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【第2部】第6話:北部での出会い

 エジプーシャの北端から大陸の北部にかけて連なるミラジュリア山脈。


 国境からのどかな山林が続くのだが、とある地点からその姿を急に変化させる。


 起伏の激しい地形と複雑に変化する気候。それによって山には多様な植物が群生している。


 地図があれば迷うことはないが、一度道を外れると二度と戻れない、まさに幻惑ミラージュと呼ばれるにふさわしい山脈である。




 当然、山越えは無謀とされているため人里はなく、街道は山脈を避けるように走っている。



 

 エリオとシャルロッテの二人は、目的地を目指して、この幻惑の山道を進んでいた。



 南国の木々かと思えば、雪に埋もれた大地が現れる。

 寒いと思えば、暑くなる。



 この気候に、シャルロッテの我慢は限界だった。



「あー、もう! 本当に忌々しい雪ですわね! わたくしの特注のブーツが濡れて汚れてしまいますわ!」

「文句言うなよ! そもそも雪山に、そんな目立つ格好で来る方が悪いんだろ! 隠密行動って意味わかってんのか!?」



 エリオが呆れたようにため息をつく。



 シャルロッテが身に纏っているのは、まるで春の穏やかな山へハイキングにでも行くかのような私服だった。


 

 上質な真紅の生地で仕立てられた、タイトでスタイリッシュなマウンテンパーカー。ボトムスは動きやすさをアピールするショート丈のトレッキングパンツで、その下はなんと薄手の黒レギンス一枚である。


 極めつけは、泥一つ付いていないピカピカの高級レザー製トレッキングブーツと、頭にちょこんと乗せた可愛らしいチロリアンハット。背中にはお弁当くらいしか入らなそうな小洒落たリュックを背負い、首元には彼女のトレードマークであるスカーフがエレガントに揺れている。



 どこからどう見ても、これから過酷な山脈を踏破する人間の服装ではない。



「隠密? 目撃者を一人残らずこの世から消し去れば、それは立派な隠密行動ですわ」

「その考え方がもう隠密じゃねえって言ってんだよ、この戦闘狂バトルジャンキー!」



 二人がギャーギャーと山中に響き渡る声で口論していると、突如、積もった雪が大きく隆起した。




 地響きと共に現れたのは、体長十メートルを超える魔獣・スノウベヒモスである。



『グオォォォォォッ!!』



 腹を空かせた巨大な魔物が、二人のちっぽけな人間を食い殺そうと、巨大な前足を振り下ろす。




「「邪魔ですわッ!!」」




 エリオがノールックで放った紫電がベヒモスの視界を奪い、その直後、イライラした様子のシャルロッテが抜刀すらせずに漆黒の鞘でベヒモスの顎をカチ上げた。



 巨大な魔物は悲鳴を上げる間もなく昇天し、その場に倒れ込んだ。




「あーあ、下等生物のせいで服が汚れましたわ。エリオ、あなたが先頭を歩いて露払いをなさい」

「俺を執事みたいに扱うんじゃねえ!!」




 その後も、二人は強大な魔物の群れに遭遇するたびに、鬱陶しい羽虫でも払うかのように瞬殺しながら、一向に歩み寄ることなく口論を続けていた。





――そして。

 目的地であるドワーフの隠れ里まで、あと少しという山の尾根に差し掛かった時のことだった。




「グルルルル……」

「ギッ、ギギギッ!」




 カラフルな木々の向こう側から、無数の赤い瞳が浮かび上がる。



 気がつけば二人は、大勢の『氷雪鬼アイス・トロール』の群れに完全に包囲されていた。


 通常のトロールよりも遥かに知能が高く、強靭な肉体を持つミラジュリア山脈でも要注意対象とされる魔物である。




「止まれ、人間ども。ここは我ら氷雪鬼の縄張りだ」




 群れをかき分け、一際巨大な体躯を持つトロールの首領が前に出た。


 その体には無数の傷跡が刻まれ、手には大木で作られた巨大な棍棒が握られている。人語を流暢に操る、極めて高レベルの変異種だ。



「我はこの山の覇王、ガルド。本来ならばお前たちの肉を喰らうところだが……我が寛大な心に感謝するがいい。今すぐ身ぐるみ置いてここから立ち去るというなら、命だけは助けてやろう。ああ、そこの女は我の慰み者として置いてい――」

 



「エリオ」

 シャルロッテが、扇で口元を覆いながらひどく冷たい声で遮った。




「あの豚、非常に息が臭いですわ。空気が汚れますから、今すぐ消臭をお願いしますわ」

「俺は消臭剤でもねえっつーの……。はぁ、面倒くせぇ」




 二人のあまりにも舐め腐った態度に、トロールの首領ガルドは顔を真っ赤にして激昂した。




「貴様らぁっ! この山の覇王たる我を愚弄するか! 押し潰してくれるわ!!」




ガルドが咆哮を上げ、巨大な棍棒を大上段から振り下ろす。


 常人なら一撃で肉片に変わるであろうその圧倒的な質量の暴力を前にして、エリオはただ気怠げに右手を前に出した。




「うるせえよ、雑魚」




バチィィィンッ!!



 エリオの手から放たれた強烈な落雷が、ガルドの巨体を直撃する。

 


――だが。

 エリオは僅かに眉をひそめた。




「ガアァァァッ!! 人間風情が、効かぬわぁっ!!」




 落雷を正面から受けたガルドは、黒焦げになりながらも完全に倒れ伏すことなく、凄まじい執念で棍棒を振り抜いてきたのだ。




「へぇ……」

 エリオが後方に跳躍して棍棒を躱す。




「おい、シャル。今の見たか?」

「トロールは魔法は使えない。エリオの攻撃を耐えたということは、なんとも珍しいことですわね」




 シャルロッテの琥珀色の瞳が、細められる。




 ただの肉体の頑強さで耐えられるほど、エリオの雷撃は温くない。

 雷の威力を減衰させたのは、ガルドの体表を薄く覆っていた『見えない壁』だった。




「獣の分際で、『クオリア』を纏うなど……不愉快極まりないですわね」




 魔物が、意志の力であるクオリアを使っている。


 高度な知性があるとは言え、魔物が自発的に防御のクオリアを駆使することは考えにくい。



 となれば、答えは一つである。



「グハハハ! どうした人間! 我が『特別な力』の前に絶望したか!」



 得意げに笑うガルド。



 だが、次の瞬間には、シャルロッテの姿がその場から掻き消えていた。



「絶望? 笑わせないでくださいな」



 耳元で囁くような冷酷な声。

 ガルドが振り返るよりも早く、漆黒の刃が閃いた。



「ガッ……!? ギァアアアアアアッ!?」



 ガルドの太い右腕が、棍棒ごと空間からズレたかのようにスッパリと切断され、地に落ちた。



 魔物の未熟なクオリアによる防御など、シャルロッテの規格外のクオリアの前では紙切れ以下の意味すら成さない。



「な、ば、馬鹿な……っ! 我が、我が腕がっ!」

「問いますわ。その汚らしい力を、どこで手に入れましたの?」



 シャルロッテが剣の切っ先を首筋に突きつける。



 圧倒的な死の恐怖と、自分とは次元の違う本物の『捕食者』の気配を悟ったガルドは、悲鳴を上げながら踵を返した。



「ヒッ、ヒィィィィッ!! お、おのれ人間ども! 覚えておれ!!」

 ガルドは配下のトロールたちを盾にするように突き飛ばし、猛烈な勢いで山奥へと逃走していく。



「あ、こら! 待て! 逃がすかよ!」

 エリオが即座に反応し、逃げるガルドの背中を貫こうと、極限まで圧縮した雷の槍『紫電一閃ライトニング・ピアス』を放った。




 雷光が一直線に雪山を駆け抜け、ガルドの背中に迫る。



 貫通力に特化した一撃。確実に仕留めたと確信した瞬間だった。




――ガァァァァンッ!!



 まるで分厚い城壁に巨大な破城槌が激突したかのような、重く甲高い爆音が雪山に響き渡った。


 エリオの放った必殺の雷槍が、見えない『何か』に弾き飛ばされ、虚空へと霧散したのだ。


「なっ……!?」

 エリオが驚愕に目を見開く。



 

 槍を止めたのはトロールのクオリアでも、肉体でもない。



 大盾を構えた青年が、トロールを庇うように立っていた。



「やるなぁ。俺の雷を、真正面から受け止めたのかよ」



 エリオの顔に、明確な警戒の色が浮かぶ。


ただ武器で防いだのではない。エリオの目にはハッキリと見えていた。



 男の周囲に展開されている、圧倒的なまでに分厚く、強固な『力』の壁。



 まるで彼が立っているその空間だけが、絶対に不可侵の要塞と化しているかのような、異常なまでの防御力。



「……」



 青年は無言のまま、ただ静かに大盾を下ろし、エリオを見据える。

 その出立ちに明確な殺気はない。だが、一歩でも踏み込めば弾き返されるような、底知れない静かな圧力がそこにあった。



「ッ!!」



 突如、青年が飛び退く。



「あら? 殺そうと思ったのに、クオリアを感じ取りましたか?」



 フワリと、シャルロッテがエリオの横に降り立つ。その背後には、肉塊と化した大量のトロールが転がっていた。



「まあ、構いません。面倒くさいので、死んでください」

「お、おい! 待て!」



 エリオの制止も聞かず、シャルロッテは気怠そうに殺気をクオリアに込める。



 その時、何かを感じ取った青年がポツリと呟いた。



「クラ……ウス?」

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