託された希望
ある朝、目が覚めてリビングに降りてきた光平は、喜一と陽二の姿を見て、驚いた。
二人とも、礼服に身を包んでいる。
「わ…、どうしたの?二人とも」
すると喜一が、メガネを拭きながら振り返った。
「これから出掛けるから。光平は仕事でしょ?」
「そうだけど…どこ行くの?」
今度は陽二が、ネクタイを結びながら、
「墓参りだよ。父さんの」
と、言った。
そうだった。
喜一と陽二の父親は、二人が幼い頃に他界しているのだ。
「俺は行かなくていいの?」
光平が尋ねる。
「今まで行ったことないだろ?」
陽二が不思議そうに聞き返す。
「そうだけど…」
「お前には関係無いと思って、今まで気にしなかったな」
喜一がそう言った。
「今まではそうだけど…やっぱり、家族だし…行った方が良くない?」
光平が少し不満そうに言った。
「どうした?父親を敬う気持ちが芽生えちゃった訳?」
陽二が半分からかうように言うと、光平は完全にふてくされた顔をした。
「陽二、そんなふうに言うな。光平なりに思うところがあったっていいだろ」
喜一が少し厳しい口調で言う。
「で、どうする?」
陽二が光平を見る。
「…俺のお客さんの予約、午後からだから行く」
「じゃあ、着替えておいで」
喜一はそう言うと、微笑んだ。
陽二はあんなふうに、面白半分な言い方をしたが、案外、間違っていないのかもしれない。
父親という存在が出来た事が、大きく心境を変えたのは事実だろう。
霊園に向かう車は、いつものように、運転が陽二、助手席に光平、後部座席で本を読む喜一というポジションだった。
「ねぇ、陽二くんは父親の記憶ってあるの?」
光平が慣れないネクタイを気にしながら聞いた。
「んー…正直、あんまり無いな。なんとなく、いたって事しか」
「そう…兄貴は?」
光平が振り向くと、喜一は本から目を離さずに、
「僕も、そんなには…自転車に乗せて貰ったり、買い物に連れて行って貰ったり…そんな程度」
「そうなんだ…」
「だから光平は幸せ者だよ。幼い頃の思い出は無くても、これからその何倍も思い出は作れるんだから」
そんな事も、喜一は本を見たまま言った。
霊園が近付いて来た時、光平が再び質問した。
「ねぇ、兄貴達の父さんは、事故で死んだんでしょう?何の事故?」
その問い掛けには、喜一が本から視線を外した。
「車にはねられた、って聞いた。仕事の途中に」
喜一はそう言って、窓の外を見た。
「営業マンで、取引先に向かうところだった、って母さんが言ってたよな?」
陽二が、ミラー越しに喜一に尋ねる。
「確か、そうだ」
喜一は、当時の事を思い出そうとした。
しかし、幼い自分には、最期の父の顔も、はっきり残ってはいなかった。
「僕は…」
喜一が呟く。
「父さんの見ていた光景を知らないんだよな。遺品も残ってないし…母さんが全て処分したんだろうけど…」
「そりゃあ、そうだ」
陽二が、もっともだと言いたげに、
「もし母さんが、兄貴の能力に気付いていたら…事故で死んだ映像なんて見せたくないに決まってる」
「そうだろうな…」
それが、母の優しさだったのだ。
本当なら、形見のひとつくらい、持っていたかったかもしれないのに。
「ところで、お前の父さん、最近見ないけど、元気なの?」
陽二が光平に尋ねる。
「さあ?」
光平は両手を広げて、解らないという仕草をした。
如月が出没しない理由は、後に初美の口から聞かされる事となった。
「内勤を命じられているんです」
日向家を訪れた初美が言った。
「え?それって、前に初美ちゃんもそうだった事があるよね?何かのペナルティ?」
陽二が不思議そうに聞くと、初美は少し戸惑いながら、
「実は…証拠品の管理や、捜査の進行に問題があると…早く言えば、勝手に関係資料を持ち出したり、DNA鑑定の順番を優先したり…それが、発覚して…」
「…俺達のせいだ」
光平が心配そうに呟くと、初美は慌てて、
「そうなるのが、如月さんは嫌で…協力して頂いてるのはこっちだし、捜査の中身もこっちの都合ですから…」
そう言うと、少し視線を落として、
「皆さんが責任を感じたり、心配させるのが…如月さんにとっては筋違いだと思って、顔を出しにくいようです」
「みずくさいなぁ、家族みたいなもんなのに」
陽二が、溜め息と共に言った。
「本当は、思いきり外に出て、捜査したい事件があるんですけど」
初美の言葉に、喜一が口を開く。
「どんな事件です?」
「…報道もされていないんですけど……爆弾テロのような…」
「え!?そんな派手な事件、ニュースになってないの!?」
陽二が驚く。
「派手な、と言っても…悪戯のような感じで…警察はまだ報道しないように規制をかけています」
「悪戯って…爆弾でしょう!?」
光平も声を上げる。
「どんな爆弾ですか?」
喜一が冷静に尋ねる。
「はい、小さな…そうですね、爆竹に近い感じなんですけど…小包や封書で送られて来る文房具が爆弾に改造されていて…今のところ、重傷者は出ていません」
「…でも、火傷とか…怪我はするでしょう?どうして警察は報道しないんですか?」
喜一の言葉に、初美は、
「犯人が、報道されたがっているからです」
「え?犯行声明付き?」
陽二が呆れたように、
「また、目立ちたがりのイカれた野郎か?」
と、呟いた。
「犯行声明は、爆弾が届いた翌日に封書で送られて来ます。内容は…世間から注目されたがっている様子が伺えて…報道すれば、犯人は益々調子に乗るのでは、と」
「逆効果になる可能性もあるでしょう?」
喜一が口を挟む。
「有名になるために、他の犯罪に走る事だって有り得る。報道される事が目的なら、もっと大きな犯罪を犯す事は想定内でしょう?」
喜一は理解出来ないと思った。
そんな事で有名になりたいと思う犯人の心理も、完全に真逆を行く警察も。
「きっとあれだ、死人が出なきゃ、事件だと思わないんだろうな」
陽二が呆れたように言う。
「陽二くん、そんな言い方…初美ちゃんに失礼だよ」
光平が思わず口を出す。
「…いいんです、光平さん。そう思われても仕方がない事を、警察はしてるんですから」
初美はそう言ったものの、少し悲しそうだった。
例え警察のイメージが良くないとしても、初美がいるのに珍しいな、と喜一は思った。
よっぽど嫌な経験でもしたのだろうか?
確かに、自分や光平よりは、学生時代にお世話になった可能性はあるが。
「ねぇ、初美ちゃん。父さんに元気出すように言ってよ」
光平が笑顔で言った。
「はい。でも…それはきっと、光平さんが直接言った方が、効き目があると思いますよ?」
初美はニッコリ微笑んだ。
効果は絶大だった。
食事にでも連れて行って欲しいと光平が連絡したところ、如月は即日決行した。
「もっと庶民的な居酒屋で良かったのに」
光平は、高級フレンチで有名な店に案内されると、そう言った。
「何言ってんだよ、初めて二人きりで食事するディナーだぞ?俺だって頑張るさ」
初デートかよ、と、光平は少し呆れて微笑んだ。
まあ、それでも、元気そうにしているから、良しとしよう。
食事をしながら、如月が言った。
「…本当は、藤野に言われたんだろ?俺がヘマをして落ち込んでる、って」
如月は、ばつが悪そうに眉を八の字にして、光平を見ていた。
「あー、確かに初美ちゃんから聞いたけど…食事は自分で思ってたから」
光平は笑顔でそう言うと、
「この前ね、兄貴達の父親の墓参りに行ったんだ」
「え?」
如月が少し驚いたような顔をする。
「その時に、兄貴が言ってたの。お前は、これから父親との思い出をたくさん作れるんだぞ、って。だから今日も、その思い出作りの一環」
「そうか」
如月はニッコリ微笑んだ。
「ねぇ、父さんはどうして警察の道を選んだの?」
光平の質問に、如月は少し考えてから、
「そりゃあ、正義の味方になりたかったからに決まってるだろう」
と、言った。
「本当に?」
「おかしいか?」
「いや、おかしくはないけど…」
光平が返答に困っていると、如月は小さく溜め息をついて、
「でもなぁ…いざ警察官になってみると、理想と違う事も多くて」
確かに、世間では警察が叩かれる事も、よくある。
実際に、考え方が間違っている人間もいるだろう。
「でもさ、解ってくれる人はいるから。真面目に頑張ってる人もいる、って」
光平は、気のきいた言葉が見つけられずに、そう言った。
「…だな。与えられた事を、出来る限り全力でやるしかないんだけど」
如月も、頷きながら応えた。
「そうだ、初美ちゃんが言ってたけど、爆弾事件の話」
「ああ…今は悪戯程度で、手に軽い火傷を負うくらいなんだが…それでも被害者にしてみれば、大問題だ」
「そうだよね…」
結局、大きな犠牲が出なければ、本格的には捜査しないという事なのか。
陽二も、そう言って怒っていたんだっけ。
「犯行声明が送られて来た、って言ってたけど…どんな内容なの?」
「ん?それか…結局は、自分が世界を支配出来る手段を持っている、って。要は、マスコミを使って有名にしろ、って感じの内容だ」
「逮捕されると、もっと有名になれるから?」
「それが狙いだろう。逮捕のニュースが大きく取り上げられるように、今から盛り上げろ、って事だ。警察としては、今のうちに捜査を進めて、先に相手を見付け出そうと思ってる。しかし、結局は、次の犯行に更なる手掛かりを求める格好になっていて…このままじゃ、本当に大事件になるかもしれない」
如月は、少し焦ったように言った。
そして、ふと顔を上げると、
「こんな話して、楽しいか?」
と、聞いた。
「楽しい…っていうのは少し違うけど、興味深いよ」
「もっと、明るい話題でもいいんだぞ?」
そう言われ、光平はしばし思いを巡らせると、
「じゃあ、母さんとの出会いの話、教えて」
すると如月はギヨッとして、
「そ、それは…」
と、しどろもどろになると、
「お前がもう少し大人になってから話す」
そう言ってワインを飲み干した。
「結局、母さんとの事は秘密だってごまかされたから、事件の話、詳しく聞いてきた」
光平が、帰宅してくると言った。
如月から聞いた話を、一通り説明すると、
「爆弾は、もう六ヶ所に送られてんだな。これで大事件じゃないって言うんだから、警察も呑気だとしか言い様がない」
陽二が、ソファに寝そべったまま言った。
「で、犯人が爆弾を送り付けて来た場所に、共通点は?」
喜一が、読んでいた本を閉じると、光平を見た。
「それがね、あるようなないような…その逆のような…」
光平はそう言いながら、携帯にメモしてきた場所を読み上げた。
「最初は、映画館、次が地下鉄の駅、地上の駅、証券取引所、中古車店、駐車場の管理室」
「…なんだ?そりゃ」
陽二が起き上がる。
「共通点って、あるのかよ?」
「さあ?もしかしたら、それぞれの場所に勤務している個人を狙ってる可能性もあるから、って…一人一人の素性を調べてるみたい」
「迷惑な話だ」
陽二が、呆れて溜め息をつく。
「爆弾が送られて来るのは、いつ?」
喜一が尋ねる。
「毎週木曜。犯行声明は、翌日の金曜日」
「…って事は、今週も木曜に、どこかに?」
陽二がカレンダーを見る。
あと二日だ。
「光平、もう一回順番に言ってみろよ。そこで恨みをかうような事を考えるから」
陽二が構えるように、腕を組む。
「まずは、映画館」
「…いきなり難しいな。映画館で、人を恨む出来事って何だよ」
陽二が難しい顔をすると、喜一が、
「隣の人のマナーが悪かった、従業員が無愛想だった、映画がつまらなかった、ポップコーンがまずかった」
「…じゃあ、シートが硬かったでもいいじゃねぇか」
陽二は喜一を見ると、
「そんな事で、爆弾送るか!?」
と、呆れ顔で言った。
「そんな事で、っていう理由で人を殺す人間はたくさんいるだろう」
「そんなのが理由になるなら、考えるだけ無駄だな」
陽二は、あっさりと考えるのを諦めた。
喜一は、ふと思いを巡らせると、携帯を取り出して、何かを検索し始めた。
「兄貴?」
光平が様子を伺う。
「犯人は、自分が有名になる事を目的としているなら、完全に愉快犯だ。犯罪をゲームだと思ってる…」
以前にも、そんな犯人がいた。
だったら、今回の犯人も、思考回路が似ているかもしれない。
「いいねぇ。今回は、能力を使わないで推理してる」
陽二が、ワクワクしたように言った。
木曜日。
喜一は初美と待ち合わせをしていた。
「お待たせしました」
初美が、少しお洒落をして現れた。
「すみません、ご無理を言って」
喜一が頭を下げる。
「いいえ。今日、如月さんは休暇をとってますから、もう来てるんじゃないですか?」
「そうですね。陽二と光平も一緒なはずです」
二人は、近くの美術館を目指した。
館内に入ると、先に到着していた如月、陽二と光平が、バラバラの位置で、展示してある絵画を見ているのが目に入った。
「本当に、ここで…」
初美が呟いた時、館内に宅配業者が入って来るのが見えた。
受付にいた女性が立ち上がる。
「申し訳ありません、荷物はいつも裏口の管理人室の方で受け取っておりますので、そちら回って頂けませんか?」
如月が、振り向く。
そして、
「君、ちょっと」
如月が声を発すると、宅配業者の男がくるりと向きを変え、走り出した。
「ちょ…待て!」
如月の言葉に、警備員が気付いて、男を追い掛けて行った。
一般客が、異変に気付いて、そちらを見つめている。
男は、あっさりと警備員に取り押さえられ、特に暴れる様子も無かった。
如月は男に近付いて帽子を取ると、その顔を見て愕然とした。
神谷隼人。
まさか…また?
神谷の顔をした男は、如月を見てニヤリと笑い、
「僕は神になる」
そう言うと、急に苦しみ始めた。
唖然としていた如月は、ハッと我にかえると、
「救急車を!藤野っ、署に連絡っ!爆弾処理班の要請!」
「は、はいっ!」
それを見ていた陽二が、一般客に近付いて、
「外に出ましょう、早く」
と、誘導した。
あの手荷物が、爆弾なのか?
喜一は客と共に出口へ向かう途中、後ろを振り返った。
神谷の顔をした男は、助からないな。
喜一は、目を反らすと外へ出た。
「結局、どういう事?」
光平が尋ねる。
美術館の周りは、警察車輛で通行止めになり、一角は完全に封鎖された。
喜一達は、少し離れたカフェで、騒ぎが治まるのをしばらく待ってみる事にしたのだ。
「兄貴が、美術館が怪しいって言うから。ビンゴだったな」
陽二が、コーヒーに口をつけると、
「如月さんが根回ししてたおかげで、警備員もいい仕事してたし」
満足げな陽二とは逆に、光平は腑に落ちない顔をして、聞いた。
「なんで美術館だったの?」
すると、喜一がペンを取り出して、
「この前、神谷に会った時の事を思い出したんだ。あの男なら、どんなゲームにするか…」
喜一は、ペーパーナプキンに文字を書き始めた。
「神谷の好きな伝言の方法は、頭文字」
「頭文字繋げても、意味のある言葉にならねぇじゃん」
陽二が、納得のいかない顔をした。
「英語?」
光平の言葉に、喜一が頷く。
喜一の持つペンの先を、陽二と光平が見つめる。
《映画→movie theater》
「次は地下鉄。サブウェイ?」
陽二が聞くと、
「違う呼び方をしたんだ、敢えて」
喜一は、そう言って、
《underground railroad》
と、書いた。
「そして、駅…証券取引所は、こうだ…」
《駅→station》
《取引所→exchange》
《中古車店→used car》
《駐車場→motor pool》
そこまで書くと、光平が呟く。
「m、u、s、e、u、m…ミュージアム…美術館」
「うん…それで、今、色々な美術館で何が開催されてるか調べてみたんだ。そしたら、ここで…」
喜一は入場した際の、半券を取り出した。
「宗教関連の絵画展…つまり、そこには神が描かれている」
「…まさか、それが面白くなくて?…って、そんな理由!?」
光平が驚いて喜一を見る。
「自分以外を神と崇めるなんて…自分以外が神だなんて、認めない。多分、ここがゴールだったはずだ。だから、爆弾も今までの規模とは違って、恐らく…」
「し、死人が出るくらいの…?」
光平がドキドキしながら尋ねる。
「絵ごと吹き飛ぶくらいの」
喜一が真面目な顔で言った。
それでも、解決出来た達成感は無かった。
神谷が指示したのだとしたら、辿り着く事もお見通しだっただろうから。
なんだか、自分の思考が、神谷とリンクしているようで、喜一は複雑な気分だった。
しばらくすると、如月と初美がカフェに入って来た。
「何だか騒がしくて、初美ちゃんのファッション、褒める暇が無かったな」
陽二が初美の姿を見て、呟く。
「どうでした?」
喜一の言葉に、如月が首を振った。
「男は死んだよ。カプセルに毒を仕込んでた」
「…そんな行為に、何の意味があるんでしょうね」
喜一が静かに言った。
「爆弾は?」
光平が如月を見る。
「うん…かなり厄介な物らしい…大惨事になる所だった」
「喜一さんのおかげです。ありがとうございました」
初美が隣で頭を下げる。
「…また、神谷の顔をした犯人でしたね」
喜一は、如月を見た。
「…あいつの思惑通りだな…あいつは世の中から、いなくならない」
如月はそう言って、やりきれない顔をした。
如月は、爆弾事件を未然に防いだ事を評価されて、現場に復帰した。
しかし、なぜか釈然としない。
その答えは自分でも解っていた。
根本が解決出来ていないからだ。
あの男が生きている限り、いや、死んでも尚、奴を崇拝する人間が存在し続ければ…。
如月は、公園のベンチで本を読んでいる喜一の姿を見つけると、静かに近付いた。
如月が声をかけるより先に、喜一がパタンと本を閉じて、
「何ですか?僕に用って」
と、尋ねた。
「…神谷の面会を禁止する事にした。警察関係者以外は、当分ね」
如月はそう言うと、喜一の顔を覗き込んだ。
「行ってみるかい?」
喜一は少し考えると、立ち上がった。
神谷は、相変わらずの不敵な笑みをうっすら浮かべた顔で、二人の前に座った。
「会えて嬉しいよ」
神谷は、興味のある顔で、喜一を見た。
「僕に、聞きたい事でもあるの?」
神谷はそう言うと、すぐに不満そうな顔をして、
「でも、ありきたりな質問は嫌だよ?警察が何度も聞いたみたいに、動機は何だ?とか、目的は何だ?とか…ナンセンスだし飽き飽きしてる」
と、言った。
喜一は、冷静に神谷の顔を見つめると、
「わざとですよね?」
と、聞いた。
神谷が、ピクッと眉を上げる。
「あなたが、どんなふうにして自分の意志を他人に伝えているか、あなたは僕に会った時、ヒントを出した」
神谷が、口の端で微笑みながら、耳を傾ける。
「わざと、僕が気付くようにしたんですよね?…今回の爆弾の件も、次の場所がどこなのか、僕なら如月さんから情報を聞いて、推測出来ると思っていたんですよね?なぜですか?」
すると神谷は、ぐっと身を乗り出した。
「面白い、君、やっぱり面白いね」
神谷は無邪気に笑った。
「解っただろ?僕は、ここにいても望みを叶える事が出来るんだ。僕の意志を継ぐ者が、世の中を面白いゲームにしてくれる」
神谷は、真っ直ぐに喜一を見つめて、
「でも、奴等は話してても退屈なんだ。僕には、なんの刺激にもならない」
「…あなたを崇拝している人達ですよ?…自分の命まで懸けて、あなたになりたがる程の」
「だから、つまらないんじゃないか。でも、君は違うね」
神谷は、瞳を輝かせていた。
だが、それは、幼い子供が純粋に見せるそれとは、全く違った。
「僕は、君が好きだよ。君なら、友達になってもいいくらい気に入ってる。だから、もっと一緒に楽しもうよ」
横で聞いていた如月は、神谷の嬉々とした顔を見ているのが、嫌悪感で辛かった。
「僕は死刑にならなかった。解るかい?世の中が、僕を生かす道を選んだんだ。だから、僕は、もっと君の事も楽しませる事が出来るんだ」
「…最初の質問の答えを、言って下さい」
喜一が落ち着いた口調で言う。
「言ったろ?君を気に入ってるからって」
神谷は愉しそうに笑うと、
「僕の作ったゲームのルールに、君が気付いてると思うのが、楽しいんだ」
その時、看守が立ち上がった。
「時間です」
看守が神谷の腕を掴むと、
「よく聞いて」
神谷が、喜一に視線を合わせたまま、
「終わらないよ?止めても無駄だ」
と、言った。
喜一は、黙って神谷の目を見つめ続けた。
神谷が看守に連れられて、ドアが閉まる寸前に、
「生まれ続けるんだ。永遠にね」
と言って、顔が見えなくなるまで、喜一は目を反らさずにいた。
完全に神谷の姿が消えてしまうと、喜一は目を閉じた。
酷い気分だ。
「…大丈夫かい?」
如月が、心配そうに声を掛ける。
「はい…」
喜一は小さく深呼吸すると、
「帰ったら、早く寝る事にします」
そう言って、部屋を出た。
喜一は繊細だから、神谷のインスピレーションを感じやすいのかもしれない。
連れて来ない方が良かったかな。
如月は、喜一の後ろ姿を見ながら、そう思った。
「それって、どんだけ自分好きな訳?」
光平が喜一に向かって言った。
人が真剣に、神谷と面会した事を話してるのに、心外だ、と喜一は思った。
それは、神谷に気に入られたという件を説明した後に、
「僕は例え意気投合したとしても、神谷の顔になるのは嫌だ。自分の顔の方が好きだし」
と喜一が発言した事に対し、光平が発したのだった。
「自分の顔が好きなんて言うのは、陽二くんだけで充分」
「おい」
陽二が光平を睨み付ける。
「光平は、目の付け所が間違ってる…せっかく僕が神谷の異常性を説明しようとしてるのに…」
喜一がそう言うと、光平が、
「だって、兄貴にナルシストの気があるなんて思わなかったから」
「俺は、薄々気付いてたぜ?」
陽二も口を出す。
「冗談言ってる場合じゃないんだけど」
喜一は呆れて溜め息をついた。
「でもさ」
陽二が少し真剣な表情になると、
「結局、今回の爆弾事件の犯人も、顔は報道されなかったんだろ?」
「出来ないでしょ?前にも同じ顔の犯人が自殺してるんだから。また、こいつ!?って、大騒ぎになる」
光平が言う。
「あれが神谷だと解ったら、あいつの信者が皆あの顔になるかもしれないし。毎回捕まる犯人が、同じ顔なんて気持ち悪い」
光平が、身震いした。
数日後。
店で入荷した本を並べていた喜一は、時折考え事をしていた。
どうも最近、変な癖がついたようだ。
神谷のおかげで、やたらと言葉の頭文字を繋ぎ合わせたくなるのだ。
もちらん、全く意味不明な言葉が出来上がったりするのだが、それが何の意味も持っていない事に安心したりするのだ。
共感とは違うけれど、自分も神谷の影響を受けているのかもしれない、と思うと、喜一は少し憂鬱になった。
そういえば、最後に面会した時は、何と言っていた?
確か…。
そう思った時、真横に人が来た気配を感じて、喜一は顔を向けた。
如月だった。
「こんにち…」
挨拶をしようとして、如月の表情がおかしな事に気付く。
やけに顔色が悪い。
「…どうしたんです?」
喜一が尋ねると、如月は少し声を震わせていたが、静かに言った。
「…光平が…人質に…」
「え?」
何だって?
喜一は、耳を疑った。
「…光平が、人質にとられた」
もう一度、如月に言われて、喜一の中にあの神谷の言葉が蘇った。
永遠は、とわ、とも読むんだ。
終わらないよ 止めても無駄
生まれ続ける 永遠に
『お、と、う、と』
「どういう事ですか?」
喜一は胸騒ぎの中、尋ねる。
「店に、爆弾を持った男が立て籠った…要求は、家族全員を連れて来る事…」
冗談なんかじゃない事は、如月の顔を見れば解った。
「すぐに行きます」
これも神谷の仕組んだ事か。
一緒に楽しもうと、奴は言った。
こんなの、僕は楽しめないじゃないか。
「早退します、すみません」
喜一はスタッフに声を掛けると、足早に店を出た。
店の正面は、警察車輌と野次馬で、騒がしくなっていた。
「喜一くんっ」
美容室のスタッフの女性が、半泣きになって喜一に駆け寄って来た。
「…ご迷惑をおかけします。怪我はないですか?」
喜一は出来るだけ冷静に言った。
「私は大丈夫…でも、店長が…」
「…心配しないで。助けますから」
喜一は、震えるスタッフの肩を優しく撫でた。
パトカーの横には、心配そうに店を見つめる美容室のスタッフ数人と、陽二の姿があった。
「兄貴っ」
喜一を見つけると、陽二が意外に落ち着いて近寄って来た。
「やべぇな、ニュースに映っちゃうよ」
陽二はそう言いながら、前髪を直した。
こんな時に…。
どっちがナルシストだよ、まったく。
喜一は心の中で、そう思った。
「全員揃ったら、一人ずつ両手を上げて、順番に入って来いと言ってます」
不安な顔付きの初美が、喜一に言った。
「…そうですか。解りました」
喜一はそう言うと、如月を見て、
「僕から行きます」
「じゃあ、次に陽二くん、最後は俺が」
「え?如月さんもかよ?」
陽二が驚く。
すると初美が、
「ええ。犯人は如月さんが父親だという事も知っているようです」
そこまで調べてるのか。
神谷という男は、どれだけの人間を従えているのだろう。
喜一は、厄介だと思いながら、店の方へ向き直った。
「兄貴、大丈夫か?」
陽二が問い掛ける。
「何が?僕はだいたいいつも、陽二よりは大丈夫なつもりだけど」
「…こんな時に、そんな事言えるなら大丈夫だな」
陽二が少し不機嫌な顔をする。
「陽二こそ、大丈夫か?」
「俺は大丈夫。光平が、一人で頑張ってんだぜ?早く会いに行ってやりたいぐらいだ」
陽二はニッと笑った。
喜一は少し微笑みを返すと、手を上げて前に進み始めた。
そして、両手を上げていたら、ドアが開けにくいじゃないか、と不満そうな顔をした。
何とか、肘を使ってドアを開けると、喜一はゆっくり店内へ入った。
「あ、兄貴っ…」
奥にあるシャンプー台の椅子に、両手を縛られた光平が座っている。
その後ろに、目出し帽を被った男が、携帯を片手に立っていた。
犯人は一人か。
喜一は店内を見渡して、少しホッとした。
「座れ」
男は、待ち合い用のソファを指差した。
喜一は大人しく、言う通りに腰掛けた。
続いて、陽二が片手だけを上げて、平然とドアを開けて入って来た。
「よ、陽二くんっ…!」
光平が、しきりに手を上げるように目線で訴える。
「あ、すまん」
陽二は呑気に両手を上げた。
そして喜一を見つけると、並んで座った。
陽二も、犯人が一人である事に安心しているのだろう。
最後の如月は、慎重だった。
少し震えてるくらいの緊張感で店内に入って来る。
光平の姿を見て、自分が泣き出すのではないかと思う程、動揺している。
如月もソファに並ぶと、男が言った。
「ようこそ、日向家の皆様」
喜一と陽二は、黙って視線を巡らせた。
爆弾は…光平の椅子の下にあった。
恐らく、手に持っている携帯が起爆スイッチなのだろう。
如月は、警察官と言うより、ほとんど普通の父親と化していて、ひたすら光平を心配そうに、見つめている。
まあ、仕方ないけど。
喜一は、如月がそんな状態でいるおかげで、自分は冷静でいられた。
「あなた達を呼んだのは、他でもない。人生の最期を、最高の状態で迎えさせて上げようと、神が言ったからだ」
男は高揚した声で言った。
「最高の状態、それは家族全員が共に人生を終える事、誰も欠ける事なく、共に逝ける事だ!」
「…んな事、頼んでねぇし」
陽二が呟いた。
「神って言うのは、神谷隼人の事ですか?」
喜一が冷静に尋ねる。
男は喜一を見ると、
「あなたが喜一さん?さすが察しがいいな。神が気に入ってるだけある」
男はニヤリと笑うと、
「神は、あなたも神になる事を望んでいる。なのに、あなたが受け入れないから…今日は特別だよ?神自らが、機会を与えてくれたんだから」
喜一は、じっと男を見つめて、
「…解りました」
本当は全然解らないけど。
あいつらの言う事なんて。
そう思いながら、続けた。
「今日で僕の人生が最期を迎えるのなら、少し望みを叶えて頂けますか?」
喜一の言葉に、男が動きを止める。
「神が、僕を気に入ってると言うなら、多少の事は許してくれるでしょう?」
喜一は、探るように男を見つめて、
「あなたも神だと言うなら…どうせ死ぬ運命の僕達に、顔を見せて下さい」
と、言った。
男は、予測していなかった事態に、少々うろたえている様子だ。
「…兄貴、何考えてんだよ」
陽二が囁く。
喜一は、少しだけ顔を陽二に傾けると、
「あいつは神谷じゃないんだから…本人じゃないなら勝てるかもしれない」
神谷を崇拝しているのは確かだが、所詮は別人。
時間を稼げる。
その間に、良い方法を考えるのだ。
「お願いします。神谷さんがいない今の状況では、あなたが神だ。崇める相手であるあなたの顔を、ちゃんと見て死にたいのです」
喜一の言葉に、男は少々悩みながら、帽子を取った。
その顔は―。
神谷とは全くの別人だった。
似ても似つかない、そして、近くもない。
どちらかと言えば……。
陽二が思わず吹き出しそうになるのを、俯いて耐える。
それでも本人は、神谷に近付いてるつもりなんだから、笑ってやるなよ。
喜一は、心の中でそう呟いた。
「ありがとうございます」
喜一は、冷静に礼を言うと、
「あと、ひとつ」
「まだ、何かあるのか!?」
男は、少し苛々したように言った。
「神が望むのは、家族全員が共に最期を迎える事ですよね?このままだと…それは叶いません」
喜一の言葉に、全員がポカンとした。
何、言ってんの?
と、言いたげに、陽二が喜一の横顔を見る。
「僕には、最近結婚した妻がいます。妻を、一人遺しては逝けません」
陽二と光平は、唖然として視線を合わせた。
「呼んでいいですか?神の望みを叶えるためですから」
男は迷っているようだったが、喜一に向かって、
「わ、解った。絶対に一人で来させろ。妙な事はさせるなよ?」
と、起爆スイッチを掲げながら言った。
「感謝します」
喜一はそう言うと、携帯を取り出した。
「も、もしもしっ!?喜一さんっ!?」
電話の向こうから、慌てた初美の声が聞こえる。
「な、何かありましたかっ!?」
「初美?」
「え?」
喜一の穏やかな声に、初美は一瞬、耳を疑った。
今、初めて名前を呼ばれたような…しかも、呼び捨て。
「ごめんね、初美」
「あっ、は、はいっ!?」
なんだか舞い上がって、どうにかなりそうなのをグッと堪えて、初美は耳を澄ました。
「僕達、家族全員揃わなきゃ、神の望みを叶えられないんだ。だから、妻である君も、ここに来てくれないか?」
…妻、なんて。
なんて特殊な響きなのだろう。
喜一が敬語を使わないのも初めてだ。
初美は、完全に我を忘れそうになっていた。
が、電話の向こうで、遠くから、
「早くしろ!」
と、誰かが叫んだのを聞いて、現実に戻った。
「解りました。他に何か、要望は?」
すると喜一が、
「そうだな…出来ればワインを。グラスは君の分も入れて6つ」
と、言った。
犯人は一人なのか。
そして、さっきの声からすると、喜一の近くにはいないようだ。
なら、爆弾さえどうにか出来れば、取り押さえる事が出来るかも。
初美は、気合いを入れるかのように、頷いた。
中身が見えるように、透明な袋にグラスが用意された。
初美はそれと、反対の手にワインを持って、店へ向かう。
ドアを開けるのに、少々手こずったが、なんとか店内へ入って行くと、中の光景を見て、少し安心した。
光平と如月に、相変わらず緊張感はあったが、喜一と陽二は落ち着いている。
「悪いね、それを神に上げてくれる?」
喜一の言葉に、初美は男を見た。
神って…あの男か。
そして初美も、顔が神谷でない事に、少し安堵した。
「最期に乾杯しましょう」
喜一が男に向かって言う。
「妻が用意しますから、あなたはスイッチを持ったままでいいです。妙な事をしたら、いつでも押せるように」
あの携帯が、起爆スイッチ…。
初美は近くのテーブルにワインを置くと、それを確認した。
慣れない手付きでコルクを何とか抜くと、6つのグラスにワインを注ぐ。
喜一、陽二、如月にそれぞれ手渡すと、初美は男に向いて、
「…そちらに、持って行ってよろしいですか?」
と、問い掛ける。
男は、携帯を掲げながら頷いた。
初美は、2つのグラスを手に、ゆっくり光平に近付く。
「あの…光平さんの手を、自由にしても良いですか?」
初美が聞くと、男は一歩身を引いて離れてから、
「その代わり、おかしな事をすると、すぐにスイッチを押すからなっ」
と、言った。
初美は頷いて、光平の手に巻かれたロープをゆっくり解き始めた。
その間も男は、初美の行動と喜一達の様子に、目を光らせている。
やっと両手が自由になると、光平がホッと息をついた。
初美は、グラスをその手に握らせると、
「ちゃんと、持って下さいね」
と、言った。
最後に初美はグラスを持って、男に歩み寄る。
「あの…」
喜一が口を開く。
「何なら…妻の事も、ご自由になさって結構ですよ?」
えっ!?
その言葉に、初美がギヨッとして喜一を振り返った。
男も、こいつは何を言い出すんだ、という顔で、喜一を見る。
その時、初美は喜一がメガネの奥で、小さくウインクをするのに気付いた。
次の瞬間、初美は持っていたワインを思いきり、男の顔に浴びせ、同時に携帯を持つ手を払った。
携帯が宙を舞う。
「わっ」
ちゃんと持って、というのはこの事か。
光平はグラスを放り投げると、慌てて携帯をキャッチした。
その間に男は、初美に組伏せられ、腕の自由を奪われていた。
急いで如月が駆け寄ると、一緒に男を押さえ込む。
「陽二くんっ、外に知らせてくれ!」
如月の言葉で、華麗な初美の技に見とれていた陽二は、我にかえると外へ飛び出して行った。
「兄貴っ!」
光平が喜一に抱き着く。
「大丈夫か?」
喜一は冷静に尋ねた。
「本当に、死ぬかと思った!」
光平は、泣きそうになりながら訴える。
「…いや、そうじゃなくて…」
喜一は、光平の顔を見て、
「起爆スイッチ、思いきり握ったままだけど」
と、言った。
警察での聴取を終え、喜一達は少し疲れ気味で帰宅した。
「すごく怖かったけど…あのまま家族全員で死んじゃうなら、それでもいいかな、って…ちょっと覚悟したよ」
光平がポツリと呟いた。
「バカ。俺はまだまだ死ぬつもり無いし、勝手に道連れにすんなよ」
陽二が光平の頭をこづいた。
そして、ビールを取りにキッチンへ行くと、
「それにしても、初美ちゃん、すごかったな。初めて見たよ、あの技」
と、感動しながら言った。
「うん、凄かった!初美ちゃん、かっこいいっ」
光平も頷く。
「にしても、そのきっかけを出す兄貴はどうなのよ!?あんな事、言うか?」
陽二がビールを飲みながら言った。
「あれは…犯人の注意を自分に向けるには、どうしたらいいかと思って…動いたら、スイッチ押される可能性もあるし…」
「だからって…妻をご自由に、なんて、鬼すぎる」
「問題無く済んだんだから、良かったじゃないか。神谷も、外部と接触出来なくなったんだし」
喜一はメガネを直すと、冷静に言った。
その時、如月と初美が日向家を訪ねて来た。
まず、如月が、
「今回は…本当にありがとう」
と、頭を下げた。
「そして…申し訳なかった…」
全てのきっかけは自分にある。
様々な事件で、喜一達の協力を得て、その中で喜一と神谷を引き合わせてしまった結果がこれだ。
喜一達も、如月がそう感じている事を、充分に解っていた。
「いいんですよ、如月さん」
喜一が口を開く。
「どちらにしても、如月さんと光平は親子の繋がりがある。これからも家族として関わるんですから、様々な事はあるでしょうし」
すると、陽二も続けた。
「それに俺達、なんとなく助かる自信あるし」
如月はその言葉に、再び深々と頭を下げた。
「藤野さんも、機転を利かせてくれて、ありがとうございました」
と、喜一が言った。
すっかりいつもの喜一に戻っている。
せめて、敬語はもう使わなくてもいいのに、と初美は思った。
「今日は…君達と、なんだか話したい気分なんだけど…聞いてくれるかい?」
如月が顔を上げると、改まって言った。
「まさか…結婚するの!?」
陽二が驚くと、如月は笑って、
「違うよ、光平がいるのに結婚なんて…」
光平がいたって、いいじゃないか。
と、全員がそう思った。
「実は…俺は昔、銀行強盗の人質になった事がある」
「…え?」
光平が如月を見る。
「まだ学生の時だ…たまたま訪れた銀行で、強盗事件に遭遇した」
如月は、当時を思い出すかのように、天を仰いで、
「犯人は三人。拳銃を持っていた。俺はとにかく怖くて…他にいた数人の人質達と、励まし合いながら、助けが来るのを待った」
如月はそこまで言うと、小さく溜め息をついて、
「警察は、突入の準備をしていた。犯人達も、それを恐れて…自分と人質が入れ替わって脱出する相談を始めた…その時に、俺は犯人役に選ばれたんだ」
全員が息を飲んだ。
「しかし…一人の男性が、俺がまだ学生だと知って、身代わりになると言ってくれたんだ。後に知った事だが、彼は警察官だったんだよ。その日は非番で、たまたま事件に巻き込まれた」
「…それで…どうなったんです?」
初美が、何か良くない予感を抱きながら聞いた。
「犯人は、彼にマスクを被せて…その時点で、犯人の扮装をしているのは四人になった。あと二人を選ぼうとした時…警察が突入した」
如月は、ふと視線を床に落とすと、
「動揺した犯人の一人が…警官に向かって発砲したために、警察も応戦して…犯人は全員射殺」
「全員…?」
光平が、恐る恐る尋ねる。
「彼も射殺された」
如月は、辛そうに目を閉じた。
「…俺は、突入してきた警察に保護されて…とにかく騒然としていたから、何が起きたのか理解するまでに、時間が掛かってしまったんだ…あの人は犯人じゃないと、伝える間も無く…」
如月は、悔しそうに唇を噛んで、
「その場にいた人質達は、犯人は三人で、一人は違ったと証言した。でも…報道された内容は、人質一名が犯人によって射殺された事になっていたんだ…」
「え…」
初美が口を押さえる。
「…本当は違うのに…亡くなった人も警官だったのに…警察は公表しなかった。非番だったせいか、特別な対処もせずに…。でも俺は…俺の身代わりににあの人が死んだ、と…あの人のおかげで俺は生きてる、と…何度も警察に行って話した。しかし…」
如月は頭を抱えて、
「俺は悔しくて…そんな事、あってはならないと思った…でも、あの人のように立派な警察官もいた。だったら、俺は…その意志を継ぎたい…俺だけは、真実と向き合って行こう…そう思って、この道を選んだ」
如月はそこまで話すと、光平を見た。
「俺にとって…彼は正義の味方だったんだ」
それを聞いて、光平は少し切なそうに頷いた。
「…それ、俺の親父だったんだろ?」
陽二の言葉に、全員が視線を向けた。
「…なんだって?」
さすがに動揺した喜一が尋ねる。
「親父が警察官だったのは、知ってた」
陽二が喜一に向かって、
「兄貴、俺の能力、知ってるだろ?」
陽二はそう言うと、少し微笑んで、
「ある時、母さんに聞いたんだ。お父さんは、おまわりさんだったの?って。そしたら母さん、絶対に誰にも言うな、って…言うと、怖い事が起きるよ、って。正直、母さんが生きてるうちは、時々見えてたからな。俺がもっと成長してから…もう一度、ちゃんと聞いてみたんだ、母さんに」
「今の話を…?」
喜一が聞くと、陽二は首を振った。
「詳しい事は教えてくれなかったよ。全てを知って、何かを恨むような結果になるなら、知る必要は無いって。でもさ…大人になればなるほど、不思議で仕方なかった。警察の人間が家に来る事だって、一度も無かったし。父さんが警察官だったと思わせる物も、何一つ残ってない…何か、隠さなきゃいけない事情があるのかと思ったら…警察が信用出来なくなった」
陽二は、如月と初美を見ると、
「ごめん、二人が悪い人じゃないのは解ってるんだけど」
と、頭を下げた。
「構わないよ、陽二くん。俺だって…警察官になった今でも、理不尽だと思う事は山程あるからな」
如月が言った。
喜一は、じっと俯いていた。
初めて知った父親の真実。
そして、警察の隠蔽。
ショッキングすぎて、頭の中がごちゃごちゃだった。
「兄貴…黙ってて、ごめん」
陽二がそっと喜一に近付く。
「俺も…父さんがどうやって死んだのか…今、初めて知った」
「いや、いいんだ…」
喜一は、そう返すのが精一杯だった。
如月達が帰った後も、喜一はしばらくソファで動けずにいた。
如月が、あんな話をしたせいで、爆弾事件の事など、すっかり忘れてしまっていた。
「兄貴…大丈夫?」
光平が風呂から出て来ると、喜一の向かいに座った。
「…あ、うん…大丈夫だよ。ごめんな、お前はあんな目に遭って疲れてるのに」
喜一は少しだけ微笑んだ。
「…ショック、だよね?あんな話…」
光平も、まるで自分事のように沈んだ声を出した。
「…解ってるんだ…母さんが隠そうとしたのも…きっと、僕達が受け入れられるようになるまで、言わないつもりだったんだろう」
果たして、こんな事、何歳になったら受け入れられるというのか、喜一には正直解らなかった。
「陽二くんも、言いたくても言えなくて…きっと一人で悩んだんじゃない?」
「そうだな、多分」
「それにさ…」
光平は、パッと明るい顔をして、
「兄貴達のお父さんのおかげで、俺の父さんは警察官になる、って夢を持ったんだし」
そうだ。
そんな父を尊敬してくれている人がいる。
そして自ら、同じ道を歩こうとしてくれた人が。
喜一は少し考えると、携帯を取り出した。
ちょうど昼休みになる頃。
如月が、署を出ると、喜一の姿があった。
「お待たせ」
そう言った如月に、喜一は頭を下げた。
「昨日はすまなかったね、急にあんな話を…」
如月は、頭を掻いた。
「いいえ…きっと僕の環境は、色々と変わるタイミングなんだと思います」
喜一はそう言うと、
「少し、話せますか?」
と、尋ねた。
「もちろん、そのつもりだよ」
如月はそう返事をすると、並んで歩き出した。
「爆弾事件の犯人は、どうなりました?」
近くの公園に向かいながら、喜一が聞く。
「奴は小物だったよ。今までの犯人達のように、死ぬ覚悟も出来ていないようだった。奴は日々の生活に嫌気がさしてただけの愉快犯だ。逮捕されるのも、イベントとして楽しんでるだけだった…」
「神谷とは…?」
「もちろん、繋がっていたよ。しかし、神谷も奴には期待なんかしていなかっただろうな。そもそも、本気で喜一くんを殺そうなんて…思ってないだろう」
えらく気に入られてしまったものだな、と喜一は溜め息をついた。
それもそうだ。
犯人一人に対して、こっちは大の大人が三人。
本気になれば、どうにでも出来ると、お見通しだったのだ。
「ただの余興…か」
如月は呟いた。
公園のベンチに辿り着くと、喜一が前を向いたまま言った。
「…父さんの遺品を知りませんか?」
その質問に、如月は少し驚いた顔をした。
「喜一くん…」
「僕は…父さんが何を思っていたのか知りたいんです。今なら…きっと母さんも許してくれるんじゃないかと思います」
如月は、喜一の横顔をじっと見た。
そして、小さく頷くと、
「今、誰かの所有物になっていても、持ち主が生きていれば、支障は無いんだったね?」
そう言って、自分の腕を差し出した。
如月の腕にはめられた時計。
喜一は、如月の顔を見た。
「知世がくれた。俺が、警察官になると決めた時に」
如月はそう言って笑った。
「光平には恥ずかしくて話さなかったけど…俺が初めて知世と出会ったのが、その事件の後で…どうしても、俺を助けてくれたお礼を家族の人に伝えたくて…」
「それで、母さんと?」
「あ、もちろん、そんなすぐにじゃないが…」
如月は慌てて言った。
そして、腕から時計を外し、
「見てごらん」
と、喜一の掌にそっと乗せた。
喜一は小さく深呼吸をすると、目を閉じた。
父が最後に見たもの。
それは、倒れていく中、やっとの思いで振り返って見た、人質達の姿。
他の警官が、人質達を庇いながら避難させる光景を見届けて、父は意識を失った。
その中に、恐らく如月であろう少年の姿も、しっかり見つけて。
そして…。
気付けば、喜一の目から、涙が伝って落ちていた。
如月は、どうしたら良いか解らずに、ただ見守るしかなかった。
喜一は、ふと目を開けると、時計を如月に差し出した。
「…ありがとうございました」
「…大丈夫かい?」
喜一は涙を拭って、
「父さんは…最期に如月さんの事、ちゃんと見てましたよ」
その言葉に、如月はハッとして、
「…そう…そうか…」
感慨深げに呟くと、時計を見つめた。
「後は…母さんと同じでした…」
喜一は続けて、
「母さんや、僕や陽二…楽しそうに笑って…」
再び喜一の目から涙が溢れる。
「僕達は…愛されていたんですね…」
喜一は、零れ落ちる涙に構わず、そう言って微笑んだ。
そうか。
僕は、父さんの最期よりも、
それが知りたかったんだ。
日向家は、なんとなく重い空気が漂っていた。
昨日から、陽二もあまり口数が多くない。
しかし、それは喜一の言葉をきっかけに変わろうとしていた。
「今日、父さんの遺品を見て来た」
「え!?」
陽二と光平が驚いて喜一を見る。
「見て来た、って…どこにあるんだよ、そんなもの」
陽二の質問に、喜一は腕時計を指差して、
「如月さんがしてる時計が、そうだった」
と、答えた。
「そうなの!?」
光平が目を丸くする。
「もしかしたら、母さんは…全てを悟っていたから、いつかのために如月さんに託したのかもしれないな」
喜一はそう言うと、陽二に向き直って、
「警察に納得がいかないのは解るよ。だけど、父さんは…真面目に任務を遂行しようとしていた仲間達を、頼もしいと思っていた…そして、如月さんのような人が、警察官になる事も、望んでいたと思う。だから、もう恨むのはよそう」
そう言われ、陽二は素直に頷く事が出来なかったが、反論もしなかった。
「でもさ…母さんってすごいよね」
光平が口を開く。
「まるで、自分と父さんが恋に落ちるって解ってて、そうしたみたいだ」
「解ってたんじゃないの?」
陽二があっさり答える。
「母さんは、多少、近くの未来が見えてたと思うけど」
喜一も続けて言った。
「そうなの!?」
光平が一人、目をパチパチさせて、
「でも、そんな力だったら、陽二くんも欲しいでしょ?」
「は?何でだよ」
「だって、どの女の子を誘えばいいか解るじゃん?」
「お前ね…俺はそんな力が無くても、負け無しだから。悪いけど」
「でも、初美ちゃんには負けっぱなしじゃん」
光平は、そう言った後に、
「初美ちゃんと言えば…あの時、兄貴が妻ですなんて言ったから…舞い上がってるかもよ?」
「そうだよな。何だかんだ言って、兄貴だって、まんざらじゃないんだろ?」
陽二の言葉に、喜一が冷静な顔で、
「でも、美容室のスタッフさんじゃ、妻役は無理だろ?技なんて使えないから、犯人を取り押さえられないし」
と、言った。
「…え?それだけの理由?」
光平が尋ねる。
「そうだけど?」
喜一が即答した。
「でも、自分の妻だ、って言ってたし…」
光平が食い下がると、喜一はあっさりと、
「電話で犯人が一人だって事伝えたかったし…皆がそう出来たなら、誰の妻でも良かったけど?」
「…おい、兄貴、それ絶対に初美ちゃんには言うなよ?」
陽二が釘を刺す。
「なんで?」
「なんで、って…」
陽二は、光平に向かって、
「…兄貴って、本当に、時々猛毒吐くよな」
「しかも、致死量スレスレの」
二人の会話を聞いて、喜一はソファから立ち上がった。
「意味が解らない。風呂に入ってくる」
喜一の姿を見送ると、光平が、
「でもさ、俺達って、いい父さんを持ったんだね」
と言った。
喜一は、その言葉が聞こえてきて、少し微笑んだ。
自分が結婚して親になるなんて、全く想像出来ないが、もし、そんな時が来たら…。
父の事、母の事を、自分の子供に思いきり語ろう。
どんなに素晴らしい人だったかを。
《第十話・完》