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二 西の森

 鳥の囀りがし、あちらこちらには甘そうな果実が実っている。

 広葉樹が所狭しと並ぶ深い深い森の中を、エジーに跨ってニユ達は進んでいた。

「ああもう。やっぱりこの山羊、乗り心地最悪だわ」

 背後に座るモイザが、またぶつぶつと文句を言っている。森の木々がある為ルピナスが空を飛べず、よって彼女は苦手な白山羊に乗らざるを得なかったのだ。

「……良い加減うるさいのね。それより問題は、西の悪魔の祠がどこにあるかなのね」

 文句にうんざりした様子で尋ねるラフレシアに、地図を覗き込んでモイザが答える。

「きっと、このまま進めば良いわ。地図で言うと大陸最西端、この森の奥にある筈だもの」

「じゃあエジー、真っ直ぐね!」

 朝早く、一行を乗せて森へ飛び込んだエジーは、既に二時間程この木ばかりの砂漠の中の大森林を駆け続けている。しかしどれ程広いのか、まだ祠らしき影は見当たらない。

 本当にあるのだろうか。そんな事が胸中に不安として渦巻くが、きっと大丈夫だと赤いリボンを揺らし被りを振って、ニユはその考えを振り切った。


 ただひたすらに西へと進む事、約一時間。

「あーあ。オイラ疲れちまったよ。空をビュビューンと飛べたら良いのになあ。山羊なんてとろくさくてたまらねえよ」

 ルピナスの愚痴を聞いていると、突然、ニユ達の目に、異様な物体が飛び込んで来た。

 ニユは思わず息を呑み、茶色の瞳を見開かずにはいられない。

 それは。「――石の門?」

 巨岩を積み上げて作られた石の門だ。その入り口からは、なんと真っ白な濃霧が吹き出している。

「……どうするのね? この先、何か嫌な感じがするのね。進むのね?」

 緑色の瞳に少しばかり不安げな色を灯すラフレシアの問いに、だが、答えるニユに迷いはない。「うん。行こう」

 だって、この先には必ず『望みを叶える』悪魔がいる筈なのだから。

 白山羊が、正面の霧へ向かって駆け出した――、その時。

 突如、ニユを、否、全員を浮遊感が襲った。

 そして。

「うわあっ!」

「落ちるわ!」

「きゃああああ!」

「何だよこりゃあ!」

 悲鳴が重なり、みんな揃ってどこかへ落下して行く。

 瞬間にニユは理解した。エジーが足を踏み外したのだと。――つまり霧の向こう、地面がなかったのだ。

 真っ白の中を落ちて、落ちて、落ちる……。

 こんな所で死にたくないな、と思いながら、ニユは意識を失った。


 目が覚めると、辺りは一面の濃霧に包まれていた。

「どうして、こんな所に……」

 寝起きでぼんやりする頭を動かして、ニユは記憶をたぐり寄せる。

「そうだ! アタシ、みんなと一緒に落ちて、それで」

 落ちる途中で意識が暗転した。

 思い出したと同時に、ニユは気付く。――今、自分が水に浮いている事に。

 背中の下、生温かい水の感触がある。短い茶髪やピンクのワンピース、背負い鞄は水でびしょ濡れである。

「あっ。そうだ、みんなは?」

 そういえば仲間達の姿が見当たらない。きっと近くにいると思い、彼女は大声で叫んだ。

「モイザ! ラフレシア! ルピナス! エジー!」

 しかし誰からも答えはない。漸く全てを理解し、ニユは愕然とせざるを得なかった。

 この濃霧の中、仲間と逸れてしまったのだ。

 それに加え、この水溜りがどこかも分からない。川なのか、海なのか、池なのか。

「どうしよう……」

 呟いて、ニユは頭を抱え込みたくなる。

 分からない。どうすれば良いのかも、仲間がどこにいるのかも、どうしてこうなってしまったのかも、分からない。

 でも、悩んでも意味はないのだ。今、ニユができる行動は一つだけ。「みんなを探すしかない。だから」

 その為に、まず、地面に足を付けなくてはならない。

 もがいて、もがいて、もがく。手足をバタバタさせ、水を蹴り上げ、そして――。

 体が水に沈み始めた。

 一瞬、息ができなくなる。でも堪え、岩らしき地面に足が付いた瞬間、頭を突き出した。

「ぷはー、ぷはー」

 やっと立てたニユは、大きく深呼吸を繰り返しながら周囲を見回す。

 やはり、見渡す限りの霧景色だ。ただ、彼方、何かの影があった。

「モイザ達かも! 行かなきゃ!」

 胸までの水を掻き分け、影の方へ走り出す。足が重い。走る。水飛沫が目に入る。構わない、走り、走り、走り続ける。

 そして。「やっと見つけたのね。心配したのね、ニユ」ここ数日ですっかり聞き慣れた、少女の美しい声が聞こえた。

「ラフレシア!」

 思わず叫び、少女の影へ飛び付いた瞬間だった。

 ニユの腹部に、鉤爪が突き立てられていたのだ。

 激痛が走り、視界が赤く染まる。何が起きたか理解できない。痛い。腹から噴き出す血。足から力が抜けて、水の中に崩れ落ちる。

 正面、白髪の少女がこちらを見下ろし、嘲笑っていた。

「愚かな小娘なのね。すぐ騙されてやがって。貴様達がここへ来るのは分かっていたのね。とりあえず、恐ろしい貴様から始末できたのは良かったのね。この調子で、他の奴らも殺すのね。きっとあの方から褒めて頂けるのね」

「らふ、れしあ……」

「無様なのね。ははっ。何も知らず、死ぬが良いのね」

 何故。何故。ニユの脳内を、無理解の嵐が狂い踊る。それと同時に親しい仲間達の顔が次々と浮かんだ。

 ケビン、グリアム、ルーマー、エジー、モイザ、ルピナス、そして。

 ラフレシア。

 全身に力が入らない。茶色の瞳から一粒、涙が流れ落ちた、その時。

「ワタクシの姿で、ニユに何をしてくれたのね、偽物」

 霞んで行くニユの意識に、再び美声が割り込んで来た。

 しかしそれは正面の少女からではない。背後から、聞こえた。

「だ、誰なのね?」正面の少女がたじろぐ。

「ワタクシは、ニユの契約悪魔、ラフレシアなのね! 偽物、八つ裂きにして、火炙りにしてやるのね!」

 そんな叫びを聞きながら、ニユの意識は再び闇に落ち……。

 なかった。

 背後から、誰かに触れられる。途端に腹の痛みが引き、水を真っ赤に染めていた血が止まった。「え……?」

 思わず振り返ったニユは、驚愕に息を呑んだ。

 そこに、青紫色のドレスを揺らす、白髪の美少女が立っていたからだ。

「ラフレシア……?」

「ニユ、危ない所だったのね。せいぜいワタクシに感謝するが良いのね」

 そう胸を張る少女は、確かにラフレシアである。しかしおかし過ぎる。では正面の少女は一体何者なのか。

「あ」

 思い至り、あまりの自分の馬鹿さに、ニユは小さく声を漏らした。

 こんな事が、以前にもあったではないか。

 それは、王都での事だ。

 ケビンとグリアムと一緒に王城へ行き、そして国王と出会った。

 しかし息子であったケビンさえ疑わなかったそれは偽物で、実は、幻豚という魔獣だったのだ。

 これで、全て合点が行く。

 この得体の知れない濃霧。そして、ラフレシアが二人いるという奇怪な事実。

 全部、幻豚が作り出した幻――、ただし、背後の少女だけは別だ。

 ニユの胸になんだか勇気が湧いて来た。背負い鞄から棍棒を抜き出すと、彼女はにっこりと微笑む。「ありがとう、ラフレシア」

「……、今はあいつを倒す事が一番なのね。さあ、行くのね!」


「ここ、どこなのよ……」

 モイザは濃い霧の中を、溜息を吐きながら進んでいた。

 胸上まで水に浸かり、歩きにくくてとても不快だ。

 だが。「それより不快なのは……」

 隣を飛ぶルピナスの、なんとも気持ちの悪い視線だった。

「何見てるのよ。その汚らしい目で、うちを汚さないで頂戴」

「汚らしいとか汚らわしいとか言うなよ! てか、オイラは嬢ちゃんを可愛いなあ、食べたいなあ、って思ってるだけ……、ぐえ」

「うるさいわ。そんな口を叩いたら、殺すわよ」

「へいへい」

 本当に、この悪魔はどうにも腹が立つ。

「こんな奴と二人きりなんて、とんだ災難にあったものだわ。……それもこれも、この山羊のせいよ」

 モイザ達を先導して歩くエジーに毒づくものの、当の本人は聞いてなどいない。モイザはやるせなさに大きく溜息を吐くしかなかった。

 エジーが足を踏み外し、霧の中へ転落した後の話だ。

 生温かい水に全身を打ち付け、痛みを堪えながらなんとか立ち上がって見れば、周囲は見渡す限りの濃霧だった。

 そしてすぐ近くの水面に浮いていたエジーとルピナスを見つけてしまったという訳だ。

 だが、ニユとラフレシアはすぐ傍には見当たらなかった。

 それで今、ニユ達を探して、好きでもない悪魔と山羊と一緒に行動する羽目になっている訳である。

 また、溜息が漏れた。

「嬢ちゃん、何浮かない顔してるんだい? 可愛い顔が台なしだぜ?」

「うるさい。鬱陶しいから黙ってて頂戴。できれば消えて欲しいわ」

「辛辣だなあ!」

 エジーは迷わず先を行く。恐らくニユの匂いを辿っているのだろうと思われるが、本当にあっているのだろうかと、モイザは不安でならなかった。

「早くニユらを見つけて、西の悪魔の所へ行かなきゃならないのに」

 すぐそこの筈なのに、念願の悪魔は遠のくばかりだ。時間が経てば経つ程、妹の病気は悪くなるというのに。

「……オリー」

 愛しい妹の名を、モイザは思わず呟いた。

 黒瞳に涙が浮かぶ。オリーと、早く会いたいのに。

 どうしてこんな所で、悪魔と山羊と戯れなくてはならないのだ。

 と、突然声がした。

「泣いてるの? ああら、可哀想に。でも、もうすぐ楽になるわ。ほほほ」

 見ると正面に異様な人影がある。それを睨み付け、モイザは鉈を構えた。「……誰よ?」

「私は人魚、ルル。ある方の命令で貴方達を殺しに来たの。ふふ、まず貴方からね。可愛いお嬢さん」

 そう淑やかに女が――、否、下半身に足の代わりに漆黒の鱗で覆われた尾が付いている人魚が、血の色の笑みを浮かべた。


 巨大な漆黒のドラゴンに変化した幻豚が、こちらへ牙を向けて来る。しかし。

「全部、見た目だけなのね!」 

 次の瞬間、その全身を、ラフレシアが変化した業火が焼き焦がしていた。

「うがあああああああ」獣の絶叫が轟く。

「それで約束通り、ボコボコにしてあげるね」

 叫ぶ幻豚へ、ニユが思い切り棍棒を振り下ろした。

 濃霧の中に朱色の血が舞い散り、頭を潰された魔獣ががく、と水の中に沈み落ちた。

「意外と弱かったのね」

 かくして戦いは一瞬にして決着が着いたのである。

「ふぅ。……あ」

 安堵に大きく息を吐き、顔を上げたニユは思わず目を見開いた。

 何故なら霧だらけだった景色が晴れ、一面の青い湖が広がっていたからだ。

「綺麗……」

「綺麗なのね」

 見渡す限りの美しい湖、その周囲は崖に囲まれ、遥か上には潜って来た石の門が見える。

 そして、湖の中央に緑の小島が浮かんでおり――。

 その上に、石の祠が建てられていた。

「きっとあそこに、西の悪魔がいるのね」

 ラフレシアがそう呟いた直後だった。

「嬢ちゃん達っ。大変だ、嬢ちゃんが、赤毛の嬢ちゃんがっ」

 漆黒の巨鳥が慌てて飛んで来て、開口一番そう叫んだのだ。

「どういう事、ルピナス?」

 あまりの彼の取り乱し様に、他の事などすっかり忘れてニユが首を傾げる。

 何か良くない予感がした。

 そして、悪い予感というものは大抵命中するのだ。この時も例外ではなかった。

「……赤毛の嬢ちゃんが、狂っちまったんだよう」


 その場に駆け付けたニユは、その光景を目にして呆然とする他なかった。

 だらんと四肢を垂らした赤毛の少女が、笑っているのだ。

「ふふ、ふは、ははははははは」

 歪んだ笑みを浮かべながら、激しくかぶりを振っている。その黒い瞳は狂気的で、ギラギラと光っていた。

 普通じゃない。普段の彼女を知っている人間なら、誰でも一目でそうと分かる異常さだった。

「モイザ、どうしたの?」

 問い掛けるニユ。だが、モイザからの答えはない。

 代わりに、ねっとりした女の声がした。

「あら。仲間のお嬢さん達ね。探しに行く手間が省けたわ。ほほほ。そんなに怖がらなくて良いのよ、私は人魚のルル。貴方達も、この赤毛のお嬢さんとおんなじにしてあげる」

 モイザの向こう、そこに女の――、否、金髪を揺らす美しい人魚の姿がある。

 嗤う人魚へ最初に突っかかって行くのは、白髪の少女だ。「貴様が、この小娘をこんな風にしたのね?」

「そうよ。可愛いお嬢さん。貴方、やっちまいなさい」

 人魚がそう言うなり、モイザが立ち上がる。その手にはいつもの鉈を持っており、彼女はゆっくりとそれをこちらへ向けた。

「……モイザ!」

「ニユ、危ないのね!」

 走り、切り掛かって来る赤毛の少女。立ちすくむニユの手を、ラフレシアが引っ張ってなんとか避けた。

 再び突進して来るモイザ。

「執拗いのね!」

 ラフレシアが突き飛ばす。だがモイザは怯む様子がなく、だらしなく笑いながらこちらに走って来るばかりだ。

「どうしちゃったの? モイザ、しっかりしてよ!」

 棍棒で彼女の鉈を受け止め、ニユが叫ぶ。

 だがそんな問いに狂った少女が答える筈もなく、無遠慮に茶髪の少女を蹴り飛ばした。

 宙を舞いながら、ニユは唇を噛む。

 なんと厄介な相手なのだろう。

 もし彼女が敵であれば、一瞬で叩き潰せば良いだけの話。でもそれがモイザだから、困り物なのだ。

 狂っていながら彼女の鉈捌きは衰えるどころか磨きがかかっている。そんなのを相手にして、だがこちらは向こうを傷付けられない。

「どうして……」

 どうして、モイザと戦わなくてはならないのだろうか。

 水に全身を打ち付け、口の中に生ぬるい水が沢山入って来てむせ返る。

 そこへ、赤毛の少女の狂った視線が突き刺さり、ニユの喉に鉈が向けられていた。

「も、いざ……」

 目を閉じ、一瞬死を覚悟した――、その時。

「嬢ちゃん、悪いがオイラが相手だ。存分に舐め回してやるぜ」

 ニユの耳に、漆黒の巨鳥の声が届き、目を開けるとモイザの手の武器が悪魔に咥えられていた。

「ルピナス!」嬉しさに、ニユは思わず叫んでしまった。

「嬢ちゃん、今のうちに逃げてろ。人魚を倒せ!」

「分かった!」

 茶髪の少女は悪魔の言う通りに赤毛の少女から離れ、人魚の元へ。

「……は、ははは」

 背後からモイザの掠れた笑い声が響き、契約悪魔と契約者の戦いが始まっていた。

 一方人魚の目の前までやって来たニユ。彼女は鋭く人魚ルルを睨み付けた。「許さないよ、亜人! どうして亜人がここにいるの!?」

 ニユはずっと、おかしいと思っていたのだ。

 砂漠に黒獅子がいた理由はよく分かる。あれは西の悪魔を守る為に配置された、魔獣だ。

 しかし幻豚がいたのは不自然だ。加えて、目の前の人魚。

 人魚というのは亜人の一種であろう。ニユは今まで、人鳥、人狼、魚人、人馬人、そして蛇女と戦った事がある。

 しかしそれは全部、一度目の旅のドンの城での事。……ドンと北の悪魔が死んだ今、いる筈がないのである。なのに、現に今、人魚が笑っているのだから信じるしかない。

 これは一体、どういう事なのか。

「どういう事かしらね? でもお嬢さん、貴方には関係ないのよ。あちらのお嬢さんみたいに、すぐに楽になるんだから」

「うるさいっ! 亜人なんだったら、死ね!」思わず暴言を吐いて、ニユは人魚へ棍棒を叩き付けた。

 だって、亜人に仲間を二人も殺された事があるのだ。同じ亜人を、それもモイザを狂わせた亜人を、許せる筈がない。

 確かに届いた棍棒――。だがそれを、人魚は硬い鱗に覆われた尾で受け止めた。そしてにっこり笑うと、突然、歌い出したのだ。

 人魚ルルの歌声は、とても美しかった。しかし。

「うわあああああ」

 直後、ニユの脳内を、激痛が荒れ狂った。

 頭が痛い。掻き乱される。アタシは。死ぬ。痛い。ここは。ニユ。助けて。痛い。ぐあああああああ。暑い。熱い。寒い。楽しい。苦しい。悲しい。溢れる程に。ケビン。愛してる。だから。ああ。モイザ。

 歌が呪いのように突き刺さり、頭を掻き回す。どんどん意識が遠のき……。

「ニユ!」

 白髪の少女の声がし、頭を割らんばかりに吹き荒れていた激痛の嵐が、突如、止んだ。

「……?」

 何が起こったのかと見回してみれば、ラフレシアの姿はない。代わりに、いつの間にか耳当てがされていた。

「あの歌は呪いの歌なのね。聞くときっと、狂ってしまうのね」

 耳当てからの声に、ニユは頷いた。

 あれがモイザが狂った理由――、歌声が脳を掻き乱し、白痴にするに違いない。

 ニユも危ない所だった。「ありがとう、ラフレシア」

「当然なのね。契約悪魔は、契約者を守る義務があるのね」

 正面、人魚が何やら言っているが、全然聞こえない。聞く必要すらない、戯言だろう。

「トドメだよ――!」

 棍棒が振り上げられ、避け切れずに人魚の肩が爆ぜる。しかしニユは一切手を緩めない。尾を叩き潰し、胴に穴を開け、頭を激しく割った。

 耳当て越しにも聞こえる悲鳴が、湖面を揺らしながら、やがて消えて行った。


 赤毛の少女が目を開いたのを見て、ニユは心底安堵した。「良かった、起きたんだね」

「……ニユ。ここは……? うちは、一体?」

 どうやら何も覚えていないらしい。でも、正気に戻ったようで何よりだ。

「あのね」

 ニユが簡単に事情を説明すると、モイザは顔を真っ赤にして狼狽えた。「嘘っ。うちがそんな事……。ご、ごめんなさい」

 そんないつもと違う彼女の狼狽気味の反応を見て、思わず噴き出すニユ。「だ、大丈夫だよ。怒ってないから。悪いのは、あの人魚でしょ。……それにしてもどうして、亜人がいたのかな」

 その疑問は拭えないままだ。気になるのは気になるのだが――。

「ニユ。そんな事より、早く祠へ行くのね」

 ラフレシアの言葉で、茶髪の少女は、すっかり忘れていた西の悪魔の存在を思い出した。「あっ、そうだった。日暮れも近いし急がなくちゃ!」

 普段の落ち着きを一瞬で取り戻したモイザも頷く。「そうね。……疲れたけれど、頑張りましょう」

 今まで遠くでじっとしていたエジーを呼び寄せて跨り、一行は湖を渡って緑の小島へ上陸、石の祠の前に立った。

「西の悪魔かあ。でも、オイラがいればどんな奴でも心配いらねえぜ!」漆黒の翼を広げるルピナスが、自信満々に叫ぶ。

 この中に、念願の『望みを叶える』悪魔がいるに違いない。

 山を越え、街を渡り、悪魔達と仲間になって、砂漠を進んで来た長い長い困難続きだった旅が、やっと報われるのだ。そう思うと、ニユの心には何の迷いもなかった。絶対に悪魔を手に入れてやる。

「――じゃあ、開けるよ」

 勝気に笑うニユに、他三人は一様に頷く。お留守番の愛山羊は、静かに見送ってくれていた。

 次の瞬間、ギギギ、と音を立てて石扉が開かれる。

 そして暗い祠の中、目を凝らしたニユは、「え?」と呟き、大きく首を傾げる。

 ――何故なら、そこに何もなかったからだ。

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