宇宙はあなたの願いを100%叶えている」
宇宙は、あなたの注文通りの「願望」を叶えている、ではなぜ自分の思い通りの人生が送れないのか?
それは人間の「意識」が分離してるからだ、「顕在意識」つまり表層意識と「潜在意識」つまり無意識だ。
顕在意識で「私は幸せになりたい」と願っていたとしても「潜在意識」では、自分は悪い人間だから幸せになる資格がないと思っている人は結構いるだろう。
そうした人は善人で倫理観や正義感が強かったりする、故に罪と罰を自分にも与えるだろう、故にこの信念体系だと、顕在意識では、自分は幸せになる❗と願っていたとしても、
潜在意識が逆のことを願っているとしたら宇宙はその両方を、叶えるだろうから複雑で不条理なことが起きるべくして起きることが予想されるではないか?。
だから因果応報という考え方は現実的とは言えないし一つの宗教観であり、ただしこれが信念体系にあればそのような現実の観点を持つことになり、その通りに信じるに違いないだろう。
この「潜在意識」つまり無意識の領域を甘く見ない方がよい。無意識に生きることで人間は端的に言うと、運命の操り人形となる、
無意識に生きるとは、酔っぱらって生きていることと同じだ。顕在意識はショックな出来事に遭うと無意識の領域にそのショックな出来事を押し込んでしまうという一種の自己防衛機能があるが、その時の自己は未熟なままの人格として、いづれ歪んだ形で表面化してくる無意識に表面化してしまうのだ。
しかも「無意識」には時間と空間の制限がないので過去や未来のトラウマも抑圧され歪みつづけたりして潜在している場合もある。
しかし逆に、常に「意識的に生きる」ことで、自分の運命を自由自在に変えていく事さえ出来る。
意識的に生きる時間が多いほど、表層意識の願いが叶いやすくなる、意識的であることは自分の意志により意図的に人生を創造する基本だ。
また感情をコントロールすることで「不動心」を養うことは悪くはないが、
「不動心」とは感情や感覚を麻痺させて心が動かなくなった状態ではなく、意識、が感情の動きを観察している状態だ、心は様々に変化するしすぐに揺れる、しかし、意識は、それを観察出来ることが可能だ、それが瞑想中の意識の状態だ。
ただし、すべては起きるべくして起きており、価値判断しないこと。ありのままを許し、すべてを受け入れるならば、あなたは現実という結果に従う奴隷ではなく、現実という結果を自由自在に操るマスターとなるでしょう。
あなたは自分の思い通りの現実の原因となり結果となり人生の達人となり「人間は創造主」だと言うことがわかるだろう。