鬣の男
その男は、接子の中でも隠遁と軽身功に長けた者が集う、斥候司と呼ばれる部署に所属していた。
ナナシ達が黒靄の無頭狗発見の報を伝えた日に、即、接子長の命を受けて、危険度の高い草原地帯へと出向いている。
目の前には、草原の民の移動集落が、武装住居の牙壁を外部に向けていた。長大な牙旗の天辺には、半ばミイラと化した異民族の首が、風に晒されてカサカサと乾いた音を立てている。
〝趣味が悪いな〟
男の思考に、
「趣味が悪いのはどっちだ? 出歯亀野郎」
真後ろから声をかけられ、心臓を鷲掴みにされたように驚愕した。
斥候司たるもの、感知能力にかけては集落でもトップレベルの実力を保有している。その彼をして、真後ろに立たれるまで気づかせないとはーー緊張に指一本動かす事も出来ずに、腹ばいのまま固まっていると、
「何もしないから、ゆっくり立ち上がれ」
と落ち着いた声をかけられる。それに従いゆっくりと手をつき、膝を立てるとーーバシッと膝を撃ち抜かれた。
「あがあっ!」
膝を貫通した礫が地面に転がる。それと同時に膝に仕込んだ黒矢がバネ仕掛けの機械とともに地面に落ちた。
「ふざけるなよ、そんな仕込みが分からないと思ったか?」
呻き、仰向けになって見上げると、何者かは逆光に影を作って屹立していた。巨体の頭部には、風になびくたてがみが、爆発するように広がっている。
その姿に〝感応鬣〟という言葉を想起した男は、
「シン、草原の王シンか」
己の運命を知り、言い聞かせるように呟く。と同時に、首から下げた自害用の呪物を噛みちぎるが、素早く反応したシンに奪われてしまった。
「おっと、死のうったって、そうはいかんぞ。お前には色々聞きたい事があるからな」
そのまま顎を抑えられ、舌も噛み切れなくなった男は、鳩尾に打ち下ろしの一撃を食らうと、知らぬ間に手足を拘束されてしまった。
吐物にまみれながらも閉じる事のできない口に、ゾロリと独立した生物のように蠢く感応鬣が侵入すると、窒息の恐怖に激しく抵抗する。
嗚咽を意に介さず半ば以上体内に入り込んだ鬣が、瞬時に針のように硬質化すると、全身を貫く。ビクリと震えた男は、しかし死ぬ事も出来ずに痙攣を続けた。
舌なめずりしたシンは、男の命を味わいながら、
「ほう、もう〝クロ〟の事がバレてしまったか、流石は占婆と音無、侮れぬなぁ……ほう、迷い人が現れたか。どれどれ、どんな能力者だ? ん? なんだ、詳しくは知らんのか」
興味を失ったシンは、男の中から鬣を引き抜くと、
「こいつの持ち物をあらためろ、それから四呪獣に使者を送れ。即時〝集会〟を命ずる!」
側に来た男達に命令を下すと、武装住居に向けて歩き出した。そこに駆け寄って来たのは、シンが〝クロ〟と呼ぶ黒靄の無頭狗。舌を出して「ハッハッハッ」と何かをせがむように纏わりつく。
「持ち物には手を出すなよ」
とシンが了承すると、弾けるように倒れた男の元に駆け、持ち物を物色していたシンの配下を威嚇しながら、黒靄を展開して男の体を真っ黒に干からびさせてしまった。
それを遠目に見ながら、久しぶりの戦争の気配に心躍らせたシンは、
〝準備は整っている。迷い人とやらが育ちきる前を機とすべきだ、山岳民を狩る、な〟
グッと拳を握りこむ。その二の腕は緑の毛皮に覆われて一瞬膨れ上がると、南風の力を発動して、シンの体を緑光に包み込んだ。




