風化の事情
風化は湿地帯を駆けながら、死んでいったもの達の事を思っていた。シンとの盟約によって犠牲になった者達、それは族長たる自分とて同じ事。
「すぐに前族長になるがな」
事後は風の集落に残した弟が、すぐに跡目を継ぐ段取りである、つまり彼女は死ぬ事を前提とした死兵なのだ。そして付き従うのも、次代族長とは相容れぬ者や、呪獣や毒の作用で死期間近と診断された者達である。
死を賭して山岳民族や迷い人を襲う代わりに担保されたのは、風の集落の領土拡大と、山岳民族の呪術の習得権。それがあれば、呪獣となった戦士の命ももう少しは永らえる可能性がある。
盟約には呪獣ならではの血の儀式という、確たる拘束力があった。交わした血は〝血紋〟として体に刻まれ、脈動とともに模様を変えて風化の手足にまで伸び始めている。シンの体にも通じるそれは、彼の体内で踊っている事だろう。
つまりその儀式を受けた風化にとっても、命を賭しての山岳民族への攻撃は絶対なのである。
しかしあの女、先ほど殺されかけた時の呪術は、尋常な威力ではなかった。やはり迷い人由来の山岳民族の呪術は侮れない。
空気を吸えなくなる感覚を思い出して、発作的に深く吸い込んだ中に、風精の警告香が混入している事に気がつく。
目の前の地面が隆起を始める、あれは沼狼の出現サインだ。風化は短剣を抜き背負い袋の肩紐を切ると、それを左手で保持しながら直進した。
周囲の塊が狼の形になり、こもった唸り声を出し始めると、その数は爆発的に増え、完全に包囲されてしまう。
だがそれは風化の目論見通りだった。背負い袋の二重封印を削ぎ切ると、中身をぶちまけて風魔法を発動させる。
〝操毒〟と呼ばれる黒い粉末が、風に乗って沼狼を襲うと、表皮から泥弾を発射しようとしていた沼狼達が、途端に地面を転げまわって苦しみだす。
そこに短剣の風切り音を鳴らすと、長く尾をひくそれに反応した沼狼達が、一斉にそちらの方を向いた。
そのまま風切り音を立て続けながら、沼狼の群れを誘導していく。
さて、もう一度、今度は山岳民族の結界に向けて、沼狼をけしかけようか。その途中でさっきの女や迷い人が追いついてくるかも知れない。
爆風を纏った風化は、群れのリーダーのように後続を惹きつけると、急斜面を見せる山に向かって爆進した。




