三 魔人と西の悪魔
王様に、なりたい。
それが、魔人ドンがずっと抱いている夢である。
自由になりたかった。みんなに平伏して欲しかった。自分がこの世で一番、偉くなりたかった。
でも、第三王子だったドンには、王位継承権などない。
だから彼は一度、北の悪魔の力を用いて王族を皆殺しにし、王の座を勝ち取った。
今までになく幸せだった。世界を手に入れられたという満足感。誰よりも強いのだという優越感。
なのに、それは長く続かなかった。
愚かしい娘が、北の島の城へとやって来たのだ。茶髪に茶色い瞳、大柄で、物騒ないかつい棍棒を手にした小娘。
何が、間違っていたのだろうか。
順調に打ちのめせていた筈だ。ただ一つだけ過ちがあったとすれば、相棒の契約悪魔ダフォディルが、小娘に契約を持ち掛けた事だ。
あれから、調子が狂った。
もう少しで乗りそうだったのに、突如、瞳に戦意を燃えたぎらせて、こちらへ再び襲い掛かって来た。
段違いな強さ。でもドンは、負ける気がしていなかった。
掌の上で、黒い亀――、頼りの契約悪魔を潰されるまでは。
それからはもう、怒りであまりよく覚えていない。
だが気が付いた時には、胸に少女が投じた包丁が突き刺さり、耐え難い激痛が全身を駆け巡っていた。
後悔。屈辱。無念。悲哀。様々な感情がドンの胸を焼く中、身悶える彼を見下ろす少女が言ったのだ。
「最後に、アタシの名前を教えてあげよっか。アタシはニユ。ドッゼル王国男爵令嬢にして、ケビンの愛しの人!」
兄貴の、恋人かよ。
その時、ドンは心に誓ったのだ。
「必ず……、必ず復讐してやるから……、待ってろよ、化け物娘」
次会う時は、絶対に殺してやる、と。
そして、ドンの意識は闇に落ちた。
目が覚めると、ドンは瓦礫の中に埋まっていた。
重い。重くて体が押し潰されそうだ。
なんとか石板を跳ね除け掻き分けて脱出し、周囲を見回すと、そこには残骸しかなかった。
あった筈の城はなく、粉々に砕けたその残り滓だけが散乱しているだけで、そこにはもう何もなかったのである。
今まで築いて来た物を、全て失ってしまったのだ。
でも、ドンは一つだけ幸いな事に気付いた。――、自分の命があるという事に。
復讐してやるなどと言ったものの、生きて目覚められるなんて思ってもいなかったから、ドンにとっては大きな吉報だった。
「とにかく……、ここから抜き出さなきゃな」
胸には穴が開き、掌が潰れ、全身血だらけだ。しかし命を拾っておいて今更死ぬ気にはなれず、ドンはひたすらに逃げ始めた。
残骸の他は何もない、極寒の島を離れて洞窟を行く。まともに歩けるような体ではなかったが、ただただ必死だった。
やっと洞窟を抜け、雪山スノーマウンテンへ出たのは、それから十日後の事。
それからは凍るような寒さの中、夢中で這い進んだ。その姿は惨めで、哀れだとドン自身も思う。いっそ、死んでやろうかとも思った。でも彼は、まだ諦めていないのだ。
王様になるという夢を。
雪山を死ぬ思いで這いずり抜け、近隣の村へ辿り着く。「お兄ちゃん、大丈夫?」そこで親切な少年と出会い、治療して貰った。
胸の穴を塞いで貰い、しばらく休むと、体は随分と良くなった。ずっとここに定住したいとドンは思ったが、でも旅立たなくてはならない場所があった。
少年に別れを告げ、街から街へ、金がないので食べ物などの盗みを繰り返しながら、西へ行く。
どれ程時間がかかったのだろう。街を行き、砂漠を渡って見えたのは、西の森というドンが目指していた森だった。
しかし、森のすぐ手前で魔獣が待ち構えていた。黒い獅子だ。前のドンなら楽勝だったが、ニユとの戦いの後遺症が残る今のドンでは無理だ。
走って、走って、ただひたすらに逃げた。しばらくは追い掛けて来た黒獅子も、やがてドンの姿を見失ったようで、ドンはこっそりと西の森の中へ。
歩き、歩き、歩いた。疲れた。胸が痛い。でも、足を止める事はなかった。
だってこの先に必ず、悪魔がいる。――念願の西の悪魔がいるのだ。
ドンが何故、この森に西の悪魔がいると知ったのか。それは無論、北の悪魔ダフォディルから聞いた話からである。
「兄弟、知ってるか? この世界にはな、俺様以外にも悪魔っつうのがいるんだぜ。俺様は北の悪魔だが、他に東、南、西がいるらしい。まあ、俺様も三百年前にちらっと顔合わせただけだがよ。三百年前は、みんな大暴れしてたんだぜ? その中でも強かったのは、多分俺様だけどな、がはははははははは」
ダフォディルなんか糞食らえだ。口ばかりでかくて、でも実際はあんな小娘に負けてやがる。
でも彼の情報は非常に役に立った。ドンは他の悪魔の存在を知っていたからこそ、生きるのを、夢を諦めなかったのだから。
石の門が見え、ドンは足を止めた。その先の下、そこは奈落だ。でもきっと、この先に。
ドンは次の瞬間、思い切って崖から飛び降りていた。
落ちる、落ちる、落ちる――。
ぼちゃん。
全身に生ぬるい水の感触を受けて周囲を見渡してみれば、そこは湖。
そして湖で囲まれた中央に緑の小島があり、その上に石の祠が見えた。
無我夢中で、湖を小島へと泳いで行く。やっとだ、やっとだ、やっとだ、やっとだ。
祠の石扉を開くと、中で待ち構えていたのは漆黒の虎だった。
「私は西の悪魔、スノードロップです。……、私を起こしたゴミクズは、貴方ですか。分かりました。私の安眠の為、私は貴方を永眠へ導きます。――良い旅を」
そこからは、スノードロップとの熾烈な戦いが始まった。向こうは牙や爪でこちらに傷を付けるのに、こちらの武器は小さな弓だけ。
思い切り引いて、放つ。体に残る傷のせいで、弓を引く度に全身が悲鳴を上げる。放つ。放つ。放つ。放つ。
ダメだ。もうすぐ背中へ金色に輝く牙が届く――、その時。
ぶんと振り回された黒く美しい悪魔の尻尾を、たまたま掴んでいた。
その瞬間、何故か漆黒の虎の黄色い瞳から、戦意が失せる。そして悪魔は頭を垂れて言った。「完敗です、我がご主人様」
訳が分からない。ほんの先程まで、劣勢だった筈なのに、どうしてご主人様呼ばわりされるのか。
「私の弱点は尻尾なのです。尻尾を掴まれた時点で、私の負けですよ。……契約を、しましょう」
つまり、これで戦いが終わり、ドンの勝利が確定したという事らしい。
西の悪魔と魔人が固く手を繋ぐ。
「オレは、ドッゼル王国第三王子――、そしてこの世界の王となる男、ドンだぜ!」
「私は西の悪魔、『望みを叶える』力使いのスノードロップです!」
祠中に光が満ちて、契約が交わされる。
ちなみに重要な契約内容は、ドンが『未来が見える力』を得る代わりに、スノードロップと仲良くする事。
同しえt『未来が見える力』を欲しがったのかと言えば、ただ王になるだけでは、また打ち滅ぼされてしまうかも知れないからだ。それを事前に知っていれば、国王の地位は確固たるものとなる。
その望みは叶えられ、ドンは未来が見えるようになった。
後は思惑通りだった。
まず『幸神教』という宗教を築く。『幸神』ブライアンとして、『未来が見える力』で民衆を虜にし、あっという間に国王代理の公爵に代わり、真の王となる事ができた。
再び浸る優越感、満足感。しかしまだ油断してはならない。――もうすぐ敵がやって来る、そう予知に出ていたからだ。
そして。
大扉が開き、白山羊に跨る少女達が現れた。その先頭に乗るのは、茶髪の大柄な少女だ。
ついに、あの小娘が、ドンの仇が自ずからのこのこと訪れてくれたのだ。魔人の口から、思わず笑いが溢れる。
「ふふふ、ふは、はははは。や、やっと来てくれたねえ。僕は『幸神』ブライアン。よろしく。ふふ、は、はは、わははは」
笑いが止まらない。手が震える。興奮に高まる鼓動を抑え切れない。笑い、笑い、嗤う。
「で、でも、君達はここで死ぬんだ。愚かしいねえ。ふははは、はは」そしてドンは、憎々しい少女の名を呼んだ。「君が望む未来は来ないよ、ニユ」
茶髪の少女が、目を見開く。その顔がなんとも堪らず、笑い転げながらローブを脱ぎ、正体を晒した。
「僕は君の名を知ってて当然なのさ。……、オレを殺し切れたとでも思ってたのかよ? 本当、兄貴とお似合いの、馬鹿な小娘だぜ」
「ドン――!?」
今度こそあの少女の顔を絶望に歪め、痛め付けながら殺してやるのだ。
黒髪の少年は嗤う。藍色の瞳を嬉々と輝かせ、弓を構えた。
さあここから、ドンの復讐劇を始めよう。――魔人が、永遠の王となる為に。




