかく、旨味がたっぷりで、少し脂っこい。特に腹肉や胸肉なんてものは絶品では言い表せない程堪らない。

「ああ、ああ、美味い。美味い美味い美味い美味い美味い美味ぁいっ!」

 次々と白装束達をしゃぶり、かぶり付き、舐め取って、口に放り込みながら、ルピナスは三百年前のかつてを思い出していた。

 遙か三百年の昔、この世界に突如、悪魔は生まれた。

 彼らはいずれも黒い体の獣で、人間の言葉を解し妖術を使う。ルピナスもその中の一匹で、『時を操る』という超常的な力を持っていた。

 東西南北の四匹の悪魔は気付けば、いつしか世界を混迷へと陥れるようになっていた。

 南の悪魔ルピナスは食欲のままに人間を食らい、傲慢な東の悪魔ラフレシアは勝手に東の小国を築いて女王気取り。強欲な北の悪魔ダフォディルは世界を手に入れようと企み、西の悪魔スノードロップは自分の幸福感を満たす為、人々の身勝手な望みを手当たり次第に叶えた。

 そうやって破滅寸前に追い込まれた王国を救ったのは、当時の王国兵団だ。

 四匹の悪魔を引っ捕らえ、東西南北に建てられた祠へ閉じ込めたのだ。

 そうして小さな石の部屋に押し込められたルピナスは、聖なる祠の特別な力により出るに出られず、長い眠りに就いたのである。

 ――それから、三百年の月日が経った。

 やっと祠から出して貰ってからも、ずっとずっと我慢して来た。しかしもう、誰にも止められない。

 三百年ぶりの血と肉の大宴会は、もう始まってしまったのだから。

「『教徒』達。オイラの尽きぬ飢餓感、満たしてくれや!」

 がぶり。がぶり。がぶり。

 口に広がる、濃厚な旨味。内臓が少し苦くて染みる。稀に女の乳房の肉を舐めると、まるで蜜のような味がする。

 止まらない。止まらない。美味い美味い美味い美味い。この世の中にこんな美味い物があるなんて。

「ああああああ、最高だあ!」

 無我夢中で人肉を食していたルピナス。だが、気が付くとあれ程大勢いた白装束達の姿は見えず、周囲には骨が散乱しているだけだった。

「ああ、終わっちまったみてえだな」

 満足感に、黒翼で腹をさすりながら巨鳥は一息。「ああ、腹一杯だ。……さあてと、嬢ちゃん達、うまくやってるかなあ」

 ゆっくりと城のてっぺんへ舞い上がり、羽を休めながら、ルピナスが案じるのはモイザ達の事だ。しかし、彼はすぐに長い首を振り、不安を拭った。

「きっと大丈夫だ。あの嬢ちゃん達、強えもんなあ。――頑張れよ、応援してるからな!」


 ラフレシアの乗る白山羊が、王の間を必死で駆けていた。

 向かうは、王の間の扉。後、たったの五歩で辿り着く。

「逃さねえ!」

 だが、黒髪の少年が扉の前に立ち塞がった。彼は稀に見る厄介な手合いだ。何もかもが先読みされてしまっている。だが――。

「ワタクシの意地、見せてやるのね!」

 瞬間、風に変化して、慢心の力で魔人を吹き倒す。その隙に扉の前へと滑り込んだエジーの上へと戻り、白髪の少女となってノブに手を掛ける。

「さ、せるかあああああ!」

「貴様なら、分かっている筈なのね。……決して、ワタクシを止められないと」

 背後から迫り来る回し蹴り。それを瞬時に生やした長い尻尾で突き飛ばすと、大扉を開いて振り返った。

「待ってるのね、ニユ。――必ず、役目を果たして来るのね!」

 手を振る茶髪の少女に笑い掛けると、ラフレシアが号令を掛ける。それに従い、利口な雌山羊は、王の間を飛び出して廊下へ走り出した。

 ――ニユとモイザの望みを背負った、奮闘劇が始まる。


 時は少し遡り、王の間での事。

「簡単な事だわ。今まで分からなかったのが、不思議なぐらいに。……向こうが西の悪魔を渡すつもりがないなら、先に奪ってしまえば良いのよ」

 モイザの提案に、他二人は目を見開いて頷いた。

 西の悪魔はきっとこの城内にいる筈なのだ。それさえ手に入れれば。「魔人の『未来が見える力』を奪う事ができる、という事なのね」

「そうよ」

 つまり、一刻も早く西の悪魔の確保が必要となる。

「なら、アタシが」

 真っ先に手を挙げたのは、やはりニユだった。

 彼女はいつでも何もかも率先して行おうとする、頼り甲斐のある少女だ。彼女に助けられた事はラフレシアも幾度となくあるが。「今度ばかりは、ワタクシは反対なのね」

「どうして!」

「今は、ニユの出番じゃないのね。ニユには、ここへ残って貰うのね。……ワタクシが行くのね。ワタクシなら、西の悪魔を倒せる。他の二人には、ここを任せるのね」

 ニユもモイザも、苦々しい顔をしている。それはそうだ、彼女達はずっと、西の悪魔を求めて旅をして来たのだから。

 しかし、今は悠長な事は言っていられないのだ。――ラフレシアには、自分なら確実に西の悪魔を倒せるという、妙な確信があった。

 茶髪の少女はしばらく考え悩んだ後、茶目に決意を灯してラフレシアを見つめた。「本当は、アタシが西の悪魔を倒したい。……でも、そんなわがままはダメだよね。分かった、ラフレシアに任せる事にするよ。お願いね」

「うちも、癪だけどあんたの方が確実だと思うから、了承してやるわ。……せいぜい頑張りなさい」

 という事で。ラフレシアは二人の期待を受け、ニユから「役に立つと思うよ」と預かったエジーと一緒に、王の間を走り出たのである。

 そして現在、彼女は王城の廊下を、ただひたすらに進んでいた。

「ああ、もう! 執拗いったら、ありゃしないのね!」

 どこから湧いて来るのか。底知れぬ数の『教徒』達を薙ぎ倒しながら、廊下の奥へ。

 と、ラフレシアの緑目に、突然異様な物が見えた。――大穴だ。

 近寄り、覗き込んでみると、それは下へと続く階段になっている。ちなみに奥は行き止まりだった。

「道筋としてはこっちで正しいみたいなのね。山羊、行くのね!」

 階段を駆け降りると、その先では一人の男が待ち構えていた。

「誰だ、おめえは。ここは地下牢だぞ。不法侵入者だなっ、殺してや」

「全部言い切る前に殺してやったのね」

 でかい体格の、恐らく牢番と思われる男を、鉄杭に変化して男の腹を刺し貫き一瞬で打ち倒し、人間に戻ったラフレシアはエジーを慎重に歩ませ、進んで行く。

 そこはどうやら男の言っていた通り地下牢らしく、左右には幾つもの檻があり、その中に尸や腐った死体が転がっていた。

「分かっていた事だけど、あいつはひどい奴なのね」

 ラフレシアが思い浮かべるのは、先程相対した『幸神』の事。

 どうやらニユに因縁のある『魔人』らしいが、詳しい事はよく知らない。でも、契約者が憎む相手は、必ず殺す。ラフレシアはそう心に誓っている。

 ――三百年前、ラフレシアは大陸の東側に小国を築いて女王様気取りでいた。

 しかし王国兵団に打ち滅ぼされ、長い間祠に閉じ籠っていた。辛かった。眠る事でなんとか誤魔化した。でもやはり、寂しかった。

 そんなラフレシアを救い上げてくれたのがニユだ。最初は敵対したものだが、契約を交わし、一緒に旅をするうちに彼女の心根の優しさを知った。

 だからラフレシアは、契約者であり、恩人であり、友達でもある彼女の一助になりたい。――その為に今、白山羊を走らせているのだ。

 永遠と思われる程長い地下牢。その片隅から声がしたような気がして、ラフレシアはエジーを止めた。「誰かいるのね?」

「た、助けて下さい!」

 若い男の声がしてそちらを見ると、地下牢の一番奥、まだ生きている青年と若い女性の姿があった。

「誰なのね、貴様達」

 白髪の少女の質問に、青年は懇願するように答えた。「私は公爵、そしてこちらが妻。もし貴方が『幸神』を滅ぼしに来ると言われていた方々なら、どうか私達を助けてくれないか。このままでは飢え死にしてしまいそうなんだ」

 確かに彼らの体はやせ細っているし、嘘を吐いている様子もない。だが、ラフレシアは少しばかり戸惑った。

 彼らなど放って置くべき時なのだ。だって今は、西の悪魔の元へと急がなければならない。

 しかし、もしニユであればどうするだろう。そう考えた途端、ラフレシアの答えは固まった。「……分かったのね。貴様達を助けてやるのね」

 体をぐにゃりと変形させ、大きなハサミになる。それで檻の鉄格子をぶった切り、公爵夫妻を助け出した。

「ありがとう。代理の国王を務めていた所、『幸神』ブライアンに王座を乗っ取られ、地下牢に閉じ込められてしまって。本当に貴方には感謝しかない。……失礼ながら、せめてお名前だけでも教えてくれないかい?」

 なんだか少し上から目線なのが気になるが、それは無視してラフレシアは笑顔で名乗り上げた。「ワタクシはラフレシア。東の悪魔にして、ニユの契約悪魔なのね!」

 そう言い終わるや否や、公爵夫妻の表情が変わる。「もしかしてそのニユという方は、男爵令嬢のニユさんですか」

「貴様達、ニユを知ってるのね?」

『悪魔』という単語に驚愕したかと思えば、『ニユ』という言葉に引っ掛かっていいるらしい。その事実に少し驚きつつ、悪魔の少女は首を傾げた。

「無論ですとも。私達、ニユさんに助けられた事があるんですよ」

 そう言って、公爵夫人はニユとの出会いを簡単に話し始めた。


「――ですから、ニユさんには大変なご恩があるんです。貴方はニユさんのお仲間だったんですね。それはそれは、重ねてお礼を申し上げます」

 本当にニユは、今も昔も変わらぬお人好しである。それはともかく、ラフレシアは公爵夫妻に向き直った。

「貴様達が、どんな人間だかは大体分かったのね。本当ならゆっくり話したい所かも知れないけど、今はそうもいかない事情があるのね。だから、貴様達には少し我慢して貰う必要があるのね。……気持ち悪いと思うけど、耐えるのね」

 直後、目を丸くする公爵夫妻の体が歪み、小さくなる。そして気付けば、金と銀の輪になっていた。

 これは無論、ラフレシアご自慢の妖術の力。人間を二人連れて行くのは大変だろうと思い、この姿に変形させた訳である。彼女は腕と足にそれぞれ輪を嵌め、小さく溜息を漏らすと、白山羊に命じた。

「時間がないのね。とびきり急いで、西の悪魔の所へ!」


 地下牢を抜け、薄暗い廊下に出た。

 カツカツと、山羊の蹄の足音だけが響き渡り、なんだかとても不気味だ。

 駆ける。駆ける。ただただ駆け続ける。きっと王の間ではニユ達が奮闘してくれている筈だ。その為に、エジーは力の限り足を前へ前へと進めていた。

「本当に、健気な山羊なのね」

 ラフレシアの小さな呟きとほとんど同時に、視界がパッと開ける。

 あまりの眩さに一瞬目を閉じ、開くと、そこは円状の広いホールだった。

 ――そしてその手前に、百人程の白装束が立ち並び、こちらを待ち構えていた。

「命知らずな反逆者め。スノードロップ様は、決して奪わせない!」

「ここで死ぬが良い、馬鹿な小娘風情が!」

 様々な罵倒、怒声が浴びせられ、小石の雨が降り注ぐ。しかしラフレシアはそんなのは一切気にせず、ただじっと奥の扉を見据え、命じていた。

「山羊、あの扉に向かって走るのね」

 それに従い、『教徒』の群れの中へとエジーは躊躇なく走り込む。

「やっつけろ!」

「刺し殺せ!」

 彼女達を包み込む怒号の嵐。しかしそれは、すぐに止んだ。

 突如、広間中の白装束が爆ぜたのだ。

 原因は単純明快。――無数の鉄杭に串刺しにされたのである。

 それを成したのは、無論の事、不敵に微笑む白髪の少女だ。「ワタクシを舐めやがった罰なのね」

 何が起きたのかと言えば、ラフレシアが己の白髪を一本だけ引き抜き、それを無数の鉄杭に変えて天井から降らせたという、かなり強引な手段で敵を皆殺しにしたという訳である。時間がないのでこの際仕方ない。

 そのままエジーは足を止める事なく扉に突進、突き破って中へ。

「結構乱暴なのね……」

 ぼやきつつ、辺りを見回すラフレシア。

 その部屋は一面真っ白な壁に覆われた、異様な場所だった。そしてその中央、佇む黒い影がある。

「私は西の悪魔、スノードロップです。ゴミクズ、私の部屋へ勝手に入って来たのですから、相当ひどい目に遭いますよ? もし今すぐお帰りになるんでしたら、私も別にそこまで惨い事はしませんが」

 そう笑うのは、一匹の黒い虎だ。黄色い瞳を殺意に輝かせ、こちらを睨んでいる。

 腕輪と足輪――、つまり公爵夫妻がぶるぶると震えている。きっと怖いのだろうが、臆病な奴には構っていられない。白髪の少女は堂々と宣言した。

「ワタクシは、東の悪魔ラフレシア。……貴様を頂戴する為に来たのね、西の悪魔!」

「ああ、東の悪魔ですか。あの、東の小国を築いて自分勝手に振る舞った、『傲慢なる女王』ですね。それが今や、世界の王であるあのお方に歯向かうまでになったと。……面白いですね、お相手をして差し上げましょう」

 ラフレシアのかつての二つ名を言ってくすくすと馬鹿にして笑いながら、スノードロップが金に輝く牙を剥く。一方のラフレシアも、手を大鎌に変えて戦闘準備は万端だ。

「行くのね!」

「捻り潰して差し上げます!」

 黒虎と白山羊が正面衝突。途端、猛烈な力で押され、エジーは軽々吹っ飛んだ。

 その瞬間、山羊の背中の上から飛び跳ねた白髪の少女が、悪魔スノードロップの頭上に降り立っていた。「頭を垂れてワタクシを嘲笑った事を謝るが良いのね、悪魔ぁ!」

 大鎌がスノードロップの首部分に振り下ろされ、鮮血を撒き散らしながら頭がごとりと落ちる。

 黒虎から飛び降り、丁度やって来たエジーの上に舞い戻ったラフレシアは得意顔だ。

「思い知ったのね?」

 しかし瞬きの後、その表情は驚愕に染まる事となる。

 もげていた筈の首が地面から浮き上がり、何故か切断部分にくっ付いて元通りになっていたのだ。「そのお言葉、そのままお返しします。……思い知りましたか? 私が他人の望みを叶えるだけの下等な悪魔だと思ったら、大間違いですよ。私は、『不死身』なのですからね」

「そ、そんな事って、ありなのね?」

 最強の悪魔ラフレシアの前に、『不死身』というあり得ない力を持つ強敵が立ちはだかっていたのであった。


「やあっ!」

 黒髪の憎き少年の頭部へと、自慢の棍棒を振り下ろす。

 普通なら命中する筈のそれ。だが――。

「当たる訳、ねえだろ! 良い加減に分かれよ!」

 ドンはそれを軽い身のこなしで避け、弓矢を放つ。

「でもそれはこっちのセリフでもあるわ」

 無数の弓矢を、モイザの鉈が一瞬にして地面へと叩き落とす。こうした平行線の戦いは、ラフレシアが王の間を出てから約十五分間、ずっと続いていた。

「これで時間稼ぎのつもりかよ? 悪いが、スノードロップは『不死身』でな。あんな小娘一人に負けるような奴じゃねえんだ。今、お前らが時間を稼いだ所で、何にもなりゃしねえよ!」

「不死身?」

 棍棒で再び攻撃を仕掛けながら、ニユが首を傾げた。

「そうさ。あいつは『不死身』なんだよ。目ん玉潰しても、首を切り落としても、心臓八つ裂きにしても、すぐ元に戻っちまう。弱点があるにはあるが、お前らに教えてやる義理はねえぜ?」

 ドンの言葉に、ニユは一瞬たじろいだ。

『不死身』。それは最強なのではないか。

 今までずっと、ラフレシアが最強と疑って来なかった。何にでも変化でき、大怪我すら治せるという万能悪魔だからだ。

 しかし『不死身』が相手となれば、いくら彼女でも勝ち目がないのでは――。

「わあっ」

 考え事をしている間に手が緩み、足蹴りを喰らって突き飛ばされてしまうニユ。壁に背中を打ち付けたが、なんとか立ち上がった。

 彼女の胸中は、白髪の少女に対する不安が渦巻いている。もし彼女が西の悪魔を手に入れられなければ、この戦いは敗する事は確実なのだ。「でも、諦めない――!」

 まだ何も終わっていない。何も約束を果たせていない。だからめげてはいられない。

 走り出し、またぶつかる。棍棒で殴り付け、大してダメージは与えられなかったものの、魔人を叩き飛ばす事ができた。

「モイザ!」

 ニユの声に従い、モイザが走り出し、地面に四肢を広げて倒れ伏すドンの前で立ち止まって美しく微笑んだ。

「意外と弱いものね。あの悪魔娘の協力がいらないくらいよ。……ここで果てなさい」

 そして煌めく鉈が、ドンの胸へ突き刺さる――、寸前。

「わははははは。油断大敵だぜ、小娘の癖に生意気だからこうなるんだぜ。はは、はは、ははははははは」

 魔人の醜い笑い声が、王の間を揺らす。

 同時に、どさ、と音を立て、赤毛の少女が地面へ崩れ落ちた。

「も、モイザ!?」

 慌てて駆け寄るニユ。魔人の傍で疼くまる彼女を見て、思わず硬直した。

「え――?」

 モイザの胸に、ナイフが突き立っている。そこからダラダラダラダラと血が溢れ出して、黄色いコートを真紅に染めて行く。

 分からない。何が起こっているのか分からない。

 絶句する。脳内に警報が鳴り響き、視界がぐらりと揺れて全身に寒気が走った。

 どうなっているのだろうか。

「も、モイザ、モイザ、モイザモイザモイザモイザ!」

 抱き寄せる。小柄だから簡単に抱え上げられた。

 その途端に腕が、ぐっしょりとした生温かい物に濡らされる。無我夢中で強く抱き締めた。そうしないと、彼女がどこかへ逃げてしまうような気がして。

 ニユの茶色の瞳から止めどなく涙が溢れ出す。滲む視界の中、赤毛の少女が力なく微笑んでいた。

「ごめん、なさい」

 それだけを言い残して――、彼女は、静かに黒瞳を閉じた。

「嫌だ、よ? 嘘、だよね。嘘、嘘だよね。目を、目を開けてよモイザ。ねえ、ねえったら……」

 答えない。いくら揺すっても、赤毛の少女は答えてくれない。そこにはただ、魔人の醜悪な笑い声が響くだけだ。

 嫌だ。信じたくない。誰か、誰か。

 もう何も失ったりしない。二度と仲間を死なせたりしない。――そう、誓った筈なのに。

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁ! 死んじゃ嫌だよ、モイザぁ!」

 喉が張り裂けんばかりの絶叫を上げ、ニユが地面に座り込んだ――、その時。

 轟音と共に大扉が突き破られ、聞き慣れた美しい声が響き渡った。「ニユ、随分と待たせたのね。きちんと役目を果たして戻って来たのね」

「ラフレシア!」

 血だらけの王の間、そこへ乱入したのは、白髪の美少女と白山羊、そして漆黒の虎であった。


『不死身』。

 一見勝ち目のないその力を知ったラフレシアだが、彼女は少しも諦めない。

 だって元々スノードロップを殺すつもりはない。ただ、少しだけ平伏させるハードルが上がっただけだ。

 敵意をギラギラと黄色の瞳に宿す漆黒の虎を睨みつけながら、ラフレシアは必死に頭を働かせた。

「いくらこいつが『不死身』でも、きっとどこかに弱点がある筈なのね」

 そうでなくてはどうして、三百年前に封印ができようか。

 それに、悪魔というのは単体で行動できるが、契約すれば様々なメリットがある。増してや『望みを叶える』悪魔が契約できない筈がないのだ。

 どこか、彼女を従える為の弱点があるに違いない。ラフレシアは、色々と試してみる事にした。

 風になって全身を舐め回す。ダメだ。風では通用しないらしい。

 人間の姿に戻り、白山羊に飛び乗って悪魔へ突進、手を金槌に変形させて目玉を叩き潰す。

「そんな攻撃、通用すると思うんですか?」

 しかしすぐに回復、前脚で蹴飛ばされ、壁に全身を打ち付ける。

「山羊、もう一度突進なのね!」

 走り、再びスノードロップと衝突。今度は背中に飛び乗って、変化させた足で悪魔の胸を切り裂き、取り出した心臓を粉微塵にした。

「ですから私は『不死身』なんですよ」

 しかし効果はなく、新たに心臓が形成されて元通りに。振り落とされないようにしっかりしがみ付きながらラフレシアは、股を裂き、背中を叩き、そして腹をくすぐってみた。

「く、く、く、くくくくくくくくくははぁ!」

 あまりにこそばゆかったのだろう、スノードロップは突然に大笑いし、大きく身を捩った。

「きゃあ!」

 急なその行動に対応し切れず、彼女の尻の方へと背中を滑り落ちる白髪の少女は咄嗟に、ブンブンと乱暴に振り回される長い尻尾を掴んだ。

 と、その瞬間、変化が起きる。

 あれ程に爆笑していたスノードロップが静かになり、ゆっくりと尻尾を地面に付けたのだ。

 そのまま掴んでいたラフレシアは地面に着地し、少し離れて悪魔に問う。「どうしたのね?」スノードロップの様子が、明らかにおかしかった。

「ご主人様、ただ今私と貴方様の契約は結ばれました」

 静かな瞳でこちらを射抜く黒虎が言った言葉に、驚くと共にラフレシアは納得する。

 つまり、尻尾が弱点だったという訳だ。彼女は尻尾を握り締められると、その相手を契約者と認定する。なんともまあ、単純かつ面倒臭い契約方法である。

「私は貴方様の奴隷です。何でも叶えて差し上げますからどうぞ、ご主人様の望みを一つ、お申し付け下さいませ」

 頭を垂れ、懇願するように言う悪魔。この時をどれ程待ち望んだか、ラフレシアは知らず、笑顔になっていた。

「じゃあ遠慮なく、命令してやるのね。……魔人ドンの『未来が見える』能力を、なくせなのね!」


 部屋を飛び出し、ホールを突っ切り地下牢を抜けて、階段を駆け上る。後は一直線に、『教徒』の死体の散乱する廊下を駆け続けるだけだ。

 走る。走る。白髪の少女と黒き虎を乗せて、ただひたすらに白山羊は走り続ける。

 急がなければ。ラフレシアの頭の中を、そんな声が木霊していた。まるでそれが分かっているかのように、エジーは速度をさらにグンと上げた。

 そして、やっと王の間への大扉が見えた――、その時。

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だあぁぁっ!」

 扉の向こうから、茶髪の少女の絶叫が聞こえた。

「山羊、扉を突き破って中へ! 急ぐのね!」

 ラフレシアの叫びに従って、エジーが扉を突き抜けて王の間へ飛び込んだ。

 振り落とされそうになるが、それを必死で堪えて茶髪の少女の方を見た。

 腕の中に小柄な少女を抱き抱えるニユは、ポロポロと茶色の瞳から涙を流し、嗚咽を漏らしていた。

 現在の危険な状況は一目で分かる。だが、もう心配はいらない。白髪の少女はエジーから降り立つと、ニユに向かって場違いな微笑を浮かべた。

「ニユ、随分と待たせたのね。きちんと役目を果たして戻って来たのね」


 時は、ラフレシアが乱入して来た直後だ。

 絶望に打ちひしがれていたその時、現れた白髪の少女を見て、ニユはまるで女神を見たような気がした。

「ちょっと見せるのね」

 そう言って、ラフレシアがニユの腕の中のモイザの胸に触れた。「ひどい傷なのね。後三分も遅れていたら、この娘の命はないところだったのね」

 瞬きの後、赤毛の少女の胸から流れ出していた血が止まる。そして胸の傷がみるみるうちに塞がり――。

 モイザが、黒瞳を開いた。「に、ゆ?」

「モイザぁ。心配したんだからねっ」

 思わず赤毛の少女を強く強く抱き締めて、ニユは嬉し涙を流さずにはいられない。「良かった。本当に良かった」

 しかし、直後彼女は、モイザに頬を叩かれる事となる。

「恥ずかしいわ。うちから離れなさい」

 平手打ちされたニユは、頬を摩りながらもモイザを放す。そしてラフレシアに向き直り、頭を下げた。「ありがとうラフレシア。本当にありがとう。……アタシまた、助けられちゃった。今、ラフレシアが女神様なんじゃないかって思ったよ」

「それ程までじゃないし、ワタクシは悪魔なのね。女神なんぞと一緒にするんじゃないのね」少し安堵したように笑い、ラフレシアとニユ、それにモイザまで巻き込んで抱き合う。

「オレを差し置いて、とんだ茶番を。……スノードロップ、やっちまえ!」

 一人だけ蚊帳の外にされたドンが激昂し、漆黒の虎にそう命じる。だが、スノードロップは首を振った。「申し訳ないのですが、生憎、私のご主人様はあの方ですので、ゴミクズの命令には従う理由がありません」

 それを聞いて、魔人がどれ程動揺していたかは、一目で分かった。目をひん剥き、顔を青ざめて、小刻みに震え出したのだ。

「……、スノードロップ。何故だ、オレの予知ではこんな筈じゃあ……。何っ、予知が使えない……?」

「そうなのね。貴様の予知能力を消してやったのね。これで貴様は、ただの醜悪な人間に過ぎないのね」

 分かっていた事だが、やはりラフレシアはうまくやってくれたという事だ。これで漸く。

『偽神』否、魔人を――、ドンを、倒せる。

「トドメだよ、ドン!」

 叫んだ瞬間、ニユとモイザが同時に襲い掛かっていた。

「待ってくれ。オレはただ、王に……。くそ、オレの復讐劇があああああぁぁぁぁぁ」

 鉈が鮮やかに下半身を切り落とし、棍棒が絶叫を上げるドンの頭半分を叩き潰した。

 飛び散る血。地面へ崩れ落ちた魔人は、最後にニユを睨み付けて――。

「呪って、やる」と漏らし、四肢をだらんと伸ばした。

 そして、彼はもう二度と起き上がる事はなかったのであった。


「……。終わったんだね」

 血塗れの王の間で座り込み、ニユは吐息しながらそう呟いた。

 本当に、長い長い戦いだった。

 何度、涙を流し、幾度、傷付いた事だろうか。でもそれが、漸く終わりを告げたのだ。

「そうね、とても長かったわ。でもやっと、ね」

 そうだ。そうだった。モイザの言葉である大事な事を思い出し、ニユは知らず、とびきりの笑顔を浮かべた。


「やっと、望みが叶えられるんだね」

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