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「あら、また来たの?」
ありえないほどぞんざいな言葉を投げかけられ、ユージェントは眉尻を下げる。
それが情けなさを一層際立たせ、今の彼は捨てられた子犬のようでもある。
ユッカのお腹の子、つまりはユージェントの子が魔女だと魔女に宣言された後、数日間彼は日課であるヴァイシイラ家前のうろつきを中止していた。
それを見て、あきらめたのだと判断したヴァイシイラ家ではあるが、残念なことに彼はあきらめてはいなかった。
ふらり、と再び現れてはユッカへ激しい求婚を繰返し、家長であるアベリアに許可を願った。
それを断り、断り、断り続けているヴァイシイラ家へ、ユージェントは懲りずに今日もやってきたのだ。
ユッカはいつのまにか出産しており、全く損傷のなかった彼女は、周囲が嗜める声も聞かずに、すでに床上げしている。
生まれた子供は案の定「異能者」であり、スミレによって簡単な能力封じが施されている。
身に余る力はまだ整っていない体を蝕む可能性があり、簡易的にでもそれが施せる術者がそば近くにいることは、生まれながらに異能である赤ん坊にとっては幸いだったのだろう。
それを見越したのが、ユッカの言うところの「神」なのかもしれないが。
「何度来ても同じだけど」
ダリアに牽制され、セリに睨まれる。
姉妹はユッカの生んだ赤ん坊を既に溺愛しており、子を奪う可能性のある人間は誰あろうと敵認定している。
それが、たとえ隣の国の王族であったとしても。
「お願いです。一緒に国に帰りましょう」
子を抱いているユッカにユージェントが懇願する。
「なんで?」
「私の子じゃないですか」
「私の子だけど?」
「私にも権利があるはずです!」
繰り返される不毛な会話を無視し、セリとダリアは既に子供をあやしにかかっている。
まだ乳しか飲めない赤ん坊は、大人の喧騒をよそに、すでに眠りの世界へと入っていったようだ。
「いいかげん、聞き分けてくださいません?」
アベリアが商売を終えて室内へと入ってきた。
隣には実は夫がいるのだが、全く存在感がないためほぼ空気である。
「ですが」
「王子なら、ふさわしい女性が幾人もおりましょう」
一夫多妻制を公式にしている王族への当てこすりも合わせて説得の言葉をのせる。
かの国は、厳しい戒律があるわりには、結婚という制度にのっとれば随分と緩やかである。
現在の王は、随分と側室や愛人をもち、浮名も子供の数も多いことで有名だ。
第二王子のユージェントも、実はひどくそういう華やかな噂が多いことが聞こえてくる男であり、そのあたりでも実は、彼はアベリアにとって心象が良くない。
「正直におっしゃれば?」
いつまでもあきらめない王子に、アベリアは冷たい顔をみせる。
全く商売をはずした彼女の雰囲気に、空気の夫は益々空気となり、妹たちは固唾を飲む。
「異能である魔女がほしい、って」
「それは」
情けない顔をしていたユージェントは、一瞬だけ顔を顰め、だが素早く軟弱ものの仮面を被る。
「しかも、その気になればうまいこと洗脳できる赤ん坊の、でしょ?」
ユッカの子は、まだまだまっさらな状態だ。
それを導き、できるだけ彼女を良い方向へ向かわせるのが周囲の大人たちの仕事だ。
だが、それは裏を返せば、彼女はこれからどのようにでも染まってしまえる、ということでもある。
しかも、彼女は異能者だ。
未知数、とはいえ、魔女が魔女であると認定したほどの赤ん坊だ。
彼女がどのように育ち、そのような魔女になるかを想像するだけで楽しみでもあり怖くもある。赤ん坊がもし力に能力が特化していれば、予知に特化していれば、どれだけでもその能力は脅威となりうるだろう。
「ユッカの子が、平凡な子でしたらとっくに国へ帰ってますでしょ?いくらヴァイシイラのものだとしても」
第二王子が放蕩するには随分と長すぎる時間が経っている。
だが、彼が帰国をせかされた、という話は一向に聞いていない。
そして、彼は未だに国を捨ててもいない。
かの国とも取引をしているヴァイシイラでは、隣国が内部で激しい後継者争いをしていることを承知している。
第二位、といえどもユージェントの立場は堅固なものではない。第一位からは疎まれ、下からは組みやすしと侮られている。
それは、彼の母の出自によるものでもあるのだが、様々な人間の思惑による足の引っ張り合いのせいでもある。
確かな保証を求めて、金だけはうなるほどあり、今では現王族とかすかに縁戚関係にあるヴァイシイラに近づいたことも理解できる。さらには純粋に「力」のある赤ん坊だ。
どの力が開花するにせよ、他国への牽制としてその力は魅力的だ。
「この子はユッカの子。そして帰らずの森の魔女が庇護に置くもの。それを理解したうえでおっしゃっているのかしら?」
軟弱ものだった顔から、ちらりと野心を覗かせ、ユージェントは頷く。
既成の魔女を敵に回しても、まだ未完成の魔女を手に入れたい。
彼の本音の部分が透けてみえる。
彼をただ、ユッカに惚れてやってきた純朴な男だと認識していたダリアは、ユージェントを激しく睨みつける。
そいうところが単細胞であり、彼女がどちらかというと頭を使っていないと言われるゆえんだ。
「それでしたら、私も夫も全力で当たらせていただきますが」
控えめに、やはり怒っているセリが珍しく口をさしはさむ。
夫を通して情勢を把握していた彼女は、努力して側室止まりであるはずのユッカを追い回す彼のことを胡散臭く感じていた。
真に偏執的な愛情に晒され続けている彼女にとって、彼がみせる僅かな温度差に違和感を覚えていたのだ。
まして、彼女はこの国の王子と婚姻関係にある、一応王族の末席に存在する女だ。
有能な人間が奪われるのをむざむざ見過ごすわけにはいかない。ましてそれはかわいいかわいい姪っ子だったのなおさらのことだ。
「私が何の備えもなしにのこのこ現れると思っていたのかい?」
完全に弱者の仮面を捨て、本来のユージェントが皮肉な笑みを浮かべる。
見せ付けるように胸元の護符をゆらす。
そして、素早い動きでアベリアを人質にとる。
いつのまにか白く細い首筋にはやたらと豪奢な柄にはまった刃が当てられている。
控えていた館の護衛たちはいきり立ち、刀に手を掛ける。
だが、肝心の主が人質となっていては、彼らには手も足もでない。
「あら、おもしろいことをしてくれるわね?」
ダリアはぎりぎりと歯を合わせる。
だが、肝心の術はどうやら彼の持つ護符にはじかれているようだ。
もっとも、大雑把な性格の彼女は、やはり大雑把な技しか使えない。この室内で使用すれば、誰も彼もが無傷ではすまないのだが。
彼の誤算は、ヴァイシイラにはまだあまり知られていない能力を有する能力者がいたということだ。
「こういうことは好きではないのだけど」
呟いた四女セリの声は彼に聞こえたのかどうか。
夫と知り合い、仕事をしていく上で新しい能力「呪術」を手に入れたセリは、大変愉快で本人にとっては辛い呪術を掛けることにあっさりと成功した。
ヴァイシイラの戦力を侮っていたせいなのか、呪いにうっかりとかかった彼は、さらにはダリアに物理的に攻撃され、ぼろ雑巾のような状態で滞在する宿泊施設へと送られていった。
歩き始めたかわいい子供を中心にヴァイシイラの女たちが談笑する。
本家の邸内の庭で、アベリアが主催した茶会に集まった彼女たちの話題は、やはり子供たちのことだ。
ユッカの騒動が起こってから、セリも懐妊し、無事出産した。
その夫は見事な親ばかとなり、今日も呼ばれてもいないのに子供の世話係として参上している有様だ。
ユッカの子供はツバキと名づけられ、いっぱしのお姉さんのように従妹に対して振舞っている。まだ意思の疎通ができていないような言語の羅列を話しかけながら、大変ご機嫌だ。
まだ能力の方向性は未知数ではあるものの、どうやら母親であるユッカよりは随分と頭がよさそうだ、というのがヴァイシイラ家の意見が一致するところである。
「お嬢様」
家令がアベリアの指示を仰ごうとやってくる。
基本的なことは彼が判断することが多いが、やはり家長である彼女の意見が必要な出来事も多い。
「何かしら?ろくでなしがやってきた、ということなら私は聞き耳もたなくてよ?」
先制されるように一息で言われ、家令が恭しく頭を下げる。
「またきたの?ばかじゃない?」
次女のダリアが切り捨てる。
「実験してもよいのかしら?」
好奇心を隠せないように小首をかしげて、四女のセリは夫に同意を求める。
「捨てておけばいいんじゃん?」
五女にいたっては、全く興味がないように子供たちに歌を教えている三女ルクレアを眩しそうに眺めている。
「ほんとうに、いつまで続くのかしら」
長女アベリアのため息交じりの呟きは消え、そこには子供たちの笑い声と、大人たちの楽しげな声だけが響いていた。
ヴァイシイラの家に、優男が現れる、という噂が「再び」立つようになって数年。
国を捨て、身分を捨てた、ただのユージェントはユッカをあきらめていなかった。
王子ではなくなればただの人。
働かなければ食べてはいけない。
彼はどういう伝手を頼ったのかはわからないが、その剣の腕を頼りに、ユッカを追いかける形で護衛騎士となっていた。
しかも、ぼんくらと評判の第一王子付きの。
当初は、その逆心を疑い、内部に引き入れることに難色を示した議会の連中も、「第一王子」の護衛であることに納得し、彼をちゃっかりとあてがった。
騎士としての彼はそこそこに優秀であり、またその容姿で第一王子の代わりに国民の目を楽しませてくれた。
さらには、定期的に行われる、婚姻を賭けたユッカとの御前試合は、一時的な賭博場が開催され、屋台や物売りでごった返すほどに発展し、恒例の祭りと化す有様だ。
連戦連敗の彼の記録は、ユッカの運命の相手が現れるまで続くこととなる。
そこから先は、ユッカの夫に対する連敗記録を更新する日々となってしまうのだが。
それがこの国のおとぎ話となったり怪談となったりするのは、もう少し先の話。