表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

森崎准教授の講義

作者: N(えぬ)

 大学で心理学を教える森崎准教授。きょうは学生に「映像作品における演出と現実」という題で話をする。

 明るい講義室。照明は部屋の隅々まで照らし、机もいすも壁も床も、とにかく全てが樹脂と金属から出来ているように見える。歴史は感じない。きっとこの先も、どこかが汚れたり壊れたりしたならば、言えばすぐに補修できるようにメンテナンスのことまで織り込み済みで設計された構造、材質の部屋なのだと思う。だから、何十年経っても「元に戻る」だけで歴史を感じさせる「痕跡」は残らないだろう。

 ただそれは、直す金があればの話だ。予算を計上しても「出せない」と突っぱねられれば、直すべき場所も放置される。そうするとそれは、このような作りの建物においては「歴史的な渋み」を出すわけではなく、「ああ、直すのをケチってるのね」と貧乏くさいと思われることになる。


 話が最初からそれているが、この講義室で森崎准教授は講義をする。彼はこの講義室については、あまり好きではない。そのことについて学生達に議論を求めたこともある。「私は、この部屋を「寒い」と感じる。君たちはどう感じるか、聞かせて欲しい」というような議論だ。

「よく、「木の温かみが感じられる家」とかいうでしょう。「木」ってほんとに暖かいの?

樹脂や金属。日本ではサッシかベランダとか、家のそう言う部分には普通に使われていますね。それらが、触れたときに「冷たい感じ」がするから、木製は特別に暖かいわけでもなくても、「暖かい」と思わせ、「自然から生まれた」という印象が、日の光などを想像させて、「温かみ」を使用者に与えるのだ、とか、そんな話しもする。


 森崎准教授はいう。

「演出とは、見ている者に「こちらの意図したあるイメージを持たせる」行為ですね。それは、皆さんすぐに納得がいくでしょう」

 森崎は学生の顔を適当に左右に舐めて見たが、特にこれについてなにか意見のありそうな顔はなかった。

「大方の演出は、特に映像作品などは、誰しもが演出だと頭から思っているので、むしろ逆に「これはほんとにあったことだ」というと、視聴者を驚かせることが出来ます。そして、これが、「ほんとにあったことだ」という演出です。

例えば、むかしほんとにあった事故のことを、ただ単純に「これはほんとです」というとリアルすぎて衝撃的になってしまう。それを緩和するために、今度は逆に「このあと丸く収まった」とか「奇跡的に救出された」とか、衝撃の緩和をするために演出のナレーションを入れたりします。まあ、つまり、ウソをつくわけです」


「事実に演出を施し。作り話に真実味を持たせるためにリアルな演出を施す。そういうことの集積が、映画やドラマ、その他もろもろのテレビ番組の作り方です。そうすると、演出と現実の境がわからなくなり、冷静に考えれば作り話だと気づいてもいいはずのことを真実だと思ってしまう人が出てくるのです。言ってみればそれはすべて、「演出家の技に引っかかった」ということです」


「演出はいろんなところにあります。ニュースにもあります。ニュースに演出があるというのは、変ですね?納得できますか?いえ、ニュースの演出というのは受け入れていいものなのでしょうか?」

 ここでまた森崎は学生の顔を見る。少しは自分の話に興味がわいたような顔がいくつか見られた。


「例えばニュースキャスター……全ての人ではありませんが。ニュースを読むときに、明るいニュースは明るい弾むような声と表情で。重苦しいニュースなら、逆に、張り詰めたような低い落ち着いた声と表情で読み上げる。それも演出ですね?

もちろん、本当にキャスター自身のこころの中から湧き上がる感情が声に顔に出ていることもあるでしょう。ですが、そうではなく、「技術として身につけている」人もいるのです。

例えば政治的に重要なニュースの時、「上半身を少し前に倒しながらニュースを読む」こうすることで、テレビで見ている視聴者は、キャスターの姿勢に少し緊張感を覚えるかもしれません。また、自分の前に机がある場合には、さらにオーバーに、右腕を台の上に出して前に体重を掛けるような姿勢を作って見せ、視聴者の緊張感を喚起する。などと言うこともあるのです」


「人は、あらゆる場面で、相手の「演出」にはめられていて、そして、それが本当であるかどうかの「見極め」を常に迫られているのです」

 森崎准教授は、ここで演台の水を一口飲んだ。


「映画の話をしましょう。映像作品。特に映画では、知っている人も多いでしょうが。特定のシーンを指して「これは本当にやっている」という宣伝文句であったり、後日、出演者からの暴露があったりすることが多いですね。出演者の暴露の場合、大概は「演出のため」という名の「犯罪行為」と考えられるような内容が多いものです。

もしそれが本当だとすると、なぜ演出家はそんなことをするのでしょうか?

「リアルに見せるため?」

「リアルに見せるために本当にやるの?それは単に「リアル」なんじゃないの?」


何でそんなことをするのでしょう?

「リアルに見せる演出が思い浮かばなかったから?自分にその腕がなかったから?」


「たしかに、台本に書かれた演技をすることは演者の技量が問われます。どうもうまく出来ないからと、演出家が本当に怒鳴り散らして演者の緊張感を高め、それを「演技」として作品に使ったりするわけです。ですが、それは「演技」ですか?」


「人間は、「本物」を見せられると痛ましく感じたりします。動揺もするかも知れません。ですが、「本物の演技」を見れば感動します。こころを揺さぶられる。まあ、これは私見ですが」


 森崎准教授は、しばらく実際の映像を学生達に見せ、解説を加えたり。

「これは、現実か、演出か、」など学生に質問したりした。



「最後に、おもしろい例をひとつ紹介します」

 森崎准教授は、ここでまた一口、水を口に含んだ。講義に興味があるかないかに関わらず、ここが「サビ」の部分で、ここだけでもしっかり聞いてもらいたいと思っていた。


「ある映画のシーンです。

ある若い恋人同士がいて、彼女が彼氏の部屋に夜、訪れて食事をし、そしてそのあと彼氏のほうは「そしらぬ顔」で、彼女に触れようともせず、「泊まっていけば」とも言わず。テレビを見ながら、ただ世間話をするのです。その彼の態度に業を煮やした彼女は、自分から、

「泊まっていってもいい?」

と聞きます。それに対して彼は「ううん。きょうはナァ」と難色を示し、そして彼が、

「じゃあ、ジャンケンで決めよう。キミが勝ったら泊めてあげる。ボクが勝ったら、きょうは帰る。いい?」というのです。

そしてこのシーンで演出家は策を講じました。ジャンケン自体を本当にさせることにしたのです。

つまり、こういうことです。

二人の俳優がジャンケンをする。

女優が勝ったら、二人はそのまま抱き合い、口づけをかわしそして……というラヴシーンを撮ります。

彼がジャンケンに勝ったら、女優は少しがっかりしながら一緒に部屋を出て、彼は彼女を近くの電車の駅まで送っていく。と言うシーンを撮る。

これをジャンケンの部分からひとつの流れで撮影しようと考えたのです。


どうですか、考えて見てください。このシーンには、現実と演出が幾重にも絡み合っていますね。

まずジャンケンは本当に行われる。そして、そのジャンケン自体にいろいろな人の思惑が絡むのです。女優は勝ちたいのか?男優は勝ちたいのか?演出家はどちらがいいと思っているのか?勝ちたいと思っている人が負けたらどんな演技になるのか?

このシーンには出演者も撮影スタッフもわからない「演出上の現実」が横たわっているのです。そういうと、森崎は、その映画の題名と監督、出演者の名前を言った。映画は1970年代のものだとも言った。



「きょうのは私の講義は以上です」

 森崎准教授がそう言うと、学生達はそそくさと立ち上がってへやを出て行った。

 最後尾の席に森崎の友人が座って、この講義を見ていた。友人は教壇のところまで来て、

「おもしろい講義だったよ。でも、あの映画、観た覚えがあるけど、そんなシーンあったっけ?それに出演者が……」

「ああ。キミ、よく覚えているね。でも曖昧な記憶でもある。似た名前の映画はある、似た名前の監督もいる、出演者もいる。だがどれも少し違っている。少し熱心な学生なら、ネットででも調べてみるだろう。そして、私が言った条件に合致する映画が存在しないことに気づく。監督も出演者も全て嘘だとわかる。あるいは、私が何か勘違いしているのだと考えるかも知れない。質問をしてくるかも。そう、これが、私がこの講義に施した「現実感のある演出」なんだ。けっこういい線行ってると思って、気に入って毎年やってるんだが。どう思う?」

 森崎准教授は、どうだとばかり少し胸を張り、おどけたような表情をする。友人は笑いながら彼の肩をポンとひとつ軽く叩いた。




タイトル「森崎准教授の講義」

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ