3-3 第二の戦い
一体、何が起こっているというのか。
カンパニーズ日本支店所属の新人SV操縦士――北条智は状況を飲み込めず混乱していた。
日本防衛軍から依頼を受けて出撃したカンパニーズ量産型SV“ガイスト”。漆黒の装甲を持ち、日本製の“スイジン”とほぼ同性能のこの機体は、まさしく世界でトップクラスの性能を持つSVであり、平地での射撃戦など限られた状況を除けば間違いなく、最強の陸戦兵器の一つである。
しかし、その兵器は現在、惨めに逃げていた。
なぜこうなったのか。
カンパニーズ製のSVは慣れていない機体であるものの、操縦に関しては問題なかった。初めて搭乗した機体ではあるが、コックピット周りは元々の日本の訓練機として作られている“スイジン”が“ガイスト”を参考にして作られたというのもあり、“ラストライン”候補操縦士だった自分でも問題なく動かせた。
そもそも今回の任務は簡単なはずだった。アイチ中央部より東に五○キロ地点に現れた小規模ワームホール。援軍が来るまでに現場の状況を確認し、維持すればよかった。
しかし、自分たちに触発されてかどうかは知らないが、ワームホールから炎邪、それも三体も飛び出してきた以上、見ているだけというわけにはいかず、撃退しようとしたら奴が――赤いSVが現れた。
「何でだっ! 何でだよっ!」
同じ元ラストライン候補生だった仲間の二機はあっという間に赤いSVの刀のような武器に叩き切られた。
「俺たちは人類の敵と戦っていたはずだろっ!?」
フルスロットル。本来であれば、走行を控える起伏の激しい地形もお構いなしに走り抜ける。そのあおりを受けて、コックピット内に機体のフレームが軋む音が不気味に響いていた。
「なのになぜ同じ人類から攻撃を受けなきゃならない!」
大きな鋼鉄が地を駆ける音。それが自分の機体のものと、違うものが重なった時、目の前に奴が現れた。
赤い装甲を持ち、通常の戦闘用SVと呼ばれているものよりスリムな外観。機動は、脚部ローラーを主とする二次元走行ではなく、常軌を逸したそれこそ人間のような脚を交差して走って飛ぶ、翔けるような三次元走行。
追いつかれた。しかも易々と。こちらは、機体が壊れるのも構わずに走っているというのに。
「このっ! 赤鎧がぁ!」
だが、こちらを舐めているのか、不用意に近づきすぎである。
世界で対SV用として多く運用されている“ガイスト”には、対炎邪戦闘が主である“スイジン”とは違い、小回りの利く四○ミリハンドガンが標準装備されている。早撃ちは智の得意分野である。炎邪などにはさすがに効果は低いので使用する機会が少ないであろうことは分かっていたが、あのような細身のSVに対しては話が別だろう。
お守り代わりに持ってきていて正解だった。
「喰らいやがれ!」
磁力で腰部に取り付けられていたハンドガンを取り外し、間近に迫る“赤鎧”に対し素早く発砲。
膨大な火薬が弾ける音と、鋼鉄が砕ける音と共に、アサルトライフルと同じ弾丸が、三発命中した。
肩部と脚部、あと腰部に一発ずつ。思った通り、赤鎧には大した強度は無いようで着弾先の装甲は大きく抉れ、スパークが走った。
(勝った!)
赤鎧の動きが止まった。装弾数は合計六発。残りの三発も叩き込んでやろうと再度ハンドガンを構え、トリガーを引く。
「!」
しかし、弾丸が撃ち出されない。モニターにはエラーの表示。
モニターの警告を示す赤光に目を奪われている内に、ハンドガンが真っ二つにされて小さく爆発した。
再び赤鎧を確認すると、そこには、
「馬鹿なっ……」
無手であったはずの赤鎧の腕には、大振りの刀が握られていた。仲間のSVを真っ二つにしたもので、今さっき手元のハンドガンを両断したものだ。鋼鉄をもバターのように切り裂く“Cナイフ”と打ち合えるだけでただの武装ではない事は明白だが、それが赤鎧の手の内に“突如として現れた”。
「装甲がっ!?」
驚きはそれだけでは無かった。
弾丸に抉られたはずの装甲は、まるで満開の花がつぼみに戻るかのように塞がっていく。
自己修復!? SFの世界じゃあるまいし。
振りかぶられる刀。智はそれでも腰の“Cナイフ”を取り出して、防ごうとする。
「!」
しかし、その“Cナイフ”はあっさりと両断された。赤鎧の刀は今までにない、何やら鈍い光を放っている。
智は、目を見開いたまま、冷や汗が頬を伝わるのも気にせず、口元に笑みを浮かべた。一つの答えにたどり着いたのだ。
「ははっ、そうか攻守共にチートか。それじゃあ勝てないな」
刀は容赦無く、そして受けた損傷など無かったかのように滑らかに振るわれた。
○●○
「お前、正義って何か知ってるか?」
そう言って、ランドセルを背負う真田甲斐は、地面にイモムシのように這い蹲る年上の少年を蹴り飛ばす。箇所は右の脇腹。角度によっては、しばらく呼吸困難に陥る。当然、狙ってやった。
案の状、その少年はさらにうずくまって、苦しそうに小刻みな呼吸音を立てる。
すでに仲間が殴る蹴るの暴行を加えた後にこれでは、骨折ぐらいはしてるかもしれない。
どうでも良いことだが、と真田甲斐は冷めた目で、再度その少年を蹴り飛ばした。
甲高い、怯えた声が一瞬だけ漏れた。
「教えてやろうか、正義っていうのは行動でな、それには悪に下す鉄槌も含まれる」
腹を踏みつける。今度は呼吸が漏れる音がした。
「さ、真田君。そろそろ、いいんじゃないかな?」
周りの、数人の少年がおそるおそると声をかけてくる。皆、小学校の同級生だ。
甲斐は首をかしげた。
「いいって、何が?」
「何がって……」
「こいつは、クラスの女子をいじめてたんだぜ、酷い奴だろ?」
「だけど、そいつ違う学校の奴だろ……」
「何言ってんだよ関係ねぇーよ。悪いことは悪いことだろ」
踏み込む足に力をいれると、絶叫が響いた。どうやら、本当に骨が折れているらしい。乾いた叫びだ。しかし、甲斐は構わずに足に入れる力も緩めなかった。
「何だよ。こいつの肩を持つってことは、お前も悪かよ?」
何食わぬ顔で仲間に問いかける。視線の合った仲間たちの表情は次第に青ざめていった。
甲斐は、ニッコリと笑った。
「違うよな、いつもこうやって悪い奴退治するの手伝ってくれるしさ」
「カ、カンベン、して、カンベン、許し……」
「うるさいな」
甲斐はうんざりして、再度見下ろした。
「勘弁してって頼んでた子に、お前は何をしたんだ?」
その襟を掴んで立たせる。すぐに振りかぶって殴る。少年は、また地面に倒れ込んだ。甲斐は近寄ってその襟元を掴んで再び立たせた。
相手の口からは、すでに言葉を呼べるものが出てこなくなっていた。
「顎が外れた? しまったなぁ、以外にモロいな。中学喧嘩百勝とかイキってた割には、さ」
「ひゃ、め……、ひゃめ、て」
「さぁーて、もう一発でラストにしておくか。死ぬかもしんねぇけど」
「ひゃ、ひゃめ」
「あぁ、そっか。耳は聞こえるんだよな。安心しろよ、冗談だって。紙一重の調整とか、俺上手いからさ。死にはしないって」
また振りかぶって殴ろうとする。しかし、その拳はいつまで経っても男を地面に倒さなかった。
「さっきから見てたけどやりすぎだ。それ以上はやめとけよ」
背後から、女の声がした。
振り返ると、自分の拳は、更に小さな手に握られていた。
とある神社の、裏の広場での出来事だった。
○●○
『元々SV用じゃないのを改造したものだから、乗り心地は最悪でしょ』
うたた寝をしていたらしく、その声で目を醒ます。トレーラーの後部に固定されたSVのコックピットの中。文子から通信が入った。目的地への到着の知らせかと一瞬身構えたが、モニター上の地図を見る限り、あと二○分ぐらいの余裕はありそうだ。
「構いません。大した問題じゃないですから」
頭を振って確実に、意識を覚まさせる。
懐かしい、夢を見ていた。
甲斐は、簡単に周りを見渡す。確かにトレーラーは揺れているようだが、機体ごと岩山に叩き付けられても操縦士が怪我をしないように作られているコックピット周りの衝撃吸収機構がしっかりと機能しているため、こちらまで振動が伝わってくる事はほとんど無い。なにしろ、うたた寝をしてしまうぐらいなのだ。
そんな事は、今時の学生なら皆知っている事で、文子も当然知っているはずだが。
『そう』
彼女は棒読みに近い口調で応じて、すぐに話を変えた。おそらく、こちらが本題なのだろう。
『そういえば、出発する前に桜子に呼ばれてたみたいだけど、何を話してたの?』
私的な問いかけだった。通信モニターを確認すると、案の定プライベート通信のマーク。
「なんでもない事ですよ。ただ今まで通り私たちと付き合ってくれますかって訊かれただけです」
『で、どう答えたの?』
甲斐は顎を張って、前髪を指で掻き上げた。
「愚問です。桜子ちゃんは俺の嫁であり、もしろ今まで以上の付き合いを要望しました」
『へぇ、結果は?』
「他人が真剣に話をしてる時にふざけるなって、怒られました」
それを聞いて、文子はおかしそうに口元に指を当てて笑った。
『感謝するわ。あの話を聞いた後も、私たち姉妹と普通に付き合ってくれるのね』
甲斐が文子の仲間になると告げた後に聞いた話。甲斐はその時の驚きを顔に出さないように全力で努めた。
「両親がいない俺にとって二人は家族同然の人です。何があったってそれが変わることなどありえません」
『……ありがとう。あなたのそういった優しさには、桜子だけでなく私もずっと救われてきた』
文子は何か大切なものを守るかのように胸の前で手を重ねた。
『でも、今回はその優しさは不要よ。目の前に立ちはだかるのは全て敵。いいわね』
敵。これから戦うものは全て。そう彼女は言った。はっきりと。
その気持ちはどのような決意の下に打ち出されたのか。甲斐は少なからず気押されて即答できないでいると、文子は懇願するように再度、
『返事をしてちょうだい』
甲斐は、それでもしばし時間を消費してから、ようやく口を開いた。
「分かっています。決着はきっちりとつけます」
しかし、返事を受けた文子の表情は、安心などというものからほど遠いものだった。
『……あなたにこんなことを押し付ける事になって、本当にごめんなさい』
文子は深く頭を下げる。彼女が再び顔をあげた時には、彼女の表情は支店長という名に相応のものになっていた。
彼女が手元を操作すると、甲斐のコックピット前面にあるモニターに、隣のトレーラーのSVのコックピットに同じく待機している信二の顔が映った。病院の時のような学生服では無く、甲斐と同じ紺を基調とした操縦士スーツ姿。これが、カンパニーズとやらの組織の正式なものらしい。
『信二です』
『“武田社員”。あなたにはこれから、ワームホールではなくて街に戻ってもらいます』
文子の口調には、先ほどまでには失われていた凛とした響きが戻っていた。
『? 何かあったんですか』
『斥候に行かせていたSV部隊からの連絡が完全に途切れたわ。ワームホール特有の電磁波の海に溺れて情報が正確に届かないけど、どうやら何者かに襲撃されたみたい。そしてワームホールから出現した炎邪三体が、街に向かっている』
そこまで聞いて、甲斐は会話に割って入った。
「待って下さい文子さん! まさか、それを信二一人に相手をさせるつもりですか?」
『厳しいことを言っているのは承知しているわ。でも――』
『構いません』
信二は何食わぬ顔で応じた。
「なっ、信二。三体だぞ」
確かに、前回の海岸防衛線で信二は二体の炎邪を撃破し、実戦にてその腕前は証明されたわけであるが、炎邪対SVの戦力比一対三のセオリーに沿えば、炎邪三体の足止めをSV一機で行うのは明らかに無謀である。
『一応、街の防衛に出ている日本防衛軍に援護を要請するから、彼らと協力して』
戦車を破壊され、SVを失った日本防衛軍にいかほどの戦力が残っていた所で、大した役に立つとは思えない。
『分かりました』
「ち、ちょっと待った。本気ですか!?」
甲斐は、モニターの文子に詰め寄った。
押し黙る文子に代わって答えたのは慎二だ。
『そう言うな甲斐。お前に比べたら、楽な仕事だ』
「しかしだな……」
『街には桜子ちゃんもいるだろう。ほっとく訳にはいかない。なに、俺の事は心配するな。囮として逃げ回るだけさ』
『武田社員。無理はしないでね。真田社員がワームホールに対応している以上、あなたがやられたら、街を守れるSVはいなくなるのよ』
『重ねて了解しました』
「信二……」
『甲斐。辛いだろうが、頑張れよ』
通信が閉じると、信二を乗せたトレーラーは違う道路に入っていった。
『真田社員。そろそろ、準備をお願い』
「……」
信二の事は心配だ。それに胸にモヤモヤとしたものはいくつも残っている。しかし、ここでそれをすべて晴らす時間も余裕も無いのも確かだ。
「了解しました。霧島支店長」
甲斐は胸元から起動キーを取り出し、それを正面に設けられた穴に差し込む。
コックピット周りの電子機器に光が入り、周囲が一気に明るくなる。
『……甲斐ちゃん』
安心感さえ覚えるその呼びかけ。甲斐は再度、モニターの向こうの文子に注目する。
文子は、いつもの文子だった。
『もう、あの子を楽にしてあげて……』
そう呟いた彼女は、今にもモニターの前から逃げ出しそうに見えた。