見返りを求める愛は、いずれ破綻する
人間関係の「愛」は見返りを求めることで成り立っているともいえる。
「愛は与えること」とはよく言うが、実際には「愛は奪う」ことにもなっている、誰かが人を愛するとき、最初は自分の与えられる限りの善きものを、最大限を、与えようとするが、時間が経つうち相手に期待し要望し次第に要求がましくなる。
人間は社会的にエゴイストな存在であるから、当然、そんな風に報いを求める「自分はこれだけしたのに相手はしてくれない」しかしこれは観察すると、損得勘定じゃないかと思う、ビジネスライクだ。
見返りを求めるということはそう言うことではないだろうか?
私は職業柄よく人から相談を受けるが、恋人夫婦関係の問題の本質はたいてい相手に対する不満であり、そのたいていの悩みは、相手に多くを求めてすぎているからである。
人間は社会が競争社会だと尚更にエゴイストな存在になると私は思っているのであるが、自分より相手に問題があると考えることの方が圧倒的に多い、それもよくよく考えるとちっぽけなことが圧倒的に多い。
真実の愛は、互いの「ありのまま」を認め受け入れ共感し互いに人間として成長するために学び愛、気づき愛を深めてより豊かな心を育むことだと思う。
その豊かな心は豊かな人間関係と豊かな富をつれてくる、間違いなく。




