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【第2部】第12話:進撃の前触れ

その頃。

 聖王国の中心、大理石で造られた壮麗な元老院の議場。


かつての古代帝国を思わせる円形闘技場のようなその空間は、むせ返るような脂汗の悪臭と、どす黒い『焦燥』に満ちていた。


「――西側の同盟諸国が、相次いで我が国への朝貢と属国協定の破棄を申し入れてきた。理由は『アンダルス同盟』への参加、だそうだ」


報告台に立った文官の声が、ひゅうひゅうと震えている。

 すり鉢状に並んだ議席に座る貴族や有力者たちは、一様に血の気を失い、あるいは怒りで顔をドス黒く腫れ上がらせていた。


「ば、馬鹿な! 我が国からの魔石供給を絶たれれば、数ヶ月で国家運営が立ち行かなくなるというのに!」

「奴らは飢え死にする気か!? すぐに土下座して泣きついてくるに決まっておる!」


貴族たちは口々にそう喚き散らしながらも、その視線はチラチラと、すがるように『最上段の席』へと向けられていた。


そこには、ゆったりと足を組み、頬杖をつきながら眼下の醜態を見下ろす一人の男――パルテノス議長が座っている。

 見目麗しく、威厳に満ちた聖王国のトップ。

 だが、ここにいる貴族たちは皆、確実に知っていた。彼が、そしてこの国の中枢が、とうの昔に人間の皮を被った『魔族』にすり替わっていることに。


それでも彼らがパルテノスにすがりつき、文字通り靴の裏を舐めるように媚びへつらうのは、魔族がもたらす圧倒的な『魔石の利権』があまりにも甘美な劇薬だったからだ。

 同胞がどれだけ魔族の餌食になろうと知ったことではない。自分たちさえ富と権力を貪れればそれでいい。


(ここでパルテノス様に無能だと思われれば、利権を取り上げられる……最悪、今夜の『餌』にされるぞ……!)


腹の底に渦巻く捕食者への恐怖と、既得権益を失うことへの狂気じみた執着。

 そんな人間たちの醜い強迫観念を嘲笑うかのように、パルテノスは愉悦に唇を歪めた。

 魔族である彼にとって、欲望に溺れた豚共が己の保身のためにブヒブヒと鳴き喚く様は、極上の見世物エンターテインメントだった。


「……それが、そうもいかんのです」

 文官が、さらに絶望的な報告を続ける。


「離脱した諸国は、すでに魔石を必要としておりません。アンダルスから『電気』を生み出す未知のエネルギー供給装置が無償提供され、インフラが完全に自立した模様です。もはや我々の魔石の首輪は、彼らには通じません……!」


「なっ……無からエネルギーを生み出しているとでも言うのか!?」

「あり得ん! そんなふざけたものが普及すれば、我々の魔石利権は紙屑同然になるぞ!」


議場が、己の財産を毟り取られまいと発狂する亡者たちの坩堝と化した。

 富の源泉を絶たれる恐怖と、パルテノスに見限られる恐怖で、貴族たちは我を忘れて口泡を飛ばす。


「ええい! アンダルスに潜入させている『スパイ』たちはどうした! 奴らの内情を探り、そのコアとやらを破壊する手筈だったはずだ!」

 恰幅の良い議員が、顔の肉を震わせながら文官を怒鳴りつける。


「そ、それが……『影』は、全滅いたしました」

「……殺されたか。やはりバケモノの住処よな」

「いえ。……全員、寝返りました」


「「「は?」」」

 議場にいる全員の顔が、間抜けに呆けた。

 聖王国の非人道的な洗脳訓練を耐え抜いた狂信的な工作員たちが、揃いも揃って裏切ったというのか。


「さ、最後に送られてきた念話によりますと……」

 文官は震える手で羊皮紙を開き、信じられないものを見るような目で読み上げた。


『――対象の都市、アンダルスに潜入成功。ここは天国か? 魔石を使わない未知の暖房で家は常に暖かく、「レイゾウコ」という魔法の箱で冷やされた酒は至高。申し訳ありません、自分、聖王国には帰りません。明日から、鉄道という鉄の塊を造る現場で、ドワーフの親方に弟子入りします。どうか探さないでください――』


「…………」

 報告が終わっても、誰一人として言葉を発することはできなかった。

 理解の範疇を超えた豊かな生活水準。圧倒的な経済力と技術力による、価値観の完全なる敗北。


「な、舐め腐りおってぇぇぇっ!!」

「スパイの家族を連行しろ! 全員皮を剥いで広場に吊るせ! 見せしめだ!!」


もはや体裁すら投げ打ち、ヒステリックに殺戮を喚き散らす人間たち。

 その醜悪な合唱の只中で――。


「ククッ……アハハハハハ!」


最上段の席から、パルテノスの楽しげな笑い声が響き渡った。

 その瞬間、冷水を浴びせられたかのように、議場は水を打ったような静寂に包まれた。貴族たちは顔面を蒼白にし、議長の機嫌を損ねたのではないかとガタガタと震え出す。


「いや、良い。実に滑稽で面白いものを見せてもらった」

 パルテノスは立ち上がり、悠然とした足取りで階段を下りてくる。その口元には、人間には到底作り出せない、底知れない邪悪な笑みが張り付いていた。

 彼が一段下りるごとに、議場にいる者たちの寿命が縮んでいくような、圧倒的な死のプレッシャーが充満する。


「まさか、あの忌々しいドワーフの小賢しい技術と、我ら魔族の天敵たる『クオリア』の残党が結びつき、これほど早く芽吹くとはな。……メンデルが遅れを取るわけだ」


パルテノスの氷のような視線が議場を舐め回すと、貴族たちは悲鳴を飲み込みながら、一斉に床へ平伏した。


「パ、パルテノス議長閣下ぁ!」

 先ほど怒鳴り散らしていた恰幅の良い議員が、這いつくばったままパルテノスの靴の甲に額を擦りつける。

「我々に、どうか聖騎士団の出撃許可を! 必ずやアンダルスの豚共を火の海にし、我々の……いえ、パルテノス様の崇高な利権を護り抜いてみせますっ!」


「無論だ」

 パルテノスは、足元ですがりつく貴族をまるで汚物でも見るかのように一瞥し、冷酷に告げた。


「あの地はもはや、我ら魔族の計画における最大の『癌』となった。聖騎士団の全戦力を動かせ。奴らの施設、技術、そしてあの生意気なアンダルスを、文字通り地図から消し去れ」

「は、ははぁっ!!」


かくして、魔族の底知れぬ悪意と、利権を手放すまいとする人間たちの浅ましい欲望がドロドロに結託し、国家の全力を挙げた大軍勢がアンダルスへ差し向けられることとなった。


――そして、アンダルスに最大の試練が迫りつつあった。

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