【第2部】第1話:開戦
クラウスがこの世を去ったあの日から、三年という月日が流れた。
大陸の勢力図は、今や完全に一色へと塗り潰されようとしていた。
圧倒的な軍事力と魔導技術を誇る聖王国が世界を席巻し、一部の辺境地域が細々と抵抗を続けているものの、白旗が上がるのは時間の問題とされている。
彼らが絶望的な状況下でも抵抗を続ける理由はただ一つ。聖王国の『真の姿』が明るみに出たからだ。
クラウスが聖都エリュシオンで絶命したあの日。
聖都の中心部から、人間のものではない規格外の『魔力波』が観測されたと、蛮王国が発表した。
蛮王国の発表は即座に聖王国から「敵対勢力の捏造」と一蹴された。大陸の大部分は聖王国の発表を鵜呑みにしたが、独自の網を持つ一部の勢力だけは、その欺瞞を見抜いていた。
聖王国の実権は、すでに人間に化けた魔族たちに掌握されている。
現在の聖王はただの傀儡であり、世界は魔族の手によって牛耳られているのだと、理解したのだ。
そして、現在に至る……。
クラウスの命日でもあるこの日、アンダルス領主の館に密かに設けられた軍議室は、かつてないほどの異様な熱気に包まれていた。
「……以上が、現時点での大陸の状況です。我がアンダルスは先日、蛮王国との極秘同盟を正式に樹立。これにて、聖王国に対する宣戦布告の準備は整いました」
ラミロはレオニダスの行った報告に、静かに頷いた。
その反応を確認し、ゼファーが具体的な作戦の流れを説明する。
「宣戦布告と同時に、軍事行動を開始します。まず優先すべきは、物資の補給線の確保。アンダルスから見て南東に位置する同盟国・蛮王国との国交ルートを確立します」
ゼファーは、巨大な大陸地図の上に駒を置きながら説明を続けた。
「アンダルス・蛮王国間のルートに点在する小国群は、すでに我々の同盟への参加を裏で打診してきています。元々は蛮王国の属国的な国家ですから当然でしょうが、全ての国という訳ではありません。我々は、聖王国側への支持を表明している一部の国々を早々に制圧します。当方が数で勝るため、容易に完了出来るはずです」
ゼファーはチラリとラミロの表情を伺う。
おそらく、考えていることは同じだろう。ゼファーは説明を続けた。
「だが、問題は正面です」
ゼファーが、地図の東側――アンダルスから見て正面に位置する巨大な駒を睨みつけた。
「エジプーシャ軍。三年前、我々が一度退けたあの国は、あれ以降聖王国から莫大な軍事支援を受け続けています。聖王国からアンダルスを抑え込むための強大な防波堤として位置づけられているのでしょう。クオリア対策の装備も万全で、彼らを阻止することは容易ではありません。我々が南東へ兵を動かせば、奴らは確実にその隙を突き、全軍をもってアンダルス本国へ攻め入るでしょう」
南東のルート確保には、主力軍を割かなければならない。
そうなれば必然的に、正面のエジプーシャ軍への防衛が手薄になる。
逆に正面のエジプーシャ軍に主力を割けば、南東の制圧に時間がかかってしまう。
そうなれば、蛮王国共々、聖王国から各個撃破の憂き目に遭う可能性が高い。
「なるほどな……。そこで彼女の出番か」
ラミロは、高慢な態度で地図を見つめる美しい女性を見た。
「委細、承りましたわ」
真紅のドレスに身を包み、漆黒の長剣を優雅に携えたその女性は、今年で十八歳にまで成長したシャルロッテであった。
息を呑むほどの完璧な美貌。
カールを巻いた赤毛と琥珀色の瞳は、パッと見ればどこかの高貴なご令嬢と言っても差し支えない。
「羽虫のお相手は、皆様で適当に済ませてくださいな。正面から来るエジプーシャ軍の相手は、わたくし一人で十分ですわ」
金色の扇で口元を隠し、クスクスと優雅に笑うシャルロッテ。
一国の軍を相手に、単身で防衛線を張るという常軌を逸した無謀な提案。
だが、軍議の場にいる誰一人として、彼女を咎める者も、不安視する者もいなかった。
なぜなら彼らは知っているからだ。
三年前のあの日、最愛の恩師をその手で討ち、彼から全てを受け継いだこの少女が、現在の大陸において『史上最悪で最強の化け物』であることを。
ラミロとレオニダスは顔を合わせ、合意の意志を確認する。
「……頼んだぞ、シャルロッテ。本国への指一本の侵入も許すな」
「ええ。お任せくださいな、レオニダス様。先生の愛したこの街を汚す輩は、一匹残らず肥料にして差し上げますわ」
この軍議の数日後、アンダルス並びに蛮王国より、聖王国への宣戦布告が正式に発布された。
それと同時に、各地で一斉に攻勢が開始される。
すでにアンダルス及び蛮王国の先発隊は、間のルート上にある聖王国側の小国に攻撃を開始していた。
そしてアンダルスの主力軍も、蛮王国との合流および南東ルートの制圧を果たすべく、夜明けと共に進軍を開始していた。
朝日を背に受け、整然と隊列を組んで行軍する兵士たち。
その先頭近く、馬の手綱を握るエリオは、もう既に見えなくなったアンダルスの方を振り返って見つめていた。
今頃、シャルロッテもたった一人で東の国境――エジプーシャ軍が迫る死地へと向かっているはずである。
そんな様子を見て、ゼファーがエリオに声をかける。
「そういえば、シャルロッテの奴、いつからあんな高慢な貴族の令嬢みたいな喋り方になったんだ? 三年前は、あんな口調じゃなかっただろう。まるでどこかの王女様みたいだ」
その問いに、エリオは小さく苦笑を漏らした。
「無理もないさ。……あいつは元々、言葉すらまともに教えられなかった奴隷だったからな」
エリオの脳裏に、この三年間、まるで何かに取り憑かれたように生き急いできたシャルロッテの姿が浮かぶ。
「先生が死んだあの日から、あいつは強さだけでなく『知識』をも狂ったように求めた。書物庫に引きこもって、魔導書から他国の歴史書、果ては古の貴族の戯曲まで、ありとあらゆる本を頭に詰め込んだんだ。その結果、本の中に登場する『気高い令嬢』の言葉遣いが、あいつの標準語として定着しちまったってわけさ」
「なるほどな。本から学んだからこそ、あんな物語に出てくる令嬢みたいな話し方になったのか」
「それだけにタチが悪いんだよ。中途半端に口も悪いしな」
エリオの言葉に、ゼファーもまた深く同意し、ゲラゲラと笑った。
(心配をしてるわけじゃないが、死ぬなよ……)
エリオは密かにシャルロッテへと祈りを捧げ、自身も南東へと急いだ。




