表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

4ゴミ箱へ移動

裏切られた男の子が幼馴染の女の子のお陰で幸せになる話。



殴られる。

と思い終わった頃には、頬に痛みが来ていた。

続いて背中に多少の衝撃。ぶっ飛んで、ベッドに引っくり返ったのだ。

嗚呼このザマ、かなり無様。

めげずに起き上がろうとしたら、視界が揺れて失敗した。

脳震盪。気持ち悪い。

これヤバくねぇ?かなりキツいんですけども。

明日腫れるだろうな・・・。病院行かなきゃかな・・・。歯ぁ折れてないかな・・・。

「この最低野郎がッ!!ふざけんなよッ!!ゲス野郎ッ!!」

俺への罵倒が響く部屋の中で、ひたすらボンヤリそんな事を考えた。

つか何でこうなった?

詳しく思い出したくないので、かいつまんで回想する。


付き合っていた彼女から今日初めて家に来たいと言われてー。

もちろん連れ込んで誘われるままに恋人らしい事をしようとしたら、ノリ気だった彼女がいきなり悲鳴あげてー。

え!何?と思ったら急に後ろから肩鷲掴みされて、振り返ると何故か今日は帰宅が遅い筈の弟が居りーの。

彼女が弟に泣き付き弟がそれを恋人の様に受け止めて、ポカンとしてたら胸ぐら掴まれ外道だの強姦魔だの散々に言われ、それを慌てて否定しまくったら、殴られました。

どういうこっちゃ。


そんな訳で今俺の前には、怒り心頭でまだ怒鳴り散らしている実の弟がいる。

そしてその後ろに守られて、下着姿ですすり泣いている(様に見える)女。

何と罵られたかは、半分も頭に無い。内容が理不尽過ぎて途中から聞くの止めた。

「ふざけんな」と「死んじまえ」を片手じゃ足りないくらい言われた気がする。

頬が痛い。

こんな思い切り殴られたのは初だ。痛いね、やっぱ。まだぐらぐらする。

因みにうちの弟は空手の黒帯です。素人殴るのはご法度だと思います。それくらいキレてたんだろうけど。

あのさ、俺全く悪くないんだぜ。お前と同じで、本気で好きで、付き合ってたんだぜ。強姦とか、まじあり得ないからな。

騙されるな。黒幕はお前の後ろのソレだ。

なんて言った所で、また殴られるんだろうな。

頬が痛い。

怒鳴り声はまだ収まらない。

「信じらんねぇッ!!」

うん俺も信じられんよ。

まさか本日プロポーズしようとしていた女(付き合い4年)が、実は弟と二股かけてたとか。

昼ドラだってもう採用しねぇよそんなシナリオ。

しかも、弟は俺が彼女を弟の女だと知りながら無理矢理犯してそれをネタに関係を続けさせていたと思い込んでいるらしい。

全然違ぇよ。そう訴えたのに、全否定された。

お前そんなんだったか?口と態度は悪くとも、素直で可愛いげのある奴だったのに。

いや明らかその悪女に影響されたんだろうが。というか、付き合ってる人がいたなんて兄ちゃん聞いてないんだが。

あ、俺も言ってなかったわ。絶対仕組んでやがったなこの女。

兄弟揃って馬鹿みたいに惚れ込まれて、大層気持ち良かっただろうな。

でも最終的にお眼鏡に叶ったのは、俺でなく弟の方と。そんで要らなくなった俺は本日、捨てられた訳だ。

こんないらない茶番の元に。

女(名前なんて呼びたくない)は、さっきから弟の腕にすがって「いいよ、もういいよ・・・っ」とか言っている。

声と肩が震えてるのは、明らか面白がってるからだろ。大した女優だな。

俺より余程純情で阿呆な弟は、さぞ手玉に取りやすかっただろうに。

多分、コイツが選ばれた一番の理由はそれだ。単純だし、せっせと貢いでくれそうだからな。

将来が心配だ・・・等と悠長に現実逃避していれば、顔面目掛けて目覚まし時計が飛んで来た。

避ける気力は元より無い。受け止めるなんて、もっての他。

眉間にぶち当たったソレは、ただ痛かった。

「もう兄弟なんかじゃ無ぇッ!!出ていけ!気持ち悪ぃ!」

あー、そうですかそうですか。俺の事は、結局欠片も信じてくんないのね。

しかも当たり前みたいに追い出されたんだが。

お前、一応まだ俺に養われてる立場なんだけど覚えてる?それさえも、もう関係無いってか。

親が家だけ残して蒸発してから、たった一人で今日まで面倒見続けてきた弟の俺に対する態度がこれかと思うと、何ともまぁ・・・。


「死んじまえッ!!」


兄ちゃんは悲しいよ。




―――――――――




・・・カチッカカッ

カチカチッ

カッチン、とな。

「何してるの?」

明かりの付いてない部屋の中。

ソファにかいた胡座の上に乗せたノート型パソコンの画面が、唯一の光源。


そんな所で一人、黙々とマウスカーソルを働かせていると、横からふいに声が掛かった。

「整理整頓」

カチッ

画面から目を離す事無く、クリック音と交えながら返事を返す。

「明かり着けないの?暗いでしょ」

「見えるからヘーキ」

「机使って良いのに」

「だいじょぶ」

短く応えながら、またカッチン。


『ゴミ箱へ移動します。よろしいですか?』

→はい


「なに消してるの?」

横に座った彼女は、俺と同じく画面を覗き込んでくる。そんな無用心に男にくっついたらイカンよ。

「色々・・・溜めてあった画像とか、動画とか」

それはアイツらと関わって生きてきた、これまでの軌跡。ちょっと前の俺にとって、良い思い出と呼べた。

それを一つ一つ、チマチマとだが確実に捨てていく。自分でやってて大分陰険だな。

まぁ失恋した人間の行動なんて、大体決まってますから。

ただ俺の場合、消去対象に家族も含まれてくるが。

もちろん、連絡先なんぞは当に削除済。もう二度と、繋がらないだろうしな。


あの茶番の後、物の見事に家から追い出されて、最小限の荷物だけ持ち寒空の下を2・3時間さ迷った。

いや実際は途中あった公園のベンチでポツンと途方に暮れてたんだけども。

行く宛ては、何処にもなかった。宿を貸してくれそうな友人はいたが、腫れた顔で夜分いきなり押し掛ける気は沸かなかった。

ただ一人で、俯いていた。

しかし世の中、突拍子の無い事が起きるもので。

そこにどういう偶然か、彼女が・・・美世ちゃんがやってきたのだ。

いま俺の隣にいる可愛い子である。

小・中・高とご近所さんで、迷い無しに、一番仲の良い女友達だった。

それでも俺が学校辞めて働き始めたら辺りから、徐々に疎遠化してたんだが。

彼女がいた間は全くといっていい程に連絡取ってなかった。

そんな美世ちゃんが、暗闇から俺を見付けて、「大丈夫?」と声を掛けてくれた。

たまたま通り掛かりましたというには場所的・時間的にも考え難い。

狙ってましたと言わんばかりの登場だったが、何度詮索しても笑って流されたのでもう気にしない事にした。

ともかく今の俺は、この子に色々助けられて生きている。主に衣食住面で。

正直、保護された最初の数日間は放心状態で、よく覚えてない。

何を喋ったのか、食事もしたか分からない。ただ幸せだった頃の夢を、何度も見ていた気がする。

まるで走馬灯の様に。

かなり辛い時もあったけれど、それでも俺は恵まれて生きていた。

弟は良い奴だった。

家族思いで、未成年の内から働く事を余儀なくされた俺に負担を掛けまいと何時も気を配っていた。

彼女は良い女だった。

4年付き合って、生涯を誓えると、本気で思った。

けれど走馬灯の終わりは必ず、突き放され殴られる。

自分で感じていたよりも、あれはトラウマになっているらしい。

美世ちゃんは何も聞かずに、一人暮らしのアパートへ情緒不安定な俺を置いてくれた。

本当に優しい子だ。俺が現実逃避から早く抜け出せたのも、そのお陰に違いない。

正気に戻ってから、俺は美世ちゃんに事情を話した。情けない話だったが、ずっと気に掛けてくれていた事も知っていたし、その辺はきちんとしておきたかった。

聡明な彼女は下手に慰めなどせず、しかし帰る場所が見つかるまで居ていいと申し出てくれた。陰で泣いたのは此処だけの話。

支えてくれた美世ちゃんの為にも早く吹っ切れなくてはと思い、さっきから思い出の処理に勤しんでいる・・・・訳なのだが。

困った事に、全く気分が晴れない。一体どうすればいいのだろうか。

「物」は良い。捨てれば終わる。でも、気持ちは?幸福だった記憶は?

裏切られて信じてもらえなくて、酷く傷んだこの胸は?

データを消す様に記憶は消えない。写真を捨てる様に簡単には手放せない。

最後になって、クリック音が鳴らせない。

「それは消さないの?」

残り僅かになった画像データ。

画面に映っているそれを見ようとすると、視界が歪んだ。

変だな。視線を逸らせば、ハッキリと美世ちゃんの顔が見えるのに。

「了君?」

この画像はいつのものだろう。誰と何処に行った時のだろう。

そんな事をいちいち気にしている自分は、どうしようもない。馬鹿だ。

「あのね、それに写ってるのは了君と弟君だよ。そっちのは彼女さんだね。三人とも笑ってるよ」

美世ちゃんが、見えない画面を指差して教えてくれた。

あれ。俺の心、読まれてる?すげーな美世ちゃん。

なんて思ってたら、声色を落として「でも、」と続いた。

「今は、了君だけ、笑えてない」

「・・・」

「あの人達は今も二人でこの画像みたいに笑ってる。了君の事なんか知らない」

その言葉は俺の胸ではなく、目の奥に痛みを与えた。

そうして視界はいよいよ、美世ちゃんの顔も見えないくらい歪んでしまう。

そこまで来て初めて、俺は顔をつたい落ちる体液の存在に気が付いた。

目の奥が痛すぎて一瞬血かと思ったが、勿論そんな事は無い。

「泣いてて良いよ」

涙、だ。

「酷いよね。了君はこんなに傷付いたのに。みんな了君の事なんて忘れてる。理不尽だよ」

「・・・ありがと」

「了君・・・」

そっと、片手が暖かいものに包まれる。

ああ、美世ちゃんが手を重ねてくれているのか。

すぐに気付けたのは、前に同じ事をされたからだ。

そうだ丁度、今ぐらいの時季だった。

懐かしいな。あの時、こうしてくれたのは・・・

「忘れちゃえば、そんな人」

手のひらの温もりとは裏腹に、その言葉は冷めていた。

「え」

「だって、このままじゃ了君だけずっと幸せになれない。そんなの間違ってるでしょ?了君は何も悪くないのに」

我慢の限界とでも言うように、言葉の端々に棘を刺した口調で美世ちゃんが喋る。

「了君は優しいから、一人で全部背負っちゃってるけど。そんな事しなくていいんだよ。泣き寝入りなんてしなくていいの。了君こそ、救われるべきなんだよ。だから、あんな人達の事なんか忘れちゃえばいいよ。記憶から消して、最初からいなかった事にして」

「それは、流石に無理があるって」

相当ご立腹なのか、いつもなら言わない様な無茶を言ってくる彼女に苦笑した。

そこまで俺の事を思ってくれてるんだなーと、思わず和んだ。

しかし、彼女はなんて事ないように言った。

「してあげるよ、私が」

「え」

「どのみち消しちゃう予定だったし、ちょうど良いから今やっちゃうね」

「いや、あの・・・」

突然すぎて涙が引っ込んだ。

少しクリアになった視界に見えた美世ちゃんは、朗らかに笑っていた。

そういえば、いかに距離が近くともこんな暗い部屋の中で、表情がハッキリ見えるのは変じゃないか?

「了君にはいらないよ、あんなもの。散々お世話になってたくせに、沢山愛してもらったくせに、本当なら私と過ごす筈だった時間を根刮ぎ持っていったくせに、その価値にも気付かないでゴミに出す奴等なんて」

淡々と話す彼女から目が離せなかった。

口許は笑っているけれど、瞳と声が笑ってない。

それが何だが、怖かった。添えられた手が、少し強く握られる。

前にも誰かに同じことをされた気がする。・・・誰だっけ。

美世ちゃんの冷めた目を見ていると、何だがボンヤリしてきた。いろんな事が、分からなくなりそうで・・・。

「大丈夫。記憶の穴は、私で埋めてあげるから。元々私と作る予定だった思い出だもん、問題ないよね」

手が強く、優しく握られる。

昔、あの時、こうしてくれたのは・・・あの時って、いつだっけ?

それは?

これは?

どれが?

なにが?

俺は誰と、誰が、誰を・・・俺は。




『ゴミ箱へ移動しますか?』

→はい





―――――――



目が覚めたのは、鐘の音が聞こえる、夕方の時間だった。

さっきまで寝ていた頭は働こうとせず、ソファに横になったまま、天井をぼんやりと眺める。

部屋の中は、夕日の橙と影の黒に綺麗に分かれて染まっていて。

見慣れた筈のそこが、まるで得体の知れない空間の様な、そんな錯覚を覚えた。

自分は、一体いつから眠っていたのだろうか。

眠る前の記憶が無い。

というか、今日を過ごした記憶が無い。

朝は何時に起きた?今日は仕事は?昼は何を食べた?

駄目だ、朧気で思い出せない。ヤバイなこりゃ。

ぐったりしながら目頭を揉んでいると、部屋のドアが軽い音をたてて開かれた。

そして入ってきた「彼女」の顔を見た途端、俺は急に全てを思い出した。

ああそうだ俺は、ずっとこの子と一緒にいたんじゃないか。

「了君、起きてる?」

「今、起きた」

それまでの気だるさも消え失せて、上体を起こし、俺は「美世」に笑い掛けてみせた。

「もう飯作る時間?」

「うん。今日の当番、りょー君だよ」

「はいはい」

催促されるまま立ち上がろうとすると、美世に腕を掴まれ、ソファに隣り合わせて座る体制となった。

「どした?」

「堪能中」

そういって寄り掛かってくる美世の頭を、いつもの癖で撫でてやる。

そうしたら、もっととせがむ様に擦り寄られた。

「なんか凄い甘えてくるね」

「だって、やっと了君が構ってくれたんだもん」

拗ねた声で、美世が言う。

どうやら、俺が寝すぎた所為でご機嫌ナナメらしい。

怒りつつも甘えてくる美世に、申し訳ないと思いつつ笑ってしまった。

「ねー了君、私のこと好き?」

突然、そんな事を聞いてくる。若干不安そうなのは、気のせいじゃないだろう。

馬鹿な事を。返事なんて決まっているのに。

「好きだよ。美世しか好きじゃない」

そう言えば、やっと美世は笑顔を見せた。

「今日何か好きなの作るからさ、それで許して」

「うん、もう平気」

ピタリとくっついたまま、俺達は笑い合った。



―――――――



とある日の夕方、俺は一人で家を出た。

もうすぐ卒業シーズンという時季の空気はまだ冷たく、肌が乾燥しそうだ。夜にはもっと冷えるらしい。

歩きながら、携帯を開く。映るのはメール。

『部活もうすぐ終わる♪

了君よかったら迎えに来て(*^^*)』

文面をさっと目で追い、返信画面を開く。

いま家を出た事を記入して、送信。美世の大学は近いから、すぐ着く。

もう部活は終わったかな。いや、片付けとか時間掛かるか?

美世が入ってるのは園芸部だが、その辺どうなんだろうか。後で聞いておこう。

もしかしたら、もう終わって待っているかもしれない。

そう思うと、足が急いだ。早く逢いたい。

途中、小さな人だかりを見付けた。そこは団地前の公園で。

いつもなら子供の遊ぶ声と主婦の雑談が流れているその場所は、今は出入口を黄色いテープで封鎖され、周囲には野次馬が群がっていた。

『KEEP OUT 立ち入り禁止』

何でも最近、身元不明の刺殺体が転がっていたらしい。

よくは知らない。家の近くだったし、被害者が若い女性という事で、美世に気を付ける様言ったくらいで。

それ以上は気にしなかった。 関係者でもないしな。

野次馬の後ろを通り過ぎる。

「・・・で、メッタ刺しってやつ」

「・・・13ヶ所だって」

「顔も分からなかった」

「酷い事を・・・・どんな人が・・」

どーせ、痴情の縺れとかだろ。


それから十五分程で、無事目的地まで辿り着いた。

俺は正門ではなく、裏門へ向かう。美世と待ち合わせるのは、決まってそっちだった。

前に何故か聞いたら、

「女子大だし、他の子に了君見られたくない」

だそうだ。可愛い。

慣れた足取りで裏に周ると、そこには既に人の姿があった。十中八九、美世で間違いない。

駆け寄ろうとして・・・止めた。

そこにいたのは、美世だけじゃなかった。

・・・美世と、見知らぬ男が喋っている。

男は多分、年下だろう。身長低めで、随分と明るい茶髪が印象的だった。

会話は聞こえないが、茶髪の方が何か必死に訴えている様子だ。

おいおいおい、ナンパか?引っ掻けるなら自分のレベルにあった女にしろよ全く。

そんな美人に恋人がいないわけねぇだろうが。事実、俺という彼氏がいるんじゃボケが。

と言ってやるつもりで、俺は美世の背中に近付く。

距離が詰まると、それまで聞こえなかった会話が耳に入ってきた。

「ッざけんじゃねーよ!!キチガイ女がッ!!」

「うるさいなぁ。死ねばいいのに」

歩行が止まった。

いやだって何か、俺が想像してたのと雰囲気違うし。

茶髪まじキレてんじゃん。え、なに喧嘩?修羅場?

いや美世に限ってそんな事があるはず無い。現に美世は迷惑そうだし。

美世にあんな暴言を吐くなんて。美世にあんな冷たい言葉を吐かせるなんて。マジふざけてやがるのか。

思考の渦にのまれていると、怒鳴り散らしていた茶髪と目が合った。

途端、ヤツは声を落とした様に静かになる。

続いて美世の方も、こっちを見た。俺を視界に入れて、にこりと笑う。俺も笑って片手を挙げた。

「了君!ごめんね、いま」

「兄ちゃんッ!!!」

美世の言葉を遮り叫び、茶髪が俺に向かって走ってくる。

いや何で来んだよ。俺カンケー無いだろ。お前なんか知らないよ。

つーかコイツ、なんつった?

「考えちゃ駄目」

もの凄く近くで、美世の声がした。

耳に吐息がかかった様な気がして、首の後ろが粟立つ。

それと同時に固い音が鳴り、目の前まで来ていた茶髪が地面に倒れ込んだ。

転けたのか?と呑気に思っていると、後頭部に付着した不自然な赤色を見付けた。

ありゃ、血ぃ出てる?

「お待たせ了君」

横から手を取られる。いつからそこにいたのか、美世が嬉しそうに微笑んでいた。

その片手には、部活で使ったのであろう煉瓦ブロックが。

あーそれで殴ったのか。正直ザマーミロ。

「ごめんね、色々後片付けとかがあって、すぐ帰れなくて」

「もういいのか?」

そう言って、しっかりと手を繋く。美世も俺の腕に擦り寄った。可愛い。

「うん、帰ろう」

歩き出すと、遠くで鐘の音が聞こえた。

寒い夜が来る。けど今の俺には暖かい。

なんたって、今は美世がいるんだからな。


・・・今は?前は、どうだったっていうんだ?

思い出そうとしてみても、美世の事しか浮かんでこない。

そういえば美世と付き合う前、俺は何をしてたんだっけ?どんな風に生きてたんだっけ?

忘れてしまった。いや、記憶に無い。存在しない。

「兄・・・」

知らない様な、知ってる様なその声に、気付けば後ろを振り返ろうとしていた。

「りょー君、お醤油ってまだあったっけ?」

美世が組んだ腕を引っ張って聞いてきて、一瞬で顔も意識もそっちに向ける。

「あー俺買ってきたよ。コンビニで」

「ありがとー」

「アイスもね」

「バニラ?抹茶?」

「チョコもあるんだぜ」

「愛してる!」

大喜びでギュッと抱き付いてくる美世。それは相変わらず、天使の様で。

そうだ、前の事なんかいいじゃないか。どうせ必要ないものなんだ。

美世さえいれば、後はいい。 幸せの余り、顔が自然と綻ぶ。


「にぃ、ごめ・・・」


二度、振り返ろうとは思わなかった。





ゴミ箱へ移動。

(いらないんだよ、もう一生)



END



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ