死の生命 7
「あれは……!」
「報告通り…………いや、それ以上。なんて姿だ」
「マジかよ……あんなもんがこの世に居ていいのか」
どろりと粘りつくような擬音が聞こえてきそうな流体的な動作。肉塊が液状になったようなその冒涜的な様相。アリアが産み出した最低にして最悪、最害なる人類殲滅生体兵器B.O.A.H.E.S.がついに時を越えてその姿を顕現した。
動く度に全身の一部が他生物の身体に変化しては溶けるように沈み萎んでいく。
カエル、蜂、トビウオ、蛇、クラゲ、タコ、ウサギ、カラス、ネズミ、牛、そして人間。何に変化しているのかを追跡することそのものが無意味と思える程に目まぐるしく変幻していく。
無数の木を薙ぎ倒し吸収しながらついに人々の前に現したその異常極まる姿。騎士の一声と波のような勢いによって上がり続けていた調子は、一瞬にして凍りついた。
「gああ⬛⬛ああ⬛⬛⬛⬛アアア⬛⬛アaaaアアあァ⬛⬛ァァaaaあァa⬛⬛⬛aaa!!!!」
何十何百の生物の鳴き声がごちゃごちゃに混ざりあったような、鼓膜を引き裂くような心の底から本能的な嫌悪感を煽り立てる、脊髄から地面まで貫かれるような叫び声。
オルデア山からサイレンのように空気を伝って鳴り響き、それは前線にて戦う者達の向こう側、人々が逃げ惑うアルフヘイムの奥まで届いた。
「なんだよありゃ……俺達、どうなっちまうんだ」
「お母さん……離れないでぇ……こわいよ……いや……いやだ……」
「早く逃げろ! もっとだ! 世界樹まで走るんだ!」
大きな力を持たぬ民衆はその地獄の怨嗟のような劈く声に、焦るように足を動かし、子供は母親に泣きながらしがみつくように抱きつき、父や母は内心に発狂しそうな程の恐怖を抑えながら子を安心させるために、自分も心を落ち着けるように抱きしめながら、背中を擦り優しく寄り添いながら走る。
絶望に包まれる者や、異形の存在に心奪われる者、悪夢を疑う者。アルフヘイムは怪物の鳴き声一つでパニック寸前の状況にまで陥れられた。
「急いで逃げて! まだスペースはあるわ! 今日だけは隣の恵みの足跡と一緒に全スペース開放してるから、避難はこっちに!」
そんな中でも、怖気づかず人々の避難誘導を促しているのは、大型食堂「ウィータ」の店員であるセレナだった。
その側には、おどおどした様子でいつ来るかわからない神憑の時を伺いながら手伝うルシールの姿もあった。
「なんなのよもう、オーナーが許可したから仕方ないけど、これじゃいつ大変な事態になってもおかしくないじゃない。しかもあんなのが出ちゃったとなれば尚更」
不思議と大きな動揺も慌てる様も見せず、自身が努める食堂へ避難する人々を、声を強めに発しながら案内していく。
その時ふと、ルシールはこの耳障り極まる鳴き声に心身を崩していないだろうさと心配になり、後ろ側を振り向く。
「ルシールは大丈夫? さっきのきつくなかった?」
「う、うん……なんとか。ちょっと気持ち悪くなったけど」
「それならよかった」
返答の調子はこれまでとあまり変わらず、しいて言えば少々声が震えている程度だった。
いつもはおどおどしていながら、やっぱりそれなりに図太い心持ちもあって安心すると思いつつ、セレナは化物蠢く方向をじっと眺めながら、口元を小さく歪めた。
* * *
混沌と動揺が人々の間で拡がる一方、その害声の影響は前線で戦う騎士団や精鋭、冒険者達にも一際強い影響を与えた。
エミルの戦士を鼓舞する一声と、少しずつ好転へと向かう状況が積み上げた一人一人の高揚した戦意は、肉塊の全貌と鳴き声一つで大きく削り取られてしまった。
士気が完全に喪失したわけではない。むしろ未だ燻っている。だがそれよりも、異形の怪物の非現実感、生物という域に含めることすら憚られるような嫌でも見て理解してしまう異常さ。
何より決して自分の刃が届くとは思えない、想像したくなくても蹂躙される未来が見えてしまうそのスケール。大半の者たちが、武器や魔法を振るう手や足を、自らの意志ではなく絶望感によって止めてしまった。
「さすがにここまでは予想していなかった……一体何なんだあれは。世界の終わりを形にしたみたいじゃないか」
僅かな傷すら負うことなく、焔の刃を振るい続けていたエミルも、この衝撃には一旦手を止めざるを得なかった。
爆発の如き鳴き声の威圧感。その影響は団員達の方を向かずとも察せるものがあった。
戦意喪失、茫然自失、下手すれば一発で心がへし折れてもおかしくない。むしろ耐えられている方が称賛すべきだろう。
そんな状況で下手に戦いを強要し、先導するわけにもいかない。
圧倒的な存在を目の当たりにした直後に無理強いをすることは、崩れかけの橋を渡るようなもの。ならばエミルが行うことは一つだけだった。
「すう…………はぁ…………刃を持てるものは戦いを続けろ! 竦み上がった者は大きく深呼吸して心を落ち着かせるんだ! 戦えるものだけでここは持たせる! 身体が万全でも、魂が折れては意味がない! 決して無理はせず、ここは今戦えるものに任せるんだ!」
いつ巨大な肉塊がこちらに流れ込んでくるかはわからない。ならば、自分が動けない団員の分まで背負い、目の前のキメラ達を蹴散らし続けながらずっと先にて鎮座する異形への対策を考える。それがエミルが導き出した結論だった。
未だ消えぬ意志を胸の奥に灯し、キメラ達を再び切り捨てていくエミル。
その号令に従い、まだ武器を持てると思った者は戦いを続け、足や手の震えが止まらない者は一旦下がり、態勢を整えることとなった。




