2-1 季節は巡り
生活が一変した。
誰もがそう感じ、皆がそれを諦めていた。
一年前、今では炎邪と呼ばれている生物が初めて人類の前に姿を現した出来事。のちに“ファーストコンタクト”と呼ばれるこの事件は、当時は存在が秘匿されていた自衛隊の戦闘用人型建設重機――現在では人型兵器と名を変えているSVの部隊が、撃退に成功して幕を閉じた。
街の中心部に炎邪が出現したにも関わらず、市民の犠牲三五名と奇跡的に“極小”な数字で済んだことでも有名な事件である。
当時は、連日新聞やワイドショーなどで取り上げられ大騒ぎとなったが、その後、新たな炎邪が現れなかった事もあり、やがて人々は自然災害などと同じく、単発的で不運な事故だったと捉え、徐々に関心を失っていった。
学者達の間では、回収された死骸からその生態研究が進められると共に、そもそも炎邪はどういった経緯で誕生したのか、という議論も活発に行われた。
「炎邪は某海峡で某国が秘密裏に核実験を行い、放射線を浴びた近くの島のサルが突然変異を起こしたのだ」
「炎邪は恐竜と同じ時期に生きていた生物で、今まで南極で氷漬けになっていたが、進む地球温暖化の影響でその氷が溶けて復活し、日本まで泳いできたに違いない」
これらの議題は、死骸からの研究も全く進展しなかった事も手伝って、しばらく熱を冷ますことは無かったが、一般の市民達は一か月もすれば事件の事を胸に留めつつも一定の平穏を取り戻し始めていた。
しかし、“ファーストコンタクト”から三か月後。フクオカに現れた直径一キロを超える大穴から一時間で一○体、多い時には一○○体を超える炎邪が這い出してくるようになり、しかも最初の炎邪と同じく人を襲い、捕食しはじめると、人々は、再びその存在を恐怖の対象として意識せざるを得なくなった。
炎邪は、平均全長一○メートルを超える怪物であり、一般人ではその圧倒的な体格差とパワーに逆らう事さえできず、対人の重火器などでは全身を覆う堅牢な体毛に阻まれて足止めにもならない。
対抗できたのは、それこそ同じような大きさである他国の対SV戦闘を想定して開発されていた兵器だけ。
そして、その兵器の代表格はSVだった。
鎖国している上に、炎邪が日本にしか出現していないのもあって、戦争に手一杯な外国からはロクな支援が期待できず、日本製の戦闘用SVの重要性は急速に増していった。
○●○
“ファーストコンタクト”から約一年後。
日本防衛軍。アイチ地区チタ基地。
炎邪の再来襲に備え、海に浮かべるような形で建設されたこの場所は、小規模ながらもSVの開発や製造工場も兼ねており、広大な訓練場もあった。
その訓練場に、響く銃声。
脚部のホイールが乾燥した大地に砂煙を巻き起こしながら、地を滑るように高速移動をして、出現した訓練用のターゲットに、的確な射撃を浴びせるSVが一機。
国産量産型SV“スイジン”。四角い箱から手足が飛び出しているかのような無骨な重機用SVと違い、格闘戦での可動域と小回りの利く機動を考慮された、スリムな紫色の装甲で覆われており、外観は軍用ヘルメットとボディアーマーを着込んだ特殊部隊の隊員のようでもあった。
全長は一○メートル。固定武装は両腰の兵装ラックに収納された、刃先がチェーンソーのように高速回転をするナイフ――通称“Cナイフ”が二本と、機体頭部に取り付けられた機関砲が二門だけだが、陸戦兵器でありながら両腕があるため、持って、構える、事により単体で通常八八ミリ口径、条件によってはそれ以上の火砲運用が可能である。
今、この“スイジン”が携帯しているのは、SVとしては一般的な四○ミリアサルトライフルだった。一○メートルの鋼鉄の巨人は、人間では到底扱いが困難なこの強力な火器をまるで人間でいう拳銃のように機敏に取り回し、全方位から出現するターゲットを迅速に撃ち落していく。もっとも、今回の火器はすべてペイント弾に換装されており、ターゲットは、当たっても破壊されることは無く、塗料により赤色に染まるだけだった。
しばらくするとターゲットの出現が止まり、操縦士である室伏少尉は移動を止める。レーダーを流し目で確認しつつ、有視で辺りを見渡す。フクオカにて炎邪撃滅数五○体を数える彼は、レーダーなどの重要性を心得るとともに、自分の目で状況を把握するという行為が無意識のレベルで染み付いていた。
右斜め六○度の位置に、物陰から新たなターゲットの気配。遅れてレーダーに反応。すかさず視界に収めて行動。距離は一○○メートル。近い。発砲は可能。だが――。
(それでは駄目だ)
一瞬で判断してターゲットに接近。
炎邪の体毛は、剛性に優れているだけでなく、毛の一本一本が特殊な電磁波におおわれており、銃弾やその他の衝撃を軽減してしまう。そのため、攻撃は体毛の無い部分に的確に行わなければ致命傷を与えられない。地上兵器では絶大な火力を持つ戦車などではなく、一歩劣る火力ではあるものの、高速移動や機敏な動きができるSVの方が炎邪に有効だと言われているのは、この辺りにも関係がある。個体によっては体毛部であれば戦車砲の一撃にも耐える奴もいるのだ。
近距離の方が火器の命中率も上がるが、ハンドガンならともかくライフルでは、外したときの隙が、機敏な炎邪に対しては致命的になりやすい。
格闘戦に不慣れな新兵ならともかく、自分の技量ならばここは初めからの格闘戦が正解だ。今の状況なら先制攻撃にもなる。
SVの腰の兵装ラックの一部が開いて、柄が伸びる。手慣れた動作でSVにそれを引き抜かせると、操縦士の意思に応じるように“Cナイフ”の刃が高速回転して唸りを上げた。
ターゲットは動かないが、室伏は敵が攻撃したと仮定して回避行動を取ると同時に、敵の体毛におおわれていない箇所――炎邪の顔面を“Cナイフ”で突き刺す。
同時に、甲高い電子音。
訓練終了の合図だ。
『さすがだな室伏少尉』
基地の司令官からの画像付きの通信が入り、室伏は一息つきながら応じた。
「以前はもう三○秒は早くできたんですがね。まぁ、歳も三十路を越えましたし。これぐらいが限界なのかもしれません」
室伏は自分の右腕を軽く擦ってみせる。二月前、フクオカ戦線での作戦行動中に右腕に大怪我を負った彼は、治療後の復帰早々、新設される対炎邪独立SV“学生”部隊“ラストライン”教官の任を受けた。今日はその学生たちに指導を行う前に、前線にいた時のSV操縦の感を取り戻すため、訓練をしていたのである。
『ほう、本調子でなくてその動きか。本物の炎邪が出てきても、これなら安心だな』
「本当に学生を戦わせるわけにはいかんでしょうから、その時は私がなんとかしますよ」
ちなみに“ラストライン”とは、“ファーストコンタクト”の犠牲となったアイチ市民の「フクオカ以外にもSVの配備を!」という訴えから新たにアイチに設立される事になったSV部隊の総称である。
もっとも、機体の方は現役機のSVを揃えられても、フクオカの芳しくない戦況から貴重な操縦士は揃えられず、かといって世論の意見も無視はできず、苦肉の策としてSV操縦課程を優秀な成績を修めている学生を中心に組織される事になった。
そんな部隊の教官職を承諾したのは、いまだ万全じゃない傷の治療のためというのもあるが、どちらかと言えばもう一つの理由がメインだった。
室伏は、一年前まで、このアイチで暮らしており、そしてファーストコンタクトで妻と娘を亡くしていた。それまではしがない作業用SVの操縦資格を持つ作業員だったが、以降は防衛軍に志願して訓練を受けてSV操縦士になった。
(憎しみだけで戦ってきた俺が、後進の指導係とはな……)
我ながらそういった事に向いていないのは空手道場の兄弟子として後輩の指導をしていた頃から感じてはいるものの、しかし、二人の墓参りに行けるのならば、とも考えた。
『君にはいずれ前線に戻ってもらいたいものだ』
「私もそのつもりです」
『このアイチは君の出身地だと聞いている。まぁ、教官といっても学生の指導だ。敵も来るわけが無いし、療養だと思って気軽にやってくれればいい』
「……最後の締めといきましょう。そろそろ、エネルギーも少ないんで」
モニターに映る司令は人の良さそうな顔で頷くと、近場の部下に指示を出す。
変化はすぐに起きた。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」
絶叫のような、気分が悪くなる鳴き声が響き渡る。
離れた岩山の上に最後のターゲットが現れた。
距離は三キロ。遠い。液晶パネルを操作し、モニターを拡大する。
巨大な体躯。全身を覆う、燃え上がるように揺らめく体毛。野を駆け回る野生動物のように無駄が無く、力強さを感じさせる肢体。そして何よりも、
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」
その不快な音を発する、凶悪な相貌。
室伏は感心の吐息を漏らした。
「へぇ、よくできてますね。俺がフクオカで殺しまくってきた奴らと全く同じように動き、そして鳴きやがる」
ロボット? かどうかは知らないが、室伏が今まで相手をしたことが無い程、精巧に造られた炎邪のターゲットだった。これから指導する学生達のために造られたものだろうか。
「さぁ、司令。早く開始の合図を」
最初は前を見て言ったのだが、戦闘の許可どころか何の返事も無いことを不思議に思った室伏は、最終的に司令部に繋がるモニターに目を向けた。
司令官の顔は真っ青だった。
「司令?」
『……なんだあれは。あんなもの私は知らないぞ。準備もしていない』
「なんですって?」
『司令! あの化物から生体反応が!』
オペレーターの声を聞いて、室伏は再びターゲットに視線を戻す。
『一体ではありません! その数は五、いや六に増えました』
その声に応じるように、岩山の陰から新たな炎邪が五体現れ、そして同じように咆哮。
室伏の背後に悪寒が走る。この多重奏はいままでの一年間、生死の境で嫌というほど聞いてきた。
「本物、なのか?」
望遠モニターを表示。細部を見れば見るほど、それは確信に変わる。
『ば、馬鹿な! この一年間、フクオカ以外で炎邪が確認された事は無いんだぞ!』
司令部にこれ以上ない動揺が走っているのが、モニター越しでも伝わる。
無理もない。“ファーストコンタクト”という前例があるものの、誰もが炎邪はフクオカから来るもの、としか思っていなかったのだから。
(いや、そう信じていたかっただけかもしれないな……)
そう考えながらも、室伏は化物から目を離さない。
『やれるか室伏少尉!?』
すがる様な問いかけだった。
「やれるか、ですって?」
頭部の機関砲はペイント弾。装備しているライフルも同様。実質、武器は“Cナイフ”二本のみ。
人間で例えれば、トラのような猛獣六匹相手に、ナイフで戦いを挑むようなものだ。
(……無理だな)
どこか冷静に考察する。通常、一匹の炎邪に対しても火器を揃えた二~三体のSVで対抗するのである。
炎邪はすでにこちらを発見して狙いを定めている。奴らは知っているのだ。こういう鋼鉄を被った機械の中に、自分たちの御馳走があることを。
一瞬だけよぎる戦闘以外の選択。しかし、これだけの戦力差では逃げる事も困難だ。
――あなたは不器用なんだから、慣れない事なんてしない方がいいわよ。
ふと、死んだ妻の言葉を思い出した。
一年しか経っていないというのに、改めて思い起こせば自分の状況も大きく変わったものだ。SVなんて乗って、化物と戦争して、しかも柄にもなく教官なんか引き受けて。
(ああ、そうだな。お前の言う通りだ。慣れない事なんてするんじゃなかった……)
室伏は、なぜかおかしくなって声に出さないまでも笑みを浮かべた。
『やはり逃げろ少尉! 今の武装では勝ち目は無い!』
「時間を稼ぎます」
司令と違い、室伏の声に震えは無い。
『室伏少尉!?』
目の前で起きている事は現実だ。いま、室伏の故郷であるアイチは再び危機に晒されようとしている。対抗できるのは、自分のSVだけだ。
(いや、あとは成績だけは優秀なガキどもだけか……)
室伏が指導する学生達は、技術は一人前でも所詮は素人の集まりである。火器を揃えても勝率は低いだろう。しかし、人並み以上にSVを動かせる人物が一○人いて、SVも一○機以上が街の中にある。一○対六なら無理だろうが、それが一○対五なら? それが一○対四なら?
それに、このまま炎邪が街に行ってしまえば、その学生たちもSVに乗ることなく殺されてしまう可能性もある。
「少しは減らして見せます。あとは、頼みました」
脚部のホイールが唸りを上げて、“スイジン”が大地を疾走し炎邪に迫る。
炎邪もこちらの存在に気づいて、強靭な四肢を振り上げ、突進してくる。
そういえば、空手道場の指導員をしていた時に、いつも霧島師範の娘さんに勝負を仕掛けていたガキはどうなっただろうか、と“Cナイフ”の刃が高速で回転する感触を感じながら、室伏はなぜかそんな事を思い出した。
“ラストライン”メンバーである学生の資料は、今日の夜に確認するつもりだった。なので、室伏は自分が指導する学生の事をまだ知らない。
ただ、その少年は不器用だが器用なやつなので、もしSVの操縦士に選ばれていたのなら、こういう状況では頼もしい。
少年は、意味もなく理由もなく、そんな希望を抱かせる人物だった。
○●○
見冬町商店街。駅前交番前。
いつもなら交番の前にある噴水場は、町民の待ち合わせの場所としてよく賑わっているのだが、今日はなぜか人通りが少ない。気温が低く、天気予報では雪まで降ると言っているので、それが原因かもしれない。
もっとも、今の状況では、人の目をあまり気にしなくていいというのは、非常にありがたいことだった。
「嫌な事件でしたね……」
そう呟く少女がいる。名は霧島桜子。年齢は一四歳。甲斐と同じ六文高校と同じ敷地内にある六文中学の三年生で、学校指定の制服を着ている。
どんな少女なのかと言えば、まず彼女はその場から存在が浮いていた。スカウトされ、雑誌のモデル活動やアイドル活動を経て研磨された容姿だけ取ってもそこらにいる女性達とは一線を画している。更に、それをサポートするかのような、それでいて本人の性格があまり派手さを好まないが故に控えめに少女を引き立てるブレスレッド、ヘアピン、もっと言えば携帯ストラップから、軽くワンポイントに細やかな刺繍が施してあるソックスに至るまで、すべてが彼女のその容姿にマッチしており、神の采配のごとき相乗効果を生み出していた。
浮く、では生ぬるい。飛びぬけた、いや突き抜けた魅力がそこにあり、将来美人となることが約束されているのは誰の目に見ても明らかだった。姉の文子も相当であるが、その文子に「私でも可愛らしさでは分が悪い」と言わしめたのは伊達ではない。
「本当に、嫌な事件でした」
「痴漢を半殺しにしておいて、言う事はそれだけかい。しかも他人事みたいに言うし」
と、身元を引き受けに来た真田甲斐は呆れて言う。
高校の授業も終わり、図書室で勉強していると甲斐の携帯電話が小さく揺れた。電話の相手が自分にとっての天使である桜子からだと分かった時は、ウキウキ気分で電話に出たのだが、返ってきた声は野太い声のおっさん――警官だった。
「っていうか、そもそも桜子ちゃんが痴漢をされたわけじゃないんだよね」
経緯としては、中学校からの帰り道、電車に乗っているときに女の人が痴漢にあってるのを目撃して、空手道場を持つ霧島家の三女であり、自身も黒帯を持つこの少女は、その男を殴り倒したらしい。
「私が、とか誰が痴漢をされたかなどは、些細なことでは無いでしょうか」
彼女はしみじみとした口調で続けた。
「痴漢をされていた少女は、内気な性格なのか声も上げられず泣いていました。目の前で困っている人がいれば、手を差し伸べる。それが普通の事ですし、そう思える自分でいたいと思います」
どこか遠い目をする桜子。その後頭部に向けて、甲斐は緩やかに手刀を振り下ろした。
「いたっ、何をするんですか!?」
「ここで叩いておくことが君のためになる気がした」
桜子は頭を押さえて、数歩距離を取った。
「女性に暴力とか相変わらず最っ低ですねお兄さんは! っていうか、これだから男の人は……」
「暴力が原因で警察に拘束されていた人に、暴力どうこう言われたくないなぁ」
「私の場合は暴力などではありません。鉄槌です。悪をくじく、正義の力です!」
グッと拳を握り、彼女は更に力説した。
「正義は我にありました!」
その、自己に完璧に満足している様子を眺めながら、
(正義、ねぇ……)
と甲斐は桜子の言葉を反芻した。その言葉で胸を張れる事が、甲斐にはある意味羨ましく思えた。
「桜子ちゃん」
「何ですか?」
「正義について言わせてもらえば――」
甲斐は喉の奥まで出かかった言葉を、寸前のところで押し留めた。
「ごめん、何でもない」
考え無しに発言しようとしたことを後悔する。今、口の外に出そうとしたことは、この少女に対しては全く不要なものだと気付いたからだ。
彼女は、自分みたいに馬鹿ではない。行き過ぎた考えがあったとしても、正義に対する考え方の性質はかつての自分と違い、これ以上なく純粋だ。
「なんですか? 言葉を途中で止めないで下さいよ」
「ごめん。本当に何でもないんだ」
それ以上は、何も言い出せず沈黙をしてしまう。すると、桜子が思い出したかのように、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「ああ、そういえば以前聞いたことがあります。甲斐さんはかつて小学校まで正義のヒーローと称して無茶苦茶やってたそうですね」
痛い所を突かれて、甲斐は困り顔を浮かべた。
「そうだね、まぁ色々やってたよ。思い出してみても、ロクなもんじゃなかったけど」
「どーせ、お面とかつけて、変身! とかやってたんじゃないですかぁ?」
からかう様に言う彼女に対して、
「そんな可愛いもんじゃなかった」
と、甲斐は苦笑する以外の選択肢を見つけられなかった。
本当に、可愛いなどと笑えるレベルのものではなかったのだ。かつての自分は、今思えば吐き気を覚えるぐらいに歪んだ思想を持ち、それを他人に押し付けていたのだ。
「まぁ、いいでしょう。恥ずかしい過去というのは誰にでもあるものですから追及しません」
と言って、桜子は甲斐の傍まで寄ってきて、胸元のペンダントを指差した。
「なにより、今日はお兄さんにご迷惑をかけた手前もありますしね」
甲斐は指差された、盾に八つの竜、すなわちヤマタノオロチを模したレリーフ付のペンダントを指で弄んだ。
このペンダントは、最近設立された対炎邪独立SV学生部隊“ラストライン”の隊員に選ばれた者の証だった。
フクオカに炎邪が出現するようになり、中学校の授業から必須に組み込まれたSV操縦技能科目。本来、戦闘用SVの操縦免許の取得は二十歳以降という条件があるが、例外的に学校の科目で全国トップクラスの成績を持ち、かつ“ラストライン”への参加の意思を示した者には、未成年でも戦闘用SV操縦免許資格を与えられる事になっていた。
「それにしても、このペンダントを見せるだけで警察もすぐに開放してくれましたね。大人の家族を呼べの一点張りだったんですが」
「これを持ってるってことは、社会的には大人扱いだからね」
「さすがですね。高等部から聞こえてくる“最良の男”や“学生トップエース”という二つ名は伊達ではない、という事でしょうか」
言われている本人が一番恥ずかしがってる事を言われ、甲斐は微妙な表情を浮かべた。最良の男? 学生トップエース? アイツがここにいたら何と言って笑うだろうか。
「そんな大層なものじゃない。君も知っての通り、上には上がいるもんだ。ただ他人より少しこういった事に向いていたってだけさ。それに、ラストラインの訓練は明日の放課後からで、まだ何にもしてないんだ。正直、正式に隊員を名乗るのには抵抗がある」
と答えて甲斐はペンダントを外した。
「外しちゃうんですか?」
「抵抗があるって言ったでしょ。今回の件には役に立ちそうだからぶら下げてたけど、本来なら見せびらかすものでもないしね。それより」
甲斐はペンダントをポケットにしまい、改めて桜子に向き直った。
「今回の件、文子さんにはちゃんと話すから」
今度は、桜子が困ったような表情をして顔を伏せた。
「あ、えぇ、っと……」
「警察に御厄介になったんだ。お姉さんに黙ってるわけにはいかないだろ」
「それでも、内緒にしておいてほしいなぁ、なんて」
手を重ねてお願いをされる。可愛らしい仕草で、思わず了承したくなるが。
「だめだ。っていうか、別に怒られるわけじゃないだろ? 今回の件について犯人は自白してるし、君の行動も情状酌量の余地ありで、どちらかと言えば警察だって快く釈放してくれたじゃないか」
「それでも……」
桜子は表情を暗くする。
甲斐は腕を組んでしばし考える。
文子と桜子。姉と妹。思い起こせばもう一人の姉と桜子との関係と違い、昔からこの二人の関係は仲が良くてもお互いの事には干渉しない節が確かにあった。それも、極端と言えるほどに。
甲斐は、小さく息を吐いて、
「……分かったよ。了解。さっきまでの事は忘れるよ」
桜子はホッとしたのか、ぱぁ、と顔を輝かせた。
「ありがとうございます」
「そのかわり、お願いがある」
「あっ、はい。エッチくないことなら」
「……」
甲斐が言葉に詰まったのを見て、桜子は冷たい視線を向けた。
「……本当に最低ですねお兄さんは」
「冗談だよ、冗談」
「握りこぶしで、歯ぎしりしながら言われても説得力ありませんよ!」
桜子は腕で自分を抱きながら、さらに甲斐から数歩遠ざかった。
その様子を見て、甲斐は思わず笑ってしまった。
「ごめんごめん。本当に冗談だよ。お願いっていうのは、一緒におやつでも食べて帰ろうってだけ。お腹空いたし」
傍のカフェを視線で示しながらお腹を擦ると、虫が鳴った。
桜子も自分のお腹に手を抑えると、少し恥ずかしそうに咳払いをした。
「まぁ、それぐらいならいいですよ。あと、今日は私が奢ります」
「えっ、いいよ。それぐらい出すから」
「いいんです。お礼も兼ねてですから。っていうか、すぐに借りを返しておかないと、後でどんなことお願いされるか分かったものじゃないですし」
「結婚しよう! とか?」
「その時は、警察署に変な男から結婚しようと追い掛け回されてる、と半泣きで駆け込みます」
甲斐は無言で両手を上げて、降参の意思を伝えた。