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第6話:霊獣ルクリリ

 愛情というものはよくわからない。

 今の自分が在るのはあなたのおかげだと事あるごとに感謝の祈りを捧げ、降りかかる困難や理不尽をあなたの与えて下さった試練だと感謝の祈りを捧げ、愛しい者を生贄に捧げ、己の魂すら生贄に捧げてもなお疑われる愛がある。

 一方で、ただ一定期間へその緒が繋がっていたというだけで無償で与えられる愛も在ったり、もしくは無かったり。

 愛情というものはよくわからない。


 ここ、ルクリリ島にも、そんな奇妙な愛情があった。


 ルクリリ島は、かつて魔族とニンゲンが争っていた時、大陸の西と東に位置していた二つの領土の境界線の延長上にある南の小島だった。

 清浄な湧き水によってできた巨大な湖と、それを囲む緑深い山々、そして真っ白な砂浜によって構成された、どちらの陣営にも属さない楽園。そこでは鳥人(ハーピー)人魚(マーメイド)が湖のほとりで果物や淡水魚を摂って自給自足の生活を営んでいた。


 正直、小さな集落二つが細々と暮らす程度の収穫高、漁獲高。地下資源は不明だが、植物の楽園と化した土地を開発するコストに見合うとは思えず、土地面積の狭さから開墾する魅力にも乏しいこの島が、戦争中だった両陣営にとって魅力があったとは思えない。

 そんなルクリリ島が幾度となく侵略の危機に晒されたのは、ひとえに人的資源のためであった。


 この島の森に住む鳥人(ハーピー)も湖に暮らす人魚(マーメイド)も、なぜか9割近くが女性であり、みなエルフ並みの美貌を持っていたのである。

 また、彼女たちの魔力のこもった美しい羽や鱗も魅力であった。


 魔族もニンゲンも、等しく彼女たちを欲した。それは侵略というより、人狩りであった。


 彼女たちにも抵抗する術はあった。地の利である。鳥人(ハーピー)たちの空と森を最大限に利用した奇襲戦法と、人魚(マーメイド)たちの広大な湖をほぼ無尽蔵の補給線としたサポートはこの上ないシナジーを発揮した。

 しかし、侵略者――もとい狩猟者たちの中に、森林を焼き、水を毒で汚染する手段を取る者が現れるに至り、彼女たちは別な力に頼らざるを得なくなった。


 それが、この島の誕生以来、数万年にわたり地中深くに棲んでいた島の主、この島と同じ名を冠する守護者、霊獣ルクリリであった。


 ルクリリが彼女たちに求めた対価は2つ。

 鳥人(ハーピー)人魚(マーメイド)ともに子孫を絶やさぬこと。

 そしてすべての者たちがルクリリを母と呼び慕うこと。

 要は、呼び名が『島の主』から『母』に変わっただけなのだが、ルクリリは焼けた森を再生させ、水を浄化し、時に身を挺して彼女たちを守り戦った。

 愛情というものはよくわからない。


 さて、魔族とニンゲンの戦争が終わった今、このルクリリ島にも平和が訪れたかと言えばそんなことはなかった。むしろ、鳥人(ハーピー)人魚(マーメイド)たちの試練はこれから始まったと言ってもよかった。


 戦勝により自我を肥大化させた魔族たちの中、一部の貴族や豪族が美しい景観と奴隷を求めて本格的な侵攻を開始したのである。

 そのために雇われた傭兵の中には、生死の間で戦う緊張感が忘れられず、霊獣ルクリリとの戦いを望む血に飢えた狂戦士もいた。


 こうして、ニンゲンたちが信仰していた対価だけを貪欲に求めて何ら実益をもたらさなかった粗大ゴミのような神とは異なり、霊獣ルクリリは彼女たちと共に、己の身を削りながら戦いを続けていたのである。



◇ ◇ ◇



「……不毛だなぁ」


 もうもうと立ち昇る煙の黒と、その足元にちらちら見える炎の赤に染められた山々を見下ろしながら、竜騎士ベルガモットはつぶやいた。

 彼が跨るのは天空を翔ける黄金の真竜である。竜人(ドラコニアン)ペコーが変化した姿とは比べ物にならない、猛々しく神々しい、光と炎の権化がそこにあった。そんな存在を使役するベルガモットは、自他共に認める世界最強の戦士だった。

 竜を駆る者(ドラゴンライダー)勇者殺し(ブレイブスレイヤー)

 魔王軍最強の精鋭部隊、戦竜部隊の隊長を務め、ゆくゆくは未来の魔王后の守護騎士になる男。

 魔族の戦士としてこれ以上ない称号を手にした彼は、それでもなお満足していなかった。


(これで終わりじゃないはずだ)


 齢100年。これまでいかなる戦いにおいて一度たりとも負けたことが無かった。

 あらゆる種族の頂点と言われる真竜も、魔王を滅ぼしうる存在と言われた勇者も、彼にとって大した敵ではなかった。


 そして魔族とニンゲンの戦争が終わった時――すでに魔王は老いていた。その萎え緩んだ身体にも耄碌(もうろく)した頭脳にも、超えるべき壁としての価値を見出すことなどできなかった。

 魔王配下の四天王も、猛将として名を馳せた獅子公ニルギリは勇者との一騎打ちで(たお)れ、魔王の懐刀と言われた沈黙のハイランズは終戦と共に姿を消した。6本の腕に6種の武器を携えた吶喊(とっかん)のディーンブラはその名の通り敵に突撃して命を落とした。唯一残った吸血侯ボッツヴィルは魔王同様、老いさらばえて一線を退いている。


 魔王の息子は、話にならないボンボンである。勝ち戦が確定した空気の中で生まれ、戦勝の活気と共に復興し成長する社会の中で育ち、勝者の優越によってもたらされる平和主義を学んだ、何もかもが与えられた豊かさの中で生きてきた男などに、視線をくれる価値すらなかった。


 ベルガモットは世界に飽き、慢性的な飢餓感に苛まれていた。


(出てこい、霊獣ルクリリ)


 ベルガモットの眼下では、彼の配下である戦竜部隊が駆る飛竜たちが炎を吐き散らして森を燃やし、上空から毒入りの瓶を落として湖を汚していた。


 戦竜部隊もまた飢えていた。

 過酷な訓練を乗り越え、戦争終結の切り札となるべく結成された精鋭部隊。だが、彼らがようやく実戦に投入された時には、すでに戦の趨勢(すうせい)は決していた。

 彼らに与えられた任務は、単なる掃討戦に過ぎなかった。

 誇り高き竜になるべく鍛錬を積んで来た彼らにとって、死肉を漁るハイエナの生き方を強要されるのは多大なストレスであった。


 行き場のない力を抱える満たされない苛立ちは、今、過激な暴力となって力の無い者たちに襲い掛かっていた。

 皮肉にも、自分たちがあれほど嫌悪していたハイエナ以下の生き方を、いつの間にか自ら求めるようになっていた。


 今、森を焼け出された鳥人(ハーピー)の娘たちが、凶暴な飛竜を駆る狂暴な騎士たちによって必要以上に追い回され、いたぶられ、次々に捕らえられていた。

 水に毒を流された人魚(マーメイド)たちもまた、ある者は海に逃げようとしたところを河口に仕掛けられた網にかけられ、陸に引き出されたところを嬲り者にされ、捕らえられていた。


 歌声に定評のある鳥人(ハーピー)人魚(マーメイド)の女性たちの発する悲鳴もまた、美しく透き通っていた。


(どうしたルクリリ? 娘たちの泣き声が聞こえていないのか?)


 金色の竜の上から下界の地獄を無感動に眺めながら、ベルガモットは焦れていた。


『はああああああ!』


 不意に、彼の頭上、厚い雲の向こうから3つの影が急降下してきた。


(不意打ちのつもりかな?)


 重力落下よりもはるかに高速に、弩弓から放たれた矢のように突進してくるそれらを、ベルガモットの動体視力は的確に捉えていた。


(猛禽型か……)


 それらは、通常の倍ほど大きい体躯をした鳥人(ハーピー)の娘たちであった。1人は焦げ茶色、1人は灰色、1人は白と茶の縞模様の羽をしている。強靭に発達した足の先には巨大な鉤爪がついていた。


(まぁ、色が鮮やかなだけの小鳥よりは僕の好みかな)


 だが、売り物にはならない。貴族はやはり華やかで多彩な色の羽を持つ娘を好む。


 3つの影が、金色の竜とすれ違う。

 血飛沫とともに羽毛が散った。

 ベルガモットの持つ星霊銀(ミスリル)騎士槍(ランス)によって1人は翼を貫かれ、1人は回転する柄に背中をへし折られて海上へくるくると舞うように落下していった。

 そして、白と茶の縞模様の翼をした最後の1人は、ベルガモットによって足を掴まれ、高々と持ち上げられていた。


「放せぇ!」


 大型の猛禽の力で暴れる鳥人(ハーピー)の娘を、ベルガモットは片手で難なくいなしていた。それどころか、一瞬の隙をついて空いた手で彼女の下半身に生える羽毛を掴み、むしり取った。


「ピギィ!」


 悲鳴を上げ、身体を強張らせたところを、竜の背上に叩きつけ、組み伏せた。


「さあ、生きたままローストチキンにされたくなかったら、ルクリリを呼べ」


 耳元でささやきながら、容赦なく羽毛をむしる。はじめは太腿の毛だったが、少しずつ娘の敏感な場所へと近づいていく。


「よ、呼べない……」


 痛みと恐怖と羞恥に耐えながら、鳥人(ハーピー)の娘はかろうじて声を絞り出した。


「ま、母様(マミー)は、傷ついてる……。お前たちが森を燃やして、水を穢すから、母様(マミー)はずっと力を使い続けているんだ……」

「君たちの都合なんて知らないよ。さっさとルクリリを呼ぶんだ」

「呼べない! 殺すならさっさと殺せ!」


 気丈な娘の瞳に、不屈の意志を感じ取り、ベルガモットは諦めの溜息をついた。


「そうか、なら、仕方ないな」


 ベルガモットの端正な顔に浮かんだ優しい微笑みに、娘の緊張が一瞬緩んだ。その瞬間――


「ピギャア!」


 娘の腹に、ベルガモットの拳がめり込んでいた。


「ギャッ! あフッ! や、やめッ! アギャ!」


 苦痛にもがく柔らかい腹に、何度も何度も抉り込まれる男の拳。

 不意に、メリメリと娘の股が音を立て、白い粘液と共に大きな卵が産み落とされた。


「嫌ッ! 嫌ァッ!」


 娘の肌が紅く染まる。


「ふぅん、美味しそうだね」


 微笑を崩さないベルガモットのささやきに、娘の顔が今度は蒼白になった。


「やめて……やめてェ!」


 卵を取り返そうともがく必死さが、ベルガモットの眼に残忍な光を灯した。


「ん? これはもしかして、受精卵なのかな?」

「返して! お願い、返して!」

「返して欲しいなら、わかってるよね?」

「ぐ……」


 ベルガモットの言葉に、娘は唇を噛み締めて抵抗した。それは、今にも叫び出したい、ルクリリを売ってでも我が子を取り戻したいと望む母性本能への抵抗でもあった。


「残念、時間切れ」


 卵を握るベルガモットの指に力が入る。慙愧(ざんき)に歪む母親の目の前で卵は砕かれ、黄色い粘液が流れ落ちた。


「うん。やっぱり、生命の味は美味いなぁ」


 これ見よがしに指を舐めるベルガモット。


「ほら、お前も味わえ」


 母親の口がこじ開けられ、口腔に黄身の雫がこすりつけられる。


「……ィッ! ヒギィ……」


 涙をこぼしながら、母親は何かを必死に否定するように首を振る。


「子供の味は美味しいだろう? 見捨てた子供の味ってやつは、格別だろう?」

「ピギャアアアアーーーー!」


 母親は狂ったように絶叫した。もしかしたら、実際に狂ってしまったのかもしれなかった。


「アハハハハハハハハ!」


 大空にダークエルフの哄笑が響き渡る。同じころ、彼の足の遥か下では、鳥人(ハーピー)人魚(マーメイド)の母親たちの狂声が響き渡っていた。

 どうやら、考えることは同じらしい。

 身を潜めていた森や湖底から、炎と毒によってあぶり出された子供たちが母親たちの目の前で斬殺されているのだ。さらに、狩り出された卵たちが食われ、食わされていく。


 振るわれ損なった暴力ほど、始末に負えないものはない。

 彼らは決して満たされない。満たされないと解かっていて、否、かえって飢餓感を増すと解っていて、それでも力を行使せずにはいられない。


 他者を、踏みにじらずにはいられない。


 今、獣の咆哮に似た男たちの狂笑が小さな島を覆っていた。


 その時――


 ズン……と何かが(うごめ)いた。


 殺戮と凌辱に酔っていた者たちが、凍り付いたように動きを止めた。


「地震か……?」


 鞭を振り上げたまま、誰かがつぶやく。


 ズン……。再び大地が揺れる。


「だめ……」


 顔を軍靴に踏みにじられながら、鳥人(ハーピー)人魚(マーメイド)が呻く。


母様(マミー)……来ちゃ、だめ――ッ!」


 山が動いていた。

 島の中央に位置する湖を取り囲む山々の1つが、痙攣(けいれん)のように震えていた。

 その光景を、ベルガモットは上空から見下ろしていた。


「来たか! 霊獣ルクリリ!」


 突如、立っていられないほどの地響きと共に、山が割れた。茂っていた木々がなぎ倒され、土砂が何もかもを押し流す。


「はは、鳥や魚の親玉がどんなものかと思えば……」


 森を割り、地層を砕いて現れたのは、長く真っ白な毛に覆われた巨大な蜘蛛だった。その大きさは、ベルガモットの駆る黄金竜に勝るとも劣らない。

 さらに蜘蛛の頭部がゆっくりと隆起する。内部から淡い光を放つ突起物は、よく見ると人の形をしていた。


 キシャアアアーーーーーーーッ!


 それは吼えた。金属をこすり合わせる様な、思わず耳をふさぎたくなる轟音騒音、それは文字通りの金切り声。


 霊獣ルクリリ。

 その正体は、白く艶めかしい外骨格を(よろ)い、極細のガラス繊維のように透き通った長い銀髪をした女性の上半身と、白い体毛に覆われた美しくも禍々しい毒蜘蛛の下半身を持つ巨大な怪物だった。

 女性の顔にはルビーのように紅い複眼が4つ、憤怒の炎を燃やしている。


母様(マミー)……」

「ダメ……ダメだよぅ……」


 娘たちの嘆きの声に呼応して現れた島の守護神を見上げる彼女たちの表情は、みな一様に沈痛だ。


 ルクリリは片腕を失っていた。8本あった後ろ脚も、今は4本まで減っている。全身を覆う外骨格はそこかしこにひび割れが生じ、腐臭を放つ体液がにじみ出ていた。

 永い時を、欲望にさらされる娘たちを守り、焼かれた森を癒し、汚された水を清め続けてきた偉大なる母は、唯一、己の傷を癒す術だけは持っていなかったのである。


「何だこれは。期待外れもいいところだ……」


 ルクリリは満身創痍の身体でなお、もうもうと土煙を上げて突進し、長い隻腕を太刀のように振るい、飛竜たちを枯れ葉のように吹き飛ばす。

 深紅の宝石を敷き詰めたような4つの複眼に燃え上がる光を迸らせ、黄金竜とその主に肉薄する怒れる蜘蛛神を前に、ベルガモットはつまらなさそうに吐き捨てた。


「気に入らないな……」


 身の丈よりもはるかに長い円錐型の騎士槍(ランス)を振り回し、ベルガモットはつぶやく。


「僕は、弱いヤツが嫌いだ。弱いくせに強がるヤツが嫌いだ。そして何より……」


 騎士の瞳の中を、昏い影が横切った。


「銀髪の女が、大嫌いなんだ……」


 血に飢えた猛獣と、涙に憤る守護獣が激突した。

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