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電車での一幕

作者: 岩月クロ

 これは私が、電車に乗っていた時の話である。その時私は、スマホでWeb小説を読み漁っていた。顔を上げたのは、本当に偶然だった。

 男と女が揃って階段を使い、駅のホームへと降りてくる。女は若干足早だ。電車は既に停車し、扉が開いている。だが急いでいる理由はおそらく、電車を逃すからではなく、隣にいる──女に絡み付くように歩いている男の所為だろう。

 声がここまで聞こえている。


「なあほらー、俺って結構お買い得だよ。みんなからカッコいいって言われるし、ほら見て」

 男は、自分の顔を指差す。女は自分の前に身を乗り出してきた男を一瞥し、明らかに苛立った顔をしていた。あそこまであからさまに嫌そうな顔をされ、気付かないものか。

 この発言は、他の乗客にもばっちり聞こえたようで、それまで二人の存在に気付いていなかった面々も、かなりの温度差を放つ二人に何事かと顔を上げる。


「ねえってばー」

「私、貴方ほど顔至上主義じゃないんで」


 低い声で言い放つ。おお、意外とはっきり拒否するなあ、と感心した直後、ジリリリリリリ、と発車の合図が鳴る。女はさっさと電車に乗り込む。

 さて、妙な劇もここで終わるだろう。Web小説漁りに精を出そうではないか、と思った私であったが、ここで予想外のことが起きた。

 呆然としていた男が、気を取り直したようにニンマリと笑ったのだ。


『電車が発車します。危ないので下がってくでさい』

 見送りと勘違いされたのか、アナウンスで注意されるも、閉まりかけの扉に身体を滑り込ませ、電車に入ってくる。流石に諦めるだろうと思っていた私は──そして女も、ぎょっとする。


「ふーう、危なかったあ」

 わざとらしく額の汗を拭い、自分がマナー違反をしたことに関して微塵も罪悪感を覚えず笑う男に、車内から非難の目が浴びせられるが、男に気付いた様子は無い。なんてめでたい脳をしているのだ。

 これと同類だと思われたくない、とばかりに眉を寄せた女に、しかし男はなおも馴れ馴れしく話し掛け続ける。

「ねー、俺カッコよくなかった、今の」

「はあ?」

 何をどうしたら、カッコいい、などと勘違いできるのか。甚だ疑問だ。女もそう感じたのか、顔を最大限に顰めた。

「ただの危険行為じゃないですか」

「スリルを楽しんでるんだよ、俺」

 そういう問題ではない。あるはずがない。

 いつまで経っても噛み合わない話に、引く。うわあ、無いわ。絶対、無いわ。ほら、女も同じ顔をしている。


「俺さあ、昔からそうなんだよね。ほら、ちょっと危ないことしたがるってーの? 百パー安全な道より、自分で切り開く道の方が好きってーの?」


 聞かれてもいない自分語りを始めた男の話は、やはりどこかズレている。“悪いことをする自分、カッコいい”というオトシゴロなのか。女は、厚顔無恥にも程がある男の言動に、左右へ視線を散らしながら、心底恥ずかしそうにしている。

 そんな中でも、男の語りは止まらない。つらつらと的外れな発言を重ねていった上に、極め付けに、「だからさー、俺ら付き合おうよ。絶対楽しいよ」と締め括った。

 何が“だから”なのか。サッパリ分からない。今や乗客の大半が、この常識はずれの男に注目していた。注目されていることは流石に分かるらしいが、それは(注目されてる俺、カッコいい。カッコいいから、注目されてる)と転換されているのか、何故か鼻高々だ。


「あの、私、何度かお伝えしてるかと思うんですけど、彼氏いるんですよ」

 女は嫌そうだ。男が嫌過ぎて口から出た方便だとしても、私は納得する。

「いやだからあ、別れればいいじゃん、俺の方がいいでしょ」

 何を根拠に。一瞬にして乗客から、同情の視線が女に集まる。この調子でここまでついてこられたのがよく分かったからだ。

「いいわけないです」

 女の声が、一段と低くなった。これは本当に彼氏がいるからこその声色だろう。部外者の私でさえ簡単に判断できるのに、男は──いや、男は別に女に彼氏がいようがいまいが、関係ないのか。


「なに、彼氏に悪いとか思っちゃってる? 大丈夫だよ、俺と付き合うんだって言えば、向こうだって、格が違うって思ってすぐ諦めるよ。安心して、俺がお前を守るから」

 鳥肌が立った。無論、悪い意味で。

「あー、あとさっきしょうがなく一緒にご飯食べてやってた奴ら? 女どもいたじゃん。アレらにもさあ、なんか言われたら、俺に言ってくれたら良いからさ。ほら俺、カッコいいから、昔もよくあったんだよね、嫉妬心から俺の女に手ぇ出すってーの? あいつらなんか言ってくると思うけどさー、例えばね、可愛くない、とか? 大丈夫、Aちゃんが可愛くないって訳じゃないから、安心して。あいつら自分がブスだからって、酷いよな。人間レベル低い奴って、どうしてレベル高いやつに食いかかってくんのか、不思議だよな」

 女の口元がヒクついた。“一緒にご飯食べてやってた奴ら”は、女の友人なのだろう。聞いている部外者でさえふつふつと怒りが湧いてくる言動だ。さぞ当事者は──それはもうすごいもんがあるだろう。


 女の肩掛け鞄を握る手が、強まる。痛みが生じる程に強く握っている。先程まで左右に顔を向け周囲を気にしていた女は、しかし今、憎悪にも近い炎を瞳に灯し、真っ直ぐに男を睨んでいる。男は、未だに気付かない。

「もーほんと、親の顔が見てみたいよね。絶対レベル低い親だろうけどさあ」

 嘲笑する男は、女と距離を詰め、「可哀想に、そんな震えちゃって。怯えさせてごめんねー」と、その肩に手を伸ばす。


 どうしようかな、と私は思った。殴って止めようか。そう思った矢先に、パァンッ、と乾いた音が響き渡った。成る程、考えることはみんな一緒だ。

 完全に据わった目をした女が、鋭く言い放つ。


「触んな、馬鹿男」


 男は、自分が殴られたことすら理解が追い付かないようだった。愕然とした顔をして、女を見ている。それからようやく手を頬に当て、ようやく頬を張られたことに気付き、目を見開いた。

 これまで親にさえ殴られたことがなかったのだろうか、だとしたらなんと甘い人生を送ってきたのだろう──昨今、殴るような親は少なくなったとはいえ、こいつは殴ってでも矯正する必要があったのではなかろうか──。


「私の友達はね、あんた如きに“レベル低い”とか、そういう括りにされる謂れはない」

 それ以上の言葉が時折、ダムが決壊するかのように、吐き出される。それを女は必死に堪えながら、ゆっくり、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

「私の彼氏はあんたよりよっぽど人間として立派に生きてるし、他の人を思い遣ってるから。それに、さっきから勘違いほんと止めて欲しいんだけど、私はあんたなんかについていく程、安っぽい女じゃない」

「な」

 男があからさまに狼狽えた。立場が逆転したように、視線を周囲に泳がせる。向けられているのが侮蔑だということにようやく気付いたのか──と思いきや、男はそのひとつ上をいっていた。

 つまり、目の前のこの女の所為で、自分は今、周囲の人間からこんな目を向けられる羽目になっているのだ、と。そう判断したらしかった。ここまでいくと、あっぱれだ。


 カッと顔に熱が上がった男は、「お、俺が、俺がせっかく……!」と声を荒げた。

「この、この俺が、俺が選んでやってるのに、なんだその態度! そう大して可愛くもないくせに、ぶ、不細工のくせに、お、お前如きが俺を振るとか、俺が選んでやってるのに!」

 す、と女が息を吸った。

『えー、間も無く、次の停車駅に到着します。次はー』

 アナウンスが、シンと静まり返った車内に虚しく響く。女は押し黙った。予期せず、冷静になる時間を与えられたようだ。アナウンスが止んで、数秒置き、女が静かに口を開く。


「不細工だから、何? こっちはこの顔で二十数年生きてんの。出会って数時間のあんたにとやかく文句言われる筋合いは無いわ」


 電車がガクンと揺れた。キキィー、と音を立てながら、速度を落としていく。やがて扉が横に開いた。小さな駅だ、降りる人は誰もいないような駅だ。

 女が男を蹴った。バランスを崩した男は、足を縺れさせながら数歩進み、電車から放り出される。なんともカッコ悪かった。

「なお」

 男の背中に、更に言葉を投げる。

「これ以上付き纏うようなら、警察に連絡します」

「だ、だ、誰がお前なんかに!」

「ああ、そうですよね。貴方はどうか、ご自身に釣り合う素敵な方をお探しください」

 女は、言いたいことを言い、かつ男から物理的にも精神的にも距離を取れたことで心底清々したのか、晴れやかに笑う。

 対照的に男は、ざっくりと斬られた時の顔をしていた。だが不思議と同情は抱かない。これ絶対反省してないからな。


『電車が閉まります、ご注意ください』

 アナウンスが入る。ジリリリリリリ。音が鳴る。プシュー、といいながら、扉が閉まった。

 電車が動き始める。



 明るい顔だった女は、次の瞬間、ここがどこであるかを早々に思い出したらしい。一転、周囲に視線を走らせると、恥ずかしそうに俯いた。

「お、お騒がせし、大変申し訳ありません!」

 他の乗客に向かって頭を低く下げると、ぱたぱたと隣の車両に向かって行く。

 車両と車両を区切る重々しいドアに手を掛けた女の背中に、私はスマホを一度膝に置くと、拍手を贈った。ひとつが、ふたつに。ふたつが、みっつに。みっつが、たくさんに。パラパラとしていた拍手が、大きなものになる。

 女は動きを止めた後、やはり大変に恥ずかしそうに俯き、手と手を弄りながら、ぺこんとお辞儀をした。拍手は、彼女が幕を下ろすまで続いた。痛快な劇を観たような気分であった。


 世の中、おかしなこともあるものだ。

 私はスマホを手に取って、またWeb小説を巡る旅に出る。




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