【第2部】第7話:テオ
「クラ……ウス?」
その単語が青年の口から紡がれた瞬間、周囲の空気を凍てつかせていたシャルロッテの殺気が、嘘のように霧散した。
青年は警戒を解かぬまま、頭部を覆っていた重厚な兜の留め具を外し、素顔を晒す。
そこから現れたのは、日焼けした精悍な顔つきの、素直で真面目そうな好青年だった。
「テオさん、こいつら知ってるんですか?」
ガルドは痛みに顔を歪めながら、テオと呼ばれた青年に尋ねた。
さすが回復力に優れたトロールである。失ったはずの右腕は復元され始めており、痛そうな表情はどこか演技にも感じられる。
「いや、僕は知らないよ」
テオと呼ばれた青年は首を横に振り、自身が構えていた巨大な大盾の表面をそっと撫でた。
「僕じゃない。この盾に込められた『クオリア』が、そう言っていたんだ」
「へえ……、そんな特技がありますの?」
シャルロッテが、興味深そうに目を細める。
シャルロッテの方を見たテオは、コクリと頷いた。
「クオリアは、込められた思念や、強い記憶の残滓が含まれてることがある。僕は、それを声として聞き取ることができるんだ。君のクオリアを浴びた時、この盾が……、懐かしむように反応した」
「ふーん。便利なスキルだけど、それが本当かどうかは、確認すればすぐにわかりますわね」
シャルロッテの足元の影が泥のように沸き立ち、そこから一体の『思念体』が立ち上がる。
かつて救国の英雄と呼ばれた男、クラウス・ガードナーの姿を模した黒き騎士。
「殺せ」
シャルロッテの冷酷な命令を受け、思念体がテオに向かって跳躍する。
両手で構えられた漆黒の長剣が、圧倒的な速度で大盾に向けて振り下ろされた。
「お、おい! そんな乱暴な!」
エリオが非難の声を上げるよりも早く、剣刃が盾に迫る。
テオは逃げることなく、ただ真っ直ぐに盾を構え、目を閉じて衝撃に備えた。
――しかし、刃が盾に触れることはなかった。
大盾に激突する寸前、思念体は自らの意志で動作を強制終了させたかのように、不自然にピタリと静止したのだ。
命令の絶対的な主であるシャルロッテの意思に反し、思念体は剣を震わせ、まるでかつての戦友を傷つけることを強烈に拒絶するかのように、それ以上の攻撃を放棄した。
「……信じられませんわ」
シャルロッテの琥珀色の瞳が、驚愕に見開かれる。
思念体が、ここまでの反応を見せることは、今までで初めてだった。
こうなると、相手の裏にいるのはおそらく……。
「それにしても、あなた中々やりますわね。逃げなかったのは、驚きましてよ」
シャルロッテは優雅に微笑むと、指先を小さく振る。思念体は糸が切れたように崩れ落ち、影の中へと還っていった。
彼女が完全に武器を収めたのを見て、エリオも警戒を解き、深く安堵の息を吐き出す。
「たしか……テオ、でしたかしら。第四部隊、という言葉には覚えがありますわよね?」
ピクリと、テオが反応を示す。
「あ、あなたは、師匠のことを知っているのですか!」
再び盛り上がりそうな二人の間に、エリオが割って入る。
「はいはい。まずは自己紹介しとこう。俺はエリオ。これは、シャルロッテだ」
「ちょっと、これとは失礼な――」
「初めまして。僕はテオ。この奥にある、ドワーフの隠れ里を守る冒険者だ」
シャルロッテが少しムッとした表情を浮かべていたが、エリオは気にしないことにした。
「で、これがトロールの首領、ガルド。ガルドたちトロールは、森に迷って里に近付く人を追い払ったり、外敵が来た時の足止めをする役割を担ってくれているんだ。今回は、君たちがあまりに規格外すぎたみたいだけど……」
テオが苦笑交じりに言うと、シャルロッテは扇で口元を隠し、当然とも言いたげな表情を浮かべた。
「あら? それは申し訳ないことをしましたわ。既にこの有様になってしまいました」
シャルロッテは、背後に転がる大量の死骸を見ながら、全く申し訳なさそうにもせず言った。
回復力の高いトロールとは言え、一撃でコアを破壊されており、復活しそうになかった。
「あー、ちょ、ちょっと大変だけど、もう一度作っていけば大丈夫……かな?」
「う……、頑張る……」
テオにフォローされたが、ガルドは露骨に落ち込んでいた。
「ところで、こんな山の奥深くに、君たちのような手練れが何の用だい? 聖王国の追手というわけでもなさそうだけど」
テオの問いかけに、エリオは懐から丁寧に封緘された一通の書状を取り出し、彼に向かって差し出した。
「南の蛮王国、カミラ王からの依頼状だ。ドワーフの技術を借りに来た」
「えっ、カミラ様……!? わぁ、今日は第四部隊のご縁が続くなあ!」
テオは手紙の紋章を確認し、目を丸くして驚愕の声を上げた。
軽く封を開け、中の文章にさっと目を通す。
「わかった、里へ案内するよ。師匠とのゆかりがある人からの依頼なら、大歓迎さ」
誤解が解けた二人は、テオの案内でドワーフの里に進むことになった。
道中、先頭を歩くテオの背中を見つめながら、エリオが気になっていた疑問を口にする。
「なあ、テオ。あんたのその大盾、なんで先生――クラウスのクオリアに反応したんだ?」
テオは歩みを止めず、背中に背負った大盾を愛おしそうに撫でた。
「これは、僕の師匠の遺品なんだ。師匠の名前はバルガス。かつて神聖騎士団第四部隊でタンクだった人だよ」
「バルガス……。聞いたことあるな」
第四部隊の、絶対的な盾。
カミラに続き、ここにもクラウスと共に戦った英雄の足跡があったのだ。
「……ということは、バルガス様は、この里にいらっしゃるのですか?」
シャルロッテの問いに振り返ったテオの表情は、うっすらと見えるようになってきた雪山の景色よりも深く冷たい悲哀に満ちていた。
「師匠は、もう……死んでしまったんだ」
彼の静かで悲痛な言葉が、白い息と共に虚空へと消えていった。
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