第4話:暴力に生きる者の末路
「ハーッハハハハハ! 燃えろ燃えろ! 俺に逆らった奴はみんな燃えちまえ!」
竜の高笑いが木霊する。
「……これだから出来損ないは」
だが、ウヴァの呟きがペコーの笑いを止めた。
「あ? 何か言ったか?」
「……別に。ただやることが竜にしては小者臭いから、思っただけよ。貴方、竜の中では弱い方でしょ? だからこうしてやたらと自分の力を見せびらかそうとする……とか?」
「ほざいてろ、乳牛が!」
「よく見てみなさい。貴方が燃やしたものが何なのか」
「何を言って――!?」
その瞬間、ペコーは言葉を失った。
燃え盛る村の向こうに、川を挟んでもう一つの村があった。
いや、違う。手前の村は、村ではない。焼け跡にあるのは藁や木材ばかりで、人の生活した痕跡がまるで感じられない。
そう。村人たちが造ったのは、物見櫓や防壁だけではなかったのだ。山道の一部を拓き、木材と藁だけのハリボテの村を丸ごとこしらえていたのである。
粗末な防壁は、ならず者の侵入を阻むためではなく、本当の目的は偽の村の向こうにある本物の村を隠すための目くらましだったのだ。
短期間でこんな芸当ができたのは、どんな大木でも大根か何かのように軽々と引っこ抜くウヴァの怪力があったのはもちろんだが、村人たちが本来奪われるはずだった米や麦を腹いっぱい食べて生み出された士気の影響が大きい。
当然、弓を構えていた若者たちは、肉盾にされていた女性たちと共に本物の村まで避難しており、焼け跡に人の死骸は1つもない。
「ふざけやがって……」
虚仮にされていた。そのことをペコーは痛感する。初めからずっと虚仮にされ続けていた。彼を彼たらしめる竜の力さえ、この乳牛だけでなく、ニンゲンたちにすら想定の範囲内だった。
「嗤うんじゃねぇーーーーッ!」
ペコーは吼えた。
「だったら! もう一回焼いちまえばいいだけの話だ!」
大きく息を吸う。開いた口の奥から、凶暴な炎が渦巻き始め、熱された陽炎が周囲を灼く。
灼熱の火球が吐き出されるその刹那――
「ケンカはね、先に頭に血が上った方が負けるのよ」
強烈な蹴りが、赤竜の下顎に炸裂した。
「!?」
竜の顔が一瞬風船のように膨らみ、破裂した。当然だ。火球を吐き出す瞬間に口を閉じられてしまったのだから。
「あひぃぁぁぁぁぁぁぁ~~~!」
ペコーは激痛にのたうち回る。全ての牙が溶け折れ、顎が砕けた状態で発する悲鳴は、悲鳴の役割を果たすことすらできず、間の抜けたもがり笛のような音を発するのみだった。
そんなペコーの哀れな姿には目もくれず、ウヴァは彼の尻尾を抱え上げた。
「な、何、を――ッ!?」
竜の巨体がスイングされる。初めは地面を引きずられていたが、ぐるんぐるんと回転が加速し、やがて遠心力で体が浮き始める。
「やめっ! やめっ! やめっ!」
そしてぶん投げられる。凄まじい速度と己の重量により、固い竜鱗は地面によって瞬く間にすりおろされ、地肌に尖った小石や小枝が突き刺さる。
「う、うぅ……ひっ!?」
苦痛に呻く暇すら与えられない。再び尻尾を掴まれ、今度は縦方向に投げ飛ばされる。むしろ、これはペコーの身体を使って地面をぶっ叩いていると表現した方がよいかもしれない。
世にも激しいモグラたたきのような光景。ペコーの身体が宙を舞うたびに地響きが起こり、風が爆ぜる。
砕けた岩の鋭い破片の上に、へし折られた木々のささくれ立った断面の上に、容赦なく何度も叩きつけられる。
「あ~~~~! あ~~~~!」
竜の躯が縮小していく。あまりのダメージに、ペコーは真竜の姿を保てなくなったのだ。
もはや赤茶けたボロ雑巾と化したペコーを、ウヴァは見下ろす。温度の無い炎が揺れる黒い瞳で。
「俺の……負けだ……。俺が……悪かった……」
「……」
ウヴァは応えない。ただおもむろに自身の纏っていたボロ布をずらすと、露出した巨大な胸をペコーの口に押し付けた。
「んご!?」
牙が抜け、顎が砕けたペコーの口に抵抗する術はない。生温かく、ほのかに甘く生臭い液体が喉の奥に流し込まれていく。
聞いたことがある。乳牛の獣人が出す牛乳には高濃度の魔力が含まれており、枯れ果てた魔力もたちどころに回復させる効能があると。
(俺を、回復させているのか……?)
だが、ペコーは外道である。心の髄から外道である。だからこそ、一見慈愛に満ちたウヴァの行動の裏に潜む、鬼の思考を感じ取ることができた。できてしまった。
(やめろ! やめろやめろやめろ!)
ペコーの意志とは無関係に、身体は魔力に満ち、傷口が塞がっていく。もっとも、抜け落ちた牙は歯茎が焼き固められてしまっていたため戻ることはなかったが。
「さぁ、続きをしましょうか」
彼女の黒く昏い眼が告げている。
逃がす気はない。殺す気もない。
ただ、戦え。そして負けろ。負け続けろ。
それは、力を信奉する者へ送る最高の地獄。
「頼む……もう、勘弁してくれ……」
最強であること。恐怖の存在であること。それだけがアイデンティティであった竜人ペコー。そんな彼が、哀願し、許しを乞うていた。
「牙が無いのが不安? だったら私は両手を使わないであげるわ。それとも脚を使わない方がいい?」
怯える小動物をあやすような口調で、ウヴァは両手を後ろに組む。
「う、うぅぅ……うおぉぉぉッ!」
ガクガクと震える両足に無理やり力を込め、ペコーは再び真竜の姿へ変身した。
勝つためではない。生き延びるためでもない。ただ、他にどうしようもないから。
そして数分後、顔面のあちこちを陥没させたペコーが地に伏していた。その様を額から一筋の血を流したウヴァが睥睨する。
ペコーは恐怖で足が動かないまま顔面に頭突きを喰らい、倒れたところを馬乗りされて無数の頭突きを喰らったのである。
「も、もう……もう……」
涙を流すペコー。そんな彼の前に、今はどんな拷問器具よりも恐ろしい、薄桃色の巨大な軟球が迫り来る。
消耗させられるために流し込まれる魔力。傷つけられるために回復させられる身体。そして、延々といたぶられ、敗北を刻まれ続け、決して癒されることのない心。
そしてついに、ペコーの心は、自我を構成する最後の要素をそぎ落とされた。
「殺してくれ……お願いだから、もう殺してくれぇ……。何でもする。何でも言う事を聞く。だから、もう、終わらせてくれぇ……」
◇ ◇ ◇
そこは、王都と呼ばれている。
広大な敷地にそびえ立つ魔王城。城門の前には美しく掃き清められた石造りの広場があり、そこを中心に賑やかな城下町が広がっている。
今、広場には多くの人々が集まり、ある異質な物体を見つめていた。
適当に組まれた材木に磔にされた人型をした肉の塊。
それが、かつて魔王領の裏社会を牛耳っていたといわれる竜人のなれの果てだと気付いたものはまだいない。
両手足の爪は残らずはがされ、再生しないように焼き固められていた。尻尾も根本から切断され、切り株のようになっており、やはり傷口を焼かれている。
意識があるのかどうかも定かではなく、腫れあがった両眼からははらはらと涙が流れ、半開きの口からは「おぅ……おぅ……」とあえぐようなすすり泣きが黄色い涎と共に垂れ流されている。
美しい広場に、ぽつんと置かれた一点の異物は、見ようによっては前衛的な芸術のようにも思える。
それを示すかのように、肉の足元には木の板が置かれ、ある題名が書かれていた。
『王太子妃シャヌスに捧ぐ』