エピローグ
白い天井が見えた。見渡すと白い壁、白いシーツ、簡素なベッド、そして、
ベッドの傍、椅子に大人びた少女の姿があった。見間違えなどありえない。スーツ姿の霧島文子だ。
「文子さん……」
体を起こそうとすると、自分の胸に彼女の白い手が添えられた。
「骨折、裂傷、熱傷、炎症多数。いいから寝てなさい。無理をしすぎなのよ、あなたは」
言に従って、再び体をベッドに預ける。言われて気づいたが、確かに体のあちこちから洒落にならない痛みがあった。正直、起き上がるのも辛い。特に怪我をした記憶はないのだが、これが“ムラクモブレード”使用の反動とやらなのだろう。
そうか、どうやら自分はまた戦闘後に気を失ったのだな、と察するのにそんなに時間はかからなかった。
「俺は、どれぐらい寝てましたか?」
「二日。まさか、クイーン級とキング級の炎邪を撃退するなんてね。大金星よ、あなた」
「キング級?」
初めて聞いた名に、首を傾ける。
「ああ、ごめんなさい。新しく命名された個体のことよ。今のところはクイーン級とつがいとなっている体躯の大きな炎邪の事を指すわ。そして、あなたが倒した相手でもある」
二足歩行の恐竜のような、炎邪の姿を思い出す。なるほど、確かにあの強さと大きさはキングの名にふさわしいものだろう。自分も、響子がいなければ死ぬところだった。
と、ここでようやく彼女の事を思い出す。
「そうだ文子さん。響子は!?」
生きてくれると約束してくれた。辛い道を歩むと言ってくれたかつての好敵手。そして、協力して障害を乗り越えた今、その今だけは少なくとも共に歩める。
だが、問われた文子は、困ったような顔をしたあと、席から無言で立ち上がった。
そして、
「霧島響子は、死んだわ」
と告げて、彼女は病室の入口の前にまで静かに歩いて行った。
「……は?」
言葉にならない息を吐きだすのさえ、甲斐にはしばらくの時間が必要だった。
文子が何を言っているのか、理解が出来なかった。
「囮役を買って出た。それで、あなたがSVに乗り込むまでの時間を稼いだものの逃げ場を無くして捕食された」
「ち、ちょっと待ってください。何を言ってるんですか文子さん?」
「何を言ってるも何も、それが事実でしょ」
「だってあいつは生きて、俺はあいつのアドバイスで炎邪を倒せたんですよ!?」
「霧島響子は死んだのよ。これが事実。そして、この事実のおかげで私ももうカンパニーズに変な追求されずにすむ」
「そんな、そんな馬鹿な――」
無理に体を起こそうとして、痛みに呻く。
文子は、そんな甲斐の様子を横目で見ながら、入口の扉に手をかけて、
「じゃあ、私は後処理で忙しいからもう行くわね。夕方には桜子が着替えを持ってくるそうだから。まぁ、私もなるべく顔を出すわ」
「文子さん、待ってください」
最後に、文子は、
「もし、あの子が生きていたら言ってやりたいわ、もう二度と勝手な事をするなってね」
そのまま彼女は、病室から出て行った。乾いた廊下を歩く音が、徐々に遠くなっていく。
甲斐は、ベッドに横たわりながら呆然とするしかできなかった。
(響子が、死んだ?)
戦闘中、甲斐は確かにこの目で確認していた。響子は生きていた。生きていた上で、対炎邪用高周波ブレードである“ムラクモB”の使用法を伝えてきてくれて、それで甲斐は炎邪に勝利することができたのだ。
(でも、伝えられたのは、声ではない……)
ナノマシンの共振だと思っていたものは、果たして本当にそこに存在している響子だったのか? 見えたものは、そこに彼女がいて当然と思って勘違いしていた人影に似た何かではなかったと言い切れるのか?
考えれば考えるほど、自信が崩れていく。人の確信がこんなに脆いものだとは、
「甲斐! 目を覚ましたんだってな!?」
その時、慌ただしく病室に入ってきた人物がいた。姿を確認して、甲斐は表情を緩ませた。
「信二! 信二じゃないか!」
信二はその赤い瞳を甲斐に向けると、苦笑して、
「元気……そうでもないよな。でも良かった、今回も二人共生き残れたな」
「お前こそ、よく無事で」
「俺の方はSVで逃げ回ってたら、急に炎邪のやつらから逃げ出したんだよ。お前が大ボスを倒したからだ、って文子さんが言ってた」
「そうか」
「ああ、そうだ。話は変わるんだが、お前に紹介したい奴がいるんだよ。今度から、俺たちのラストラインに加わる新人で――」
話し続ける信二。しかし甲斐は、これ以上笑顔でいるのはやはり無理だった。響子の事で頭の思考がグチャグチャだ。その顔を元気の無いものに戻す。正直辛い。
「すまない。信二」
「え?」
「お前が生きていたのはすごく嬉しい事なんだけど、今は一人にしてくれないか、少し考えをまとめたいんだ」
「でも会っておいたほうがいいと思うぞ」
「響子が、死んだって言われたんだ」
力無く、友人に告げる。
「あ~……」
どこか間の抜けた声。信二も、何と言葉を返せば分からないのだろう、と甲斐は勝手に想像した。
「でも、あいつは生きてた。絶対に。でも、絶対と言いながら確信もできないんだ。だから、考えたいんだ……」
「いや、でも……」
「頼むよ信二。今は、一人にしてくれ」
「そんな事を言わないでほしいな」
入口の扉が横にスライドする音と同時に、第三の声。視界の隅に、男の制服だけが確認できたが、それ以上は見る気にもならず、視線をベッドに戻す。
「君が新人か、わざわざ出向いてもらって済まないが、今はそういう心境じゃないんだ。悪いけど、今日のところはお引き取り願う」
「そう言わず。今後“も”よろしく頼むよ、真田甲斐くん」
無造作に、肩に手が置かれた。
何なんだこいつは、と俯きながら苛立ちを覚えた。顔を上げて、睨みつける。
「いい加減に――」
甲斐は、瞬時に固まった。口はあんぐりと開き、目は点に。体の力も急激に抜けた。
「初めまして。僕は、国分鏡っていうんだ」
「いや、よろしくって……お前、何やってんの?」
国分鏡、と名乗った人物は、
「そうだな、何をやってるんだろうな、“私”は。姿を変え、それでも無様に生きる事を選択した道化者、とでも言うべきなんだろうか」
自嘲気味に笑ったあと、似合わない厚いレンズのメガネの向こうから、こちらをジッと見つめてきた。
「そんな面倒な人間なんだが。それでも、あの時の命令は変わらないのかな、真田甲斐君」
どこか不安そうな口調だった。甲斐はそれでもしばらくは何も言い返せなかったが、結局の所、甲斐の心の中は喜びで満たされた。
だから、答えは当然決まっていた。拒否など、できるものか。
「ああ、そうだな。答えは――」
全てが解決したわけでなく、先が不安になる事もたくさんある。
でも、確実に言える事がある。
自分達は、一年前より確実に先に進んでいる。