婚約者の頭の上にスライムが乗っかっているのだが...
ノリと勢いで書きあげた作品です。広い心でお読みください。
美しい薔薇の垣根を越えた先、白い立派なお屋敷には〈薔薇の妖精〉と呼ばれる令嬢が住んでいる。
その令嬢の名前はソフィア・リンドベール。
社交界にはめったに顔を出さず、婚約の申し込みも基本全てお断り。それはそれは美しい容姿をしているともっぱらの噂だが、その姿をきちんと見た者はいない。彼女の父親は王族とも関わりの深い公爵地位であり、その父親の方は社交界でもよく見かけるのだが。
要するに深窓の御令嬢というわけである。
そんな彼女が男爵子息である俺、レイン・トランシードを婚約者に御所望とは一体どういうことなのだろうか。
婚約の申し込みの知らせが届いたのはつい先日。家族そろっての夕食の時に、親父がものすごく神妙な顔つきで
「お前、何しでかしたんだ。」
と言ってきた時には何事かと思った。
同じ男爵仲間には羨ましがられるどころか、何か陰謀に巻き込まれてるんじゃないかと本気で心配され、それまで俺に対する扱いが雑だった妹たちは急に俺のことをかわいそうな目で見つめるようになった。全くなんだというんだ。
書類上での婚約の取り決めは昨日済ませたので、今日がはじめての顔合わせということになる。馬車の車窓から見えてきた薔薇の生垣に目を細め、俺は小さくため息をついた。
「これが公爵家の邸宅か、でかいな...。」
自分の家の倍以上ある白い立派な建物に目を見張る。これだけの大きさの家を管理するのはどれだけお金がかかるのだろう。俺には見当もつかない。
赴きのある木の扉をノックすると、内側から年老いた男性の声がかかった。
「レイン様ですね、お待ちしておりました。」
ギィと静かに開いた扉の向こうからほのかに薔薇の甘い香りがただよってくる。挨拶の言葉を言おうと顔を上げ目に入った光景を見て、俺は言葉を失った。
そこに立っていたのは噂通りのそれはそれは美しい御令嬢。
華奢な体付きで緩くうねった金色の柔らかい髪を後ろに流している。
薄いピンクのドレスを見に纏い、同じくピンクの彼女の顔の半分くらいありそうな薔薇の花を髪飾りとして挿すその姿は、まさに薔薇の妖精そのものだ。
疑いようのない違和感を作り出す緑色のスライムが、彼女の頭の上になければの話なのだが。
「お待ちしておりました、レイン様。ささ、中へお入りください。」
小さな赤い唇が紡ぐ言葉は鈴のように軽やかで心地よい。ただ、そこにスライムがあるという事実をどう受け止めればいいのかわからないのだ。周りの使用人たちは素知らぬ顔で立っている。
(これ、俺はどうすればいいんだ....?)
対応の仕方を思い浮かばないまま、俺はソフィアの後について応接室に入り、置いてある大きなソファに腰かけた。
「今紅茶をお入れいたしますわ。レイン様は砂糖はおいくつ?」
「あ、1つで。」
「ふふ、かしこまりました。」
紅茶を入れる姿でさえとても美しい。金髪がさらりと横に流れキラキラと輝いている。そんな俺の視線に気づいたのかソフィアは小さく笑うと、コトリと俺の前にティーカップを置いた。
「改めて自己紹介を。わたくしの名前はソフィア・リンドベールと申します。公爵家の一人娘ですわ。この度は婚約の件、受けてくださってありがとうございます。」
「男爵家の長男、レイン・トランシードです。こちらこそ、まさか選ばれるなんて思ってもいなくて...。」
そのせいでいろいろと大変だったとは言わないが。
促されるままティーカップを手に取り、一口口に含むと甘い香りがふわっと広がった。これはローズティーか。
「...美味しい。」
あまり紅茶については詳しくないが、このローズティーが良いものであることはわかる。心からの称賛に、ソフィアは嬉しそうに笑みをこぼした。
「良かったですわ。実はその紅茶、レイン様のために特別に庭の薔薇を使ってわたくしが作ったものなのです。」
「ソフィア様が、これを?」
「ええ。」
それは驚きだ。公爵令嬢が自ら紅茶を作るなんて聞いたことがない。というかそこまでしてもらうほど、俺が彼女に好かれる理由がわからない。そもそもなんで俺を婚約者に選んだんだ?
溢れてくる疑問を口にしようかと思い顔を上げ、やっぱり目に入ってきた頭の上のそれを見て、俺は開いた口を一度閉じた。
「せっかく来てくださったのですから、たくさんお話いたしましょう。お聞きしたいことは山ほどありますわ。」
「それは俺も同じです。ですがその前にソフィア様、そろそろつっこんでもよろしいでしょうか?」
「はい?」
「...頭の上のそれは一体、」
なんなんですか?と尋ねた俺の言葉にソフィアは思い出したかのように視線を頭上にやり、
「ああ、スライムですわね。」
と、当然のように言った。
いや、それはわかってるんだが。
「なぜスライムがソフィア様の頭の上に?」
「ええとなんていうか、...これはもうデフォですわ。」
「は?」
素で聞き返してしまったことは気にもとめず、ソフィアは真顔でつらつらと言葉を続けた。
「スライムはわたくしにとってライバルであり勝たなければならない存在であって、常に彼らと一緒にいることで何かわかることがあるかもしれないと思い、こうして頭の上に乗せているのです。かれこれ7年ほど、こうして共存しておりますわ。」
「は、はぁ...そうなんですか。」
それ以外になんと感想を述べればいいのだろう。どうしてそんなことになったのだろうか。そもそもスライムが公爵令嬢のライバルってどういうことだよ。
「ちなみにこの子はわたくしが今朝裏の森で狩ってきたばかりの、とれたてほやほやなんですの。」
「狩る?ソフィア様が?」
「ええ、深いところまで行かなくてもただ突っ立っていればスライムたちは集まってまいりますわ。狩られるなんて思いもせずに...ふふっ、愚かなモンスターたちですこと。」
妖精の微笑みが悪魔の嘲笑に見える。
なんだろう、見てはいけないものを見てしまったようなこの罪悪感。ていうかほんとにどこからつっこめばいいのか分からないんだけど、なんなのこの子。
「その、ソフィア様は何故スライムをそのように集めていらっしゃるのですか?」
「あら、覚えていらっしゃいませんか?レイン様がきっかけなのですよ?」
「はい?俺?」
そうです、と頷くと、ソフィアはどこか懐かしそうな表情で口を開いた。
「あれは忘れもしない、7年前のわたくしの10歳の誕生日パーティーでのことでしたわ...」
(あ、なんか嫌な予感がする。)
思い当たる節があり、俺は思わずソフィアから視線をそらした。
「わたくしは開かれたパーティーに飽きてしまい、ほんの遊び心で、越えてはいけないと言われていた薔薇の垣根の外に出てしまったのです。そこで自分と同じくらいの年の男の子に出会ったのですわ。」
頬を染めながらソフィアは話を続ける。
「赤茶色の髪にオレンジ色の目をしたその男の子は、スライムを追いかけていたのです。わたくしこの容姿ですので、妖精だ天使だと称賛されることがよくあって子供ながら自分に自信を持っていたのですが...、その男の子はわたくしには見向きもせずに瞳を輝かせながらスライムを追って去っていってしまいましたの。わたくし、ショックでしたわ。でも、それと同時に、」
恋に、落ちてしまいましたの。と熱を孕んだ紫色の瞳でこちらを見てきた。
「レイン様、あなたのことです。」
そうだった。思い出した。
あの時、俺は見つけたスライムを追って普段は行かない薔薇の垣根の近くまで行ってしまったのだ。そこでソフィアに遭遇していたことは知らなかったが、その後母親にひどく叱られたのでよく覚えている。
つまり一目惚れされた、ということか。
「わたくしその日から、どうすればレイン様に振り向いてもらえるのかを考えに考えて、スライムという存在を超えることにしたのです。」
ふんす、と自信満々に胸を張るソフィア。考えに考えてその結論というのはどう考えてもおかしいと思うのだが。ひょっとしたらこのお嬢さん、意外とアホかもしれん。
「...それでも長い間一緒に過ごせば、湧いてしまうのが情というもの。最近はなんだかスライムたちが可愛く思えてきてしまって。暇な時はずっと膝の上に置いてプニプニしてますわ。」
「...プニプニ。」
「ええ、プニプニ。」
微笑ましいようなそうでないような光景が目に浮かぶ。公爵令嬢がスライムをプニプニするというのは絵面的にどうなんだろう。
「さあ、わたくしの話はこれくらいにしてレイン様のことも教えてくださいませ。」
嬉々としてソフィアがソファーから身を乗り出す。
「俺ですか?特に面白い話はありませんが。」
「なんでも良いのです。好きな食べ物は?好きな色は?好きなスライムの形状は?好きな方のことを知りたいと思うのは人として当然のことですわ。」
矢継ぎ早に質問を投げかけてくるソフィアに思わず苦笑し、俺はソファーに座り直した。
「わかりました。でもその前にスライムの話から離れてください。」
「なぜです?好きではないのですか?」
「好きは好きですが、子供の時の話です。今はそこまで。」
「そうなのですか...。」
残念そうにしゅんとするソフィアを少しだけ可愛いと思ってしまう。薔薇の妖精などと評されているが、その中身はそうでもないようだ。
まだ湯気ののぼる紅茶をすすると、俺たちは時間を忘れて語り合った。
帰り際、ソフィアはふと気がついたように言った。
「レイン様、わたくしたち婚約者なのですから敬語はやめにしませんか?どうも堅苦しい感じがいたしますわ。」
「いいですけど、ソフィア様もやめてくれるんですよね?」
「わたくしは素がこれですので、難しいかもしれませんが善処いたします。」
廊下の窓から差し込む夕日に照らされて、ソフィアは柔らかく微笑んだ。甘い薔薇の香りが鼻をくすぐる。
俺は金色の髪の中に小さな枯れ葉が絡まっていることに気がついた。
「ソフィア様、髪に葉っぱがくっついてますよ。」
「あら、もしかしたら今朝狩りに行った時についたのかもしれません。気づきませんでしたわ。」
「俺取りますよ。ちょっと止まって。」
細い髪を傷つけないように丁寧に絡まった葉を取り除く。
「出来まし、」
た、と言おうとしてソフィアの鼻先に触れそうなほど顔が近づいていたことを認識する。お互いの吐息が絡んで、こぼれんばかりに開かれた紫色の瞳に同じく大きく目を見開いた自分が映っていることに気づき、慌ててソフィアから離れた。
「す、すみません...」
「い、いえ、わたくしの方こそ...」
夕日に照らされたせいなのか頬が焼けるように熱い。
そこから先は2人とも無言で玄関に向かって歩いていった。
止まっていた馬車に乗り込み、窓から顔を出すとソフィアがすぐそばに立っていた。頭の上には相変わらず緑色のスライムが乗っかっている。...よく今まで落ちなかったな。
「本日は本当にありがとうございました。とても楽しかったですわ。」
「俺の方こそ。今度はうちに遊びに来てください。その時は俺が紅茶を入れますよ。」
「あら、それは楽しみですわね。」
そう言って本当に楽しそうに笑うソフィアに俺は無意識のうちに右手を伸ばすと、その髪にそっと触れた。この頭の上のスライムさえ無ければ、完璧なんだけどな。
「....ソフィア、あんまりスライムプニプニばっかりしてると、俺、妬きますからね?」
ソフィアは笑顔をやめ、驚いたように目を見張る。
「それでは、また。」
会釈をして窓を閉じると馬車は音をたてて走り出した。来るときは威圧的な雰囲気を醸し出していた薔薇の生垣も、帰り道はとても綺麗に思えるから不思議だ。俺は窓ぎわに頬杖をつくと、今日のことを思い出して静かに微笑んだ。
(ソフィア・リンドベール嬢、なかなか可愛らしい方だ。)
◆
同じころ、ソフィアがベッドの上にダイブし、スライムを高速プニプニしながら悶えていたことは、スライムしか知らない。
プニプニプニプニプニプニプニプニプニプニプニプニプニプニ........