「極善偽悪」とうとう「神様」となる!
この人生のスタイルこそ、新時代の幕開けだ!この世の中をひっくり返すとこうなるよ!わからんやつはわからんがわかるやつだけついてきな粉もち。
「世の中に、罪と言うものあるならば、「極悪偽善」 と申します、善人に見せかけ悪をおこなうは、誰しも意識しておらず、さらりとやりしけりなりが。
悪にみせ、善を隠すは有り難き、この道こそに悟りあり。「極善偽悪」と申します孤高の至高、気づけば歯垢に染まりし夜明かな
ちゃんちゃかちゃんちゃん
眠りにつきしモノノケの闇に生まれて闇に生き、闇に輝く光かな、見せかけは闇の病みつき病み上がり、堕落を極め落ちぶれし、果てに光は極まりて、否を肯して否の否は転じ肯となり、裏の裏は表なり。
苦は極まりて楽となり、楽を極めて苦を極め、投獄七度、七転び、八起きで、知識は知恵となり果てに、宇宙の法則身に付けて、己を知りて、神々となる。
さてとうとう私も「神様」になった、経緯はこうだ。
私は今回の人生で、刑務所に七回投獄され、八回目のチャンスだ、つまり事実上の「七転び八起き」な所が面白い。
もちろんこれは一つの通過点でしかないが、それを象徴する出来事が昨夜にあった。
私は私の生まれ育った地域が熊本市の熊本駅前地域であり、徒歩15分の、田崎、八嶋地区に、共存共栄の社会の礎を築くべく活動家となった、たった一人から始めたのだ。
昨夜に幼馴染みと一緒に、最近オープンした、ネパールの夫婦や仲間たちで経営する「マウント・エベレスト」に寄ったところ、意外な事を知ったのだ。
私はこの地区を毎晩のように徘徊し飲み歩くのが仕事でもあるのだが、ある夜、開店前夜の「マウント・エベレスト」はカーテンを閉めて内輪で真摯に「神々」に(ヒンドゥー教徒なので多神教である)祈りを捧げていたところだったらしい。
私は共存共栄の社会の建設が人生の目標であるから、「まぁここはご祝儀を渡させて頂こう」という気持ちで、千円を寄付して「ナマステ」と言って立ち去り。
この地区にとうとう外国人が店を開店した事が画期的なな現象であることを自己認識して翌日の開店から、通い始めてはネパール大震災のあとでもあり、食事代金の勘定のお釣りはいつも、寄付してきた。
よく考えてみて欲しい、アジア諸国の小さな国の民族は、地域共同体レベルでは美しい共存共栄の社会で生きており、助け合いの社会数多なのだ。
すると昨夜、私の誕生日が8月12日だということがわかり、幼馴染みが「この店で誕生会をしよう」と言い出したきっかけが、従業員の女の子が、私が最初に寄付した千円札をレジの下から持って来て私たちに見せて。
ネパールでは商売を始めたら、一番最初に売上げたお金をくれたお客さんは「神様」であり、幸運を運んでくる存在だということだった。
なるほど、それに重ねて「神様」(笑)は毎回お釣りを寄付していくのだから、しかもウエイトレスには何度か千円のチップをあげた。
私は先だってのネパール大地震の件もあり、聞けば悲惨な状況らしく多分この店で稼いで地元に仕送りするのだとわかっていたので、それで特別にここを昨今贔屓にしてきたのだった。
しかしながら楽しい愉快な出来事だ。全く思いがけない事だったために嬉しくて仕方ない(笑)
「神様」と言ってもそれだけのことだが、これも何かの「縁」となることだろう、悪い感じはしない。




