1-2 甘味屋
六文高校は、見冬町のちょうど中心にある小山に位置している。校門へは一○○メートル程の坂道を登る必要があり、相当な傾斜があるので学内の運動部には心臓破りの坂として知られていた。
季節は秋暮。気温は多少肌寒くはあるものの、衣替えの済んだ厚手の制服でその坂道を全力疾走すれば汗もかく。
「私の勝ぃ♪」
響子の勝利宣言が終わったぐらいのところで、ようやく甲斐は校門をくぐる事ができた。
霧島家から六文高校までのおおよそ五キロの行程でどちらが先に学校までたどり着けるか、というのも恒例の勝負だった。
甲斐は、息を切らしながら倒れるように地面に座り込む。
「いやぁ、甲斐。今日は惜しかった。スーパーきたくらの交差点で瞬獄殺を極められなかったら、負けてたかもしんないな」
甲斐は息を整える必要があり、すぐに言葉を返せなかった。
この勝負はお互いへの妨害を可としている。結果として、甲斐は朝の騒動以上に生傷を増やすことになった。
対して響子は、多少息を切らしているものの、軽口が叩ける余裕はあるようだ。
「この現代版アマゾネスめ……」
呟くと、すかさず頭部に衝撃が走る。殴られた。それほど強くはなかったが。
「だれがアマゾネスだ。あぁ?」
胸倉をつかまれて、引きつった笑顔で迫られる。
「……フッ」
ジッと響子を見ながら小さく笑うと、今度は頬をつねられた。
「いひゃひゃひゃひゃ!?」
甲斐は奇怪な呻きを漏らす。本気で痛い上に、明らかに常人の肌の伸度以上に引っ張られたのだが、周りの登校途中の学生たちにとっては、そんな光景はすでに日常と化しているため、だれも心配して甲斐に駆け寄ったりはしない。それどころか、一部の女子生徒等は、「響子ちゃん、おっとこ前~♪」と声援を投げかける始末だった。
響子は、その声に満足したのか指の力を弱めた。
「い、痛いじゃないか!」
解放された甲斐は、赤くなった頬を擦りながら言う。
「痛くしたからな」
響子は悪びれる事無く平然と答えた。甲斐はぐぬぬ、と歯ぎしりの音を漏らした。
「ったく、本当に馬鹿力だよなぁお前は! この化物! ゴリラ女!」
と、毒づいてから身構える。また、殴りかかってくると思ったからだ。
「って、あれ?」
しかし、殴りかかってこない。響子は一瞬だけこちらを見てから、顔を逸らしただけだ。
「……響子?」
どことなく、彼女が傷ついたようにも見える。そんな、まさかありえない。こんな程度の悪口で? そんな繊細な奴なわけがないと思って“不用意に”近付く。
これがいけなかった、
次の瞬間には、ハートブレイクショットを決められて、体の動きが止まったところに流れるような動作で体を掴まれ、地面にうつ伏せに引き倒されて、背中に乗られた響子に腕を逆に締め上げられた。関節技の腕がらみの一種だ。
「いだだだだぁ!?」
「ばっかだなぁお前は、簡単に引っかかって。さぁて、今回も私の勝ちだし、何をしてもらおうかなぁ……決めた。帰りに“満腹堂”の絶品饅頭チョコレートパフェを奢ってもらおうか」
「わ、分かった分かった! ギブ! ギブゥゥ!」
おそらく自分にだけにわかる間接が軋む音を聞きながら、甲斐は地面を叩き続ける。
一回の勝負に負けるたびに響子の命令を一つ受け入れる。それが、中学一年の夏に交わした約束だった。
その命令を受け入れる事は酷く屈辱だが、それ以上に約束を破るのは甲斐のプライドが許さない。というか、今の状況はそれを許さないだろう。主に体の安全的に。
「よし、そんじゃあいつも通り一緒に帰ろうな」
甲斐を開放し、子供みたいな笑顔を浮かべた後、響子は鞄を肩にかけて校舎の下駄箱に向かっていった。機嫌はなぜか非常に良さそうだが、どうせ帰りに好物にありつけるのが確定したからだろう。
「相変わらず君たちは仲が良いな」
と、響子の後姿を腕をさすりながら憎々しげに見ていた甲斐に近付いてきて、冗談にもならない事をサラリと言うのは、武田信二という残念ながら男のクラスメイトだった。
黒い学生服に、きまりの悪い癖毛のボサボサ頭、黒髪の日本人だが、遺伝的な問題らしく赤い瞳を持っているのが特徴的な少年である。
「おはよう真田君」
甲斐は、自分の体の無事を確認しながら応じた。
「なんだ信二か。俺の呼び方は甲斐でいいって言わなかったか」
「なんだ、は酷いな」
苦笑する信二は、外国からこの高校に転校してきてから一週間しか経っていないので、どのクラスメイトに対しても敬語だった。しかし、なんだかんだで気が合って今では一緒にいることが多いので、甲斐は信二の事を呼び捨てにしていた。
「それと怖いことを言うんじゃないよ」
「怖いことって?」
「俺と響子の仲が良さそうとかなんとか言っただろ」
「何か問題なのか?」
「誰が仲良くなどするものか。俺があいつのせいでエラい目に合っていて、日々悩んでいるのを知ってるだろ」
はて、と信二は首をかしげた後、
「ああ、この前聞いたあれか。正直、悩みとは思えない悩みだけど」
甲斐は黙ってフラリと立ち上がると、これまたフラフラと信二の傍まで歩いていった。
「えっと……何?」
そんな甲斐を避けるように、信二は数歩後ずさった。
「そうだろうよ。女の子と同棲してる奴には、俺の彼女が欲しいという望みはさぞかし滑稽に映るのだろう。そんなに惨めか! 入学早々十連敗の俺がそんなに面白いか!?」
「はぁ? 何を勘違いしてるんだ。同居しているのは外国に住んでる俺の父親の友達の娘であって、お前が考えてるような事は一切ない。それに二人で暮らしてるわけじゃなくて、父親の友達をいれての三人暮らしだ」
「それでも女の子と同居してることに変わりは無いだろ。畜生。爆発しろ!」
「おいおい、あの霧島家に出入りしてるお前がそれを言うのか」
肩を竦める信二の反論に、傍を通る何人かの男子生徒もこちらに話しかけてこないまでも同意とばかりに何度か頷いていた。
学内だけでなく学外にもその人気が及んでいる上に生徒会長を務める長女の霧島文子。
女子を始めとしてファンが多く、長女同様に文武両道な次女の霧島響子。
中学生ながら、雑誌でモデル活動や、最近はアイドル活動もし始めて、また部活のバスケットボールでは県大会優勝校のキャプテンを務める三女の霧島桜子。
見冬町の霧島美人三姉妹と言えば、この町かなり名が知られている。
そして幸か不幸か、そんな霧島家に出入りしている年頃の男子は空手道場の子供たちを除けば真田甲斐だけだった。
しかし、それは決して甲斐が望んでそうなったわけではない。
「好きで出入りしているわけじゃない」
「どうだか。美人三姉妹の家に出入りしたくてワザと負けてるんじゃないかとの噂だが」
「ははははは、面白いなその噂」
「俺が言ってるわけじゃない。だから笑いながら殴りかかってくるな」
甲斐は、かなり本気で信二に向かって拳を何度も打ち出しているのだが、信二はそれを片手で難無く捌いている。一週間、共に学園生活を送ってみて分かった事だが、信二は運動神経がかなり良い。一年生の中では響子、甲斐に続いて体育の時間では目立っている。
更に言えば頭も良い。スポーツも抜群、顔も頭も良いところまでは甲斐と一緒なのだが、甲斐と違ってとにかく信二はモテた。転校してきてから一週間になるが、すでに何人かの女性からアプローチをかけられているという噂だ。
思い起こしただけでも、だんだんと甲斐はイライラしてきた。
「なんか殴る力がどんどん強くなってないか」
「そりゃあ強くしてるからな」
「お前な……」
間に険悪な空気が流れかけた時、甲高い車のクラクションが割り込んできた。
二人が同時に音の方向――校門の方を同時に見ると、乾燥した校庭に土煙を上げながら校内にトラックが入ってきているところだった。
大きなトラックだ。全長一○メートルはあるかもしれない。
「何だあれは?」
甲斐が拳を振りかぶるのを止めて尋ねると、
「輸送トラックだろ。SVの」
SV。甲斐がその正体に思い至るのには少々時間が必要だった。
SVとはサーヴァントと呼ばれる人型の建設機械である。全長は五メートルから、それ以上のものまで様々ある。多くの建設機械と同じく黄色を基調としたカラーリングをされていて、本体の四角い箱のような操縦席から、胴体に比較すると細めの四肢が取り付けられているものが一般的である。
馬力や整備性などにまだまだ問題を残しているものの、二足歩行を生かした悪地での作業や、マニピュレーターによる車両型建設機械では困難な精密作業、人命救助などの分野において性能が評価され、現在では大きな建設現場などに行けば数台は見かけるぐらいに普及していた。
もっとも、いくら普及していると言っても、学校で見かけるには不釣り合いなものであることは変わり無い。
「なんでSVがウチの高校に? どこか工事でもあるのか?」
甲斐が不思議そうに呟くと、信二が呆れた様子で答えた。
「来週からSVの操縦は、一部の公立高校の体育の授業に組み込まれる事になったんだよ。この前、先生が言ってただろ」
「へぇ、ウチは工業系の学科があるわけでもないのに。にしても、あんな重機の操縦なんて覚えてどうするんだ?」
「SVはレスキューや精密動作におけるその有用性が立証され始めている他、一昔前なら、専門の操縦者しか乗れないようなものだったが、現在は操縦性の問題もずいぶん改善されて、素人でも数か月の講習を受ければある程度は動かせるようになっている。今はまだ、他の建設機器に比べて生産数は少ないが、今後の技術進歩によっては建設だけでなく、軍事兵器としての価値も増えてくると予想されている。つまりだ」
普段は口数の少ないはずの信二の並べられる言葉に、甲斐は黙って耳を傾けていた。
「今のうちに多くの若者にSVの操縦を覚えさせておけば、将来国にとっては色々と都合が良いのさ。実際、外国では学校がSVの授業をやるっていうのは珍しくない。日本の導入は遅いぐらいだ。特に鎖国をしている日本は、国防で外国の協力も得にくいのに」
外国。饒舌に説明されるSVの詳細よりも、甲斐にとって新鮮で興味を引く言葉だった。
鎖国大国日本。
現在、日本は一般市民レベルでの外国とのやり取りができない状態である。
二一年前。大国同士の対立が激化し第三次世界大戦が勃発した際に、歴史的背景から他国を攻める軍隊を持たない日本は、中立を宣言し時の政治家はそれを各国に認めさせることに成功した。
さらに日本は、戦争の断固反対を訴えその意思表示の一環として、戦争終結まで日本人の出国と、外国人の入国を禁止とする宣言も発した。
結果として、世界に存在する国の九割は戦争を行っているという状態の中、戦死者を二○年間一人も出していないのは日本だけである。
その代わり特別な事情があり、かつ国から特別な許可をもらわない限り、一般の日本人は外国に行くことや、インターネットなどを利用して海外とやり取りをすることもできなくなってしまった。
一般市民レベルで海外の様子を知ることができるのはニュースで流される外国の映像や、日本国内で放送される日本語吹き替えのドラマ、映画ぐらいである。
「信二。お前の家族は特別な許可をもらって外国に住んでいたと言ったな。外国ってどんなところなんだ」
問いかけると、信二はそのまま黙り込む。返す言葉を吟味しているようにも見えた。
「いや、そんな深刻に考えないでくれよ。ニュースなんかで世界中戦争ばっかしてるっていうのは知ってるんだけどさ。俺も含めてみんな外国なんて行ったことが無いから、外のことにはなんでも興味があるっていうか」
「……すまないが、外国に住んでいたといっても、俺の家があったのは日本人ばかり住んでいる日本街で、そこからは一歩も出たことが無いんだ」
「へぇ、それじゃあさっきの話は?」
「日本人街に来ていた外国人に聞いたんだ」
「なんだよ。お前が見てきたわけじゃないのか」
「期待させたなら、すまなかったな」
「いいけどな。そういえば、信二はSVに乗ったことはあるのか? さっきやたら饒舌に話してたけど」
「工事現場でSVのバイトができる基本的な資格は持ってる。もっとも外国のもので、日本じゃ使えないけどな」
「そうかそうか。じゃあ特訓の際はお前に声をかけるとしよう」
「特訓って、SVでも霧島さんと勝負するのか?」
甲斐は当然だとばかりに笑って見せた。
「そんなに嫌がらず付き合ってくれよ。一緒に帰るときにタイヤキでも奢るから」
「……まぁ、バイトが無いときは別に構わないよ」
信二の肩に手を回して校舎に向かって歩き出す。そろそろ予鈴がなる時間だ。遅刻をすれば朝に文子から釘を刺されたのもあるので後が怖い。
○●○
響子と授業終了後に立ち寄った甘味屋“満腹堂”。外装や内装は、饅頭やおしるこ等の専門店らしく木を基調とした純和風な造りになっている。
その他の特徴的な点として、テーブル席の一つ一つに布で仕切りが施してある。そこが他人に見られたくないがゆっくりと甘いものを楽しみたい女性を中心に人気が出た。
黙っていると周りからは女性達の談笑が聞こえてくる。おそらく下校途中の女子生徒達だろう。賑わいから察するに席は相変わらず満席に近いようだ。
「いらっしゃいませ」
若い女性の店員に迎えられて、響子は二人であることを告げようとするが、
「あっ、お二人様ですね。いつもありがとうございます」
すでに常連になっているので、勝手に席に促してくれた。
「えっと、絶品饅頭チョコレートパフェの大盛りと抹茶」
席に付いてすぐ、食べるどころかメニューを開く前から、甲斐は胸焼けがした。
「太るぞ」
「別に構わない。というか……」
響子はわざとらしく脚を組み、そして視線はこちらに向けたまま、細い首筋を見せつけるかのように顔を斜めにして見せた。ポニーテールの髪型と相まって、白い首元がよく確認できる。
「食べた分のカロリーはキッチリと消費してるからな。問題ない」
甲斐は、視線をそっと下に向けた。性格とは真反対の慎ましいものを改めて確認し、そして肩をすくめる。ついでに合掌。
「そうだな。大盛りでいいのか? 頑張って特盛いっとけよ」
甲斐の優しげな言葉に、響子は微笑みながら応じた。
「それ以上言ったら殴り殺すぞ♪」
「あ、あの……」
傍に立っていた店員が困っていたので、甲斐は大福と抹茶を注文した。
○●○
「食べた食べた♪」
腹を擦りながら高楊枝の響子と、軽くなった財布を交互に眺め、甲斐は深いため息をついた。風が冷たく感じるのは、季節のせいだけでは無いだろう。
気軽に言いやがる、と甲斐は恨めしげに睨む。
学生の一人暮らしに、このような余分な出費は致命傷となりかねないというのに。
「今日は、やけに食べやがったな」
唇を尖らし、嫌味ったらしく言ってやる。パフェを三杯、というのはいつにも増して多い量だ。特に絶品饅頭チョコレートパフェは、りんご三個を縦に重ねたサイズより大きなパフェである。そもそも常人なら注文しないし、響子でも普通なら一杯で満足する。
(そうだな、普通なら一杯で満足するよな……)
ジッと響子を観察するように見ていると、目が合った。
「何だよ。そんなに睨むなよ」
「いや、もう睨んじゃいないが……」
「流石に食べ過ぎた。悪かったって。もうしないからさ」
「もう二度と奢らないから関係無い」
事実、もう勝負に負けるつもりは無いので、この奢りも最後とするつもりだ。もっとも昨日も、その前も、いつもそのつもりだったが……。
「そうかよ。でもまぁ、そうなって欲しいって気持ちもあるよ」
「余裕ぶりやがってこの野郎」
今度は、響子が唇を尖らせた。
「おいおい誰が野郎だ。私は女だぞ」
「余裕ぶりやがってこの“野郎”」
「オッケー、それは私に対する宣戦布告と受け取った。次の勝負の時、覚えてろよ」
「望むところだ。って、おい待てよ」
ファイティングポーズのまま、甲斐はふと歩みを止める。響子は数歩進んでこちらに振り返る。
「お前の家も夕食の買い出しをするスーパーもこっちだろ。どこに行くつもりだ」
と、甲斐は霧島家の方に親指を向ける。
彼女は、甲斐のポーズを真似て親指を別方向に示す。
「ん~、まぁいいじゃんか。たまにはこっちから帰ろうぜ」
「何言ってんだ。今日は稽古だし、それに夕飯の買い物をしていかなきゃならないだろ」
「いいから、いいから」
と言って、響子はこちらに構わず、いつもの帰宅ルートとは違う道に入っていく。
「おい! って、何なんだよ……」
仕方なく、甲斐は後ろに付いていく。大人しく従ったのは、響子の先ほどの甘味屋でのパフェ三杯完食が頭に引っかかっていたからだった。
しばらく歩くと、赤い鳥居が見えた。この通りはこの街の神社へと続く道で、当然鳥居もあるのだが、その下を、通常より多くの人が出入りして、賑わっていた。
そういえば、と甲斐は思い当たった。
「冬祭りの準備か。もうそんな季節なんだな」
この町には夏だけではなく、冬にも屋台が出る祭りがあるのだ。
肩にポンっ、と軽い衝撃があった。響子だ。
「少し寄ってこうぜ」
「寄ってこうぜ、ってお前……」
甲斐は、表情を歪ませた。
「屋台はまだ開いてないだろうし、さっきも言ったけど時間も無いだろ。行くんなら夜にしようぜ」
「♪」
「って聞いてないし……」
勝手に階段に向かっていく響子の後ろに、甲斐は仕方なくトボトボと歩いて付いていく。
「……」「……」「……」
境内に入ると、準備中の人達から明らかに好感が感じられない類の視線が集まってくる。
「なんか見られてるなぁ。なんだろ?」
自覚が無いのか、と甲斐は呆れた。
「そりゃあそうだろう。俺たちは完全にブラックリスト入りしてるだろうからな。警戒もされる」
この冬に行われる祭りの屋台は、幼少の頃からの響子との勝負場所でもある。なんだかんだで二人共器用なので、帰りには両手に持ちきれない戦利品を手に入れる結果に終わる。もっとも、常に稼ぐ量は響子の方が多いのだが。
準備されている屋台の通りを抜けて、またしばらく歩くと響子の足が止まった。
その場所を見て、甲斐は表情を曇らせた。いや、その前から、ここに近づくにつれて足が重く感じるようになっていた。
「途中からまさかとは思ってたけど。何のつもりだ」
そこは、ちょうど神社の裏手だった。雑木林との間に子供が走り回れるぐらいの広場があるのだ。なお、人目に付かないのもあって、ここには屋台が出ていない。
「二人で、ここに来れたらって思ったんだ」
と甲斐にとって、予想外の言葉が飛び出した。
「はぁ?」
「どうしたいとかは、別に無いんだけどな」
困ったような笑顔を浮かべる響子。意味不明である。甲斐は訝しげにそんな彼女を見て。
「お前、どうしたんだよマジで。おかしいぞ。具合でも悪いのか?」
「んっ、そうかな?」
「お前は、ストレスを食べ物で発散させる傾向があるからな。甘味屋の時から、勘ぐってはいたよ」
響子は、今度は感心したように笑ったあと、
「そっか、そうだよな。付き合い長いもんな。分かるよな」
今度は、照れたように笑った。甲斐はますます首を傾げたが、響子が何かを話そうとしているのはなんとなく分かった。
「俺に何か言いたいことでもあるのか?」
「まぁ、そうなんだけどさ……」
そう言って、彼女はまた黙ってしまう。甲斐は、それでもしばし待ったが。
「なぁ、甲斐。お前にとっての私ってさ――」
「できれば、さっさと済ませてくれ。知ってるだろうがここは俺にとってあまりいい思い出の場所じゃないからな」
えっ、という呟きと共に響子の表情が、一変した。
甲斐は、自分の言葉と響子の言葉が被った事に気付き、
「すまん響子。お前、何か言ったか?」
「……」
この響子には珍しく、締りの無い表情が浮かべられた。
「えっ、いや、何だよその顔。どうしたんだよ」
響子はそれでも、無表情にこちらを見ていたが、やがて、
「何でも無い」
と呟いて、響子は迷いない足取りで今まできた道を戻り始めた。
「ごめん。無理やり連れてきちゃって。帰ろう」
「何だよ、もういいのか?」
彼女は、こちらに顔すら向けない。
「いいんだよ。悪かった」
早足で歩いていく響子の後ろ姿を見ながら、
「……なんだよ、訳がわからん」
なるべくならそこから早く立ち去りたいのもあって甲斐は、迷わずその後に続いた。