傷つく身体、錆びる心 14
気が済むまで会話を続け、もうすぐ夜の11時を回るかといったところ。
大我は即席ベッドの中で両手を枕にして仰向けになり、真っ暗闇の天井を見つめてあることを考えていた。
「願いか…………」
それは、ティアとの話の途中で質問された、今の自分の願い、望みについて。
結局はその部分については流れてしまったが、いざ考えてみると、今の大我に願望らしい願望はこれっぽっちも考えられなかった。
エルフィもスリープモードもとい、眠りについたその横で、小さな声で独り言を呟く。
「全部、無くなったもんな」
大我には大きな夢や願望は無くとも、日常的かつわかりやすい望みはそれなりに存在していた。
それこそ、新しく出たハンバーガー屋の新作を食べてみたい、あと何ヶ月で公開される映画を友達と観に行きたい、あのイベントに行ってみたいという自分の手が届く範囲のもの。
だかそんな些細なことも、全て消え去り吹き飛んでしまっている。生きていた時代のメディアや価値観から芽生えたそれが叶うことはまずない。
大我の願望も目的喪何もかも、一からのスタート地点に戻されたも同然だった。
「俺は――――」
音もなく、月明かりだけが指す一室で、大我は眠りにつくまでの間、ずっとそのことについて静かに夢想した。
* * *
次の日の朝、ティアはいつもと変わらない朝の日差しを受けて目を覚ました。
だが、前日の精神的なダメージが残っていたのか、少々寝付きがよくない様子である。
「うう……なんだかぼーっとする……」
風邪を引いたわけでも熱があるわけでもない。この感覚は単純にちゃんと眠れなかったまけだと寝ぼけた頭で考え、大きく深呼吸をして精神を落ち着かせた。
激動の一日を過ごしたとはいえ、急激にその日常が移り変わるわけではない。この朝も、今はそこまで変わりはない。
ティアは気怠い身体を起こしながら、いつものように朝の食事を済ませる為に食卓へと向かった。
「おはよーママ」
「おはようティア。ちゃんと眠れた?」
「あんまり」
「そう。ご飯食べてちょっとは元気を出してね」
リアナはティアと大我の沈んだ姿を、夫と共に目の当たりにしている。
それは一日二日で晴れるようなものではないだろうと察している。そのため、深くはその内容については追求せず、あくまでその心が落ち着くまでいつも通りに振る舞おうと思っていた。
「あれ、大我の分は?」
その矢先に、ティアはその食卓に疑問を浮かべた。
いつもならば、家族三人と大我の分を含めた四人分の食器が用意されている。だがこの日は、家族三人分しかテーブルの上に並べられていなかった。
「それがね、大我くん、今朝いきなり外に出てっていったの」
「出てった……? ど、どこに!?」
「場所までは言ってなかったけど……絶対戻ってくるとは言ってたわね」
少しの間を置いて、大雑把な話の内容を伝えるリアナ。
どこか影のあるような、何かを隠しているようにも見えるが、それを今ここで追求しても仕方ない。自分が疲れているだけなのではと、まだはっきり起きていない頭で考え、久方ぶりの大我のいない朝を過ごした。
「なんか、変な気分だったなぁ」
今までだったらそれが普通であるはずの、居候がいない朝。にもかかわらず、どこか奇妙な喪失感を覚える。
夜空の下での他愛ない昨日の会話をふと思い出しながら、この日も心配だったアリシアの様子を確かめるためにハワード家へと向かっていると、その道中、同じ方向を目指していてるラントの姿が目に入った。
「あれ、ラントじゃない。もしかして、アリシアのとこに?」
「そういうティアこそ」
「昨日のことを思い出すと不安になっちゃって」
偶然にも出会った二人は、目的地が同じということもあって、横並びに揃って一緒に向かうことにした。
「あれ、そういやあいつは?」
ここでラントが朝食時のティアと似たようなリアクションを取りながら疑問を呈す。
「あいつって、大我のこと?」
「ああ。なんか違和感あるなと思ったけど」
「それが……」
ティアは、今朝突然大我がいなくなったという母親から聞いた話をそのままラントに話す。
それを聞き、ラントは腕を組み唸るような声を出した。
「いきなりいなくなった? 何かやるつもりだったとかそういうの聞いたりは?」
「ううん、全然。どこに行ったかもわからないってママが」
「…………あいつ、どこに行きやがったんだ。ティアを心配させるようなことしやがって」
「ま、まあまあ」
未だ内心では、大我のことを気に入らない部分があるラント。
だがその実、大我のことをそれなり認めつつ理解し始めている部分があった。
少なくとも、おそらく大我は何の理由もなく忽然と姿を消すような奴ではないと、理屈ではなく感覚的に感じ取っているラント。
それだけに、何かあるに違いないという予感がその胸中に浮かび上がっていた。
そのような会話を二人で交わしていると、二人はアリシアの待つ家の前へと到着した。
以前の騒動で破壊された、エヴァンの部屋に通ずる壁は、即席ながら一応の修復はされた痕が見える。
「すみません、エヴァンさんいますか?」
既に外出している可能性もあるが、勝手に入るわけにもいかないだろうと、ラントは玄関をノックして名前を呼んでみる。
それから三十秒ほど無言で待っていたが、扉の向こうから反応らしい反応は感じられない。
「いないか……」
快方には向かっていたアリシアも、まだ自分から出迎えるだけの余力は無いのだろうと推測する二人。
諦めてその場を去ろうとしたその時、返事の無かった扉が突然開けられた。
「ティアとラントじゃーん! お見舞いきてくれたのか?」
「あ、アリシア……?」
扉の向こうから現れたのは、それまでベッドの中でぐったりとした姿を見せていたアリシアだった。
病み上がりという状態の片鱗を欠片も見せず、今まで戸変わらないような快活な姿を見せる。
「あれ、あいつは……大我はいないの?」
「うん、朝からどこかに行ったみたいで」
穢れから戻った影響でグロッキー状態だった姿はどこにも見られない、一見全快したように元気なアリシア。
過剰に強調されたブラコン全開だった姿はすっかり鳴りを潜め、表情や口調、声の調子もいつも通りの姿を取り戻していた。
「そうか……」
「アリシア、お前もう身体は大丈夫なのか?」
「おう! ほらこの通り、あたしはもう充分元……気……」
アリシアの顔に無邪気な笑顔と明るい立ち振舞が帰ってきたと思いかけたその時、一時的なパワーアップが切れてしまったかのようにふらっと揺らめき、アリシアは前のめりに倒れ始めた、
「危ねえ!」
それに即座に反応したラントは、全力で地面にぶつからないように身体で受け止め、新しい怪我を作ることを阻止した。
「まだ駄目じゃねえかよ、無理すんなって」
「ああ……悪い。ちょっとさ、お兄ちゃん送り出すために無茶しちゃってさ」
「エヴァンさんがどうかしたの?」
「昨日、ティア達も一緒に連れて、バレン・スフィアに行った仲間のとこに行ったんだって? グレイスさんのとこにも行ったんだろ?」
一瞬の快活な姿と声は一気に弱まり、ラントの腕の中でぐったりとしながら疲れの乗った声で話を進めるアリシア。
「ああ、行ったよ。酷い有様だった」
「やっぱり。すごい落ち込んでたし、悔むようなことも言ってた。それで今日の朝も言ってたんだよ。看病とグレイスの介抱、どうすればいいんだって。だからさ、あたしが心配しなくてもいいようにって」
「アリシア……」
「だってさ、あたしはもう治りかけだし、これだけ調子も戻ってる。けど、グレイスさんとかはすごい危ないでしょ? あたしよりも相当酷い状態みたいだしさ。それだったら、お兄ちゃんにはそっちを優先してほしい。側にいてくれるのは嬉しいけど、それで苦悩する姿は見たくないからさ」
ぶっきらぼうな物言いながら、アリシアの兄への優しさと思いやりが伝わってくる。
兄のことは心の底から、明らかな依存が混じるくらいには大好きである。だがそれとは別に、ずっとその気持ちを独占したいというわけではない。自分だけを見て他をおろそかにしてほしいわけでもない。
何より、そうすることで兄が不幸になるのは自分が苦しい。アリシアはその気持ちを旨に、エヴァンが後腐れなく家を出る為の芝居半分の振る舞いを見せたのだった。
「無理しやがって」
「アリシアが倒れたら、私達だって悲しいんだからね」
「あはは、悪い悪い。……なあラント、悪いけど、ちょっとベッドまで運んでくれねえか。力が入らないんだ」
「それ、まずいんじゃねえのか!?」
「大丈夫だよ。休めば治るって」
「……ったく」
相変わらずの強気な発言に、呆れながらもどこか安心したラント、そしてティア。
未だ全快には及ばないながらも、順調に回復しているとわかっただけでも嬉しいことこの上ない。
ラントは少しだけ笑いながら溜め息をつき、そのリクエスト通りにアリシアを背負い、そのまま部屋のベッドまで運んであげることにした。
それからラントと別れ、父親であるエリックの青果店を手伝い、帰宅した後に訪れた夕食時。未だ大我が戻ってくるような気配はない。
「……どうしちゃったんだろ大我」
リアナが三人分の量の夕食を作るその向こうで、思わず口から溢れるまでに募り始めた大我への心配。
早朝から理由も言わずさらっとどこかに出向き、夜になるまで帰ってこないとあれば、信頼していてもどうしても不安が募り始める。
この時点ではまだ、今日中にはおそらく帰ってくるだろうと思っていた。三人で食事を囲うそのギリギリで駆け込んでくるのではと、そう考えていた。
しかし結局、大我はその日一日、その次の日もティアのところへ帰ってくることはなかった。
そして、大我がいなくなってから三日目の朝。
何かぽっかり穴が空いたように目の前のことに集中できない。胸の中がざわつく。大我がいないことへの不安が日に日に積もっていく。
これは何かあったに違いないと、ティアは目が覚めてからすぐに起き上がり、リアナがいつものように朝食の皿を置く食卓へと駆け込んだ。
「ねえママ」
「あら、おはようティア」
「本当に大我、いきなり外に出てったってだけなの? 絶対に戻ってくる以外に何か言ってなかった?」
今思えば、ただどこかに行くだけなのにその文言も奇妙なものがあった。
まるで死地に赴くような、覚悟を決めたようなその一言。何かあるに違いないと、ティアはその言葉を聞いた母親へと問い詰めた。
リアナは朝食を用意する手を止め、思い詰めるような表情でティアの方を見つめた。
「…………ごめんね。本当はもう一つ聞いてたことがあったの。こっちはそれまで言わないでって釘刺されたけど、もししばらく戻ってこなかったら、部屋にメモ置いてるからそれを見てほしいって……あっ、ティア!」
それを聞いたティアは表情を一変させ、一目散に大我の部屋へと鍵を開けて駆け込んだ。
綺麗に整頓されており、まるで誰もいなかったかのような、最初からそういう部屋であるかのように整った、しかしどこか、空間に孔が空いているかのように感じられる部屋。
「大我……これは」
明らかな動揺を見せながら室内をきょろきょろと見渡していると、ティアはベッドの上に置かれた一枚の手紙を見つけた。
そこに書かれていたのは、まだ練習中だろうと感じ取れる汚い字で書かれたこの世界の、アルフヘイムで主に使われている言語の文章。
「………………!!」
汚くはあるが、読めないわけではなく、ちゃんと認識できる範囲に収まっている。ティアはそれを読み進めるうちに、表情が険しく青ざめていく。
そして、最後までそれを読み終えた次の瞬間、血相を変えて部屋を飛び出した。
「ちょっとティア! 何が……」
今までにその足からは聞いたことの無いような激しい足音に驚きを隠せないリアナ。
険しい表情でどたどたと玄関へ向かうティアを一旦引き留めようとするが、それは叶わず、そのまま走り抜ける様に家を出た。
未だ早朝のアルフヘイム。ティアは一度周囲を見渡し、街の入口、南門の方へと視線を定めて全力のダッシュ。
「なんで、なんでこんな……!」
くしゃっと潰れるほどに握りしめられた手紙。ティアの胸中には戸惑いや疑念、不安がうねり渦巻く。
それがティアの足を後押しし、一瞬もそのペースを落とすことなく南門へと向かう足を早めていた。
そしてたどり着いた目的の南門。かつてエヴァン達が凄惨とも言える程に打ちのめされて戻ってきた場所。ぽつぽつと出入りする者の姿は確認できるが、早朝だからか、一般人らしい出入りの数はとにかく少ない。
「あの、すみません! 大我っていう人を見ませんでしたか!? その、精霊を連れた人なんですが! だいたい三日前くらいに!」
これまでに出したことのないであろう勢いの声で、側に立っていた門番に特徴を大雑把に伝えながら大我の姿を見なかったかと問いただす。
「いや、すまない。私はその時の当番では無かったんだ。だからあまり……」
「そう……ですか」
「おい! 何者かがふらふらしながら近づいてくるぞ!」
「アンデッドか!?」
即座に情報を得られなかったと落胆したその時、門の上から外側を監視する門番の一人から不審な人物の知らせが届いた。
大声で周囲の同僚へと情報を共有しつつ、何があってもいいようにと警戒態勢を強める、
「……いや違う! 精霊を連れているぞ! けど、かなりボロボロだ!」
「大我!」
その最後に加わった一言に、ティアは居ても立っても居られず、一目散に走り出した。
手紙に記された内容とその口にされた情報を照らし合わせると、嫌な予感しか浮かばない。
今までに無いくらいに足に力を込めてとにかく走っていくと、一人のふらふらと揺れ動く人影が目に入った。
「大我なの!? ねえ、大……我……?」
突然居なくなってしまった大我は間違いなくそこにいる。それを確信し、はっきりとその姿が見えるところまで近づいた。
そこに表れたのは、ティアが絶対に想像したくなかった姿であった。
衣服や破れ斬られ、おびただしい量の血痕に、無数の裂傷、打撲痕、拳や足の表皮剥離、青痣。あまりにか細い呼吸。引きずるような一歩、力なくぶらんぶらんと揺れる左腕は明らかに折れており、今にも倒れ力尽きてもおかしくないような、瀕死とも言える状態だった。
右手には何かが握られているようにも見えるが、それははっきりとは見えない。
そして、その側をまるで死に絶える直前の羽虫の様な動作で、大我の肩を掴みながら、ふらふらと力無く飛び回るエルフィ。
大我のその顔には一切の生気は無く、濁ったその瞳の灯火はいつ消えてもおかしくなかった。
一方のエルフィは、まだ僅かな希望に縋るような、小さな根性を見せるかのように、瞳に光を宿していた。
そんな二人を見てしまったティアは、全身が縫われたように動けず、何を口にすればいいのか、どんな反応を見せればいいのか、全く考えられなかった。
そして、大我とティアのすれ違いざま、大我はふっと糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
「大我!!」
その音を聞き、ようやく張りすぎた緊張の糸が途切れ、身体が動くようになったティア。
即座に名前を叫び、安否の確認のために屈み込む。
それから遅れて、エルフィも同様にふらふらと散っていく花びらのようにゆっくりと落ちていった。
ティアはそれを、両手で杯を作って受け止める。
「エルフィ! いったいどうしたの!?」
起き上がることすらままならない程に傷つき疲弊した様子のエルフィ。
何かを喋ろうとしているのか、何度か口をぱくぱくとさせた後、ようやくその声を捻り出した。
「ティア……か…………助かった……はやく……大我を……アリア様の……とこへ……」
振り絞ったその言葉を聞き、ティアはすぐさま行動に移った。
余計なことを考えている暇はない。もたもたしていたら、大我の命が危ない。
ティアはエルフィを抱えたまま、一目散に風を纏いつつ南門の入口へと向かった。
「お願いします! せめて人一人を運べるような荷車を! このままだとあの人が、大我が死んじゃいます!!」
少女の必死の叫びに、その場にいた者たちが流されつつ呼応する。
ティアは街の人々と共に倒れた大我の元へと戻り、せめて、どうか命の灯火が消えないようにと何度も何度も祈りながら、わらを積んだ荷車と共に走った。
「どうか、どうか間に合って……!」




