肺熱
水滴は目に見えて震えだすと、自身の振動で浮き上がってくる。それはまるで重力が反転したかのように、上に向かって雫が垂れるような動きをするとーー
ポタン
と空中に浮かんだ。
表面の皮膜が七色の反射を見せるが、水滴自体は無色透明、その小指の先ほどの水滴は俺の目線まで浮かび上がると、パチンと弾けた。
思わず目を閉じる。何かの飛沫を浴びたか? サバ姉!
〝大丈夫、目を開けてごらん、何もないよ〟
と言われて、恐る恐る目を開けると、確かにどこも濡れていない。だが次の瞬間、胸が焼けるように熱くなった。
〝何!? 何も感知できないけど、毒か呪い!? 指輪すら反応できないなんて、どうなってるの?〟
パニックを起こすサバ姉の声も、俺の中には入ってこなかった。とにかく息を吸おうとすると、肺が焼けるように痛い。
呼吸がままならなくてうずくまっていると、熱は急速に引いていき、肺も痛くなくなった。
「うう……」
涙目になって思わずうめき声を漏らすが、その声はいつもと同じだ。胸も喉も大丈夫、か?
起き上がった俺に、結界の外では、
「オオッ」
と感嘆の声が上がる。
〝だまし討ち? ちょっと酷すぎるわね〟
サバ姉の言う通り、何か一言あっても良いんじゃないか?
「ちょっと、試技にしては荒っぽくない?」
普通に戻った俺が、占婆を見ると、
「ケヒッ、やはり大丈夫じゃろうが、しかし何が起こるか予測はできても、実際にやってみんと、のう。どれ診せてごらんな、ウム」
とイタズラそうな笑みを浮かべて、結界を崩した。
その後、リー師も交えて、体のあちこちを調べられると、血を抜かれて、苦い薬を飲まされる。
「今日は時間を置いて、また再検査じゃのう、ウムウム。その間暇じゃろうから、ヘタや、お主が呪術の初歩を教えてやるかい? ウムウム」
とヘタちゃんを呼び寄せた。
「はい、大おばあ様」
と答えるヘタちゃん、なんと肉親でしたか! 似ても似つかない二人を見て驚いていると、ヘタちゃんが腕を引いて、こっちこっちと先導してくれる。可愛いなぁ、おじちゃん逆らえないよ。
鼻の下を伸ばす俺を尻目に、占婆達は血液検査の準備に取り掛かり、何事かを小声で話し合い始めた。
〝それにしても私も指輪も感知できないとは、何の力だい?〟
サバ姉の言葉を受けて、ヘタちゃんに問うと、
「そのことは分からないんです、ごめんなさい」
と頭を下げられた。そうか、同じ呪術師でも、まだ下っ端のヘタちゃんにはそこまで教えてないって事か。
「そうか、じゃあ……そうだ、シユロの灰汁から黒子汁を作る方法は? 教えてくれる?」
と問うと、コクリと頷かれた。早速手近なテーブルにシユロの灰汁を用意するヘタちゃん。その後ろでは、占婆達が俺の血を使って、何かの実験をしている。
何なんだ?
〝もしかしたら……のアタリはつけてるんだけどね〟
え? サバ姉は分かるの? 占婆達が俺に何をしようとしてるか?
〝もっとも推測の域はでないわ、憶測が勘を鈍らせる事もあるから、あなたには伏せておく〟
なんだよ、教えないんかい。
心の中でサバ姉に突っ込んでも、何も返って来ない。代わりにヘタちゃんが、
「こっちです、この装置で濾過しながら純度をあげていきます」
と説明を始めた。今後のために製造方法をしっかり記憶せねば。
俺は後ろの作業を気にしつつ、教え上手なヘタちゃんのもと、黒子汁作成に没頭していった。




