光と闇で生きていく
本来は「光と闇」は森羅万象の、昼と夜から来たものらしい、
ここから太陽と月、であり、善と悪になりここあたりから、この「光と闇」という「陰陽表裏一体」つまり一つのコインの表裏のものが、対立し対極化したことで
我々は「分離」せざる得ないことになったのだ、何故ならば本来は一つのものが、全く違うものだと認識することで、別々になり「分離」せざる得ない。
そうなると人間関係とは自分ではない他者であり、しかるに理解も和解も最初から無理だとなってしまう。しかしこの対立する二つの概念が表裏一体だとわかった時から、新しい価値観が、現代人に芽生えはじめるだろう。
「すべては一つ」実は本当にそうなのだ、自分も他者も一つなのだ、分離して見えるのはトリックであり。本当はみんな繋がっているのだ。
「他者に親切にし思いやりをもつ」これも逆だ、まず自分ありき、自分を大切にし思いやりを持てない人が他者を大切にして思いやりを持つことはあり得ない、
また人は自分の持っているものしか分かち合えない、他者に奉仕しなさいと言われても、自分がまず奉仕された経験がなくて人に奉仕しようにも奉仕する事自体が理解できないだろう。
本当は善も悪もない、物事はただ起きているだけで、それを判定判断評価しているのは人間であり、意味付けをしているのも人間であり、それに罪と罰を与えたり、報奨したり称賛したりしているのは、ほとんどが社会的な価値観であり、既成概念であるのだ。
だから真理でもなく普遍性もない、人を殺すことは悪いことだと、あなたは決め付けてるだろうが、実際、これまでの、この社会的な価値観、宗教観、倫理観、道徳観、法律、ルールは、重ねて言うが真理でもなく普遍性もない、
何故ならば、戦争で敵を沢山殺すほど国民はみんな喜び勲章も貰えるし英雄になる、織田信長は比叡山の焼き討ちで、僧侶を殺戮して全滅、罪なき女子供も殺戮して英雄になっているし。普通ならばそれだけのことをしたら最大の罪と罰を与えられる。
「地球は回っている」と主張しただけでガリレオは死刑になったり、今だってそう変わりはない、社会的な価値観や既成概念は矛盾だらけだ。
それは社会的な価値観や既成概念は、自他を、また本来は表裏一体の本来は一つのものが「分離」を前提に論理上作り上げてあるので、現実には矛盾せざる得ないのだ。
私たち夫婦もよく「分離」する、いつもイチャイチャしてると、夫婦喧嘩も逆に物凄い(笑)
さて、光と闇の両方を使いこなすの人と、光だけの人か闇だけの人と、生きていくに、どちらか有利か、わかると思う、
しかし言っておくが「悪をおこなってよい」わけではない、逆に「悪をおこなってわるい」わけでもない、闇=悪ともいえないのだ、闇とは情報のない状況であり、光とは、情報の明らかな状況とでも言えばよいか?
つまり端的に言えば、情報を隠したり、情報を流したり、した方が、賢い場合もある、だから、光と闇で生きていくことで、あなたは確実に賢くなる、歴史上でも「英雄」「英傑」と呼ばれている方々は当然ながら、政治家にしろ、表裏の両方の使い方がうまい人ほど自由自在に物事を成し遂げるパワーがあったはずだ。