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【第2部】第9話:紅蓮の戦姫

 ドワーフの隠れ里を出発した一行は、ミラジュリア山脈の山道を南下し、アンダルスを目指していた。



 だが、その歩みはひどく遅かった。



 巨大な動力コアに加え、貴重な機材や設計図、さらにはドーランをはじめとするドワーフの技術者たちを護衛しながらの移動である。



 雪解けでぬかるんだ悪路も相まって、思うように距離を稼げずにいた。



 そして、懸念されていた事態は最悪のタイミングで訪れた。



「やはり、待ち伏せされてましたか。ざっと二千といったところでしょうか」



 先頭を歩いていたテオが、眼下に広がる開けた場所に布陣している軍団を見つけた。


 軍団の先頭には、巨大な魔獣に跨り、純白の軍服に身を包んだ猛将メンデル将軍の姿があった。



「チッ、やっぱり嗅ぎつけてやがったか。テオ、お前はドワーフたちを守って道を迂回しろ。ここは俺とシャルで――」

「いいえ、エリオ。あなたは彼らの護衛を続けなさいな」



 風槍を構えようとしたエリオを、シャルロッテが扇で制した。



「わたくし一人で十分ですわ。あのような羽虫の群れ、数分で片付きますもの」

「いや、それはそうかも知れないけど……」

「けど……? 何ですの?」



 エリオは何か言いたげな表情を浮かべたが、声に出すことはグッと堪えた。


 シャルロッテは、剣を構え直すと、敵に向かって走り去った。



「おい、シャル!」

「エリオ、行ってくれ。ここは僕で大丈夫だから」



 エリオは、シャルロッテの方をじっとみる。



「なんか、嫌な予感がするんだ。ある程度まで護衛したら戻るよ」

「ああ、そうしてくれ。さすがに、あの人数を一人じゃ……」

「いや、それは心配してないんだ。そうじゃなくて……」

「え?」



 エリオが、テオにシャルロッテが数万の兵を一人で壊滅させたことを話すと、テオは泡を吹いて倒れたのは、また別の話である。






 待ち伏せる二千の聖王国軍に対し、対峙した私服姿の小柄な令嬢ただ一人。



 だが、メンデル将軍やその他の兵士はそれに違和感を誰一人持たなかった。それどころか、より強い警戒感を示していた。

 


「あら? かかってきませんの? こちらは、わたくし一人ですよ?」



 メンデルは、軽く鼻で笑った。



「あまり聖王国を舐めてくれるなよ。お前がエジプーシャを一人で落とした戦姫だと言うことは分かっている。ネームド、紅蓮の戦姫よ」


「あら、素敵な二つ名をつけて頂いて光栄ですわ。御礼に死のワルツでもいかがですか?」

「ふん。では、お言葉に甘えよう! 全軍、あの女を蹂躙しろ!」



 メンデルの号令と共に、先陣を切る数百の重装騎兵が一斉に突撃を仕掛ける。



 大地を揺らす蹄の音。だが、シャルロッテは退かない。ただ、気怠げに右手を掲げた。



「目障りですわ」



 直後、シャルロッテの足元の影が爆発的に広がり、漆黒の刃が津波のように荒れ狂った。



 クオリアによって具現化された無数の凶刃が、騎兵たちを下から串刺しにし、悲鳴を上げる間もなく細切れの肉片へと変えていく。



 さらに影から這い出た黒き『思念体』たちが、残る兵士たちの首を次々と刈り取っていった。



 一瞬にして、前衛が崩れ去る。



「こ、これが……戦姫」

「ば、ばけものか……」


 聞いただけの神話のような話を疑っている兵士達も多数いた。

 だが、目の前でその神話が現実であると思い知らされ、すっかり動けなくなってしまった。



「クックック……ハハハハハ! 素晴らしい! ただの人間の中に、これほどの力を持つ者がいたとはな!」

 メンデル将軍は、周囲の惨状を見て、不気味な歓喜の声をあげた。



 直後、メンデルの体が、異様な瘴気を放ち始める。

 その瘴気はまたたく間に生き残った兵士達を飲み込み、屍に変えてしまった。



 瘴気がはれると共に、メンデルの純白の軍服が腐り落ちる。

 その下から現れたのは、白骨化した肉体に禍々しい法衣を纏った異形の姿だった。



「ずっと探していたぞ。かつて魔族を苦しめた忌々しき人間どもの知恵。クオリアと言ったか? どれほどのものであるか、我に見せてくれ」



 その姿は不死の力を得た最上位のアンデッド、『アークリッチ』。彼は両手を広げ、周囲に散らばる二千の死体を瘴気に取り込み始めた。



「さあ、真の絶望を見せてやろう! 我は魔族の屍将メンデル! 死者の怨嗟に溺れて死ぬがいい!」



 高らかに笑うメンデル。

 だが――。



「ふふ……ふふふ……あははははは!」



 メンデルの笑い声を掻き消すように、シャルロッテの狂気に満ちた笑い声が山間に響き渡った。



 彼女の体は歓喜に打ち震え、琥珀色の瞳は極限まで見開かれ、血走っている。



「ついに……ついに見つけましたわ! 魔族……! 先生の、愛しき人の仇!!」



 最愛の人の命を奪った仇敵。



 その存在を前にして、シャルロッテの中でドロドロに煮詰まっていた憎悪と殺意が、限界を突破して暴走を始める。


「ああ、なんて素晴らしい日なのでしょう。あなたたち魔族の血肉を啜り、魂を切り刻み、永遠の苦痛を与えることだけを夢見てきましたの!」



 シャルロッテの周囲で、無数の黒い思念体が溶け合い、合体していく。



 泥のような影が天高く渦を巻き、やがて巨大な異形へと姿を変えた。



 それは、巨大な毒蛾のような極彩色の羽を持ち、上半身は妖艶な女性の姿をした、禍々しくも美しい『狂気の女神』だった。


 身の丈数十メートルにも及ぶその冒涜的な姿は、周囲の空間そのものを歪ませるほどの圧倒的なプレッシャーを放っている。



 かつて、恐怖のあまり顕現させたシャルロッテの畏怖すべきもの、その完成された姿である。




「なっ……なんだそれは!? ふっ、得体の知れぬものを召喚したとて魔族には敵わぬ!」


 メンデルは一瞬たじろぐが、すぐに獰猛な笑みを浮かべた。


「どのような力を得ようと、全ての命は我が魔力の前には無力なり! 魂ごと吸い尽くしてやる! 『ソウルドレイン』!!」



 メンデルの放った極大の死の魔法陣が、シャルロッテの魂を縛り上げようと迫る。



 しかし、



「「ムダムダムダァ!!」」


 シャルロッテが手を軽く振りかざすと共に、巨大な女神が、美しい腕を軽く振るった。



 たったそれだけで、メンデルの放った必殺の魔法陣は、まるでガラスのように粉々に砕け散った。



「なっ……!? ば、馬鹿な!? だが、屍のもたらす無限の魔力はこんなものではないわ!」



 メンデルは再び、ソウルドレインを詠唱する。今度は大量の屍が壁となり、攻撃を阻む。

 魔法陣から放出された瘴気が、シャルロッテの魂を奪うべく、まとわりついていく。



「「アハハハ! ツナヒキでもしましょうか!」」



 異形のものともシャルロッテのものとも聞き取れる不気味な声が響き渡る。


 

 女神から放出された漆黒よりも黒い瘴気が、ソウルドレインごと飲み込んでいく。



 ソウルドレインは魂を飲み込む魔法、のはずだった。それが魔力の逆流を起こし、メンデルの魔力を吸い出していく。

 


「ばッ馬鹿な。我が押し負けるだと。これはまるで別の概念の力……」



 本能が、絶対的な死を告げていた。


 クオリアは魔族の中でも対策は十分に取られた技術。恐れるに足らぬもの。



 そう聞いていた。



 だが目の前にいるのは、全くの別物。

 本物の『バケモノ』だ。



「ヒッ……!」

 メンデルは咄嗟に空間魔法を展開し、その場から転移して逃亡を図る。



「「ハイ、ダメー!」」



 シャルロッテの狂気の声が、メンデルの脳内に直接響いた。



 転移の魔法陣が発動する寸前、巨大な女神の羽から撒き散らされた黒い鱗粉が空間を完全に封鎖する。



「「もっとアソビマショー」」

「ガァァァッ!?」



 女神の指先から放たれた目に見えない斬撃が、メンデルの腕を、脚を、そして腐りかけた肉体を少しずつ、丁寧に削ぎ落としていく。



 削ぎ落とした矢先から、メンデルの体はみるみる修復されていく。

 そして、また破壊される。




 激痛を伴って……。




「馬鹿な! なぜ勝手に治癒するのだ。死霊術は詠唱していないぞ! まさか!」



 アークリッチは肉体的には死んでいる。本来、激痛も感じないし、死ぬことはない。

 シャルロッテのクオリアによって、強制的に概念を歪められているのだ。



「「あははは! どうしましたの? 絶望を見せてくれるのでしょう? もっと、もっとわたくしを楽しませなさいな!」」

「ギァアアアアアッ! や、やめろ……許し……ッ!!」



 かつて高らかに笑っていた魔族の将軍は、今や地面を這いずり回り、無様な命乞いを繰り返すだけの肉塊と化していた。




「「アハハハ!!」」




 狂気に彩られた高笑いが、血塗られた荒野に響き渡る。


 シャルロッテは恍惚とした表情で、もがき苦しむ仇敵を細切れに刻み続けていた。




 だが、その残虐は突如終わる。




 風をまとった槍が、メンデルのコアを貫いたのだ。

 


 メンデルは、そのまま灰になり、消えていった。




「なぜ、邪魔したの? エリオ」

「……いい加減にしろよ、シャル」


 そこには、風槍を構え、涙を流したエリオが立っていた。

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