私の幼児期
私が生まれたのは、熊本市 熊本駅前徒歩五分の、旧遊郭街だった。高さ約四メートルの門があり、お寺によく間違われた。
確か明治五年の建造物で、百年の年月を経て大きな柱は黒光りしており、最初から遊郭のために建設されていたので、見事な趣の遊び心のある造りの工夫がされていた、天井の板の一枚一枚に花鳥風月の絵画が施されていたり、階段の下に通路が隠されていたり。
それゆえに子供の時は、帰省した数多の従兄弟たちと、よくみんなでかくれんぼをしたものだ。
一階は九部屋、二階は遊女の部屋であったので十二支にあやかったのか十二部屋であったので、昭和32年に売春防止法が発令された後は、二階はすべて貸間として様々な社会の最下層の「ワケアリ」の人々が住み着き、うちの祖母は遊郭の経営者であったために、「お母さん」と呼ばれており。
面倒見がよく相談所として一階の「丁場」と呼ばれていた私たち家族の居間は、祖母を慕い相談に訪れる人々の語り場になっていたのだが。
当時は昭和の四十年代だったので私はこの居間でテレビを見た振りをしながら、その会話の方に興味津々であったために、小学生ながら「耳年増」になっており、妙にませたガキになってしまった。
まだ幼児の時には母親のいない私は、一階の奥の十二畳の部屋で父と二人で無理矢理寝かされていた、無理矢理というのは私はこの部屋が怖かったのだ、ダ・ヴィンチの「モナリザの微笑」が飾ってあり、特に、あの額縁の中からこちらを見ているモナリザと視線を合わせるのが怖くて、ずっと見ないように見ないようにしていたものだ。
布団に入ると天井の染みが人間の顔に見えてくるし、幼児の私にはこの家は、お化け屋敷みたいなものだったのだ。
さて売春防止法が発令されて、これを宇宙人はどう観察しているか?この宇宙人は地球とは兄弟星と呼ばれており、最初に私のところに現れて、そののちに「小さな宇宙人」として本を出版している。
宇宙人がいるかどうかより、宇宙人が言っていることが、まともかどうか?よくよく吟味して頂きたい。
「ちょっとここで脇道にそれますが、日本で赤線(性処理場)を廃止させたのは女性代議士でした。『赤線は男のエゴの産物で封建時代の遺物だ。不幸な女性を救い、女性の地位を向上させるために赤線を廃止しよう。』とか何とか大見栄を切って。でもその結果どうでしたか?性は乱れ、一般家庭の女性が男性の性の餌食になって週刊誌が『十三才以上に処女はいない』とか『人妻の三割が不倫。』と書き立てるほどに性の秩序が乱れてしまいました。
昔、赤線があった頃には、結婚を前提として付き合っている男女は婚前交渉を慎み、男性はデート後は赤線に行って性欲を処理してまでも、結婚の日まで許嫁を処女のまま大切に取っておいたものだ』
ここから先、興味があれば『小さな宇宙人』学研、を読んでみてください。




