その後/前編
「勝負」
いきなり剣を抜き、ぎらついた刃を向けた女は、ある意味有名人であるユッカ=ヴァイシイラだ。
彼女の行動は唐突ではあるものの、これほどの奇矯をみせたことはない。
稽古場をのんびりと見学していた同僚や、主であるイリス王女ですら目を見張って驚いている。
ユッカの足元には求婚し続けている元王子のユージェントが存在しているのだが、ユッカに稽古をつけられた彼はぼろ雑巾のように転がるのみだ。
「悪いが、女子供に手を出す趣味はないんでね」
悪人面、というものがあればおそらく彼の顔を指して言うのだろう、というほど王宮内には似つかわしくない男が皮肉げにユッカに返答をする。
彼はユッカとユージェントの稽古が終わった頃に鍛錬場に現れた男だ。
厳つい顔をこれまた太い首が支えており、鍛え上げられた筋肉がすさまじい。武具を外しむき出しとなった両腕にはおびただしい刀傷の痕があり、彼がどれほど実践をくぐりぬけてきたのかをうかがわせている。
おそらく、この場にいるどの騎士よりも実践においての腕は彼の方が上だろう。
この国は平和になって久しく、形骸化された騎士たちが型どおりの腕を振るうのではかなうはずはない。
子供、の部分を強調した彼のいいざまを気にすることなく、ユッカは真剣な顔で無骨な男に向き合う。
「そういうの、聞き飽きたから」
ユッカは見た目だけではなく実際にまだ年若い女である。
少女から大人に変わる頃ではあろうが、無鉄砲な挙動が彼女を幼く見せている部分もあり、仕事以外の場面では子ども扱いされることが多い。
それをいちいち気にしているほど彼女の神経は細やかではない。
「あんたみたいなのが出入りしてるなんざ、ここもたいしたことないなぁ」
遠巻きにしている騎士たちに聞こえよがしの軽口を叩く。確かにユッカは彼にとっては取るに足らない程小さな存在だ。
体は華奢で弱弱しく、携えた剣すら飾りもののように不似合いだ。
凡庸な容姿は女性として大して魅力的なわけではなく、しいて言えば若さからくる溌剌さが唯一の取り柄とも言える。
だが、目の奥を覗けば、彼女の魅力の一端を伺い知ることができ、ある種の引力のようなものが彼女から発されていることがわかるはずだ。
男は、何某かの部分をユッカに感じているのか、常ならばもっと淡白にあしらうはずの軽口が少々苛烈なものとなっていることに気が付いていない。
周囲は、余計なことをしたときに被る被害を、嫌というほど知っているせいなのかどこまでも控えめに遠巻きにしている。
だが、侮辱とも取れる言葉を耳にし、真っ先に反応したのはユッカの主であるイリス王女だ。
「あら?私の騎士を侮りますの?」
靴音も高らかに鬼のような男に詰め寄り、華やかな容姿を威嚇に利用するかのように男に対峙する。
「子守には子供がちょうどいいんだろ」
皮肉な笑みまで浮かべ、男はイリス王女を見下ろしながら吐き出す。
その言葉に、さすがに周囲の騎士たちも色めき立つ。
いくらのんびりとした気質であろうとも、敬愛する王族が侮辱されれば反応を示す。
だが、そんな周囲を黙らせるように王女が続ける。
「あら?怖いんですの?こんな小さな少女が」
近しいものにはよくわかる、無垢を装いながらほの暗いことを思いついた笑顔を浮かべた王女は、挑発するかのように男に言葉を投げつける。
ユッカのほうは、すでに軽い体操を始めており、男とやりあう気が満々だ。
こういう態度を示すときのユッカは、誰にも止められない。
相手が強ければ強いほど、それをどういうわけか察知し、勝負を挑むのが常なのだ。それが、彼女のもっている能力からくるものなのかはわからないが、ユッカの見立ては確かだ。だからこそ、彼女はこの年で数々の戦場で傭兵として立ちながら生き残ってきたのだ。
つまるところ、男はユッカに認められたのだが、見た目がただの貧相な少女に過ぎないユッカに言われたところで素直にそうだと思う人間はいないだろう。
「子供に怪我させるわけにはいかねーからなぁ」
すっかり馬鹿にしたような笑みを浮かべ、男が答える。
だが、何かが彼の表情を一変させた。
わずかに動いたかのようにみせたユッカが、いつの間にか男の横に立っていた。
男とユッカの間は、馬一頭程は離れていた。にもかかわらず、ユッカは男の隣にたち、あまつさえ彼女の愛刀をわき腹へと向けていた。
一瞬にして異質なものを感じ取った男は、瞬時に真面目な顔になった。
「怪我させても責任とらねーからな」
男は、イリス王女に吐き捨てる。
「結構よ。私のユッカが怪我をするはずがないもの」
自信満々のイリス王女の言葉に、男は鼻白む。
結局、イリス王女の言葉は的中し、稽古場には人生で初めて肩で息をするほど叩きのめされた男が座り込むこととなった。
反対に、何が楽しかったのか、ユッカは仁王立ちしたままへたり込んだ男をものすごい笑顔で見下ろし、とてもとても満足そうであった。
「どうしてだ?」
疑問の言葉を素直に口にした男は、いつのまにかヴァイシイラ家に招かれていた。
見たこともない豪華な料理を目の前に、男は精一杯ためらっていた。
勝負に負け、精神的にも疲弊した男は、ユッカの「晩御飯たべにこない?」という軽い誘い文句に乗っただけだ。
それがこのような豪邸に招き入れられ、落ち着かない装飾の部屋へ通され、傅く女中たちに囲まれながら食事をするなどとは思ってもいなかったのだ。
あまりの不測の事態に、頭の回転がゆるゆるだったせいだろう。
そもそも、男が挑発に乗ったのは、圧倒的に自分の腕が上であり、生意気な小娘を怪我させることなく叩きのめすことができると思っていたからだ。
そうでなければ、敵陣でどれほど人を殺して回っているのかすらわからない男でも、お飾りでひ弱そうに見える女騎士と相対しようなどとは思わない。
それがどういうわけか、ああなって、こうなってしまったと、己の失態がどのあたりから始まっていたのかを考えながらもさらに頭は混乱していく。
「お名前は?」
家長代理だ、という華やかな容姿の女に尋ねられ、名すら名乗っていなかった自分に愕然とする。
「アーニルスだ」
家名を名乗らない彼は、正真正銘の平民だ。
捨て子だったアーニルスをたまたま拾ったのが傭兵の男であり、彼は当たり前のように養父の後を追ったのだ。
そんな養父も今は亡く、アーニルスは自由気ままに戦場を巡っては傭兵家業をしている。
この国にきたのは偶然であり、面白い祭りがある、と伝え聞いた彼が物見由山でやってきたのが原因だ。
その祭りとは、ユッカとユージェントの結婚をかけた決闘であるということを彼は知らない。
「アベリアですの、お見知りおきを」
突然やってきた珍客に驚きもせず、たおやかに相手をするアベリアは、とっておきの社交的笑みを浮かべる。
次々と挨拶をしていった姉たちは、皆一様に彼に友好的な態度を見せている。
「説明してくれるのかしら?」
社交的な笑みのまま、長姉アベリアが末妹のユッカに尋ねる。
「へ?ああ、うん。私この人と結婚する!」
ユッカの言葉に、姉妹たちを数瞬驚き、そして次にはどういうわけか微笑を浮かべていた。
「あら、そう。良かったわねぇ」
素っ気無い返事をした次女は、男を一瞥し、小さくいいんじゃない、と呟いた。
「悪い人ではないと思うけど」
言葉を濁した四女は、控えめに意見を述べる。
「運命の恋?」
アーニルスにとって、未知の言葉を浮かべた三女は、うっとりとした顔をしてユッカを見つめていた。
「お式はいつにするのかしら?早く決めないと準備が」
決定事項のように話し進めたアベリアに、アーニルスの思考は完全に停止した。