第13話:激突の産声
――戦闘が始まる、半月ほど前。
ここは、聖都王立魔導学院の教室。
魔術士を志す多くの生徒が通う王立魔導学院の教室には、午後の柔らかな日差しが差し込み、磨き上げられたオーク材の机が飴色の光沢を放っていた。
制服に身を包んだ生徒たちが、背筋を伸ばして黒板を見つめている。
そこには、一人の老教師が立っていた。
彼は片眼鏡の位置を直しながら、よく通る声で問いかけた。
「――では、初歩的な質問から始めよう。『魔術士』とは何かね?」
最前列の少年が、待っていましたとばかりに手を挙げ、指名されると同時に立ち上がった。
「はい! 魔法を扱う者のことです!」
「うむ、その通りだ。では続けて問うが……『魔法』とは何かね?」
少年は少し胸を張り、教科書通りの回答を述べた。
「存在する元素に対して、影響を与える力のことです」
「よろしい。着席したまえ」
教師は満足げに頷くと、左手を生徒たちに向けた。
「例えば、私の左手の周囲にある空気。これに魔法的干渉を行い、分子運動を瞬間的に増幅させ、エネルギー密度を高めると……」
ボッ、と教師の左手の上に、赤い炎の球が生まれ、陽炎が空気を揺らした。
生徒たちから「おおっ」と感嘆の声が漏れる。
「一方……」
教師が左手を握り込むと、炎は瞬時に掻き消えた。代わって、今度は右手を掲げる。
「この右手の周辺にある空気を、今度は魔法で極限まで『停滞』させていく。熱エネルギーを奪い、固定化すると……」
パキパキという硬質な音と共に、大気中の水分が凝固し、鋭利な『氷の刃』が生成された。
「このように、物質に対して物理法則に則った変化を強制的に与えるのが魔法だ。我々魔術士は、この世界の理を理解し、計算し、術式によって再現する研究者でもある」
氷の刃を教卓に置くと、カランと冷たい音が響いた。
教師は一度言葉を切り、教室全体を見渡してから、意地悪な笑みを浮かべて次の質問を投げかけた。
「では……『騎士』とは何かね?」
別の生徒が手を挙げて答える。
「剣や槍などの武器を使って戦う人のことです」
「ふむ。単純明快だ。では、その騎士と我々魔術士、戦えばどちらが強いかな?」
「魔術士に決まっています!」
指名されていない生徒が大声で答える。
それに呼応するかの様に教室のあちこちから、同意の声が上がる。
「騎士なんて、ただの野蛮な体力自慢じゃないか」
「遠くから火の玉をぶつければ終わりだよ」
無邪気な優越感。
教師はそれを否定せず、静かに微笑んで手で制した。
「そうだろうな。君たちは優秀な魔術士の卵だ。そう思うのは当然だ。……だが、現実はそう甘くはない」
教師が指先を振るうと、黒板の空中に幻影魔法で一枚の写真が投影された。
そこに映っていたのは、一人の男性である。
「彼は、神聖騎士団第四部隊長、クラウス・ガードナー。……君たちは、彼に勝てるかな?」
教室が水を打ったように静まり返った。
神速のクラウス。
彼の持つ数々の戦場伝説は、子供でも知っているほど有名だ。
「……わかりません」
先ほど元気だった少年が、蚊の鳴くような声で答える。
「なぜだ? 魔法は万能のはずだろう? なぜ、たかが剣を振るうだけの人間が、炎や雷を操る魔術士を殺せるのか」
回答者がいないことを確認すると、教師はチョークを手に取った。
黒板に、力強い文字で一つの単語を書き殴る。
「正解はこれだ。騎士とは――『意志の力』を扱う者のことを指す」
「クオリア……?」
聞き慣れない言葉に、生徒たちが首を傾げる。
「そうだ。クオリアとは、精神力、信念、あるいは『思い込みの力』と言い換えてもいい。もっと俗な言い方をすれば『気合』だ」
教室の空気が弛緩した。
気合? そんな精神論が、高度な術式に勝るというのか。
生徒たちの懐疑的な視線を感じながら、教師は教卓の上の氷の刃を手に取った。
「先ほど説明した通り、魔法は物理法則の延長線上にある。氷を作るプロセスで炎は出せないし、重力に逆らうにはそれ相応のエネルギーがいる。……だが、クオリアは違う」
教師の声が低く、厳かに響く。
「クオリアは、物理法則や常識を無視する。『自分は無傷だ』と強く願えば、どんな攻撃でも弾き返す。『自分は燃えない』と信じれば、業火の中でも涼風と同じとなる。そう願った自己の在り方を、現実に上書きする力なのだ」
「そ、そんなの反則じゃないですか!」
生徒たちのざわめきを、教師は再び制した。
「そう思うのも当然だが、実はそんなに簡単なことではない」
教師は氷の刃を宙に浮かせ、より巨大な氷の剣に変化させた。
「例えば、この氷の剣を君たちに向けて放つとしよう。君たちは心の底から、自分はこの攻撃を受けても無傷だと思えるか? 皮膚が裂け、血が出る恐怖を、寸分も疑わずに否定できるか?」
生徒たちは青ざめて首を横に振った。
「そういうことだ。己を極限まで信じ抜く狂気にも似た精神性。それがクオリアの源だ。その思いが強ければ強いほど、騎士の肉体は鋼を超え、その剣は岩をも断つ」
教師は氷の剣を融解させた。
破片が、キラキラと宙を舞う。
「魔法の源である『魔力』は、先日の授業で教えた通り、個人の器によって限界がある。増やすには魔石などの外部リソースが必要だ。だが、クオリアは違う。過酷な経験、地獄のような鍛錬、あるいは守るべきものへの思い……それらによって無限に増大し、信じる心が折れない限り、決して枯渇しない」
「じゃ、じゃあ、どうやって勝てばいいんですか? 魔法がクオリアに勝てるとは思えないのですが……」
教師はニヤリと笑い、腕まくりをした。
ここからが本題だと言わんばかりに。
「簡単だよ。――心を、折ればいい」
教師の瞳が、鋭く光った。
「クオリアの源は意志だ。『自分は負けない』という確信だ。だから、その確信にヒビを入れるのだ。圧倒的な火力で恐怖を与えるもよし、搦め手で動揺を誘うもよし、大切なものを人質に取るもよし。一度『ダメかもしれない』と思った瞬間、クオリアは霧散し、彼らはただの脆弱な人間に戻る」
黒板を指差す。
「騎士は、我々の魔力切れや詠唱の隙といった『物理的限界』を狙ってくる。対して我々魔術士は、騎士の『心』を砕く戦いを強いられるのだ」
生徒たちの表情が引き締まる。
これから始まる授業に、期待が膨らむ。
が……
「だからこそ! 君たちに思想、哲学、心理学を学ばせているのだ! 相手が何を信じ、何を恐れているかを知ることこそが、心を砕く唯一の手段なのだからな! 二度と寝るんじゃないぞ!」
「は、はいッ!」
生徒たちは、すっかりこの授業が思想哲学の講義だということを忘れていた。
彼らは二度と、この授業を眠ったりはしないだろう。
老教師が、次にクオリアについて話をするのは、それから半月後。
巨大な火球が、頭上を通過したときのことであった。
場面は戻り、
ゴルゴダ砦より20キロ離れた広大な平原。
地平線を埋め尽くすように展開したのは、神聖騎士団の全部隊。
その最前列に、銀色の壁が築かれていた。
「アイゼン師団長! 第一師団、展開完了しました! 総員士気に問題なく、クオリア出力は順調に維持されています!」
「ご苦労。そのまま待機。指示を待て」
「はっ!」
重厚なフルプレートメイルに身を包んだ伝令兵が、その重量を感じさせない機敏な動きで駆け戻っていく。
第一師団長アイゼンは、愛馬の上から自軍の陣容を見渡し、兜の下で目を細めた。
神聖騎士団が誇る「鉄壁の盾」。
それが最新装備を身に着け、勢ぞろいしている。
「本気の装備だな、アイゼン」
隣に馬を並べた総長ヴァレリウスが、感心したように呟く。
「当然だ、総長。相手はゲールハルトだ。兵士達には最強の防具を身に着けさせた。これで、兵たちのクオリアはより強固になる。クオリアを貫かれても、鎧が守ってくれると信じることは重要だからな」
アイゼンは、自分の胸甲をガントレットで叩いた。
カーン、と高く澄んだ音が戦場に響く。
「なるほど」
ヴァレリウスが頷く。
総勢1500名。
魔族との最終決戦以来の光景にヴァレリウス他、各師団長たちは武者震いをしていた。
ピリピリとした緊張感が肌を刺す中、第三師団長バルトロメウスが馬を寄せ、顔をしかめた。
「……それにしても遅いな。セーニャ派の援軍はどうした? まさか怖気づいたわけではあるまい」
その問いに、ヴァレリウスは無言で南の方角を指差した。
「……いや、来たようだぞ。あのおぞましい気配は、見間違えようがない」
徐々に、微かに聞こえていたほら貝の音色が大きくなる。
大地の底から響くような地鳴りが、兵士たちの足元を揺らした。
南の地平線が黒く染まり、土煙が空を覆う。
現れたのは、整然とした騎士団とは対極にある、混沌の軍勢だった。
無数のオーク。
皮膚が腐り落ちたアンデッド。
牙を剥く巨大な魔狼。
魔術によって無理やり召喚され、隷属させられた異形の群れが、津波のように押し寄せてくる。
そして、その中央には、見る者を圧する巨大な影があった。
戦象。
城壁ほどもある巨体を揺らし、その背には物見櫓と、巨大な魔導砲台が増設されている。
それが四頭、五頭と続き、大地を踏み砕きながら進軍してくる。
「あれがセーニャ派か……」
バルトロメウスが驚愕する。
百年戦争後半で活躍した魔法は、主にクリスト派の強力な魔法であった。
セーニャ派の部隊については、初めて見るという神聖騎士団の兵士も多かった。
「個の精鋭を誇るクリスト派に対し、数と暴力で押し潰すセーニャ派だ。さすがというべきかな?」
ヴァレリウスは吐き捨てるように言った。
その総勢、およそ一万。
並々ならぬ、大軍勢である。
異形の軍勢の中から、一騎の馬が悠然と駆け寄ってくる。
豪奢なローブを纏い、立派な法衣を身に着けた男。
セーニャ派の幹部、バラモスである。
「いかがかな? ヴァレリウス殿」
バラモスは、誇らしげに連れてきた部隊を指し示す。
「我がセーニャ派が誇る『使い捨て』の軍団です。数合わせには十分でしょう? 死んでも懐が痛みませんからな」
「……ああ、十分すぎるほどだ」
ヴァレリウスは、事務的に答えた。
そして、バルトロメウスに対して指示を与える。
「バルトロメウス。作戦立案を頼む。まとまり試合、攻撃開始だ」
「承知した。早速軍議だ。アイゼン殿、行きますぞ」
バルトロメウスとアイゼンは、何やら相談しながら中央テントに入っていった。
百年戦争終結後、最も大規模かつ凄惨な「共食い」が、今まさに幕を開けようとしていた。




