第11話:燃える西天
神聖騎士団本部、中央会議室。
重厚な石造りの会議室は、神聖騎士団内部でも最も重要な会議が開かれるときに使用される。
機密保持対策として何重ものプロテクトが掛かったこの部屋は、かつて重要な軍事戦略や兵站状況が協議されていたが、平和な今の時代ではすっかり埃を被っていた。
それが、今、再び使用されている。
この事実が、現状を強く表している。
窓の外から差し込む夕闇と、テーブルに置かれた『証拠品』が放つ禍々しい輝きによって、まるで何かの神聖な儀式が始まるかのようだ。
テーブルの中央、絹の布の上に並べられたのは、昨日クラウスが奪取したあの深紅の魔石だ。
室内を照らす魔導灯の明かりを吸い込み、毒々しい赤色を脈動させるその石を、二人の権力者が沈黙の中で見つめていた。
「……困ったことになりましたな、ヴァレリウス殿」
静寂を破ったのは、魔術協会セーニャ派の長、アルゴスだった。
彼はいつもの温和な笑みを消し、神経質そうに指先で自身の顎をなぞっている。
その瞳には、隠しきれない不快感と警戒が混じっていた。
「この魔石の存在自体も深刻ですが、それ以上にクラウス殿の行動がいただけない。魔術協会の正式な許可証を持つ馬車に対し、独断で臨検を行い、あまつさえ積載物を没収した。……これは、神聖騎士団と魔術協会が長年維持してきた『不可侵の不文律』を真っ向から踏みにじる行為ですぞ」
アルゴスは、ヴァレリウスと協力関係にあるとはいえ、本質的には協会の人間だ。
クリスト派の失脚は望むところだったが、それを理由に騎士団が協会の特権にまで土足で踏み込んでくることは、彼にとって容認しがたい『越権』であった。
「クリスト派が地下で何を企んでいようと、まずは我ら協会に報告し、内部で処理させるべきだった。クラウス殿のやり方は、あまりに野蛮で――騎士の礼節を欠いている」
アルゴスの言葉は鋭く、責任追及の刃をヴァレリウスに向けようとしていた。
しかし、ヴァレリウスは微動だにせず、ただじっと黙って魔石を見つめている。
その沈黙は、失策を認めているのではなく、もっと別の、より巨大な『何か』を待っているかのような不気味さがあった。
これは、一種の『信頼』なのであろう。
確かに、第四部隊は権威や礼節を重んじる連中ではない。
だが、何よりも戦場を、そして軍を熟知している連中だ。
その長たるクラウスが、何の読みもなく、越権行為に踏み込むはずがない。
(必ず、何かある……)
その時、静寂を切り裂くようにドアが激しくノックされた。
昨晩、クラウスより銀鴉を受け取ったヴァレリウスは、直ぐに調査指示を出していたのだ。
「入れ」
ヴァレリウスの短い許可を得て駆け込んできたのは、息を切らした神聖騎士団の伝令兵だった。
彼は一礼もそこそこに、一枚の羊皮紙をヴァレリウスへ差し出す。
ヴァレリウスはそれを一瞥し、わずかに口角を上げた。
「ふむ……やはりか」
「……何が、ですかな?」
怪訝な表情を浮かべるアルゴスに、ヴァレリウスは無造作にその紙を放り投げた。
アルゴスが震える手でそれを拾い上げ、目を走らせる。
そこに書かれていたのは、新たな採掘地である北方グラキリスからの、衝撃的な実態報告であった。
「これは……! なんてことだ……」
報告書によれば、クリスト派は、採掘管理の任務に当たっている神聖騎士団『北方防衛師団』と結託し、極秘裏に魔石を回収していたという事実。
そして、既に大量の魔石が採掘・精製され、それが聖都郊外にある同師団の拠点――『黒鉄の砦』へと運び込まれている、ということだった。
報告書にある推定魔石量は、半年間戦線を継続してもお釣りがくるほどの、膨大な規模であった。
「……北方防衛師団。師団長のゲールハルトは、古くからクリスト派との繋がりが噂されていた男だ。そして奴は、私とは昔から犬猿の仲でね。いつか噛み付いてくるとは思っていたが、まさかこのタイミングで仕掛けてくるとは」
「そんな悠長なことを言っている場合ですか、ヴァレリウス殿! これほどの軍備、そして魔石の量……これは、もはや……!」
「……ええ。まるでクーデターですな」
ヴァレリウスの瞳が、獲物を狙う鷹のように鋭く細まった。
彼は立ち上がり、窓の外、聖都の西側へと視線を向ける。
「全部隊に伝達。緊急招集だ。戦闘準備も忘れるな。おそらく、北方防衛師団とその息がかかった部隊は、この招集には応じないだろう。……それが、何よりの証拠になる」
その夜、聖都エリュシオンは眠りを忘れた。
無数の伝令兵が石畳を馬で駆け抜け、各地に散っている神聖騎士団の元へ向かった。
市民たちは何事かと窓を開け、無数に駆け回る伝令の姿を見守った。
その緊急招集の波は、場末の酒場にいたヴァルグの元にも届いた。
本来、この手の伝令は部隊長に伝えられる。そこから、各員に通知されるのだが、第四部隊だけは異なっていた。
一騎当千の戦力である彼らには、個別に銀鴉が飛ばされるようになっている。
ヴァルグは、他の隊員よりも一足早く、この緊急伝令を受け取った。
「緊急招集ね……。『西の空が燃えている』……だとさ」
ヴァルグは、届けられた伝令の隠語を読み上げ、自嘲気味に笑った。
西の空が燃えている。
それは、『クーデター発生』を示す最悪の符牒だ。
彼は手元の酒を一気に煽り、空になったグラスをカウンターに置いた。そして、隣に座る飲み仲間の男を横目で見た。
「そうか。第四部隊には個別の銀鴉も来るのか。迂闊だったな」
その男は、軽く笑い、自身の酒を飲み干す。
この男は、かつてヴァルグが所属していた『第七機動部隊』の元戦友、ケルドンだ。
第四部隊所属前には、共に死線を潜り抜け、互いの背中を預け合った仲だ。
「驚かないってことは……お前らか?」
ケルドンはマスターに声をかけ、それぞれ同じ酒をもう1杯頼むと要求した。
マスターが酒を準備するために遠ざかったのを確認すると、彼は座りなおし、真っすぐにヴァルグを見つめた。
「ヴァルグ。お前も知っているはずだ。今の神聖騎士団が、いかに腐りきっているか。ヴァレリウスのような連中が、どれだけの犠牲の上に胡坐をかいているか」
「そんなことなら反主流派に行けばいいだろう」
「それじゃダメなんだ。反主流派は、あくまでも王権の復活だ。結局貴族が支配する世の中になるだけだ」
「といっても、これも同じことだろう。何が違う?」
ケルドンは、カウンターの上に自らの拳を叩きつけ、絞り出すように言った。
「頼む、ヴァルグ。第四部隊の力があれば、聖都の門は開く。……俺たちと一緒に、この歪んだ国を正してくれないか。ゲールハルト団長の話を聞けば、必ずわかる」
深々と頭を下げたケルドン。
ヴァルグはそれをじっと見つめたまま、動くことはなかった。




