プロローグ
高速でローラーが地をかける轟音と振動。そして爆発音を境とした静寂。
それで、すべての作業が終わったのだと察することができた。
『クリア』『クリア』『クリア』
通信機からの報告を聞いた霧島文子は、岩場の影から車を走らせるように指示を出す。
女性用のベージュのスーツ、日本人としては一般的な黒い瞳に、肩下まで伸びる長髪。顔立ちは目筋の通ったこれ以上ない美人であり、それは自他共に認めていた。
「障害の排除にかかった時間は三分ちょっと。本社の人間は流石に優秀ですね」
文子の隣、余裕のあるシートなのに隙間をわざと空けるかのように体を縮めて座っている少女が感心した様子で呟いた。こちらもスーツ姿である。
「先々の事を考えると、あまり良い事でもないけど」
文子は気の無い返事を返す。
「それにしても密入国の手引き。国内でのSV無断使用及び、それに準ずる無許可での戦闘行為、これが日本政府にしれたら事ですよ、支店長」
支店長、と少女は言った。
霧島文子と少女は同い年である。年齢は一七、高校も一緒。しかし、この二人の会話には同年代の少女達にある気軽さというのは一切感じられない。二人は学友である以上に、上司と部下という間柄でもあったからだ。
「でも、安全に事を運ぶのなら、彼らの協力は必要だったわ。それに日本政府なんて、こんな目立つ研究所を発見できずにずっと放置していた連中よ。遠慮はいらないし。バレたとしても、交渉の仕方なんていくらでもあるし」
「しかし、こんな危険を犯す必要はあったのですか? それこそ、本社に完全に委託して正規ルートで日本政府に依頼をするというやり方もあったのでは?」
「……今日はやけに口数が多いのね、理沙」
理沙、と呼ばれた少女は、少し動揺したようだ。それを誤魔化すかのように、彼女は丸いレンズのメガネをかけ直して、一拍置いた。
「失礼しました」
「まぁ、心配しないで。綱は落ちないように渡ってるつもりよ。いざという時には、あなたにも動いてもらうし」
それ以上は何も言わず、理沙は頷いて了承を示した。
車がしばらく進んでいくと、見えてきたのは人を模した巨大な鋼鉄の残骸だった。四○ミリの巨大な弾が穿たれた跡も見える。
残骸の正体は、自動人形だった。それも全長一○メートルを超える巨大な、である。
この地下空間に隠された研究所を、何十年も守り続けてきた衛兵達の成れの果てだ。
車の窓から視野を広げて外を眺めてみる。空間は五キロ四方はあるだろうか。土の地面に、鋼鉄の天井。これが全て地下にあり、しかも十年にも渡って誰にも発見されなかったというのは本当に驚きである。
「支店長、前を」
理沙の声に従って前を見ると、そこには先ほど転がっていた残骸とは対照的な、光沢のある鋼鉄をまとった巨人の姿が見えた。
人型陸戦機動兵器“サーヴァント”。全長一○メートル。高低の激しい戦場を駆け抜けられる四肢。単純な火力は戦車等の兵器に劣るものの、状況に応じた火器選択の行いやすさ、電力による燃料電池の動力技術の発展による最大作戦行動時間の増大により、近年戦場においてよく見かけられるようになった兵器の一つである。
全部で三機。全てが四○ミリ弾を打ち出すSV用アサルトライフルを、捧げ銃の要領で構え、霧島文子の乗る車を出迎えた。
「マメね」
呟いて、文子は停車した車を降りる。そこは目的地の前だ。
それはピラミッドのような構造物だった。サイズは人の身長より少し大きいぐらい。入口のみで、通路は地下に伸びているようだ。
(やっとの思いで場所を突き止めたと思ったら、巨人の護衛で足止め。それを倒してようやくここまで来た。これで、最後にして欲しいわ……)
入口の傍にある認証パネルに手をかざす。遺伝子チェックという表示が出てすぐに承認。扉は十年近く放置されていた施設とは思えないほどに滑らかな動きで自動で開かれた。
目の前には、闇へと続く階段が現れた。心なしか、重い空気が奥に澱んでいるような気がする。
(ビンゴ、ね)
文子は、あらかじめ用意しておいた手持ちのライトに電源を入れる。そして車から降りている部下の少女へ振り返って、
「理沙」
「はい」
「今回協力してくれた彼ら――SVとその操縦士ね。早々に帰国をさせて頂戴。SVは貨物扱い、操縦士は、最悪私個人の渡航ルートを使っても構わないわ」
「えっ、しかし。彼らはこの研究所の閲覧を条件に本社からこちらの助力に来たのですよ。よろしいのですか?」
「操縦士が現場を見たところで何が分かるっていうのよ。本社には別途報告すると言って説得しなさい。頼むわね」
「いや、それでもですね支店長――」
「理沙」
文子は、今度部下を言葉でお押しとどめ、ジッと彼女を見つめた後、いつもより深く頭を下げた。
「おねがい」
理沙は、それを受けて、しばし黙り込んだあと、
「……分かりました。どうなっても知りませんよ」
と言って、こちらにゆっくりと近づきつつあるSVの方に向かっていった。
文子はそれを確認すると、階段を降り始めた。
先は、そんなに深くなく、すぐに突き当たった。段差を降り切ると、スペースが広がっているようだが、目が闇に慣れておらずよく見えない。しかし、なぜか床を這いずるような、音だけは聞こえる。
(何か、いるわね)
背筋に冷たいものを感じながら、出鱈目にライトを当てる。すると壁にスイッチのようなものがあった。おそらく、この空間の明かりの電源だろう。
指を伸ばして、そのスイッチを入れた。
頭上に灯った光に目が眩む。しかし、それは一瞬だった。すぐに目が慣れてその空間の全貌を把握することができた。
唖然とした。
「ち、ちょっと待ってよ」
足元から力が抜けて、ヨタヨタと後退。壁に体重を預ける。手元から落ちたライトが、床に落ちてその光を消す。
「ここは、少なくとも十年は放置されていたのよ?」
そういう施設だと分かっていた。むしろその事実を確認するために苦労して、会社の中で立場を上げて、この研究所を探してきたのだ。予想はしていたのに。
「……信じられない。こんな事が」
吐き気が、する。
目の前には、猿がいた。謎の液体に浸されたガラス状の支柱のような小さな檻の中。似たような檻は数多く並んでおり、他の檻にも何かしらの肉片のような物が浮かんでいるが、凝視するのは躊躇われた。
ただ、そういった檻の通路の中でその猿だけが一匹、動いているのだ。こちらを見つけて、ガラスの向こうでその手をガラスに何度も叩いていた。嬉しそうに笑って。
“ナノマシン被検体356号”と記載があった。