3-2 後悔の雪
見冬町のとある神社の一角。
時間は夜だが、降り続け積もった雪が月の光を反射させているのか、通常よりも辺りは明るい印象を受ける。
そんな中、神社には何かを打ちつけるような重たい音が断続的に響いていた。
この神社には樹齢四○○年を超えると言われる大木があり、甲斐はそこに荒縄を巻きつけて定期的に巻き藁の代わりにしていた。当然、ここの神主は了承済みである。
荒い呼吸と共に吐き出される白い息。甲斐は、大木の幹に何度も拳を打ちこむ。腰を落とし、素早く、重く、ひたすらに、無心に、何時間も、乱れることなく、汗を流しながら。
「相変わらず、罰当たりな光景ですね」
夜特有の澄んだ空気を伝ってきたのは、何度も聞いた少女の声だった。
ようやく甲斐も拳を止めて振り返る。同時に、彼は額から零れ落ちる汗を腕でぬぐった。
腰に手を当てて立っていたのは霧島桜子だった。夜の闇に溶け込むような黒い長髪、それと対比させるように着こなされている白色の厚めのジャケットと、ジーパンの私服姿だ。姉達と比べて一回り体格が小さいので、彼女からの視線は自然と覗き込むような角度になる。
「ざ、ぐ……」
口が上手く動かなかった。桜子が呆れたようにまったく、と呟いた。
「声も出なくなるまでやってたんですか……」
近寄ってきた桜子は、ペットボトルのお茶を差し出してきた。受け取ると、甲斐はそのお茶を一口だけ飲むつもりで口に含んだのだが、よほど喉が渇いていたのか気付けば一気に飲み干してしまっていた。ちなみにぬるいお茶だった。雪の降るこの気温では冷たすぎても飲めないし、かといって温かすぎても飲みにくい。コンビニ等の冷やされているものではなく、スーパーの棚に置いてある常温のものをあえて買ってきてくれたのであろう気遣いが窺えた。
息を吐き出して、目の前の少女に改めて向き直る。
「桜子ちゃん?」
「はいそうです。桜子です」
「ありがとう。ちょうど喉が渇いてたんだ。いやぁ、気が利くね。よかったら今度、俺の嫁に来ない? なぁーんて――」
ニコニコとした顔でお礼を述べると、
「他に言う事は無いんですか」
と、きっぱりと言葉を止められた。
「二日間眠り続けて、揚句に勝手に病院から抜け出して寒空の下でこんな事して。何考えてるんですか? 馬鹿ですか? みんな心配したんですよ」
腕を組まれて睨まれる。
甲斐はペットボトルを持った腕を下げて、申し訳なさそうな笑顔を浮かべた。
「ごめん。みんなに探させちゃったかな」
「探しに出たのは私だけです。皆さんには、もう夜も遅いので帰っていただきました」
「そっか。それにしてもよく俺がここにいるって分かったね」
「先日の一件で、女性が亡くなられたとの事でしたので、一年前と同じく、おそらくここだろうと……」
桜子は、微妙に視線を外した。
「……そうか」
甲斐は体が冷えてきたことに気付き、傍に置いておいた運動用の上着を羽織った。
アイチ地区への炎邪襲撃事件から、すでに二日が経過していた。戦いの結果は、眠りから醒めてすぐに調べていたので分かっていた。一○人のラストラインの操縦士は甲斐と信二を除いて全員が死亡。死んだ同世代の少年少女の遺体は、まともに人の形をしていなかったそうだ。
「また、拳をこんなにして……」
桜子は、甲斐の手を強引に、だが労わるように掴んだ。そこで、ようやく甲斐は自分の拳の皮が割け、血まみれになっている事に気付く。鍛え上げた拳ではあるものの、こんな寒い中で荒縄越しとはいえ、何時間も本気で打ちこんでいればこうなるだろう。
「ああ、気付かなかった」
甲斐は、まるで着ていた服にいつの間にか小さな泥が付いていたのを見つけたような口調で応じた。
桜子はそんな甲斐を再度睨んだ。甲斐は一瞬、声を止めてしまう。
「桜子、ちゃん?」
怒気を孕んだ瞳のまま口を開きかけて、彼女は一度ため息をついた。
「まぁ、今はいいです。とにかく、座って下さい」
「えっ?」
「えっ? じゃありません。こんなことだろうと思って、救急箱をもってきました。病院に帰る前に消毒だけでもしておきましょう。いいですね?」
提案ではあったが、口調は有無を言わさないものだった。
○●○
「終わりました」
手際よく巻かれた包帯を眺めて、甲斐は感嘆の息を漏らす。
「さすが元バスケ部キャプテン。怪我の治療もお手のものって感じだね」
「どちらかと言えばモデルの方ですかね。傷とかのケアをきちんとするのも仕事の内でしたから」
話になったので、甲斐はずっと気になってる事を訊いてみようと思った。
「再開しないのかい? モデルとアイドル業」
「……そうですね」
桜子は拳の治療用に取り出した消毒薬などの小物を救急箱に片付けながら応じる。
「こんなご時世ですし、休業して一年になりますし、もう当時の感も忘れかけてるし、何より、昔ほどの情熱も湧きませんし」
と、ここで言葉が止まる。甲斐は、その話はもうおしまいという桜子からの背中の雰囲気を感じ取り、口を結ぶ。
場の空気に居心地の悪さを感じていると、
「また、あの夢を見たんですか」
桜子からそんな問いかけをされた。彼女は地面に正座をして、背中を向けたままだった。
甲斐は、少し躊躇したが、
「……ああ、見た」
こうやって現場を押さえられているのだ。隠す意味など何も無いので正直に明かす。
「それでここに?」
「来ようと思ってきたわけじゃない。気付いたらここにいて、そして無我夢中で体を動かしてたよ」
この少女は、甲斐が体験した事故を知っている。一年前のあの日も、甲斐はここで無理な鍛錬を行い、倒れていた所を桜子に介抱されていた。
「もう、やめましょうよ」
声量は、夜の闇に溶けてしまいそうなくらい微かなものだった。
「分かってる。もう病院に戻るよ」
「そうじゃなくて!」
桜子はこちらに身を乗り出してきた。
勢いに押されて、甲斐は背を逸らせた。
「こんな鍛錬もそうですけど、私はSVに乗って戦うのをやめましょうって言ってるんです!」
甲斐は目をしばたかせた。
「どうしたの急に? 君は、俺の“ラストライン”入りには賛成してくれたじゃないか」
「それはっ! あなたが、そうしなければ――」
と、喉元に何かを押し込まれたかのように彼女は沈黙し、そしてまた声量を落として言った。
「八人も死んだんですよ。無茶苦茶ですよこんなの……」
「街を守るために死んだんだ。必要な事だった」
「でもこのままじゃ、いつか甲斐さんだって」
「いいさ。別に」
甲斐は、桜子を優しく押しのけて立ち上がった。
「いいさ、って……」
桜子が信じられないといった様子で呟いた。
「本気でそう思ってるんですか?」
「じゃあ逆に聞くけど、そもそもそれを君は望むのか?」
背を向けたまま、甲斐は言う。
「どういう事ですか?」
「君が俺のラストライン参加に賛成してくれた理由は知ってるつもりだ。それでも、君は俺がSVを降りてもいいと言うのか? 炎邪を倒さなくていいと言うのか?」
息を呑む声が聞こえた。しばらく経っても返事は無い。甲斐はいつの間にか苛立ちと似たような感情を持っている事と、自分の中で嫌悪感にも似た感情が昇ってくるのを感じ、頭を振って思考を冷やす。
この件についてこれ以上の発言は色々な意味で不適切に思えたし、なにより卑怯な気もした。
「ごめん。嫌な事を言ったね。もう遅いし帰ろうか」
振り返って桜子の表情を確認する勇気は沸かなかった。
「か、甲斐さん、待って下さい。私は――」
「家まで送っていく。最近は治安も悪化していて物騒なんだ。今後は、あまり夜に一人で出歩かないほうがいい。なんてったって女子中学生なんだから、俺みたいな変態がいたらまずいだろ――」
「甲斐さん!」
いつ以来か、本当に久し振りに聞く、中学生らしい感情を前面に出したかのような桜子の声。神社中に響くと思われるそれの後、甲斐は出口に向けた歩みを止めた。
「すまない、桜子ちゃん。でも俺はSVを降りない。“ラストライン”も辞めない」
「違うんです。違うんですよ甲斐さん。私は、もうそんな“お姉ちゃん”の事について、それであなたに戦って欲しいなんて望んでな――」
立ち上がり、砂利を踏みながら近寄ってくる足音、甲斐はここにきてようやく振り返ろうとしたが、
「お邪魔して申し訳ないけど」
間に割り込む声があった。神社の入口――鳥居の方に顔を向けると、一人の少女が立っていた。
「文子、姉さん。何でここに……」
桜子が目を見開いた。そこにいたのは桜子の“姉さん”の方、つまり霧島文子だった。
文子はそんな妹を一瞥して、
「ここを知っているのは、なにもあなただけでは無いということよ」
姿勢良く歩いてくる文子。流石に夜も遅いので学校の制服姿などでは無いのだが、私服でも無い。
「文子さん、ですよね?」
とここで、不意に文子を前にして二日前の戦いの後の抱擁を思い出し、今更ながらに少し困惑してしまう。今まで文子に腕を抱かれたり、体を抱き寄せられた事が無かったわけではないが、それらは全てしつこく言い寄ってくる男の前で仮の彼氏として仲良く振る舞う演技だったり、こちらの過剰な反応を見て楽しむような茶化す類のものばかりで、あのようにお互い真剣な顔で、かつあのように強く、そして深く体を寄せ合った事など無かったのだ。
「どうしたんですか、その恰好?」
心境を誤魔化すように、服の事を訊いてみる。
オレンジ色の筋の入った白い帽子に、同じ色に統一された背広。そして足のひざ元の所で細くなっているタイトスカートが、いつもより彼女を大人びて見せていた。
見たことが無い制服だった。どことなく、日本防衛軍のような軍服を思い起こさせる出で立ちだ。
「格好のことは後で説明するわ。それよりも、残念ながら、日本防衛軍の“ラストライン”はもう無いわよ」
甲斐とは違い、響子の口調は学園でよく聞く堂の入ったものだった。
甲斐はそんな文子に対し首を傾げて見せた。
「“ラストライン”が無いって、それってどうゆう――」
唐突に甲斐は、視線を鋭くして文子の向こう側に体を向ける。同時に、桜子を庇うように立ち、文子の前にいつでも飛び出せるように足を広げる。
現れたのは数人のスーツ姿の男達だった。歩き方から大体想像がつくが、全員なにかしらの武術をやりこんでいる。
「警戒しなくていいわ。彼らは私の護衛よ」
甲斐の気持ちを察したかのように言って、文子は、
「さて、“真田君”」
彼女は甲斐と桜子から数メートル離れたところで立ち止まり、長い髪を掻き上げた。
甲斐は文子の言葉を待つ。
「私とビジネスの話をしましょうか」
飛び出た言葉は、完全に想定外のものだった。
○●○
「それは本当なんですかっ!?」
甲斐は、興奮のあまり机を強く叩きながら立ち上がった。
戻ってきた病院のとある一室。長い机と十数個のパイプ椅子が置かれている所を見ると、小さな会議室や相談室のようである。
場にいるのは甲斐、桜子、そしてその対面に座る文子の三人だけ。
「本当よ」
文子はパイプ椅子の上で足を組み、腕を組み、そして淡々と告げる。
「あなたたちが乗り込んだ“スイジン”は初期の初期に生産されたいわゆる試作機みたいなものでね。全体の性能でいえば操縦士を守るための防備性、すなわちコクピット周囲の強度に大きな欠点を抱えているの。その分、機体の重量は軽くて本来であれば機動性に優れてはいるんだけど、そのままだと反応系がシャープでね。そんなじゃじゃ馬をいきなり乗りこなすのは、よほどのベテラン操縦士か、天性の才能がある者しか無理だからリミッターがかけてあったのよ。つまり」
「つまり、通常のものに比べて動きは普通で、防御力だけが極端に低い。そんなSVに俺たちは乗らされたって事なんですか」
「人員も急造なら、機体も急調達だった、という事でしょう。それにしても初心者……とここではあえて言っておくけど、学生メンバーが運用する部隊なのに、防弾性や生存性に乏しい機体を与えたなんて、これは問題よ。一般に知らされれば防衛軍への非難は凄まじいものになるでしょうね。ただでさえ、少年を最前線に立たせるとは何事だっていう意見も多くて、ラストライン設立時にも色々揉めたし」
甲斐の握られた拳は、自然と震えていた。
「何だよそれ……何なんだよそれはっ! わざわざ外見だけを最新式にして騙してたって事かよ!」
甲斐の怒りに対し、文子は不思議そうな顔をした。
「外見? 何を言っているのかよく分からないけど、もう少し声を小さくしなさいな。夜も遅いし、ここは病院なのよ」
甲斐はやり切れないものを感じながらも拳の握りを解き、席に座る。
「とにかく、そういう事なのよ。あなたたちに与えられたSVがきちんとした現場で使用されている“スイジン”なのであれば、犠牲八人なんていうここまで悲惨な事にはならなかったでしょうね」
僚機の仲間だった者達の最後が思い出される。踏みつぶされ、噛み砕かれ、易々とひしゃげた胸部とコックピット。確かに、あまりに簡単にやられすぎるとは思ったが……。
「くそっ……」
机の上で両手を重ねて毒づく。炎邪に対しての怒りだけでは収まらないが、
しかし……、
と、どこか冷えた思考で考える。日本防衛軍が炎邪の攻勢によって戦力不足、つまりSVの絶対数不足に悩まされていたのも分かる話であり、炎邪が現れるわけが無いと思われていたアイチ地区に試作機を送り込むという判断もありと言えばありなような気もする。
炎邪は無条件に恨めばいい。しかし、様々な複合的な要因が重なりラストラインの仲間たちは、日本の現状に殺されたのだとしたら、甲斐としては誰に怒り、誰に詰め寄れるというのだろうか。
「気を確かに持って。彼らが死んだのは、なにもあなたが悪いわけじゃないんだから」
この時ばかりは、労わるような口調だった。
「でも、私は個人的にもあなたにそんな事をする部隊に所属させ続けたいと思わないの。そこで、日本防衛軍と裏で取引してね。この事実をバラされたくなければラストラインを解散しろって言ってやったら、素直に受けてくれたわ」
甲斐は顔をあげて、予想外の言葉に首を傾げた。
「解散? 取引?」
「あなたはもう自由なんだけど、でも私はあなたをスカウトしたいのよ」
「スカウトって……意味が分かりませんが」
甲斐が文子の発言に付いていけず当惑していると、
「そこにいる人は、企業連合体“カンパニーズ”日本支店の支店長なんだよ」
告げながら部屋に入ってきた黒髪赤眼の人物を見て、甲斐は目を見開く事になった。
「信二!」
「甲斐。お互い生きてまた会えて嬉しいよ」
片手をあげて挨拶する友人に、甲斐は近寄ってその手を握った。
「お前こそ。怪我は無かったのか?」
「ああ、お前よりかはな」
信二は、甲斐の手を強く握り返した。その力強さは、目の前の友人の無事をなによりも実感させてくれた。
「感動の再会の所、申し訳ないけど、話を戻していいかしら?」
少し控え目な文子の声。信二に促されたのもあって、甲斐は再度席に腰かける。
文子は咳払いをして、話を仕切り直した。
「そうね、信二君の言う通り、まず私の立場を明かしておきましょう。私は中立企業連合カンパニーズ日本支店支店長、霧島文子」
「カンパニーズ? 支店長?」
「文子さん。まずカンパニーズについて説明をした方がいいと思います。外国では有名ですが、鎖国をしている日本には馴染みが薄いでしょうから」
「そうね……」
信二の助言に従い、文子は説明を始めた。
その内容は、甲斐にとっては初めて耳にすることばかりだった。
カンパニーズとは、その名の通り、数多くの企業が国というつながりを越えて組織されたものの名称である。
世界中を巻き込んでいる第三次世界大戦。それはすでに国同士の戦いでは無くなり、国を超え第二次世界大戦の連合をも超えた巨大勢力同士の戦いに変質していた。
その勢力の内の一つが、中立企業連合体“カンパニーズ”である。
元は兵器売買を生業としていた企業同士が、国の情勢に左右されずに可能な限り安全に商売が行えるように協力関係や情報交換を行う繋がりの中で設立されたものである。
設立当時は、何の力も持たないただの企業同士の懇親会、交流会のようなものだったが、やがて第三次世界大戦の激化に伴い、軍事企業体であるが故のその発言権の上昇から、以降の巧みな外交と、兵器の取引を背景にした適度な脅しを使い分け、会に所属する企業には独自の武装化及び一定の自治制までも認めさせるに至り、今では世界三大勢力の一角、と言われるまでになっている。
しかし、三大勢力の一角と言っても、他の勢力に武器、兵器を中立の立場で供給する事を目的とした組織であるため、戦争に対しての積極的な介入は行わない事を信条としていた。
「と、色々割愛はしたけど、カンパニーズはそんな組織よ」
「つまり中立の立場で各国、いや今の言い方だと各勢力になりますね、に対して兵器を売りさばく国を越えた巨大勢力という事ですか」
「中立という立場上、敵対する勢力同士の交渉役を買って出たり、その場を提供することも生業としてるの。また性質が似ている日本にも新たに支店を置けたわけ。もっとも、カンパニーズで取り扱っているのは兵器だけじゃなくて、こういった可愛らしい日用雑貨も製造販売している事を付け加えておくわ」
と、文子は懐から可愛らしい熊のキャラクターのキーホルダーを取り出して、揺すって見せた。
「付け加えられても困りますが……」
「更に、中立であるという立場から、各勢力からカンパニーズの利益を損なわない程度に、依頼を受けて自戦力を派遣するという事業も行っているの。災害救助とか、戦争に関係ない物資運搬の護衛とかね」
「じゃあ、さっきからスカウトをするっていうのは」
「ご明察。本日の明朝。フクオカで炎邪の一大発生が確認されたわ。総数一○○体以上という、前例に無い規模よ。そして、つい先ほど、アイチ付近で新たなワームホールが発見されたの。日本政府は、このアイチのワームホールへの対応を正式にカンパニーズ日本支店へ依頼してきたわ。自国以外の戦力を国内で活用させるのにかなりの躊躇があったみたいだけど、フクオカ戦線の部隊は割けない、“ラストライン”は壊滅となったら、それしか手が無いものね。カンパニーズとしても、これは戦争外の案件として受け止め、依頼に応じる事にした」
しかし、と文子は説明を続けた。
「私たちも戦力が充実しているわけではないのよ。特に操縦士がね。ラストラインの候補生や信二君にも声をかけて色よい返事はもらえたけど、それでも不足しているわ。そこで真田君。あなたを今日から設立されたカンパニーズ日本支店SV対応グループ、新生“ラストライン”にスカウトしたいの」
「炎邪が、またここにやってくる……」
甲斐は今までの説明を頭の中でまとめようとした。文子の言いたいことはなんとなく分かるが、今まで聞いたことが無いカンパニーズという存在、しかも文子がその支店のトップであること。その他世界の状況など、甲斐の認識の外にある出来事を一度に言われて混乱しているのも確かである。
(いや、そんな事は些細な事か……)
この際、理解が及ばない事について考えるのを半ば諦めて、甲斐は覚悟を決めた。要は自分が何をしたくて、そのためには何の話に乗るのが一番良いのか、それだけである。
「答えは決まっていますが、それにしても何でそんな組織の、支店長ですか? に文子さんがなっているんです。それだけは聞かせていただけませんか。僕はてっきり親父さんの会社の手伝いといっても普通の会社員ぐらいの事をしているのだろうという認識しか無かったので」
「カンパニーズは一族経営の色が強いという事だけ言っておくわ。それに、今回は炎邪以外にもカンパニーズが独自で処理をしなければいけない要件も重なっているし、それは個人的にも関わりがある事だから」
文子の“個人的に関わりがある事”。甲斐は発言するか一瞬迷う。しかし、ここまで聞いてしまったら最後まで知りたいと思った。
「赤いSV、ですか?」
文子は初めて、きまりが悪そうな顔をした。
「……そうね。やっぱりあなたなら勘付いてると思ってた」
文子は目を閉じて何やら考え込んだ後、次の瞬間には甲斐を真っ直ぐに見つめた。
「あなたが“私の仲間”になってくれると言うのであれば全部教えるわ。あなたの疑問にも、私が知る限り答えてあげる。そうでなければこの話はここでおしまい。あなたは一般市民としての生活に戻りなさい。というより、私霧島文子個人としては、それも強く望んでいる」
「……」
「さぁ、教えて。イエスかノーか」
場の全員が、甲斐に注目する。
甲斐は文子を見て、桜子を見る。そして、アイツに想いを馳せる。この三姉妹は自分の人生のもっとも間近にいた人達である。ここで、その三姉妹の関わっているこの件を知らぬ存ぜぬで見過ごし、普通の生活に戻ることなどできるだろうか。
(いや、俺はそんな自分は許せないな……)
甲斐の返答は、酷く端的だった。
隣でずっと無言だった桜子が、甲斐の答えを聞いて泣きそうな顔で俯き、膝の上で拳を強く握った。