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第2話:過ぎ去りし幸福の日、迎えるは煉獄の火

「ウヴァ、ちゃんて見て? 髪の後ろ跳ねてない? リボン曲がってない?」

「ええ。大丈夫です。とても可愛いですよ」


 深紅の瞳を輝かせ、少女は小さな胸を得意げに張ってポーズをとった。

 そんな彼女の胸に、ウヴァは星霊銀(ミスリル)と魔晶石でできたブローチを着けてやる。それは、少女にとって顔も知らない亡き生母の形見だった。


 にっこりと微笑む少女に、ウヴァも微笑みを返す。持ち主の心情を色に投影する魔晶石は、温かな陽光の色に輝いていた。

 美しく結い上げられた、(きら)めく銀色の髪。いつもは青白い肌が、今日に限ってはほんのりと紅い。さらりとした生地でできた純白のドレスは、肩や背中を大胆に魅せるデザインで、あどけなさの残る少女には少々背伸びをしている感があるがそれはそれで微笑ましさもある。


「お化粧、これでいいのかな?」

「ええ。ルフナ様は素のままでじゅうぶんお綺麗ですから」


 少女はそわそわと落ち着かない。早朝に目覚めてから、朝食もそこそこにずっと自室の鏡の前に立っている。その間、10秒と口を閉じている時がない。

 でも、そんな彼女を見守るウヴァの目線は温かかった。


「失礼いたします。お嬢様、シャヌス様がお見えになりました」


 侍女(メイド)の言葉に、ルフナはぱっと顔を輝かせた。正直、この少女は今朝からずっと輝いているのに、この上まだ光を増すのかとウヴァはひそかな苦笑を禁じ得ない。


「まぁ、今日のルフナは一段とお綺麗ですわ」


 それは、入って来たルフナの友人も同じ様だった。


「シャヌス! 来てくれたのね!」


 と満面の笑みで飛びついてくる少女に、シャヌスと呼ばれた少女は若干圧され気味に微笑んだ。


 ウヴァのお辞儀にも気さくな会釈を返すシャヌスもまた、美しい容姿の娘だった。ルフナが(きら)めくような動の美しさだとしたら、シャヌスは(みやび)(たたず)む静の美。ゆるやかに波打つプラチナブロンドの髪を肩の上で切り揃え、深緑の瞳をした理知的な少女である。

 そんな彼女のもっとも目を引く特徴は、長く尖った耳だろう。


 吸血鬼(ヴァンパイア)の娘であるルフナと、ハイエルフの娘であるシャヌス。2人は魔王により統一されたこの国において貴族階級の娘たちであり、王都にある全寮制の学院で共に学んだ親友だった。


「あら、可愛いブローチですね」

「えへへ、ありがとう」


 ややしまりのない笑顔を浮かべるルフナ。侯爵家の令嬢とは言え、領地は王都から遠く離れた辺境である。ふとした時に出てしまう山育ちの素朴さが、ルフナの愛嬌でもあった。


「わたくしは、何となく分かっていましたわ。グレイ殿下の心を射止めるのはルフナだって」


 シャヌスはそう言って、ルフナの身体をそっと抱きしめた。


「幸せになってくださいね」

「ええ。ありがとう」


 友人の祝福に、ルフナは目を潤ませる。


「何だか怖いな。今以上に幸せなことなんてない気がする……」

「そんなことを仰らないで。わたくしは信じていますわ。ルフナにはこれからもっと大きい幸せが待っているって」


 少女たちの賑やかなおしゃべりを聞きながら、ウヴァもまた幸福な時間の中をたゆたっていた。この時はウヴァもシャヌスと同じことを信じていた。そう、この時までは――


「ルフナ、入るよ?」


 ドアがノックされ、温和な声が聞こえてきた。


「おお、綺麗だよルフナ」

「ありがとうございます、お父様」


 入って来たのは、ルフナと同じ青白い肌に銀色の髪と髭を持つ初老の男性だった。ボッツヴィル侯爵。かつては魔王の参謀として四天王に名を連ねていた人物である。


「……いかがしましたか? ご主人様」


 スカートのすそをつまんで可愛らしくお辞儀をする令嬢たちの隣で、ウヴァは侯爵のたたずまいに異変を感じ取った。彼が着ているのが、対人用の礼服ではなく狩猟用の服だったためだ。


「領内に食獣植物の群生が見つかったのだ。すでに現地の兵ではどうしようもない規模まで拡がっているらしい。私と来てもらえんかね、ウヴァ?」


 そんな……と異を唱えたのはシャヌスだった。


「何も今日でなくても……」

「このあたりの食獣植物は繁殖力が高くてね。対処が遅れると天災並みの被害を出してしまうのだよ」


 ルフナもまた、小さな声で反抗した。


「ウヴァに付いていてほしかったのに……」


 消え入りそうな声でつぶやき、しゅんとうつむいてしまうルフナ。父親は一瞬だけすまなそうに娘を見るが、すぐに目線をウヴァに戻した。

 領主として、領民の被害を抑えることはあらゆる物事に優先する。それがこの由緒ある侯爵家ボッツヴィルの家訓であった。


「……たしかに、食獣植物とルイボスでは相性が悪いですね」


 毒性のある花粉と強烈な臭いを振りまき、獣を弱らせ誘い込む食獣植物は、敏感な嗅覚を持つ狼獣人にとって天敵と言える。


「今日だけ、ルイボスと交代してくれるかね?」


 彼女たちに否やはなかった。


 この日、先に屋敷を出たのはルフナだった。ウヴァに見送られ、護衛兼執事のルイボスに手を引かれ、少女は馬車に乗り込もうとする。が、身をひるがえしてウヴァの身体に抱き着いた。

 小柄な少女の背丈では、長身なウヴァの脚にしがみついているような状態である。ウヴァは身をかがめて、自分から少女を抱き直した。

 少女の胸の鼓動を感じた。


「ありがとう、ウヴァ。私、今とっても幸せ」

「私は、寂しいです。お嬢様に会えなくなると思うと」

「逢えるよ、いつでも」


 少女は額をウヴァの額にくっつけ、こぼれるような微笑みを浮かべる。ウヴァも心の奥からわき出る衝動に任せて微笑みを返した。


 ルフナ。乳母として、早世してしまったルフナの生母の代わりとして、赤ん坊のときから愛情を注いできた少女。そんな至高の主にして最愛の娘が魔王の息子に求婚され、今日、その返答を携えて王都魔王城に向かう。

 2人は婚約するだろう。魔王の息子と吸血鬼(ヴァンパイア)侯爵の娘。種族の壁も身分の差も存在しない、政略的にも価値のある婚姻に、両者の愛が存在している。

 これほど、理想的なカップルが存在するだろうか?


 ルフナは馬車に乗り込み、にこやかに手を振って去っていく。

 ――それが、ウヴァが見た少女の最期の笑顔だった。



◇ ◇ ◇



 盛り上がった土に向かって、ウヴァは手を合わせていた。


「……礼は言わねぇ」


 ウヴァの背中に、村娘が固い声をかける。


「私も、詫びはしないわ」


 村人たちは、ウヴァが返した穀物を嬉々として運び入れていた。また、別な者たちはウヴァが散らかした()()の後始末をしている。


「これから、村はどうなるだ?」

「ペコーとやらがあの狼男から話を聞けば、必ずここにやって来るわね」

「それをわかってて、アイツを……」


 ウヴァは沈黙をもって肯定した。

 彼女はそのためにルイボスを殺さず、逃がしたのである。彼を()()として更なる大物を呼び寄せるために。


 暴力で人を威圧し、みかじめ料をせしめるような者たちだ。「力の強い厄介者」という体積だけは大きい空洞の看板にすがりついて生きる、寄生に特化した進化の哀しき最終形。

 そんな者たちだからこそ、暴力による敗北は己の存在意義を揺るがす重大事だ。彼らは命に代えてもリベンジを果たそうとするし、果たさなければならない。もっとも、それを理解しているのは彼らの本能であり、なけなしの理性はせいぜい「面子が立たない」程度の認識しかできていないであろうが。

 いつの世でも、いかなる場所でも、必死な愚者ほど厄介な存在は無い。


「どうして、こんなこと……」


 娘は、老人の墓を見ながら絞り出すようにつぶやいた。ウヴァが見せかけとはいえあのような略奪をしなければ、老人は苦悶の表情を浮かべて死ぬことはなかった。

 ウヴァにはウヴァなりの事情があったのかもしれないが、娘にとっては祖父の苦難続きの長い人生の幕引きを、凌辱される孫娘の姿を目に焼き付けながら終えていった無念に釣り合うものとは到底思えなかった。


 喜びに沸く村人たちを見る。彼らもわかっている。これから彼らは、ルイボスの背後にいる、より大きな、より理不尽な暴力と相対させられることを。

 彼らの歓声は絶望的な明日を忘れ、安寧な今を少しでも楽しもうとする、一種の現実逃避だった。


(あんたは、鬼だ)


 娘の恨みのこもった視線に気付いているのかいないのか、ウヴァは彼女に背を向けて村の真ん中で今だ山をなしている穀物袋に近づいていった。彼女に気付いた村人たちが、わっと叫んで地面にひれ伏す。

 ウヴァは村人たちには一瞥もくれず、穀物袋に巧妙に隠されていた細長い箱のようなものを慎重に取り出した。それを護るように抱きかかえ、娘のところに戻ってくる。

 それは白い棺だった。簡素だが精巧に作られた小さな木棺。ウヴァはそれをそっと地面に置くと、音をたてないように蓋を開けた。


 棺の中に眠っていたのは、枯れ枝のようにやせこけた白髪の少女だった。顔や全身に包帯が巻かれているが、それでも痛々しい青痣や裂傷を隠し切れていない。

 身に着けている飾り気のない白のワンピースは、偶然にも先刻まで村娘が着せられていた生贄の貫頭衣によく似ていた。

 はっとして、娘はウヴァを見る。ウヴァは、あらゆる感情を殺しきった無表情をしていた。


「お嬢様の寝床がほしい。わら布団でかまわない。ただ、夜泣きをしても誰にも迷惑がかからない場所がいい」


 熱のない声で彼女は言った。


「代わりに、この村は私が守る」



◇ ◇ ◇



「んで、狼さんは乳牛にビビって逃げて来たってワケだ」


 とある街の高級酒場で、両脇にエルフとサキュバスの美女を侍らせ、テーブルに両足を投げ出した男がせせら笑った。

 燃える様なオレンジ色の髪に猛々しい筋肉に覆われた褐色の肌。そして何より、両手両足を覆う真紅の鱗。

 彼こそ、魔王領の裏社会を支配する男、竜人(ドラコニアン)の末裔たるペコーその人である。


 その身体から発する圧倒的な暴力のオーラを前に、ルイボスは粗相をした飼い犬のようにしおらしく首を垂れる。


「んで、そのウヴァってのはナニモンよ?」

「……かつては、俺と共にボッツヴィル家に仕えていました」


 ボッツヴィル家と聞いて、ペコーは初めて興味を示した。


「あの吸血鬼(ヴァンパイア)侯爵家か……」

「ウヴァは――その乳牛の獣人は、あそこのご令嬢の乳母兼ボディガードでした」

「ってことは、テメェとほとんど同格じゃねぇか。何コテンパンにされてんだよ?」

「あの女、お嬢様の件で完全にブチギレてまして……。恐怖も痛みも感じてねぇみたいで……」

「お嬢様……?」


 ペコーは思案する。3日前の夕飯のメニューを思い出すような顔つきで。


「あー、思い出した。あの銀髪のお嬢ちゃんな」


 牙を見せつけるようににいっと笑うペコーに、両脇の女性たちの肩がびくりと震える。


「ピーピー泣き喚くだけのガキだと思ってたら、意外と()()()よなぁ? んー? するってぇとアレか? その乳母さんがブチギレてんのは、お嬢様の復讐か?」


 ルイボスは頷いた。

 ルフナお嬢様の顔を思い出す。決して憎んでいたわけではない。むしろ、明るく優しい彼女には敬愛の念すら抱いていた。

 ただ、ルイボスにとって、敬愛で博打の借金は払えなかったというだけのことだ。

 だから、ペコーがどういうわけかルフナをさらう計画を立てていると聞いた時、協力を申し出たのだ。

 あの真っ白に輝く一輪の花が、無残に散らされ、踏みにじられると知っていて。否、それどころか、毒を喰らわば皿までとばかりに、彼はその()()に参加した。


「で、お前さんまさか、俺の名前を出したんじゃないだろうな?」

「……」


 沈黙は、何よりも雄弁な肯定だった。

 飛んできた酒瓶がルイボスの頭に当たって砕け散る。


「舐めてくれるじゃねぇの」


 ペコーは立ち上がった。両脇の女性たちや給仕たちが転がるように泡を喰って部屋から逃げ出した。


「テメェはこの俺様よりも、牝牛の乳母の方が怖ぇっていうのかよォ!」


 ペコーが大きく口を開ける。二重に牙が並んだ異常な口腔の奥がオレンジ色に輝き始める。すでに周囲の風景を歪ませるほどの熱が発せられ、ルイボスの毛皮をちりちりと灼いた。


 火球が吐き出された。それは握りこぶしほどの大きさだったが、見る者が呼吸すら忘れてしまうほどの光と熱を内包していた。


 火焔(ほのお)がルイボスを包み、瞬く間に消し炭へと変えていく。ルイボスは最期まで悲鳴ひとつあげなかった。それは目の前の竜人(ドラコニアン)の炎よりも恐ろしいものを見、すでに心が壊れてしまっていたからだった。

 それを感じたペコーはさらなる苛立ちを覚え、酒や料理が積み上げられた広いテーブルを蹴り飛ばした。


「ふざけやがって……」


 ペコーは真っ二つに割れたテーブルと散乱する料理を睨む。床に転がった仔牛の丸焼きを掴むと、頭をねじ切ってかぶりつき、頭蓋骨ごとバリバリと咀嚼した。


 突然荒れだした竜人に恐怖し、静まり返った酒場に、不意にしゃらん、と形容しがたい音が響いた。


「……ずいぶんと荒れているね」


 物影から声がした。静かな、それでいて耳障りで、老人のようにしわがれた、それでいて若者のように力のある、聞く者の不安を煽る不気味な声だった。


東方(とうほう)先生か……」


 部屋の隅の暗がりから、すっと現れたのは、白い着流しを纏った長身の女性。口許は白い布に隠されているが、切れ長な両目は妖しげで寒気を誘うほど美しい。その腕には、まるで人形を()でるように、異様に長い太刀が(いだ)かれている。


「いつからそこにいた?」

「そこの遺灰が、貴殿よりも牝牛の乳母を恐れているとかの下りかな?」


 ペコーは心の中で舌打ちをする。一番嫌なところを見られていたようだ。


「ところで我が雇い主よ。ここは小生(しょうせい)に行かせてもらえんかね?」

「珍しいな。先生が自分から仕事をしたがるなんて」

「実は、その牝牛殿に少々心当たりがあってね。小生の知人かも知れん」

「何?」

「心配召さるな。知人と言っても、コレ絡みよ」


 しゃらん、と先刻の音が鳴る。それは、彼女が抱いていた太刀から出る音だった。いったい刀身のどこがどうなってそんな音を発しているのか皆目分からないが、鈴の音のような清涼感と、蛇の威嚇音のような怖気を同時に感じる不気味な音だった。そういう意味では、この女性の声に似ている。


「悪いが東方先生。ここまでコケにされて黙ってるワケにはいかないんだわ」

「ふむ。それは残念」


 たいして残念そうでもなく、彼女はつぶやいた。


「で、その先生の知り合いの乳牛はどんな奴なのさ?」

「小生がこの世に未練を遺した張本人よ。全力で死合(しあ)いたいと思っていたのだが、その前に小生が病に(たお)れてしまった」


 口惜(くちお)しや、口惜しや、とつぶやくものの、その声はどこか(たの)し気だ。

 ここに至り、ようやくペコーは気が付いた。


「もし、その乳牛が先生の思い通りの奴だったとしたら、俺は奴に負けると思ってんだな?」


 だから、この世に未練を遺すほどの相手なのに、彼女はこうもあっさりと身を引くのだ。そして彼女は、ふふっと笑ってそれを首肯した。


「悪く思うな。小生のような古い者には、どうも戦後生まれはすべからく軟弱に見えてしまうのさ」

「あーはいはい。最近の若いモンはってやつね」


 意趣返しとばかりに、ペコーは嘲笑(わら)った。


「先の戦争、先の戦争ってな。死にぞこないは忘れているのかも知れねぇが、あの戦争、俺たち竜は不参加だったんだぜ? なぜかわかるか? 竜がしゃしゃり出ちまったら、戦争なんざ一瞬で終わっちまうからさ」

「貴殿の言にも一理ある。まぁだからこそ、ここは貴殿に譲ろうと思うのさ。竜人の強大な力とやらも見てみたいしね。勝った方と戦うことが出来れば、小生はより満足して成仏できるというものさ」


 しゃらん、と太刀が鳴る。鳴り終わるころには、女性の姿は暗がりに溶けるように消えていた。

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