第10話:聖都の腐食
執行官メルクリウスが失脚してから数ヶ月が経った。
聖都エリュシオンの景色は、短期間とは思えないほどに変わった。
かつて街の至る所に掲げられていたクリスト派の象徴である『黄金の天秤』の旗は、今やことごとくセーニャ派の『白銀の聖杯』にすり替わった。
役人や商人の往来が作る流れも、今は全く別物となっている。
だが、その程度は些末なものだ。
一般市民にとって、旗が変わったり、偉い人が変わったりすることはよくあること。
自分たちの生活に影響があるわけでもない。
問題は、自分たちの生活を脅かす変化のほうだ。
「おい、そこをどけと言っているんだ。耳が付いていないのか?」
大通りの噴水広場。
神聖騎士団の制服を纏った若い騎士が、荷車を引く老人に土下座を強要していた。
わずかに肩が触れた、ただそれだけの理由だ。
以前の騎士団であれば、こんなことは起きえなかった。
いや、それ以上に市民の味方であった。
このような横暴は貴族出身が多い魔術協会の人間に多く、神聖騎士団はそれから市民を守る立場であった。
しかし今や、魔術協会を事実上の傘下に収め、権力と富を手にした彼らの腐敗は加速した。
腐敗の進行速度は早い。
聖都に常駐する神聖騎士団幹部、そして聖都防衛部隊はあっという間に腐敗し、今ではこの有様だ。
「……気に食わねえな」
その光景を遠巻きに眺めながら、ヴァルグが毒を吐く。
第四部隊の仕事は、今では平和なものになっていた。
それはすなわち、政争がひと段落し、一つの区切りを迎えたことを示している。
かつての汚れ仕事は、今はほとんどない。
その代わりに、他の部隊と混じっての街道警備や検問作業が主な任務となっている。
これは彼らにとってうれしいことではあるが、代償が眼前に見える腐敗である。
「無視よ、無視。あんなのと関わっても、あのおじいさんの立場が悪くなるだけ」
カミラが冷めた声で制す。
彼女の視線もまた、傲慢に振る舞う同僚たちへ蔑みの色が混じっていた。
2人は聞くに堪えない罵倒を背に、職場である検問所に向かい歩き出した。
検問所となっている街道の休憩所には、第四部隊の他にも数名の平騎士たちが詰めていた。
数々の戦場伝説を生みだした第四部隊だが、実際に寝食を共にする一般の兵士たちからの評判は、意外なほどに悪くない。
「第四部隊の皆さん、差し入れです! 街のパン屋で焼きたてのやつを多めに買ってきました!」
そう言って明るく声をかけてきたのは、第二部隊所属の若い歩兵、ハンスだ。
彼はバルガスの巨躯を怖がるどころか、親しげにその隣へ腰を下ろす。
「おっ、ハンスか。気が利くじゃねえか」
バルガスが大きな手で、子供の頭ほどもあるパンを器用に受け取る。
「そりゃあ、この前のゴブリンの群れから助けてもらった恩がありますから。……正直、第四部隊の人たちが一緒だと安心するんですよ。他のエリート部隊は、手柄のことしか考えてないし、俺たちのことなんて使い捨ての壁としか思ってないですから」
ハンスの言葉に、周囲の若手兵士たちも同意するように頷く。
第四部隊の面々は、戦場では冷酷無比だが、平時において他者を虐げたり、地位を誇示したりすることに興味がない。
地獄を生きてきた彼らこそ、下級兵士たちの苦労を誰よりも理解していた。
「……あんな若造に慕われて、調子が狂うわね」
カミラが苦笑しながら、手渡されたリンゴを齧る。
クラウスは一人、木陰で地図を広げていた。
ハンスが恐る恐る近づき、彼にも飲み物を差し出す。
「隊長も、お疲れ様です」
「……ああ。すまないな」
短い言葉だが、クラウスの瞳には確かな労いがあった。
ハンスはそれだけで嬉しそうに顔を綻ばせ、再び自分の任務へと戻っていった。
「隊長、あいつら、あんたのこと『本当の騎士』だって噂してますよ。本部の連中が聞いたら、泡吹いて倒れるでしょうがね」
ヴァルグが冷ややかな笑みを浮かべる。
「もう戦争を知らない世代も多いからな。言わせておけばいい」
クラウスは、視線を街道の先へと向けた。
平穏な日常。
このまま、平穏に物事が終わるなら、それが一番いい。
思い出した師の教えを、クラウスはぼんやりと思い返していた。
時は夕暮れに近付き、そろそろ検問の業務も終わりにしようとしていた頃、聖都から続く街道の向こうから、一台の馬車がやってきた。
見慣れた中規模の商隊だが、御者台に座る男の様子がどこか落ち着かない。
検問の列に並ぶ間も、何度も周囲を伺い、額の汗を拭っている。
「……ヴァルグ、サポートしてくれ」
クラウスがヴァルグの耳元囁くとで、ヴァルグはあまりのパンを口に頬張りながら面倒くさそうに立ち上がる。
馬車が検問所に到達すると、クラウスは若い兵士達に馬車を停止させるように指示した。
「こんな時間にどうした。もう夜だ。盗賊にとって格好の餌食だぞ」
クラウスの問いに、御者の男は何やら仰々しい紙を提示した。
「だ、大丈夫だ。ほら、魔術協会の許可証だ。極秘の任務だ。通してもらうぞ」
その許可書を受け取った若い兵士は、うんと頷き、馬車のために道を譲る。
魔術協会と神聖騎士団は、あくまでも対等。
魔術協会の許可証とあれば、これ以上詮索してはいけない。
これが、神聖騎士団の不文律であった。
御者はホッとした表情を見せると、馬車を進めようと手綱を握りなおした。
だが、ヴァルグがひらりと御者台の横へ飛び乗り、その手綱を奪い取った。
「ちょっと待てよ。許可証じゃ魔獣や盗賊の襲撃には耐えられないぜ? 護衛はどうしたんだよ」
「あ、そ、外で待ってるんだ。都市の外で合流する予定になっている」
「ふーん、じゃあそこまで護衛してやるよ。悪い話ではないだろ?」
「い、いや……」
ヴァルグは、兵士たちに軽く目配せをした。
今のうちに、荷物を改めろということだ。
だが、若い兵士たちはたじろぎ、直ぐに動こうとしない。
見かねたカミラが立ち上がり、荷台のカバーをナイフで跳ね上げると、奥からいくつもの重厚な木箱が現れた。
「ねえ、許可書にはなんて書いてあるの?」
カミラが、兵士に許可証の内容を尋ねる。
「あ、食塩と砂糖……それに繊維類だそうです」
「ふーん」
魔術協会の許可証を持っている馬車の荷を改めるなど、通常の兵士は絶対にしない。
絶対に検分されないからと、荷物を偽装する意識すらないのだろう。
なぜ食塩等の粉末を、こんなスカスカの木箱に入れるのか。
カミラが木箱の一つを力任せに抉り開ける。
中から現れたのは、詰められた綿の隙間で怪しく発光する、深紅の魔石の山だった。
「ビンゴよ、隊長」
カミラは、魔石を一つ手に取り、クラウスへ投げ渡した。
周囲の兵士たちの空気が凍りついた。
魔石からは爆発的な、そしてどこか歪んだ魔力の波動が伝わってくる。
「……攻撃魔法増幅用の、密造魔石か。しかも、最新の連鎖術式が組み込まれている」
この精緻な彫り込み、そして密造魔石には不釣り合いな最新術式。
そして、この攻撃魔法増幅用の魔石製造はクリスト派が多用し、得意としている技術であるという事実。
クリスト派が何かを企んでいることは、容易に想像できる。
「ひっ……!」
商人が逃げようとするが、バルガスの巨躯が壁となってそれを阻む。
「どこへ行く? もっと楽しもうぜ」
その様子を見て、クラウスは通信機「銀鴉」を起動させる。
一瞬、笑った兵士たちの顔や新人パーティーメンバー達の表情が浮かぶ。
(これでいいのか……)
だが、その感情は直ぐに消え、「銀鴉」にてヴァレリウスを呼び出していた。




