しばしの休息を 2
大我が今まともに動かせるのは、右腕と頭のみ。添えられたスプーンは既にエルフィが持ち上げており、食べさせる気まんまんである。
いずれにせよ、大我には殆ど拒否権は無いも同然らしい。軽く千切ったパンを風で浮かせ、刻んだキャベツとパプリカも一緒に掬ったコンソメスープのスプーンを持ち上げ、こぼして火傷しないように慎重に口元へ運んでいった。
万が一を考慮し、手元から微弱な氷魔法でスープの温度を下げるまで行っていく。若干過保護の域にも到達している気がしなくもない。
「パ、パンとスープ、最初はどっちがいい?」
「スープでいいぞ。パンを掴むくらいならできるって」
思ったよりも現状の可動域の少ないことを肌で感じながら、右腕を駆使してふわふわと宙に浮くパンの欠片をつまみ、口元に差し出されたコンソメスープを少しだけ咀嚼しながら飲み込んだ。
こういうのだというイメージ通りのふわっとしたあっさりしていながらキリッと塩味と風味のあるスープの味に、透き通るほどに煮込まれたキャベツと果肉に味が染みているパプリカ。ほんのアクセントになる甘みがピンポイントに舌を優しく叩き、ベーシックなコンソメの味のちょっとしたアクセサリとなる。
ほのかに舌にざらつきを感じさせる溶け崩れたじゃがいもが、もう少し塊が欲しいなーという次への羨望を生み出しながら、邪魔をしない程度の引き立て役となる。
何より、最後に食べたものがどうしようもない味汚物だったために、ただのスープが何倍何十倍にも美味しく感じられた。
右手に取った固めのパンの欠片も、小さい分口内のスープにほろりと染み込み柔らかく解け、香ばしさを上回る小麦の風味が一瞬のフレーバーとして広がっていく。
パンを食するという行為には間違いなく物足りないが、もっとこのパンを食べたいという呼び水にはこれ以上ない味わいだった。
「パンをそのままくれ」
「あいよ!」
ふわりとパンの本体を風に乗せて右手の中へと運び、それを無理せずゆったりと掴む。
握れないほどではないが、手の力が入り切らない。そんな大我の手にちょうどいいサイズ感なことがありがたかった。
一口かじると、耳に心地よい音と共に欠片の時とは段違いの小麦の風味と糖の甘みが合わさり広がっていく。
いかにも塩気が合うし欲しくなる味だと感じられた。
「おお……本当に目が覚めたのか! よかったよかった……」
少しずつ食事を進めていたその時、ティアからの吉報を受けたエリックとリアナがその様子を伺おうと部屋にやってきた。その後ろには、ティアの姿もある。
心底安心したのか、ペースは遅いながらも右手でパンを食べている姿にエリックはほっと胸を撫で下ろし、リアナはこれで心配事はひとまずなくなったと、安堵の笑顔を見せた。
「すみません、ここまでしてもらっちゃって」
「いや、いいんだよ。むしろこれでも足りないくらいだ。君はこの街を救った英雄には間違いないんだからな。そこの精霊に言われたのもあるけど、いい機会だと新しくベッドを新調させてもらった。怪我人が休まるにはうってつけだ。どうかな、寝心地悪いとかそういうのはないかな?」
「大丈夫です。これまでとは比べ物にならないくらい」
「まあ、あんな即席ベッドじゃあねえ……」
「あっはは、確かにな。ともかく、本当にありがとう。どうかゆっくり養生してくれ」
最初に視界に入った二人に比べるとその口調は比較的落ち着いているが、体感でもその言葉には心の底からの安堵と思いやりがあることが感じられた。
あまり久方ぶりの触れ合いと療養の邪魔をしないようにと、夫婦二人は配慮してすぐに話を切り上げて去っていった。
こうして大我の部屋に残ったのは、エルフィとティアだけとなった。
「起きてから最初の食事はどうだった?」
「……ああ、ほんとおいしい。最初に口に入れたのがこれで本当に良かったよ」
これ以上ない程にわかりやすいシンプルな食事である主食のパンと副食のスープ。シンプルが故に完成されており、何より安定している。
優しく思いに満ちている食事が心の疲れを癒やす。それを大我は実感していた。
「よかった。それで……少しいい? 大我」
命の心配こそしなくてもよくなった様子に、小さな笑みを浮かべて安心するティア。
優しく扉を閉めたあと、少しだけ低めの真剣味の増した声で大我にワンクッションのやり取りを置く。
「ああうん、大丈夫だけど」
移り変わる空気を察する大我。わずかにつばを飲み込み、頷きながら了承した。
それを聞き、側に置かれていた背もたれの無い小さな椅子を、皿の置かれたテーブルの横に置いてそこに座り込む。
その位置は大我の頭の目と鼻の先。家内であるにも関わらず、病院の中のような雰囲気に包まれる。
どのような話題を繰り出すのかと考えた次の瞬間、ティアは大我の額にデコピンを放った。
「いてっ!」
過去に友人にやられたデコピンよりも強い、骨に響くような痛みが大我の頭に走った。
いきなり何するんだと額を押さえながら言おうとしたが、その直前にティアの悲しそうな顔を瞳に写った。
「本当だったら、その頬を引っぱたきたいくらいですよ……」
それまでの歓喜に満ちた声と表情から一転、ティアからは大我に対する静かな怒りが見て取れた。
一体何があったのかわからないままにきょとんとしていると、ティアは左手からくしゃくしゃになった一枚の紙を取り出した。
それはバレン・スフィアへと向かう直前、大我がメッセージを書き残した置き手紙だった。
「なんであんなこと書いたんですか」
「そういえば、俺もあれの内容は見てなかったな。大我、お前なんて書いたんだ? ティアが怒るなんて相当だろ」
これ以上崩れようが無いだろうという状態でも、再び潰すように握りしめる。
普段温厚で優しい彼女が怒っているという事実だけでも相当だと察したエルフィ。だが、その手紙を書いている姿は見てても、内容は見ることはできてはいなかった。
それだけに何が書かれていたのかが余計に気になり、エルフィは天然ながら内容を復唱させるように聞いた。
「…………あれには」
この手紙を誰かが読んでいるということは、俺はこの家に帰ってこれなかったのだろうと思います。
エリックさん、リアナさん。こんな流れ者を家に居させてくれて本当にありがとうございました。
ティア、巨大な猪から逃げてきた時、アリシアと一緒に俺を助けてくれて本当にありがとう。最初の出会いが無かったら、俺はとっくの昔に死んでいました。
元々死んでいたようなものだったけど、短い間、とてもお世話になりました。
この手紙を読んだあとは、どうか俺のことは忘れてください。居なかったものとしても構いません。
「…………こんなこと書いてたのか」
内容を一から聞いていくにつれて、次第にエルフィの表情は苦く変わっていく。
言ってしまえばこれは明確な遺書であり、ティアとその家族に、もっと言えば自分と出会った人々に向けたメッセージでもあった。
逆に言えば、大我はその死の可能性をも背負い、バレン・スフィアへと向かったのだという証左でもある。
「なんで忘れろだなんて言うんですか……そんなこと、言われてできるわけないのに……それを自分から言うなんて」
出会い過ごした期間は他の親友や住人達とは比べ物にならないかもしれないが、それでもティアは大我のことを大切な友達の一人と思うようになっていた。
そんな相手の死をまるで他人事のように、簡単に捨てられるような物だと思われているように感じ、ティアは悲しみと怒りの湧き上がる胸の内を直接本人にぶつけた。
「大我のほうは、私達のことをなんとも思ってないんですか!? この間の夜も、ちょっとパンを分け合いながら夜空を見て……とっても楽しいひと時でした。その前だって、ルビーオレンジの収穫を手伝ったときも、ラントと大我がスライム踏んで同時に転んじゃったりしたときも……色んなことがあって、一緒に笑ってたじゃないですか。そんな時間を過ごした相手を、簡単になんて……」
死んでほしくないことなど大前提。その上で許せなかったのは、大きな前触れも無く死にに行き、それが失敗したら自分のことを全て忘れろという一方的な押し付けにあった。
友が苦しめば、友が死ねば当然悲しみもする。それは当分の間、下手すれば一生引きずるような出来事にもなるだろう。
そんな相手のことを考えていないような手紙の物言いが、ティアは許せなかった。
「…………悪かった。けど、いずれにせよ、俺はここにいてもいいのかってずっと思ってたんだ」
「いてもいいに決まってる…………」
「……そうじゃない。この家じゃなくて、この世界になんだ」
「世界……?」
「少しだけ、俺のちょっと前――――いや、昔話を聞いてくれるか」




