この拳は何を穿つために 23
「お前達、少し前に二人のゴブリンの少年を助けなかったか?」
「……ああ、あれか」
その言葉に、エルフィはバレン・スフィアを見下ろした後に飛び降りた地点にて出会った二人のゴブリンのことを思い出す。
もしかしたらそれのことを言っているのかと、見当がついたような雰囲気を表した。
「あの二人は俺達種族にとって大切なイジスだ。殺される前に逃げ出せてよかった。あんな異様や物体の周囲に迷い込んだとなれば、危険極まりなかった。だから、せめてものお礼をと思って、血の臭いを辿って探し出したんだ」
二人の少年を助け出すと、その種族がお礼をしにやってくるというなんとも童話的な展開。
普段の状態ならば、ちょっとしたやり取りの後で何事もなく終わっていたのかもしれないが、今は状況が状況。猫の手も借りたいほどの深刻な重症。
その施しを受けない手はなかった。
「そいつは……歩いてはいるが、相当に際どいな」
「なあ、お願いがあるんだ。そいつをどうかアルフヘイムまで運び出してくれないか? このままじゃ死んじまう」
「お安い御用だ……が、出来ればエルフや他の者達に俺達の姿を見せるのは避けたい。その少し離れた場所で大丈夫か?」
「あ、ああ。わかった」
エルフを中心に、アルフヘイムの住人からゴブリンの評判はそこまでよろしいわけではない。
それは紹介状でゴブリン追い出しの依頼が舞い込んで来ることからも明らかである。
ゴブリンという種族は、本能のままに動く粗暴で暴力的なバレトと知性を持つイジスという二種類に分かれている。
学習さえすれば人語も介するイジス達に、それに無条件で付き従うバレト。しかしその抑えがなければ、バレト達は本能に従って欲望のままに自由に行動し始める。
普段はその者達をうまくコントロールし、無駄な争いを生まないようにとしてきていた。
だがここ何年かは、何かの原因によって少しずつ荒れ始め、制御が追いつかなくなるような事態も発生してしまっていた。
それもあって、たった今人語を介すイジスのゴブリンが話したように、余計に姿を見せたくないとも言っていたのだった。
「あんまり激しく動かさないでくれよ。相当重症なんだ」
両手の空いているバレトのゴブリンが、イジスの指示に従って大我の身体を背負う。
ぼんやりとしたまま、大我はその状態を受け入れるが、意識の覚醒と喪失の狭間にいる大我には何が起きているのかははっきりとしていないだろう。
「お前も、俺達が運ぼう」
「いや、俺は……うぐっ」
「無理をするな。お前も危ないぞ」
「……情けねえな……俺……」
一度は気丈に振る舞って見せようとするが、すぐにそのダメージにのけ反ってしまったエルフィ。
その態度以前に、ボロボロになっているその身体が、危険信号を発している。
もう一体の素手のゴブリンの頭の上にエルフィを乗せ、大我を背負っている一体に合わせて少しずつ歩みを進めていった。
「こんな時にとは思うかもしれないが、二人の名前は?」
「あ、ああ。俺がエルフィで、あいつは桐生大我だよ」
イジスのゴブリンは顎に指を当てて、ほんの小さく唸る。
「エルフィに桐生大我か、覚えよう。俺はハングだ。またいつか会うだろう」
「ああ……覚えてお……ぐうっ……」
大我を守ろうとずっと無理をしていたのか、一応はある程度の元気を見せていたエルフィに一気にダメージが発現する。
肩で息を行い、苦悶の表情を浮かべ断続的に苦しみの声を上げる。蓋で抑え込んでいたそれが漏れ出したかのようだった。
「あまり喋るな。しばらくは休め」
余計な負担をかけないようにと気を使い、ハングは話題を切り上げて沈黙のままに移動を進めることにした。
四体のバレトのうち二体は運搬、二体は護衛としての態勢を作り、ハングはその制御役を務める。
こうして、思わぬ手助けを受けて命拾いをした二人は、ゆっくりながらも確実にアルフヘイムへの帰路を前進した。
* * *
もう間もなく朝がやってくるだろう紺碧の空模様。大我とエルフィを抱えて進むゴブリン達の視線のずっと先には、待ちに待ったアルフヘイムの南門が姿を見せていた。
人が通る気配がない中でも誰にも見られないようにと、木陰に隠れたゴブリン達はそっと様子を確かめる。
周囲の一通りの状況を確認すると、ハングはエルフィと大我に向かって改めての声をかけた。
「俺達の手助けはここまでだ。もう少し進んで誰かに見られると、勘違いから拗れるかもしれない」
「……本当にありがとう。ぐっ……ハング達がいなかったら……」
「いいから行きな。そいつを死なせたくないんだろ」
長々と話を続けようとはせず、早急に街へ向かうようにと進めるハング。
まるで天からの使いが降りてきたかのような助けに、エルフィはただただ感謝することしかできなかった。
ゆっくりと身体を降ろされた大我は、一時停止から再生したかの如くふらふらと再び歩き始め、一歩、また一歩と足を進める。
「………………と…………う…………」
そよ風でも消えてしまいそうな小さな声で、大我はぽつりと一言を捻り出した。
その言葉は、集音装置がなんとか働いているエルフィ、そしてそれなりに耳のいいハングには届いていた。
「大我、もう少し……もう少しだぞ……頑張れ……」
ふとした拍子にバランスを崩してしまわないようにと介護しつつ、エルフィは大我の身体に寄り添いながら魔法で支え、ゴブリン達を背にして前に進んでいった。
その後ろ姿を見守るハングと、わちゃわちゃと騒ぐバレトのゴブリン達。やるべきことは終わったと言うような雰囲気と表情を見せ、五体はそっと森の中へと消えていった。
「またいつか世話になるぞ、生者」
覚束ない足取りで、摺足で、少しずつ前へ前へとアルフヘイムまでの残り少ない道を歩む大我とエルフィ。
一気に走ってしまえばたいした時間もかからないであろう距離も、まるで水平線の向こうのように感じる。
小さな歩みを進める度に朝日は上り、すっかりとその曲がった背中を照らし出す。
もう周囲の音も殆ど耳に入らない。なぜだか地面と足が擦れる音が明瞭に入ってくる。
大我とエルフィ、両者の体力は既に限界を超えている。もう励ましの言葉すら出てこない。
もう何歩、何歩歩けば安寧を得られるのか。足が前に進むたびに薄れていく意識の中で、大我の心に一人の少女の声が届いた。
「大我なの!? ねえ、大……我……?」
針に通す糸のように聞こえる、どこか親しみがありながら懐かしくも感じられる声。夢中で地面に視線を通しながら歩いていた大我は、その声がする方へと頭を持ち上げる。
ぼやけている視界からでもわかる。そこにいたのは、瀕死の状態だった自分を助けてくれたとても優しい少女。
見間違えるはずもない。聞き間違えるはずもない。今までずっと、とても長い時間地獄にいたが、ついにそこから帰ってくることが出来た。全てを終わらせて帰ってくることが出来た。
新しい日常の象徴でもあったその娘、太陽のようなティアの姿をその目に見えた瞬間、ようやく長く手放していた安堵を掴んだか、ほんの小さな笑みを浮かべ、大我の意識の糸はぷっつりと途切れた。
「大我!!」
凄惨な姿を目撃し、衝撃のあまり緊張の糸に絡め取られていたティアは、すれ違いざまにどさっと身体の正面から倒れた音を聞き、はっと正気を取り戻した。
尋常ではない数の傷を負ったとなれば、倒れてから間もなく息が途絶えても不思議ではない。
そんなことは絶対に起きてほしくないと、ティアは名前を叫んでは安否を確認する。
それから少しの間を取って、大我が倒れないようにと頑張ってきたエルフィがふらふらと落下していった。
ティアはそれを両手で掬うようにそっと受け止める。
「エルフィ! いったいどうしたの!?」
「ティア……か…………助かった……はやく……大我を……アリア様の……とこへ……」
「……!! お願いします! せめて人一人運べるような荷車を! このままだとあの人が、大我が死んじゃいます!!」
そして大我とエルフィは、ティアの咄嗟の判断と尽力によって世界樹ユグドラシルへと運ばれていった。
クッションとして大量に敷き詰めれられたわらに包まれ、一分一秒でもその命の灯火を絶やさないようにと、親切な住人達が一人の娘の声に応えた。
激しく揺らさないようにかつ急ぎながらの絶妙な塩梅で、些細なトラブルも起きないままに、二人は世界樹の目の前、その中へと運ばれていった。
「どうか、無事でいて……お願いします……神様……!」
* * *
その一方、ネフライト騎士団本部にて、険しい表情のエミルが強く踏みしめるような足取りで廊下を歩き進んでいた。
その後ろを、偶然通りかかったシャーロットが着いていく。
「ちょっと副団長、そんなに怖い顔して何かあったの?」
「丁度いい、ついてきてくれシャーロット。これから団員に通達する。団長からの指示だ」
「団長からの?」
「ああ。もう間もなく、アルフヘイム周辺は戦場となる可能性がある。その為の召集だ」
軽さの残っていたシャーロットの表情に緊張が走る。団長からの直々の命令、そしてこれから起こるらしい大規模戦闘の予測。
判断材料は殆ど無いに等しいが、団長がそう言うならば何かあるに違いない。エミルの話にしっかりと耳を傾ける。
「その相手は?」
「――キメラ達の親玉だ」




