老人の追想
一人の老人が見事な百合の花束を持って崖の上に立っていた。
年の頃は六十を超えている様だが背も高く確り背筋を伸ばし、彫の深く眼光の鋭い瞳には悔恨の色が混じり寂寥感が漂っている。
「後数年でお前の元に行けそうだ……」
そう言いながら花束を崖の上から海に投げ落とした。
それから老人は踵を返して松林を抜けると駐車場に出ると黒塗りの車が一台だけ止まっており運転手らしき男が老人に気が付くと急いで側に駈け寄る。
「旦那様、日差しが強いのでお戻りになさって下さい」
「いや、 少し海岸を歩く」
今日の日差しは7月下旬で猛暑を通り越し酷暑で早朝だと言うのに既に30度近くに気温が上がっており立っているだけでも汗が噴き出して来る。
運転手は主人にそれ以上言えず同行する為に老人の後ろをついて行く
老人は確りとした足取りで緩やかな坂を下って行くと広い砂浜に出るのだった。
此処はキャンプ場と海水浴場の両方があり近くにあるリゾートホテルが管理する施設
だがこの夏の盛りだと言うのに利用者は一人もおらず閑散としており人っ子一人おらず老人と男だけが砂浜を歩いている。老人はホテル業を始め不動産業、レストランを多角経営す大沢グループの会長を務めている為、その権限を使い七月二六日は貸し切りにして誰も入れないようにさせていた。
それは一人の少年を死なせてしまった事への悔恨と贖罪の為の行為で自己満足でしかなかった。
老人は砂浜を一歩一歩踏みしめながら過去を思い出す。
アレは高校二年生の夏のサマーキャンプでの出来事
あの頃老人は大沢大貴は両親に反発して素行の悪い連中と付き合っていたが頭の出来は悪くなかった為に県でも一番の進学校を無理やり受験させられたが、テスト用紙を白紙で提出して入学などする心算など無く筆記用具すら持って来なかった。
受験会場にも行きたくなかったが両親に無理やり会場に押し込まれたのだ
学ランも着崩して怠惰な様子で椅子に座りながら周りを見ればきっちり制服を着た優等生面した生徒ばかりで如何に自分が浮いているのにウンザリして目を瞑っていると横から少年が声を掛けて来る。
「筆箱忘れたの? これ使って」
そこに置かれたのはシャープペンと半分に切られた消しゴム
つっ返そうと思い相手を見ると柔らかい頬笑みを湛えている少年に一瞬目が離せなく茫然としてしまう。少年はそのまま単語帳に集中し始め俯いてしまうがその横顔をつい見てしまう。
サラサラの長めの髪に長い睫毛、白い肌は女のように綺麗で顔立ちが整っているが地味な印象だが穢れを知らないピュアなイメージ
此処は進学校でかなりの受験倍率で一人でも蹴り落としたいと思っている奴らばかりの中でこの少年はとんだお人好しのようだ
自分でも良く分からないが気になってしょうがなく横目で見続けていた。
それから直ぐに監督官が来て試験が開始されると何故か答案用紙を全部埋めてしまい、合格してしまった。 あの少年にはシャープペンを返すじまいですれ違いでそれっきりだったが、入学式で会えるかと思うと胸がざわめくのを思い出す。
入学式で直ぐにその少年を見つけられ嬉しかったが声はかけられないじまいで終わり、しかもいざ入学をすれば肌が合わず学校は出席日数ギリギリで登校し校内でも既に落ちこぼれた奴を集めて街に繰り出し悪い遊びを教えて取り込んだ。真面目な奴ほど堕ちるのは早く親達は驚いただろう、進学校に進んだ息子が不良になってしまうのだからさぞかし慌てて取り乱しただろう。
校内でたばこを吸おうが屋上で授業をサボろうが教師は何も言わない
何しろ大沢はこの地方の有力者の家で親が私立のこの学校に多額の寄付をしていたからだ。
何でこんなくだらない学校に来てるのか自分でも不思議だが時折見かける少年に会いに来るためだと認めたく無かったが、二年の新学期に同じクラスにあの少年が居た。
水城藍 受験の日筆記用具を貸してくれたお人好し
奴の周りには常に人がおり優しい微笑みが周りに温かい空気を醸し出し取り巻いている。
俺とは全く違う人間
それから頻繁に学校に登校する俺は認めるしかなかった。
男でありながら水城藍に惹かれていると
だが、それを表に出す事は出来ず、ただ見ているだけだったが教室で思わず視線が合った時に藍に視線を逸らされた。
それが切っ掛けで嫌われていると感じ怒りがどす黒く湧き上って止められなかった。
今思えば素行の悪い私が真面目な藍には恐ろしい存在だったし周りも似たような反応だったのに、私を無視する藍が許せなかった。
若く独善的な当時の私はそのまま藍を虐めの標的にし始めると藍の周りから友達が消え教室でも一人で孤立して行ったのを喜んで見ていた。
そして仲間に軽く藍を痛めつけさせ俺の物に成るよう脅したが堅くなに拒否するのに業を煮やしある計画を企てた。サマーキャンプの場所を大沢家の経営するキャンプ場を提供しそこにある父親の経営する高級リゾートホテルに藍を連れ込み暴行し俺の物にして写真を撮り関係を強要しようと考えた。俺の物にしたら大事にしてやる心算だったので別段酷い事だとは思わなかったのは若さゆえの残酷さだと今更ながらに後悔する。
だが計画は失敗した。
キャンプファイヤで皆が騒いでいる隙に藍を林に連れ込んだはいいが、思わぬ反撃に遭い取り逃してしまい松林を追いかけるが見失ってしまい仲間の一人が海に何かが落ちる音を聞いた聞き崖に急ぐが異変はなく恐ろしくなた俺達はホテルに戻り、不安を消すように酒を飲んで騒いだ
アオイはキャンプ場に戻ったと思い込んでいた。
翌日の点呼の時間に戻るとキャンプ場は藍が行方不明になったと騒ぎになっており真っ先に私達が疑われたが昨日は今朝までホテルに居たと口裏を合わせホテルの方でもそう証言させたので藍は崖から落ちて行方不明の事故か自殺として考えられたが遺体は上がらずそのまま自殺として忘れられてしまった。
俺達の所為で藍はおそらく崖から落ちて死んだ
直接的ではないが原因は俺達だ
罪悪感からか元は真面目な奴らだった仲間は一人一人と学校を辞めたり転校して行く中で俺一人は残り藍が戻って来るのではないかと待ち続けたがとうとう卒業式になっても帰って来なかった。
卒業式が終わり学校を去ろうとした時に女が声を掛けて来た。
「大沢君」
それは一年時藍と付き合っていた女でそれなりに可愛い部類にはいるが俺はこの女が気に食わなかったが最期だと思いを用件を聞く
「何か用か」
「あの日… 藍君に何をしたのか教えて。彼は本当に死んじゃったの?」
女は勇気を振り絞り震えながら聞いて来る。
「今さらその話か。 藍を殺していないし行方も知らない。俺が知りたいくらいだ」
藍の話はこの学校ではタブー
今まで誰も俺にその話を聞いて来るものはいなかったからこの女は俺同様に藍を忘れなかったのかと思うとむかつく
「藍君は自殺なんかする人じゃ無かった! 貴方が殺したのよ。 あんな優しい藍君を虐める人で無しのくせに! 一緒の大学に行こうって約束してたのに……うっう…」
「藍を虐めてたのは確かだが、お前も助けもせず離れていった一人だろ…俺と変わらない」
そう冷たく言い捨てると女は泣き崩れその場にしゃがみ込んだが、そのままに立ち去る。
藍は死んでいない
そう思い込もうと何度もあの海に出かけ捜しまわった。
私はあれ以来ずっと藍を捜し続けている……大学に進学し親の会社を継いだのも藍を捜す為の手段で、金を使い捜してみたり貪欲に人脈を広げ情報を集めたが、なんの収穫も得られず反対に事業は拡大して行き私の代で大沢グループを築くが何の意味もない
結婚もしたが所謂政略結婚で愛もない仮面夫婦ながら子供は二人設け子供にはそれなりの愛情を注いだ心算だ
私のような寂しい子供にはしたくなかった。
両親も家同士を結ぶ結婚で割り切った夫婦で醒めているが自分達の役割を果たす似た者同士。厳格な父親に貞淑な妻で仕来たりの厳しいく大沢家の跡取りとしか見られない環境で育った私は中学で反抗しぐれてしまった為、子供達は自由に育てやりたい事はさせて本人の行きたい道にサポートするつもりだったが長男はホテル業を次男は不動産業の社長を継いでくれ各々家庭を築いて今では孫までいる。
私は順調な人生を送る事に罪悪感ばかりが募って行くのだった。
藍を調べて知った事だが藍の家庭も複雑で本当の父親は藍の赤ん坊の頃に亡くなり中小企業ながら会社社長の一人娘だった母親は親の勧める男と再婚し夫婦で会社経営をしていたらしく藍は家政婦任せで寂しい家庭の愛を知らず育ったようだ。
そんな境遇など感じさせず何時も微笑みを携える優しい少年でそんな陰など微塵もなく、恵まれた温かい家庭で育ったのだとばかり思い込んでいた。
私はそんな少年の命を自分勝手な欲望の犠牲にしてしまったのを後悔し続けている。
自分はのうのうと生きているのが辛く何度も死のうと思ったが遺体が出ない内は生き続けようと思い直し今日まで来てしまったのだ。
無様な自分を自嘲しながら海岸を歩き続けると砂浜に何か倒れているのに気が付く
恐らく白い服を着た人間
「まさか 藍…… 」
有り得ないと思いながら倒れる人間の側に運転手と駆け寄ると、それは長い髪の少女が波打ち際に倒れている。
急いで抱き起こすと息はあり気を失っているがその顔を見て愕然とする。
「藍…… 似ている」
少女の顔は藍に酷似している。既に四〇年以上過ぎたがその面ざしは今でも克明に覚えて居たので間違いない
「藍の子供…… 否、孫?」
近親者としか思えないほど似ており丁度一六歳の孫娘と同じくらいに思えた。
「何をしている。この娘を急いで病院に運べ」
「はい! 旦那様」
運転手に少女を抱き上げさせ急いで自動車に運んで病院に急がせる。
自動車の後部座席で膝枕をさせ上着を掛けて繁々と少女を見る。
見れば見るほど藍に思えてならない
しかも藍が消えてしまった海で同じ日に
とても偶然とは思えなかった。
もしかすると藍の居場所の手がかりになるかも知れない
お互い老いてしまったが一目会い詫びたかった。
私は漸くこの枷から解放されるのではないかと希望を見出しながらその美しい顔を眺めるのだった。
なんてご都合主義な展開だと私も自覚していますが私の趣味なのでご了承ください。
*飲酒と喫煙は二十歳を過ぎてからで、決して未成年の喫煙及び飲酒を認めておりませんのでご了承ください。