資本主義の終焉
自由と平等、この二つは、いずれも民主主義の国家の目指すところだった。
世界にはまだ僅かに社会主義(共産主義)の国があるが、特に、東西冷戦のころの社会主義(共産主義)の国々は「自由」より「平等」に偏りすぎたので、
一生懸命働く人も働かない人も平等に扱うような「平等?」に傾いて、結局そうした事由に対する不満分子を押さえつけ政権を維持するために、政治は強固な管理監視体制を維持するために政治家や党員に「特権階級」なるものが形成され、あげくの果ては、不正を取り締まる方が、権威を利用して私腹を肥やすようになった。
一方で自由主義の国々は、「自由」に偏りすぎたので「自分さえよければいい」という利己的な歪んだ個人主義が蔓延している。
自由主義の自由が、責任なき自由となり、義務を怠り、権利ばかりを主張する人々が多くなった、いわゆる「ごね得」の社会に成り果てている。
しかし皮肉ながら希望はある、ドルが大暴落しアメリカが経済破綻するくらいの大事件や、世界の人口が半減するくらいの天災があれば、人間はこれまでの生き方を、全体的にやっと見直すことであろう。
それからの新しい地球の新しい人間社会は、価値観が今とは反転することに近い、自然回帰的な生活観となり、
逆に地球を「モノ」として考え限りある資源を金儲けに利用しつくしてしまうようなバカどもである大富豪や特権階級の一部の人々は地球が人間の住めないように環境が悪化したら、火星に移住するらしいが、これもとっておきのブラックジョークとしか私には思えないのだが!(笑)
そうした奴らがこの地球からいなくなると思うと本当にせいせいします。
出来るだけ、さっさと火星に行って欲しいと思います(笑)




