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一 ショドリー砂漠

 西への旅は、比較的穏やかだった。

 街から街へ、村から村へ。日の出から日没まで、脇目も振らずに進んで行く。

 道中、少し妙な出来事を挙げるとすれば、とある村での事だろう。

 日没間近、その小さな村で宿泊しようと寄った時の話だ。

 その村の光景を見て、ニユは思わず言葉を失った。

 村一面に散乱するのは、人間の死体だ。胸から血を流していたり、首から下がなかったり、時には頭やらが潰れていたり。そんな凄惨な死体が、村のあちらこちらに転がっていたのだ。

 生き残りは、誰一人いなかった。

「何だろうこれ……。変な動物にでも襲われたのかな、例えば魔獣とか」

 ニユが小声でそう呟くと、背後のラフレシアは首を振った。「そんな筈ないのね。もしそうなら、死体が食われている筈なのね。でもこの死体には、そんな形跡が一切ないのね」

 確かに彼女の言う通りだ。「じゃあ、どうして」

 上空を飛ぶルピナスから舞い降りて来たモイザがその村をぐるりと見回すなり、黒瞳を伏せて溜息を漏らした。「うち、良くない予感がするわ」

「良くない予感って、何?」

 小首を傾げるニユに、モイザは何かを言おうとしたが――。

「何景気悪い顔してんだよ、嬢ちゃん達。さっさと行こうぜ」

 ルピナスに遮られてしまった。

「そうなのね。ここがこんな風になった原因は分からないけど、ワタクシ達は急がなきゃならないのね。気を取られていても、何も始まらないのね」

 ラフレシアまで急かすので、ニユは胸中の疑問の嵐を引っ込める。そしてそのまま、次の町へと向かったのだった。

 だが確かに、不穏の影は近付きつつあった。


 それ以外には特に何もなく、南大橋から十五日をかけて辿り着いたのは、大陸西部、ショドリー砂漠という極暑で有名な地だ。

 見渡す限りの砂、砂、砂の山。青空に輝く太陽が砂漠を容赦なく照らし、ニユの小麦色の肌を焼き焦がしている。

 辺りには熱風が吹き荒れ、息をするのすら苦しいぐらいの暑さだ。

「暑いなあ。……ねえモイザ。ここを抜ければ、目的地なんだよね?」

「そうよ。この先、まだ見えないけど森があるわ。そこに、西の悪魔はいる筈よ」

 この砂漠の向こうに森があるなんて信じられないが、地図に書いてあるのだからそうなのだろう。

「さあ、行くよ」

 エジーが広大な砂の海へと駆け出す。

 モイザは上空三メートルを飛ぶルピナスにしがみ付き、「遅いわよ」とかなんとか文句を言いながら、悪魔を完全に操っていた。

 砂漠はまるで、歩いても歩いても進んでいないかのように思える。

 既に三時間程走り続けているのに景色が変わらない。なのに昼へ向かって極暑がさらに厳しくなっており、ニユのピンクのワンピースが汗でびちょ濡れだ。

「まあ、血で汚れるよりはマシだけど」

 そんな事より大変なのは、エジーだろう。

 暑さに耐えかね、音を上げる白山羊を宥め、水を飲ませながら進む。それでも全身がまるで炎に炙られているようで、エジーはもうヘトヘトだった。

 しかし悪魔達は良い気なもので、ラフレシアなど手の一部を扇に変えて自分を仰いでいるし、ルピナスなんか気持ち良さそうに飛んでいる。

「……良いなあ。はぁ、暑い。これ、いつまで続くんだろう」

「そうね。二日ぐらいかしら」

 平然としてモイザが答えた言葉に、ニユは仰天。「後二日も!?」

 そんな期間、この猛暑に耐え続けなければならないのか。

「これぐらい大した事ないわ。今は昼間だから良いけれど、夜になれば極寒になるわ。気を付けなさい」

 流石西方の村娘、砂漠についてもよく知っているらしい。

 夜に寒くなるというのも困り物だ。一応、まだ雪山で使ったコートがあるから大丈夫だとは思うが。

 それから半日、日が暮れるまで進み続けても、ほとんど景色は変わらない。この砂漠が無限に続くのではないかと想像するニユだが、「明後日になれば森が見えるわ」と、モイザは言ってそれを否定した。


 確かに夜は極寒だった。北の雪山、スノーマウンテンに負けず劣らずの寒さだ。昼間の暑さもあって、かなりきつかった。

 だが幸いなのは、ラフレシアが砂を変形させてドームを作ってくれた事だろうか。直接冷たい風を浴びずに済み、随分と助かった。

 同じく砂で作った簡易ベッドに横になりながら、ニユは溜息を漏らす。

「本当に、明日が思いやられるなあ」

 この極暑と極寒の繰り返し、体がいつまで耐えられるだろうかと不安になる。

 だが、決して止まったり、引き返す訳にはいかない。

 だって、西の森には『望みを叶える』悪魔がいるのだから。


 翌日も、熱風が吹き荒れる釜茹で地獄の如き砂の海を、まっすぐ西へと駆け続けた。

 そして三日目の朝――。

「見て、あれ!」

 朝早く、朝日を浴びる為にドームから抜け出したニユは、黄色に輝く砂漠の彼方、緑の影を見つけてそう叫んだ。

「何なのね?」

 欠伸をしながら出て来たラフレシアが、同じ物を見て息を呑む。「あれが……」

「砂漠の中の奇跡のオアシスとも呼ばれる、西の森ね」

 いつの間に現れたのだろうか、モイザがそう解説してくれた。

 砂漠の中のオアシスとは大層な名前だが、確かにその通りだった。

 こんな雨の一切降らない砂漠地帯に、ああも青々と木々が茂った森が存在するなんて、信じられないが、現に見えるのだから確かに存在するのだろう。

「目的地はあそこ。そうね、日が沈んで寒くなる夜までには着けるかしら」

「じゃあ早く行こう!」


 という事で、朝食を取るなり一行は出発し、遥かなる緑へと向かっていた。

 照り付ける厳しい日差し。だが、ニユはそれが全く気にならなかった。きっと強い興奮がそんな事など吹き飛ばしていたに違いない。

 それはエジーも同じなのだろうか。愛山羊はいつになく軽い足取りで駆け続ける。

「速過ぎるのね、山羊!」

 しがみ付くラフレシアの言葉など、全然耳を貸す様子がない。辺りに砂を撒き散らして、森へと一直線に走るエジー。

「負けてられないわ、ルピナス、速度を上げなさい」

 ニユ達の様子を見下ろして、赤毛の少女がすぐにそう命じた。

 しかし悪魔は、暑さに喘いでいる。「これ以上は速くできねえよ」

 だが、モイザがそんな言葉を聞く筈もない。彼女は不気味に微笑んだ。

「ぶった切るわよ」

「やめてくれよ!?」

 仕方なしに、漆黒の巨鳥もスピードを上げた。

 白山羊は尚も駆ける。駆ける。駆ける。全身に浴びる風が気持ち良い。どんどんと近付く緑。駆ける。駆ける。駆け続け、そして――。

「……え?」

 ニユは思わず、小さく声を漏らした。

 太陽を反射して煌めく黄色い砂漠に、黒い点が見えたのだ。

 否、点ではない。それは、動く、何かの生き物だ。

「がるるるるる」

 無音だった砂漠に、突如唸り声が響く。そして、牙を剥いてこちらを睨み付ける声の主は、立派な鬣を風に靡かせる、漆黒の獅子だった。


 黒獅子を一目見て、ニユは嫌でも理解した。

 それが、西の悪魔を守る魔獣なのだと。

 棍棒を構え、エジーから飛び降りる。魔獣の数は四頭と少ないが、その体格は立派で、体長恐らく約五メートルと思われた。

 しかしこれで分かるのは、確実にこの先には『望みを叶える』悪魔がいるという事。

 そう思うと、ニユの胸の奥から力が湧いて来た。「よし、豪快にやっつけちゃおう!」

「…………仕方ないのね、戦うのね」

「下ろしなさいルピナス。うちらと一緒に、あんたも戦うのよ」

「これぐらい、オイラがいれば楽勝だぜ!」

 残り三者もそれぞれ戦闘体制に入り、一斉に黒獅子の群れへと飛び出したのである。


 黒獅子の金色の牙が、こちらに迫る。

「やあっ!」

 叫び、ニユはそれを棍棒で受け止めた。

 そのまま勢いで獣を押し倒し、ぶん殴ろうとする。しかし。

「がるるる、がお!」咆哮がし、横槍が入った。

 さっと身を跳ね除け別の黒獅子を回避、だが最初の魔獣がこちらへと襲って来て、避けてかわしてでニユは大忙しだ。

 一方モイザは鉈を振るう。しかしこちらもちらちらと他の魔獅子の邪魔が入って、トドメを刺すに至らない。

 ラフレシアは無数の針に変化、一気に巨大な獅子へと針が降り注ぐ。「――っ!」でもどうやら皮膚が硬いらしく、針が貫通しないで、人間の姿に戻った間に黒い尾で突き飛ばされた。

 ルピナスなど、時間を止めても止めても獅子のスピードが凄過ぎて、あまり意味がない。時を止めて背中に回り、頭を食おうとしたら逆にもう一頭の黒獅子に羽を食われて悲鳴を上げた。

「ダメだ、四頭の連携が強過ぎるっ」

 小さく叫んで、ニユは唇を噛んだ。

 倒す寸前ですぐ邪魔が入るのでは、いつまでも決着が着かない。

「なら、四対四を、一対一に変えればどうなのね?」

「ああ!」

 ラフレシアの言っているのは、それぞれ一頭ずつを相手すれば良いという事だ。

 そうしたら他の戦場に邪魔しに行けないし、単独だから倒しやすい。「ラフレシア、冴えてる!」

「当然なのね。そうと決まれば、早速始めるのね」


 モイザに食い付こうとする一頭の魔獅子。

 その前に立ちはだかり、ニユは微笑んだ。「ねえ獅子さん。一緒に踊らない?」

 そう言うなり巨体の口の中に棒を突っ込み、押し出す。

 睨み、ニユに注意を向け切ったのを見て、モイザがそっとその場を離れる。

 ひとまず棍棒を抜いて、次は横殴りの攻撃で獣の片目を潰した。悲鳴が上がり、仰反る魔獅子の横腹へ、もう一度攻撃が加えられて魔獣は吹っ飛ぶ。

 それを追い掛け、起き上がった黒獅子の背へとニユは飛び乗った。振り落とそうとする魔獣だが、そんなのはお構いなしに数度跳躍し、首元まで到達した彼女は満身の力を込めて、棍棒を振り下ろした。

 ぐちゃ、という音が鳴り、次の瞬間、黄色い砂漠に赤い血の花が咲き誇る。

 頭がひしゃげた魔獣の上、ピンクのワンピースを揺らす少女が微笑んでいたのだった。


 ニユの戦場から逃れたモイザは、漆黒の巨鳥に絡み付いている二匹のうち一匹の魔獣を睨み付けると、叫ぶ。

「あんたの相手はうち。こっちへ来なさい、魔獣風情が舐めてるんじゃないわよ」

 そしてルピナスの首を鋭い爪でもぎ取ろうとする魔獅子の腕を鉈で切り落とし、驚く魔獣の顔半分を削ぐ。

 高く高く咆哮を上げながら、飛び退った黒い魔獣が赤毛の少女へと飛び掛かって来た。

「どうしてあんたらは、そんなに愚直なの?」

 首を傾げ、あまりの鬱陶しさと馬鹿馬鹿しさに半笑いになりながら、モイザが鉈で宙に弧を描いた。

 直後、血と肉片が飛び散り、跳躍する魔獣の腹が横一文字に裂ける。

 ボタ、と落ちるそれを避け、少女は黒瞳を細めて呟いた。

「うちは農家で牛とか馬とかを育ててたから、あまり生き物を殺したくないの。でもあんたらは別。さっさと死になさい、汚れた獣」

 彼女に切り飛ばされた巨獣の首が、砂漠の彼方へと飛んで行き、やがて見えなくなった。


「執拗い魔獣なのね! 火で炙っても死なないとか、どんなに強情な奴なのね、貴様!」

 次は、元のドラゴンの姿に戻り、漆黒の尾を鞭のようにして魔獣を投げ飛ばす。これは上手い事いったようだ。

 大きな金槌に変化し、起き上がろうとする獣の頭へと振り下ろそうとしたその瞬間――。

 何者かに捕らえられ、全身を噛み砕かれた。

 痛みがラフレシアの全身を走る。未曾有の痛みに、だが、金槌である彼女は声も上げられない。そのまま体が真っ暗闇の中に呑まれた。

「う、うぐぅ、うぁ」

 人間の姿になって、なんとか死を回避して体を繋ぎ止める。しかし困った、ここは一体どこだろうか。

 一面の暗闇。そして、踝辺りまである何かの水。それがラフレシアの体を焼き焦がしていた。

「……!」

 途端に彼女は気付く。ここがあの黒獅子の、胃の中なのだと。

 このままでは溶かされてしまう。現に、胃の中の温度は尋常じゃない程に暑く、足は一部溶け出している。

 でもこの状況はむしろ、ラフレシアには好機に思えた。

「ワタクシを食おうとした罰なのね。さあ、とことん苦しむが良いのね、魔獣」

 魔獅子の内臓が、無数の鉄杭に刺されて血を噴き出す。

 遠くで、魔獣の絶叫が聞こえた。

 荒れ狂う血と胃液の海の中、鉄杭に変化したラフレシアは、最後の強力な手を使う。

 鉄の杭がどんどん巨大化し、胃を突き破って皮膚の外へと飛び出したのだ。

 全身を破られた魔獅子は、砂漠を揺らす程の大きな断末魔を上げて、四肢を垂らして倒れ伏した。

 その側で、何事もなかったかのように白髪の少女が佇んで、緑瞳でその光景を見つめていたのである。


 ルピナスは時を止め、魔獣を食らおうとしていた。

 彼の好物は人間なのだが、それはモイザに厳しく禁じられているので最近は肉が少ない。だから魔獣の肉でも良いから食らってやろうとしたのだ。

 そして時を動かしたら突然、首に一頭の黒獅子が巻き付いて来た。

 その間に獲物の魔獣もこちらを狙って来る。時を止めるが、首にガッチリと当てられた牙のせいで身動きが取れず、もう一度時を動かした――、その時。

 颯爽と長い赤毛を揺らす少女が現れた。「あんたの相手はうち。こっちへ来なさい、悪魔風情が舐めてるんじゃないわよ」

 そう言うなりルピナスに噛みつこうとしていた魔獣の腕が引き剥がされ、血を撒き散らしながら一頭が離れた。

 なんと勇敢な少女なのだろうと、契約悪魔でありながら驚かされるばかりだ。

「オイラも嬢ちゃんみてえに頑張らなくっちゃなあ」

 口の中だけで呟いて、こちらへ襲い来る魔獣を前にルピナスは時を止める。

 そしてその頭上へと舞い上がると、毛むくじゃらの背中に降り立ち、時を動かした。

「いっただっきまーすっ」

 次の瞬間、硬い皮を食い破る悪魔は、久々の肉の味に舌鼓を打たずにはいられない。

「これこそ絶品ってもんだよな」

 パンとかには比べ物にならない旨味。チーズなんかよりずっと歯応えのある肉の感触。人間には劣るものの、やはり最高だ。

 体の一部を食われた魔獣はたまったものではなく、高く絶叫する。

「オイラの食欲をこんなもんだと思われちゃあ困るぜ」

 まだまだ腹が減っている。尻尾を食べる。黒くふさふさの鬣を食べる。肉付きの良い足の肉を食い千切る。腹の肉は脂肪がたっぷりで甘い。目の玉はゼリーのようだ。頬の肉は柔らかく舌の上で蕩ける。内臓は雑味があるが、これはこれで良い味だ。胸や尻の肉もぷりっぷりで美味かった。

 次々と獣の一部を口へ放り込んで、久し振りの肉をたっぷりと堪能する。

 気付くと、残っていたのは骨と牙だけだった。「ごちそうさまでした」

 こうして、四つの魔獣戦はそれぞれに終結したのである。


 勝利を祝い合った四人は、激しい戦いを傍観していた白山羊を走らせて、砂漠にできた血溜まりを離れる。

 そして日が沈みかける夕刻。

 目の前に現れたのは、朝はあんなに遠くに見えた砂漠のオアシス、西の森だった。

「もうすぐ夜だけど……、どうする?」

 時刻的には、もうすぐ冷えてくるだろう。

「本当は今すぐでも行きたいけれど、明日にしましょう」

「そうなのね。ワタクシも、ヘトヘトなのね」

「オイラはまだまだ元気だが、嬢ちゃん達がそう言うなら仕方ない。寝てやらあ」

 という事で、森の目の前で砂のドームを作って眠る事になった。

 明日はいよいよ、西の悪魔と出会える。そう考えると、ニユはワクワクを抑え切れない。

「早く明日になあれ」

 パジャマ姿の彼女は、簡易ベッドの中でそう呟き、眠りに落ちた。

 ――まさかあんな事になるなど思いもせずに、すやすやと。

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