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第8話:最強の竜騎士・後編

 ベルガモットは背負っていた弓矢を捨て、長大な騎士槍(ランス)を手に蜘蛛神の背から降り立った。

 手綱(たづな)から解放されたルクリリは、巨体に似合わぬ素早さで壁を這い、鳥人(ハーピー)の亡骸と投げ飛ばされた人魚(マーメイド)の身体を抱えるようにして闘技場の隅にうずくまる。

 残った罪人たちも壁際に退き、闘技場(コロシアム)の中央には槍を持ったダークエルフの竜騎士ベルガモットと擦り切れたエプロン一枚を着けただけの乳牛の獣人の2人が残された。


「嬉しいよ。僕に挑む者は久しぶりだ。だが、君はやり方を間違えた」


 上等な刺繍の入ったハンカチで、ベルガモットは顔についた白く泡立つ粘液をぬぐった。


「本来なら、名前を尋ねるところだが、このような無礼な者の名前など――」

「ウヴァよ」


 どこまでもベルガモットを愚弄(ぐろう)するように、ウヴァは一方的に名乗りながら瞬時に間合いを詰め、拳をダークエルフの端正な顔に叩きつけようとした。


「残念だったね」


 だが、そこにベルガモットの姿はない。


「今ので、君は一度死んだよ」


 槍を携えた騎士が、ウヴァの背後に立っていた。

 観客席から、主に女性たちの黄色い歓声が上がる。


「だったら、殺せば良かったのに」


 振り返るウヴァに、ベルガモットはやれやれと肩をすくめた。


「身の程を知れと言ったつもりだったんだが、通じなかったよう――」


 またしても彼の言葉を最後まで聞かず、ウヴァは再び突進した。


「ふぅ……」


 俊敏かつ華麗な足さばきで再び彼女の背後を取るベルガモット。今度は槍を容赦なく彼女の背中に突き立てる。


「――!?」


 刹那、ウヴァの背中が掻き消えた。振り返る間もなく、背中にすっと相手の手が添えられる。


「ガハッ!?」


 背中に強烈な衝撃を受け、ベルガモットの身体は闘技場の壁まで吹き飛ばされていた。


「だから、殺せるときに殺せば良かったのよ。身の程を知れと言ったつもりだったんだけど?」


 観衆がどよめく。


「何だ今の?」

「軽く触れただけだったぞ?」


(どういうことだ? まるで猛牛の体当たりのような――)


 ベルガモットが背中に喰らったのは、体重移動を利用し、ほぼ零に近い至近距離からノーモーションで(てのひら)に全体重を集中させる技だった。空手で言う寸勁に似ている。

 だが、せっかくベルガモットの油断に乗じて後ろを取ったのなら、単純にあの(ひづめ)で蹴りを放てば、彼の背骨を粉砕することができたのではないだろうか?


(手加減したというのか?)


 ぞっと脊髄に寒気が走ると同時に、相手が高等技術を見せつけつつ自分を愚弄した事実が、ベルガモットの頭にカッと血を上らせた。


「ふっ……どうやら、久々に本気を出してもいい相手に巡り逢ったようだね……」


 その言葉は、決して負け惜しみではない。手を抜いていたのはお互い様であり、相手の方が悪意において勝っていたというだけである。


(ここからが本当の勝負だ)


 騎士槍(ランス)を水平に構え、魔力を注ぎ込む。槍を中心に幾重もの魔法陣が展開され、高速で回転を始める。槍が青白く発光し、電撃を帯びる。


『あれは! 黄金竜との戦いの中で編み出されたという伝説の技――!』

『魔法と武術、2つの道を極めた者だけが到達できる境地!』


『秘技・ライトニングドラゴンファング!』


 観客とベルガモットの声が重なった。

 触れれば即死するほどの雷魔法を帯びた一撃。単純。ゆえに強力無比。当然、防御は不可能。


「バカね」


 だが、轟く雷鳴の中でかすかに聞こえたのは(あざけ)りの声。雷光の槍が突いたのは空。代わりにベルガモットは腹に爆弾が炸裂したような衝撃を感じた。

 胃液が一気にせり上がり、耐え切れずに吹き出すように嘔吐する。


「速さで負けた相手に真っ直ぐ突撃するなんて。読んでくれと言っているようなものじゃない」


 ウヴァは、その巨体を地面すれすれまで沈み込ませて雷槍の一撃を(かわ)し、大地からの跳ね返りの力を(てのひら)に乗せてベルガモットの腹に叩き込んでいたのである。

 あらゆる力が集約された掌打(しょうだ)によるカウンターの威力は想像を絶した。


「ぐっ……!」


 空高く打ち上げられるベルガモットの身体。だが、彼もまた最強の名を冠する男である。空中で( とび)のようにくるりと回転して体勢を立て直す。


「ならば!」


 紅く輝く魔法陣が展開され、騎士槍(ランス)が激しい炎に包まれた。


『あれは! 勇者を(ほふ)ったと言われる伝説の技――!』

『己の肉体をも犠牲にする、決死の覚悟を伴うまさに必殺!』


『奥義・フェニックスブーストスラスト!』


 激しく燃え盛る紅蓮の炎に包まれたベルガモットは、さながらジェットエンジンの如く、爆発的な推進力をもって突撃する。


「ふん」


 鼻先で(わら)い、横転して回避するウヴァ。だが、不敵な笑みを浮かべたのはベルガモットも同様だった。


「バカめ。この奥義の威力はここからだ!」


 凝縮された炎の魔力が地面に叩きつけられ爆発する。ベルガモットを中心に、灼熱のドームが、あらゆるものを飲み込み、焼き尽くさんと膨張していく。

 円形の闘技場に広がってゆく獄熱の小太陽。全身の細胞に死を予感させるその熱波は観客席の最後列まで届き、観客たちはみな声にならない悲鳴を上げ、足をすくませ、失禁する者さえいた。


 対するウヴァの行動は――


(カッ)!」


 腹が丸く膨らむほどに息を吸い、吼えた。それだけだった。

 たったそれだけのことで、爆炎は水泡のように弾け飛び、周囲を薙いでいた熱風も嘘のように消え去った。


「な……」

「己の肉体も犠牲にする? 能書きの割に、ずいぶんと元気そうね」


 爆炎の中心にいたベルガモットには、焼け焦げひとつついていない。


「何なんだ、お前は……」

貴方(あなた)の覚悟はその程度?」


 生まれて初めての戦慄がベルガモットを襲った。


「決死の覚悟がなければ、勝てないわよ坊や?」

「やめろ……」


 無意識に後退ろうとする足を強引に止める。


「僕を愚弄することは許さない……。見せてやる。見せてやるよ! 本気を出した僕の力を!」


 ベルガモットの足元を中心に、地表に5つの魔法陣が展開された。


『バカな!』

『5つの属性を同時に操る事ができるのか?』

『最強! まさに最強だ!』


「炎の精霊、水の精霊、風の精霊、大地の精霊、そして光の精霊よ。我が求めに応じ、我に力を与え給――」

「長い!」


 ウヴァはずかずかと魔法陣を横切り、ベルガモットのみぞおちにケンカキックをかます。


「げほっ!」


 身体をくの字に曲げて悶絶するベルガモット。このあたりから、観客の空気が変わり始めた。ド派手な技の数々が、乳牛の獣人1人に軽くあしらわれている様子が彼らの動揺を誘っていた。


 この男は、自称するほど強くないのではないか? と。


 否。それは錯覚である。ベルガモットの才能がたぐいまれなものであるのは間違いない。その研鑽(けんさん)(たゆ)まず行われて来たのも事実である。


 彼の不幸は、今まで自分よりも強い者に出会う機会がなかったことだった。

 彼のこれまでの戦いは、総て彼の力の範中で片付けられてきた。敵対者の行動は総て彼の想定内であり、彼にとっての戦いとは相手を(ほふ)るに適切な技を選択することだけだった。


 ベルガモットもまた錯覚していた。

 これは今までのような戦いではなかった。生まれて初めて経験する、自分の持つあらゆる技術を出し切り、考えの及ぶ限りあらゆる可能性を先読みし、あらゆる人脈を駆使して有利な戦場を整え、それでもなお負けるかも知れない戦い。死闘であることを彼は今まで理解していなかった。


「精霊たちよ! 力を貸せ!」


 いささか乱暴な詠唱だったが、あやうく消えかけた魔法陣が光を取り戻し、5柱の精霊が招喚された。

 赤、青、緑、黄、白。5条の光が騎士槍(ランス)の周囲に螺旋を描くように乱舞する。


「これが僕の最終神技! フィフスエレメントファイナルストライク!」


 それは、世界を構成するとされる5つの力を集約し、貫いたものを対消滅させる必殺の一撃。


「だから……」


 ウヴァの辞書には後退という文字は存在しないようだった。ほとんど地を這うような前傾姿勢で突撃し、間合いを詰めたところで手を床に付け、腕を軸にコンパスのように回転する。ウヴァの脚が地表に美しい円を描いてベルガモットの軸足を刈った。


「ぶっ」


 手を離れた槍が、石床にぶつかって金属特有の軽く乾いた音を響かせる。

 転がされたベルガモットは、地面に膝と両手を付いていた。


「色が違うだけで、さっきのライトニング何たらと変わらないじゃない。精霊を5つ出せば相手がビビってくれるとでも思った?」

「この……」

「本気を出しなさい! 王都中の者たちに笑われて、恥ずかしくないの?」

「黙れェェェェ!」


 大空へ向けて高々と手をかざすベルガモット。観衆を黒い影が覆う。


『おいおい、マジかよ!』

『ここで戦争を始める気か!?』


 主の命に応えて飛来した金色に輝く巨大な真竜。槍を拾い、ベルガモットはひらりと竜の背上に立った。


「光栄に思え。ここからは竜を駆る者(ドラゴンライダー)として相手をしてやる」


 天空へ飛翔する竜騎士。闘技場はおろか、王都を一望できるほどの高さまで上昇すると、彼は下界に向けて槍を構える。


 槍の先に無数の小さな魔法陣が展開される。招喚されたのは、宇宙のどこかを超高速で飛翔する隕石だった。


「秘奥義、グランドメテオスウォーム!」


 招喚された無数の隕石に向けて、黄金竜が炎のブレスを吐く。膨大な熱量と竜の魔力が上乗せされた流星群の圧倒的破壊力が地上を蹂躙しようとしていた。


 絶望的な破壊の波動に呆然と空を見上げる者たちを尻目に、ウヴァはがばっと脚を開き、ぐっと腰を落として両脚で大地を踏みしめた。

 そして片足をゆっくりと上げ、縦に180度開脚した。

 ボロ布のエプロン1枚しか身に着けていないウヴァのこの姿勢は、ある意味で非常に煽情的と言えるが、誰もそれを意識した者はいなかった。今、彼女の身体には力と数の圧倒的な暴力に相対する『武』の力がみなぎっており、その周囲にはまるで儀式が執り行わているかのような荘厳(そうごん)な空気が満ちていた。


 天を刺していた脚が、勢いよく大地に振り下ろされる。

 その動きは、相撲(すもう)四股(しこ)に似ていた。


 激震が闘技場全体を襲った。石造りの壁に無数の亀裂が走り、出入り口を固める扉や鉄格子は石壁の歪みに耐え切れずに轟音とともにひしゃげて倒れた。

 だが、何よりも驚くべきは、ウヴァを中心に蜘蛛の巣のようにひび割れた石床だった。小山のような巨岩を輪切りにして作られたその石床は、縦横に砕けながら激震の反動で浮き上がったのである。それも生半可な高さではなく、闘技場の最上階、貴賓席よりもさらに上へ。


 誰もが姿勢を保つことすら難しい大地鳴動の中を、ウヴァは舞い上がった石床を足場に階段を上るように上空へ駆け上っていく。


 降り注ぐ隕石と、打ち上げられた岩石がぶつかり合う。その中をウヴァは虚空を蹴ってさらに高く駆け上る。


「そんな、バカな……」


 驚愕したのはベルガモットだけではなかった。彼の乗騎である黄金竜もまた、目を見開いてウヴァを見つめていた。

 驚愕に見開かれていた竜の眼に、憤怒の色が浮かんだ。

 彼ら竜種にとって、翼を持たない種族は蔑み、憐れむべき下郎だった。自分と同じ目線に立つ劣等種は、膨大な魔力にものを言わせて無理やり自分を隷属させた背上の憎きエルフだけで充分だ。


 巨大な尾が鞭のように空を薙ぐ。衝撃波を伴う竜の強烈な尾撃。

 それは、生態系の最上種たる竜の驕りだった。

 下等な種族を相手に、爪や牙を使った取っ組み合いなどしたくない。その心理は、最強を称するベルガモットが槍や弓矢を武器にするのと同質だ。


 他者を寄せ付けない戦いをしてきた真竜の、その身体の構造こそが彼の弱点だった。


()ッ!」


 ウヴァの手刀が衝撃波を相殺する。さらには迫り来る真竜の尾撃を素手で難なく受け止め、尾の先端を絡めとるように両脚を組んだ。そのまま空中でくるりと回転する。


 圧倒的な力で弱者を叩き伏せてきた真竜の尾。それはトカゲの尾ようなもろいものではななく、末端に至るまで頑丈な骨と関節を筋肉が覆った破壊の鞭だった。

 だが、その強靭さゆえに、尾のわずかな先っぽの回転がその頑強な構造を通して尾全体に伝わってしまう。当然、胴体もその影響を免れることはできない。


 結果、空の王者たる真竜の巨体が、煽られた紙切れのごとく回転した。


「うわあああああっ!」


 その背に乗っていたベルガモットはひとたまりもなく振り落とされた。

 今だ衝突を続ける隕石と瓦礫(がれき)の爆雲を突っ切り、大地に背中を強打する。


「くっ――!?」


 悪態をつく暇もなく、自分を追うように上空から落下してくる竜の影を認め、ベルガモットは痛む全身を転がすようにして闘技場の隅へと逃げ込んだ。


 激しい地響きと共に、粉塵を巻き上げながら黄金竜があおむけに墜落した。追い討ちをかけてウヴァが矢のような勢いで降下してくる。虚空を壁に見立てた三角蹴りである。

 ウヴァの体重と自由落下のエネルギー、そして空を蹴った脚力が重く固い蹄に集約され、竜の喉元に炸裂した。

 竜の喉元には、ブレスを吐くための臓器――火焔嚢(かえんのう)がある。火焔嚢の中には細かい砂状になった魔石の結晶があり、竜の魔力はこの臓器によって増幅、変換され、肺から吐き出された呼気に炎の魔力を付与する。それが、彼ら竜の象徴とも言える炎のブレスである。

 魔力の火薬庫とも言えるその器官は、竜種にとってある意味生殖器よりも敏感な最大の急所である。

 超重量の一撃により、逆鱗と呼ばれる防御機構をも撃ち抜かれ、強烈な激痛に襲われた黄金竜は咆吼のような悲鳴を上げて悶絶し、終いにはあおむけのまま尾を股に挟む仕草をした。

 降参のポーズだった。


『……』


 誰もが言葉を失っていた。

 やがて、破壊力を相殺された隕石と瓦礫の破片があられの様に闘技場に降り注いだ。そんな中を竜の腹上で悠然と佇む乳牛の獣人を、観衆は称えるべきか恐れるべきか判らないでいた。


「み、認めない……」


 よろよろと立ち上がるベルガモット。もはや、この場に彼を見る者はいない。


「……」


 いや、ウヴァだけは、(くら)く冷たい瞳で彼をじっと見据えていた。


「まだ終わりじゃないでしょ? 戦竜部隊隊長さん」

「!?」


 ベルガモットの口の端に、にやりと笑みが浮かんだ。


(そうだ。僕にはまだ、世界最強の精鋭部隊がある!)


 ベルガモットの頭の隅に、相手に誘導されているのではないかと不安の信号が明滅するが努めて無視し、彼は小さな魔力の塊を空に向けて撃ち放った。

 軽い破裂音と共に、赤い光が空に浮かぶ。戦竜部隊総出撃の合図だった。


『おいおいおいおい!』

『こりゃいくら何でも――!』


 たちまち上空を暗雲が立ち込めた。いや、それは騎士たちの駆る飛竜の大軍だった。

 飛竜は黄金竜の眷属である。体躯こそ真竜の半分以下しかないが、その分小回りの利いた俊敏性に優れており、真竜の巨体ゆえにどうしても存在する死角をカバーする役目を担っている。


 だが、飛竜の真の恐ろしさは、群体であることだろう。1体でもそこらの魔獣とは比較にならない戦闘力を有しているのに、それが100体単位で集まった時の破壊力はもはや災害である。


「ははっ! もう許さないぞ牝牛め!」


 上空で黒い渦を巻く飛竜部隊を背景に、ベルガモットは勝ち誇った。


「いくらバカみたいな脚力で空を蹴ることができても、飛竜の飛行能力には敵わない。君は何もできないまま弓で射られて、炎で焼かれるんだ!」

「能書きはいいわ。来るなら早く来なさい」


 ウヴァの指先がくいくいとベルガモットを挑発する。


「やれ!」


 もはや一瞬たりとも彼女を視界に入れることに耐えられなくなり、ベルガモットは美貌をぐしゃりと歪め、絶叫するように命令した。


 隊長の命を受けた竜騎士たちは、地上の一点に向けて一斉に攻撃を開始した。ある者は矢を射かけ、ある者はスリングショットで石礫(いしつぶて)投擲(とうてき)する。加えて飛竜たちが燃え盛る火球を吐く。

 数百の殺気がウヴァに殺到した。


 対するウヴァは、地面にそっと片手をついた。何か勘違いをしたベルガモットの頬が緩みかけるが、当然、謝罪や降伏の意志ではない。ウヴァはがっと両脚を開くと、腕を軸に脚で円を描くようにその巨体を回転させた。手以外は一切体を地に付けず、交互に動かす腕の力で開脚旋回(トーマスフレア)を加速させる。


『何だ、あの動きは!?』

『まるで踊り(ダンス)だ……』


 確かに、それは先進的な舞踊(ブレイクダンス)に似ていた。手以外の部位は地面に付くことなく、開かれた両脚の旋回はいよいよ勢いを増していく。

 凄まじい風圧が発生し、周囲の瓦礫を巻き上げた。


 さらに、ウヴァは姿勢を変え、両手で体を支えて下半身を頭よりも上に持ち上げ倒立する。旋回する両脚の遠心力に任せて肩から背の上部を転がすように回転する。さらに大きく開かれた脚が空に向いた風車(ウィンドミル)となって更なる旋風を巻き起こす。


 舞い上げられた鋭い破片が、高速旋回するウヴァの蹄に蹴り飛ばされた。


「何だありゃ?」


 当初、飛竜に乗った騎士たちは闘技場の真ん中で不思議なダンスを始めたウヴァを嘲笑していた。

 そんな騎士たちの歪んだ笑顔を、何かが高速でかすめていった。


「へ――うわっ!?」


 間の抜けた声を上げるヒマすら与えられず、王都を見下ろすほどの上空で飛竜が大きく姿勢を崩した。

 飛竜の翼膜に、大きな穴が開いていた。


「いったい何が――」


 言いかけた騎士の目に、回転するウヴァを中心に大量の何かが射出される光景が映った。

 それは、砕けた瓦礫であり、先刻彼らが射った矢であり、石礫であり、火球だった。

 超高速で回転するウヴァの両脚により、彼女に向かう全ての投擲物が跳ね返されているのである。


 ほんの一瞬前まで、彼らは獲物を狩っているつもりだった。黄金竜が倒されたのは上官(ベルガモット)のちょっとした慢心とまぐれが産んだ不幸な事故であり、彼らはその復讐を果たすためにも相手をはるか上空から嬲りものにするつもりだった。

 だが今、彼らの悪意に満ちた攻撃が利子付きで叩き返される。


「こんなのアリかよ!?」


 部隊の誰かが絶望的な叫びをあげた。

 敵の攻撃がここまで届くと知った今、翼を広げた飛竜などただの大きな的でしかなかった。


「撤退! 撤退だ!」

「駄目だ! 引きずり込まれてる!」


 今、闘技場全体はウヴァの脚を刃とした巨大な大気のミキサーとなっていた。撹拌された旋風は竜巻となり、飛竜たちを呑み込み始めていた。

 この竜巻に捉えられたら最後、騎士たちは飛竜もろとも瓦礫の奔流(ほんりゅう)によってひき肉になるまで引き裂かれてしまうだろう。


「嫌ァァアァァアアア!」


 彼らは叫んだ。


「ママぁーーーーーーッ!」


 彼らがすがったのは、最強の騎士と言われた上官でも、超大国の君主たる魔王でもなかった。今の自分たちよりも小さく、か弱く、年老いた存在こそが彼らの心の最後のよりどころだった。

 ルクリリ島で自分たちが何を踏みにじっていたか、彼らに(かえり)みる余裕はなかった。


 そんな彼らを、竜巻は無慈悲に飲み込んだ。

 悲鳴は暴風にかき消されて、どこにも誰にも届かない。


「ふぅ」


 舞を終え、黒髪からキラキラと汗をふるうウヴァ。その背後には、赤茶けたボロ雑巾となった肉塊が汚い枝垂れ花火のようにぼとぼとと落下している。


勇者殺し(ブレイブスレイヤー)も、真竜を駆る者(ドラゴンライダー)も、戦竜部隊も破ったわ。後は、貴方自身だけね……」

「やめろ……来るな……来るなぁッ!」


 錯乱気味なのか、声の音量が一定ではないベルガモットの叫びに、ウヴァは優し気に微笑んだ。


「怖がってるの、坊や?」


 実際はダークエルフであるベルガモットの方が獣人のウヴァよりもはるかに年上であるが、今や誰も彼女の言葉に違和感を覚えなかった。

 ウヴァのまなざしも声色も、まるで怯える幼子をあやしているかのようだった。


「ほら、来なさい。武器を使っても構わないわ」


 騎士槍(ランス)が足下に放り投げられた。だが、ベルガモットはそれを拾うことができない。

 ウヴァが一歩進めばベルガモットは一歩下がる。


「いらっしゃい坊や。ここで勝たなければ何も残らないわよ?」


 そんなことは、彼自身が一番わかっている。これまで称賛と嫉妬の眼差ししか浴びてこなかった彼は今、全く異質な視線を全身で感じている。


「怖がらないで。ほら、私は両手を使わないわ」


 ウヴァが頭の後ろに両手を組む。それでも、ベルガモットの両足は意思を持っているかのように前に進むことを拒絶する。


「身長差が怖い? じゃあ膝を付けばいいかしら?」


 地面に両膝を付いてしまうウヴァ。とは言え、太腿ががっしりと発達している彼女が膝立ちになっても、依然彼女の目線の位置はベルガモットよりも頭一つ分は上にある。


「ふざけるな……」


 ベルガモットは目の奥で何かが弾けるのを感じた。

 足に渾身の力を込め、ようやく一歩を踏み出す。槍を拾い、呼吸を大まかに整えると、ウヴァの胸元目がけて瞬速の突きを見舞った。


「死ねェ!」


 手に衝撃が伝わる。

 だが、それはベルガモットが想定――期待していたものではなかった。

 槍は主の手を離れ、円を描いて回転しながらあさっての方向へ弾かれていった。


『何だ?』

『どうしてそうなるんだ?』


 観客のどよめきは、そのままベルガモットの困惑だった。手足を自ら封印しているはずのウヴァがどうやって槍の一撃を凌いだのか?


 答えは目の前にある。わかりきっている。しかし、ベルガモットはそれをどうしても認めることができないでいた。


「……うぅぅぉぉぉおおおおおお!」


 雄叫びをあげてベルガモットは両手両足を封じた女に殴りかかる。己の全てを賭けた、渾身の拳だった。

 ――だが。

 ぱん、と軽い音と共に拳が弾かれる。


「もっと強く打ちなさい!」


 言われなくとも、崩されたバランスを逆に利用して起死回生の回し蹴りを放つ。

 ――だが、それもまた軽く弾かれる。攻撃がどうしても届かない。


「そんなんじゃ当たらないわよ?」

「うぅあああああ!」


 連打される拳と蹴りは、放った数だけ弾かれた。


「くぅぉぉおおおおお!」


 やぶれかぶれで掴みかかるが、それも衝撃と共にそらされた。ベルガモットは大きくたたらを踏むと這いつくばるように地に手を付く。


『まさか……』


 ようやく、観客にも何が起きているのかが理解できた。


『あの女、おっぱいで戦ってやがる!』


 ウヴァの巨大な乳房が、まるで別な生き物のようにばるんばるんと弾んでいた。

 彼女は体幹の筋肉を複数同時に連動させることで、凄まじい力を乳房に伝え、手足のように操っていたのである。


 乳房に翻弄され、あまつさえ敵に背を向けて地面に這いつくばるベルガモットにはすでに立ち上がる気力も無くなっていた。


「何なんだよ……、あんたいったい、何者なんだよ……」

「ようやく私の話を聞く気になったのね」


 立ち上がったウヴァがベルガモットのもとへ歩み寄る。打ちひしがれた彼の身体を優しく抱き起す――などということはせず、彼女は四つん這いの相手の無防備な腹に蹴りを叩き込んだ。


「げはっ!?」


 血の混じった胃液を吐き、仰向けに転がされるベルガモット。その腹上にウヴァはドスンと腰を落とした。


「私の名はウヴァ。とあるご令嬢の乳母をしているわ」


 言いながら、ウヴァはくたびれたエプロンのポケットから妖しげな光を放つ石ころを取り出した。


「探している奴がいるの。お嬢様の右目を抉り出し、代わりにコレを詰め込んだ奴、貴方なら知ってると思って」


 ウヴァがもっていたのは、人造魔石の欠片だった。


「お嬢様の目からこれを抜き取るのは大変だった。お嬢様は高貴なる(ヴァンパイア)吸血姫(プリンセス)だから、眠りや麻痺の薬や術が効かなくてね。麻酔なしでまぶたを切られ骨を削られる辛さ、貴方にわかるかしら?」


 観客たちの間にざわめきが拡がっていく。


高貴なる(ヴァンパイア)吸血姫(プリンセス)……まさか、ボッツヴィル家の!?』

『暴漢に襲われて……グレイ殿下との婚約の話が立ち消えになって……』

『ってことは、犯人は……』


 ウヴァがばら撒いた情報の断片が形となっていく。拷問され廃人となった竜人(ドラコニアン)ペコー、彼の身体に添えられていたメッセージ、そして今、ウヴァから語られた言葉。

 客席の者たちの半分はベルガモットを見、もう半分は最上階にある貴賓席を見た。


「どうして、人造魔石を魔王様に差し出さなければならないか、知ってる? 作り方がおぞましいからってだけじゃない。人造魔石は、とても美しいのよ。だって、何人もの妖精や精霊の生命が凝縮されているんだもの。この大きさでも、裏で取引すればお屋敷が建つくらいの値が付くらしいわ。貴方たちエルフには理解できないでしょうけど」


 ウヴァの魔力に反応しているのか、人造魔石の欠片は燃える様な紅い光を発する。しかしベルガモットにとってはその輝きが腐乱死体に群がり蠢く蠱の冷光のようで、思わず顔を背けてしまう。


「わかる? 性欲を処理するだけの相手に高価な宝石を送る者はいない。つまり、お嬢様の目にコレを埋め込んだのは、人造魔石に激しい嫌悪感を持つ種族で、かつ気に入らない相手に汚物を投げつけて喜ぶような精神性の持ち主以外にいないのよ」


 ベルガモットの首が締め上げられる。空気を求めてぱくぱくと開閉するベルガモットの口に、人造魔石の欠片がねじ込まれた。

 凄まじい嫌悪感と共に、胃液が怒涛のようにせり上がる。


「ねえ、知らないかしら?」


 そんなベルガモットの顔面にウヴァの右拳がめり込む。口の中で魔石が砕けた。


「平気で少女の目を抉れるようなエルフ」


 左の拳が頬を襲う。砕けた魔石が歯を折り、舌や口内に突き刺さる。


「他者の身体に汚物を埋め込んで喜ぶようなエルフ」


 交互に拳を繰り出すウヴァの貌には、一切の感情が見られない。まるで機械のように殴り続ける。


「もうやめてぇぇぇーーー!」


 ついにベルガモットが叫んだ。


「あいつが、あいつが悪いんだ! 銀色の髪をしてるから! 僕を見ようとしないから! 僕は誰よりも強くなったのに!」


 血と吐瀉物と砕けた石を吐き出し、銀髪のダークエルフは絶叫する。


「僕は誰よりも強いんだ! 強くなったんだ! なのに僕を見ない! 僕を抱いてくれない! どうして! どうしてェ!」


 子供のように泣きじゃくり始めたベルガモットを、ウヴァは静かに見下ろしていた。その眼光には、情動のさざ波ひとつ起きていなかった。彼女の氷水のような心は、ただ事実を見、聞き、最適な解を導くだけである。


 どうすれば、目の前の男に復讐を果たすできるかを。


「ベルガモット……」


 ウヴァは笑った。それは緻密に計算された微笑みだった。


「貴方の魂がこの先何百万回生まれ変わったとしても、貴方を産んだ母親はみんなこう言うわ。『お前なんか産まなきゃよかった』って」

「あ、あぁ……」


 絶対的強者から告げられた言霊(ことだま)。人生をかけて築き上げてきた、自分を自分たらしめるものを全て打ち砕かれた上で突き付けられた呪詛。それを抱えたまま、エルフ特有の永い寿命を全うしなければならない絶望。

 この時、ベルガモットの心は静かに固まり、干からびていった。

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