EP 4
「鳥籠の中の優しさ」
兵士たちからの「賢者様!」「ナイチンゲール様!」という称賛の嵐。
美月は、人生で初めてのモテ期(信仰対象として)を迎えていた。
公爵邸の豪華な図書室。
ふかふかのソファに座り、美月は鼻歌交じりに紅茶を啜っていた。
(ふふん、私ってば意外とやれるんじゃない? 准看護師の知識が、異世界では大賢者クラスだなんて!)
昨日の治療の成功で、すっかり気を良くしていた美月。
ルークスも「君の知識をもっと授けてほしい」と言ってくれている。
ここでさらに凄いアイテムを出せば、もっと尊敬されて、ポイントもガッポリ稼げるはずだ。
「よーし、いっちょ『知識の源』出しちゃいますか!」
美月は昨日のボーナスで貯まったポイントを惜しげもなく投入する。
狙うは、私の薄っぺらい知識を補完してくれる最強の医学書だ。
「【ランダムボックス】起動! 奮発して1000ポイント!」
美月は自信満々にカテゴリーを唱えた。
「『日本』、『本』、『医療』……えーと、とにかく凄いやつだから『難しい』!」
ポンッ!
重々しい音と共に、テーブルの上に分厚いハードカバーの本が現れた。
ズシリと重いその表紙には金色の文字でこう書かれている。
『最新版・標準内科学(第XX版)』
それは、医学生や現役医師が必死になって読み込む、定価数万円はする鈍器のような専門書だった。
「で、出たぁ! これさえあれば無敵よ!」
美月はドヤ顔でページを開いた。
しかし、数秒後。彼女の笑顔が引きつった。
「……ん?」
『サイトカインの放出機序において、インターロイキン6の血中濃度が……』
『膠原病における免疫抑制療法の第一選択は……』
(……な、なにこれ。全然わかんない)
美月は冷や汗をかいた。
彼女はあくまで看護学生。ケアや処置のプロを目指してはいるが、医師レベルの複雑怪奇な病理学や薬理学は専門外だ。
しかも「難しい」と指定してしまったせいで、専門書の中でも特に難解なものが出てしまったらしい。
「あ、あれぇ……? 私、これ皆さんに教えられるかなぁ……?」
美月が青ざめていると、ルークスが領内の高名な学者や宮廷医師を連れて入ってきた。
「ミツキ殿、連れてきたぞ。彼らが我が領が誇る知識人たちだ」
「ほほう、賢者殿が異界の書物を……?」
老年の学者たちが、興味津々で美月の手元を覗き込む。
そして、開かれたページにある「精巧な人体解剖図」や「細胞分裂の図解」を見た瞬間、彼らの目が飛び出さんばかりに見開かれた。
「な、なんだこれはぁぁぁッ!?」
「こ、この精密な絵は! 臓器の配置が手に取るように分かるぞ!」
「文字は読めぬ! 読めぬが……この図だけで、我らの医学が百年、いや三百年は進歩するぞ!!」
学者たちは興奮のあまり震え出し、中には拝み始める者までいた。
ルークスも目を見開いている。
「すごい……これが東洋の『医学書』か。魔法書すら凌駕する情報量だ」
「あ、あの、えっと……」
美月はしどろもどろになった。
(どうしよう、解説を求められても私、半分も説明できない……! 漢字も多いし!)
「そ、その本はですね、ちょっと高度すぎて、私ごときが解説するのは……あはは……」
美月が本を閉じようとすると、ルークスがその手の上に、優しく自分の手を重ねた。
「……分かった。無理をするな、ミツキ殿」
「え?」
ルークスは、美月の引きつった笑顔を「謙遜」あるいは「高度すぎる知識を無知な我らに噛み砕く苦労」と受け取ったようだ。
彼は慈愛に満ちた、とろけるような笑顔で言った。
「でかしたぞ、美月殿。君は『真理』そのものをここに招来してくれたのだ」
ルークスは医学書を手に取り、学者の一人にうやうやしく渡した。
「あとは、こちらで調べさせよう。我々の手でこの書を解読し、君の故郷の叡智を必ずやこの国に根付かせてみせる」
「えっ? あ、はい……お願いします?」
美月はポカンとした。
私が教えなくていいの?
ルークスは満足げに頷き、美月の肩を抱いた。
「君はもう、何もしなくていい。ただそこにいて、笑っていてくれればいいんだ」
「え……?」
「君のような至宝を、労働で煩わせるわけにはいかないからね。さあ、庭でお茶にしよう。最高級の茶葉が届いているんだ」
ルークスは優しくエスコートする。
学者たちは本に夢中で、もう美月を見ていない。
(あれ? 私、お役御免?)
医学書という「物」だけが重宝され、私自身の知識や技術は必要ないと言われたような気がした。
「何もしなくていい」。
それは最高の贅沢なはずなのに、なぜか美月の胸には小さな棘が刺さったような違和感が残った。
――私=ランダムボックスなの?
その疑問は、甘い紅茶の香りの中で、少しずつ美月の中で大きくなっていくのだった。




